AnnaMaria

 

裸でごめんなさい 5話

 

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「○ンダリン・オリエンタル」のロビーは、ビル最上階の38階にあり、
窓から東京の素晴らしい夜景が眺められる。

最近、立て続けに東京にできた四つ星クラスのホテルの一つで、ビジネス街へのアクセスの良さと、
本格的な設備、サービスを備えた最高級ホテルだ。

7時までにまだ間があったので、こことすぐ下のフロアを少しだけ覗いてみる。
海外からの宿泊客はもちろん、ビジネス街に近いこともあって、
びしっとスーツを着こなした男性客が多いだろうと思っていたが、意外に家族連れも目立つ。

会社に入りたての頃は、こういうホテルのロビーにいるだけで何となく落ち着かなかったが、
30を過ぎると、多少はこういう雰囲気にもなじめる自分を見つけた。

行き交うお客のあれこれを想像しながら窓からの景色を眺めていると、携帯が震えた。


「もしもし、神待里です。今、どこにいますか?」

「38階のロビーの、レセプションの近くです。」

「わかりました。すぐ行きますから。」


携帯をバッグにしまって辺りを見渡すと、長身の神待里がこっちに歩いてくるのが見える。
ロビーの客の中でもかなり目を惹く風貌なのに、今更気がついた。
どうも、今まで彼のことをちゃんと見ていなかった気がする。
早足であっという間に、まどかのそばにやって来られると、柄にもなくドキドキした。


「すみません、お待たせして。早かったですね。」

「いえ、さっき着いたところです。初めて来たので、少しブラブラしていました。」

「そうですか、良かった。
 もしよければ、食事を一緒に付き合ってもらえませんか?」

「ええ、有り難うございます。」

「う~ん、さてどこにしよう。このフロアにもこの下の階にもレストランがありますね。
 下のフレンチ・レストランは定評があるようですよ。
 景色も素晴らしいし、行ってみます?
 それともどこか他に希望がありますか?」


さっき覗いた、37階のフレンチレストランは、ぱっと見たところ、外国人を含めたビジネスディナーらしい客が
3組は目についた。年配のカップルも多い。
ほとんど初対面で、ただでさえ緊張しているのに、あすこは避けたい。


「さっき覗きましたが、なんだかとても高級そうで緊張しそうです。」

「あはは、そうですか。では途中の2階の吹き抜けの脇にある、カジュアルなイタリアン・レストランはどうですか?」

「あ、そっちが嬉しいです。」


あっちの店なら、少なくとも座ってるだけで緊張はしないですみそうだわ、
と、ありがたく彼の提案を受けた。

2階のイタリアンレストランは、中庭のアトリウムに面した開放的な空間で、若い女性客もかなり見受けられる。


席に着いて注文を済ませると、改めて向かい合う感じになった。




「お忙しいのに来てくれて嬉しいです。」

「いえ、それ程でもないんです。」


真っ正面から輝くような笑顔を向けられると、
ドキドキして何を話して良いのかすっかりわからなくなった。
笑うとがらり、と感じの変わる人ね。


「一度この新しいホテルに来てみたかったので、私も嬉しいです。」

「そう言ってくれると助かります。
 しばらく日本にいなかったから、適当な店を知らなくて、ホテルにしてしまいました。」


しばらくは当たり障りのない話を続けた。


「神待里って珍しいお名前ですね。なんだか、ありがたいような・・・」

「父方の実家が神職なんです。叔父は神主なのですよ。」

「へえ、そうなんですか・・・」

「小さい頃、叔父の神社の広い境内で遊んでいた記憶があります。
 その後、父がすぐにエクアドルに転勤になったので、すっかり環境が変わってしまいました。
 小さい頃は、スペイン語もしゃべっていたらしいのですが、今はあまりできません。
 あいさつ位しか言えなくなってしまいました。」

「はあ、そんなものでしょうか?何だかもったいないわ。」


エクアドルは日本より治安が悪く、毎日運転手が車で学校まで送り迎えしていたこと。
運転手にも高給をきちんと払わないと、誘拐する側と取引してしまい、
外国人の子弟の誘拐が絶えないこと等を次々に話してくれた。

小さい頃の話をしてくれているうちに、彼の表情も生き生きとして、
身振り手振りが大きくなり、声まで少し大きくなったようだ。

あら、アメリカにいる時は、こんな表情で暮らしているのかしら?
案外、陽気な人なのかも。

まどかの方もすっかり気分がほぐれて、
何だか昨日、初めて会った人のような感じがしなかった。
まるで懐かしい誰かに会っているような・・・。


気がつくと、ワインが空になり、デザートまで食べ終わっていた。
2時間くらい経ったのかしら?


「お腹はいっぱいになりましたか?」

「ええ、とっても美味しかった。カラフルなお野菜がいっぱいだったし、
 エクアドルのお話もとても珍しくて楽しかったです。」

そう言うと、彼が何だかちょっと照れくさそうな笑いを浮かべて下を向いた。

「そうですか?僕も楽しかったな。」



「あなたに渡したいものがあるんです。よろしければ上の部屋まで一緒に来てくれませんか?
 夜景がすごくきれいですよ。」


わずかにまどかは躊躇ったが、結局うなずいた。
仕事で同じプロジェクトに携わっている男性なのだ、そう失礼なこともしないだろう。


「わかりました。」




33階の部屋は足元から天井までが全面ガラス張りで、西に向いたこの部屋からは、
ビルの明かりの海に皇居の森が黒々と沈み、向こうに新宿高層ビルの摩天楼のライトが見える。

国際的な特級ホテルだが、日本にあるということを意識してか、どことなく壁やカーテンなどに
簡素で落ち着いた「和」の雰囲気が感じられた。


「景色の良い部屋ですね。朝はもっと良いんじゃないですか?」

「その通りです。
 と言ってもまだ一晩しか泊まっていませんが、朝はかなり遠くまで見渡せて気持ちがいいですよ。
 よく晴れた日は富士山まで見えるそうです。」

「それにしても、ずいぶん高級なホテルに御滞在ですね。」

「今回は特別です。
 久しぶりに日本に帰って来るのに、迎えてやれないからと、親が予約してくれたのですよ。」

「今、ご両親は日本にいらっしゃらないのですか?」

「ええ、ブラジルに行っています。もっとも今度はそう長くもなく帰ってくるでしょうけど。」


彼はふと視線をこちらに向けると、


「何を飲みますか?僕はウィスキーをやりますが・・・」

「ええと、もう、お酒は結構なのでペリエを頂けますか?」


ふっと笑って長い足をさっと翻すと、部屋の奥のミニバーと冷蔵庫の処に行き、
ウィスキーのオン・ザ・ロックと、ペリエをグラスに注いだものを持って来てテーブルに置いた。


「どうぞ」


ソファを示されたので、並んで腰をかける。

軽く乾杯をしてグラスに口を付けると、この部屋の雰囲気にも少し慣れて来た。
それでもまだ、何だか顔がほてってくる。
冷たいグラスで冷えた手を熱くなった頬にあてた。


「あの・・・」

「暑いですか?上着を脱いだらいいでしょう。僕も失礼します。」


そう言って立ち上がると、まどかの上着を脱ぐのを手伝ってくれ、
自分の脱いだ上着と共に手近な椅子の背にかけると、
まどかに向き直り、ちょっと驚いた顔で目を見張ってから微笑んだ。


「ジャケットを脱いだ方がずっと素敵ですね。」

「え?ああ・・・ありがとうございます。」


自分がどういう服を着ていたのか、今になってやっと思い出した。
物堅いジャケットの下に、ちょっと繰りの深い女らしいトップを着て来たのに、
レストランでは脱ぐのを忘れていたのだ。

だが、自分をここに呼んだ理由は何だろう?
夜一人で退屈なせいなんだろうか?そうかもしれない。
渡したいものって?


まどかの顔にうずまく疑問を読み取ったように、神待里が笑った。


「用件がわからないと落ち着かないですか?」

「はあ・・・」


端正な横顔を見せてウィスキーのグラスを置くと、


「では、少しだけ、目を閉じてもらえますか?」

「え?」

「すみませんが、ちょっとの間だけです。」


重ねて言う声に押されて、まどかは素直に目を閉じた。
自分の手がつかまれるのを感じてびくっとしたが、


「まだ開かないで・・・」


の声に我慢して、目をつぶったままでいた。

彼の大きな手がまどかの手を包んで開かせ、何かを掌に落とすと、ゆっくりと指を閉じさせた。


「いいですよ。」


まどかが自分の掌を開いてみると、小さなダイヤのはまった金の指輪がある。


「?」

一瞬わけが分からず、指輪から彼の顔に目を移し、どうしてこれが、としばらく考えていたが、
あっと思い当たった。


「これは・・・?」

「そうです、あなたに頂いたものです。お返ししたいと・・・まどかさん!」


ガタン、まどかはいきなり立ち上がって歩き出そうとしたが、彼に腕をつかまれて立ち止まった。


この指輪は、あの新宿のビジネスホテルで助けてくれた男性に渡したものではないか!
すると、彼が・・・よりによって彼が、あの男性だったと言うの?

あまりにも酷い!
こんな、恥ずかしいわ!

まどかは、壁に寄りかかったまま両手で口元を覆い、叫びそうになる自分を止めた。
恥ずかしさのあまり、涙がぽろぽろこぼれてきて、両手で顔全体を隠して俯いてしまった。

なんてバカだったんだろう!
あんなザマを見られていたというのに、嬉しそうにここまでついて来てしまって・・・。



しばらくして、ちょっと沈んだ彼の声が聞こえてきた。


「すみません。あなたに恥をかかせるつもりではなかったんです。
 傷つけてしまったかな。でも聞いてくれますか。」


まどかの手が彼の手でそっと顔からはがされると、心配そうな瞳が覗き込んでいた。


「あの時、僕だけ部屋に残された後、ずいぶん色々心配したのですよ。
 何しろ、出稼ぎの風俗嬢が、折檻されるか何かで店を逃げ出してきたか、
 あのホテルのどこかに、ずっと監禁でもされていたのか、とか色々考えていましたから。

 この季節にあの薄着で、金も持っていない様子なのに、
 どうやって逃げ延びたのかと気にしていたんです。
 成り行きとは言え、かかわった女性にもう少し何かできたんではないか、と。」


まどかは、まだ涙のたまった目のまま、彼の顔を見上げた。
さぞ、ひどい顔になっているに違いないわ。


「朝までそうやって考えた後、仕事先の銀行の会議室であなたと会ったんです。
 最初は気がつきませんでした。
 あれ?と思ったのは、プレゼンが終わって、そちらの会社に戻ってからです。

 新宿の街を命からがら薄着で逃げている薄倖の風俗嬢と、あなたが結びつきませんでしたが、
 よく見ると、確かに同じ女性です。
 どういう事かと、オフィスで直接聞きたいくらい気になりました。」


ここまで聞くと、まどかも申し訳ない気持ちになった。


「すみません。色々と心配して下さったのですね。
 それだけじゃなく、危ないところを助けて下さったのに・・・。
 でも、これはあんまりショックで・・・。
 2度とお会いする事はないと思っていましたから。」


彼がからからと初めて声をたてて笑った。


「僕の方ももう会えない、と思っていましたから驚きましたよ。
 でも、嬉しかったです。」

「何故?」

「僕の助けた女性が新宿の街で、ヤクザにつかまっているんじゃないことがわかりましたから。
 それどころか、とても素敵な女性になって、元気に仕事している姿まで目にしました。

 でもあなたは僕のこと、全然覚えていてくれなかったね。」

「コンタクトを外してたから・・・よく見えなくて。
 気も動転してましたし・・・。」

「かもしれないけど、こっちもちょっとショックでしたよ。
 あの時のあなたは切なくて、色っぽくて、ちょっと忘れられないな。」


微笑んだ顔のままこちらを向くと、探すような視線でまどかの顔をゆっくりと見ていく。
そのうち、大分薄くなったものの、まだ青みの残る目の下の痣に目を留めた。


「この痣はどうしたんですか?
 これのせいで、あなたが誰かに殴られたのだと思い込んでしまったんですよ。」

「よく見えなくてバスルームのドアノブに思いっきり顔をぶつけたんです。
 すみません。ヤクザから逃げ出して来た哀れな風俗嬢じゃなくて、
 コンタクトを外したばかりに、信じられないドジをした、浅はかな女とは別人ですよね。」


まどかは唇をかんで横を向いた。


「僕を怒っているんですか?」

「いえ、そんな・・・とんでもない・・・」まどかは慌てた。

「じゃ、もう泣かないでくれますか。」


すっとハンカチを差し出され、震える手で受け取って、
何とか落ち着こうと涙を拭くと、


「あの時は本当に有り難うございました。
 人生最大の危機かと青くなって、ものすごくパニックしてましたから。
 あなたじゃなかったらどうなっていたかと、今思い出してもぞっとします。」


改めて頭を下げた。


「僕も良かった、ちょうど通りがかったのが僕で。
 それに、僕はやっぱり役得だったな。」


まどかは真っ赤になってしまった。
こんなに赤くなった事なんて、ここ近年なかったかもしれない。


「僕は明々後日、ニューヨークに戻ります。」


そうなのか。今回のプロジェクトでは、臨時の助っ人という役割だったのかしら?
まどかの中で急に何かがしぼんでしまった。


「では、もうお会いできませんね」まどかは思わず呟いた。

「いえ、また会ってくれますか?」

「え?」

「実は来月から東京勤務が決まったんです。
 別のプロジェクトも立ち上げますが、そちらのプロジェクトにももちろん関わります。
 今回はそれもあって銀行との交渉にぎりぎりでも参加できた方が良いという事で帰国したんですよ。
 実に有意義な帰国になりました。」


まっすぐまどかの目を見つめる。


「では、また会ってくれますね?」

「は、はい」

「やった、嬉しいな!」

そう言うと、いきなりまどかを胸の中に引き寄せて、そのままぎゅっと抱き締めた。

「あ!」


どうしよう!
あ、でもこの匂い、覚えがある。
あの時、恐怖で感覚が麻痺していたけど、この温もりは信じられたんだわ。


神待里は、そっとまどかを胸から離すと、


「すみません。でもこれでおあいこですよ。
 前はあなたの方から僕のところに飛び込んで来てくれたんですから。ね?」


と、柔らかく微笑むと、そっと顔を近づけてくる。
まどかが思わず体を縮めて、後ろに引きそうにすると、
そっと頬に口づけられた。

固まったまま、彼の顔を見つめていると、


「僕は南米育ちなんでね。ちょっと失礼をするかもしれませんが、これは挨拶。
 ん、もうちょっと親しい『約束』かな。
 そんなおびえた顔をしないで・・・」


と、片目でウィンクをして笑った。

昼間オフィスで見せた、クールで切れる印象とはまるで違って、
ちょっとやんちゃで、少年のような表情だった。

思わず、まどかもつり込まれて笑ってしまう。


「やっと笑ってくれましたね。さ、もう一度乾杯しましょう!」


テーブルからグラスを取り上げ、ちょっと上げて、カチリ、と合わせると、


「再会を約束して。」

「はい、またお会いできますように。」


東京の見事な夜景が眼下に大きく広がっていた。

- 終わり -

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