AnnaMaria

 

続・裸でごめんなさい  10. バーベキュー・パーティ "Evening to Night"

 

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穏やかに終わる筈だった午後が、終わらなかったのは、空のせいだ。

駅で待ち合わせをした頃はむっとする曇り空だったが、
バーベキューが始まると、少し晴れて青空が見え、
夏の陽射しが庭の緑に降り注いで輝くようだった。

夕方になると、風が涼しくなる代わりに、
空を斜めに横切るように真っ黒い雲が現れ、見る間に大きく広がって、
青みを増した空をずんずん覆い隠して行く。

空気はねっとりと湿気を帯びて、風まで止まってしまった。


「夕立でも来るのかしらね。」


ママさんが空を見上げて言った。


「入道雲がもくもく見えた訳でもないのになあ。まったく煙みたいな色の雲だ。
 こりゃ、急いで片付けた方がいいかもしれない。」


パパさんの言葉に、男性陣はテラスのバーベキューコンロや炭を片付け始め、
わたしとマッダレーナは、容器やグラス類をキッチンに下げて、
雨に当たりそうな処の椅子を畳んで、内側に立てかける頃には、
もう、遠雷が聞こえてきた。


いつの間にか、辺りは真っ暗だ。
庭全体が覆いをかけたように暗くなって、次に来る物を待っている。

カタッカタッと小石のあたるような音がした、と思う間に、
ぱらぱらぱらっと、あられの投げつけられたような音が屋根から窓から響き、
やがて、ざあっと一面に叩き付けるように激しい雨が降って来た。

庭や地面に雨の跳ね返りが白く一面に立ちこめ、
庭に張り出した出窓のガラスにざざっざざっと雨がたたく中、
時折、カタカタ、カタカタっと固いものが当たる音が混じる。


やがてピカッと、強い光が居間の中を貫き、
ドッドーン!と、ほとんど間を開けず大音響がする。

マッダレーナは悲鳴を上げて、明に飛びつき、
ママさんは耳を塞いで、ソファに座りながら窓の外を眺めている。


「隆、ちょっと二階の窓を見てきてくれんか」


パパさんが声をかけて玄関の方に歩き始めると、隆もすぐに2階に上がって行った。

まどかは、ママさんが座っているソファの隣の椅子に座っていた。


ピカッ!ガラガラガラ・・・・。


あまりに大きな音が立て続けに響くので、
落ち着いて後片付けをするどころではない。


「出窓の上に小さい雹がたまっていた。
 さっきパラパラ当たっていたのは、雹だったんだな。
 庭の花がやられてしまわないといいが・・・」


パパさんが程なく戻ってきて、ママさんの隣に座るが、視線は外に向けたままだ。


まどかもふと気づくと、肩の上に隆の手があった。
柔らかく手を乗せたまま立っている隆を、後ろに感じながら、


「お庭の手入れはどなたがなさっているんですか?」

「私たちが居るときは、二人でするのよ。
 でも、出張が多くて、ずっとは面倒を見てあげられないから、
 庭と家の手入れをしてくれる人を別に頼んであるの。

 今は隆が帰ってきて、何日も家が空っぽになる事は一応なくなったけど、
 忙しいし、出張もあるでしょうから、やっぱり今後もメンテを頼まなきゃダメね。」

ママさんは、下を向いてちょっとため息をつくと、

「どうも、またブラジルに行かなくちゃならないようなの。
 戻ってまだ一ヶ月ちょっとで、またなんてイヤだけど仕方ないわね。

 いない間、隆をよろしくね。」


まどかに向き直って微笑んだ。


雷はしつこく20分あまりもぴかぴかと続くと、ようやく遠ざかって行ったが、
雨は少し小降りにはなったものの、止む気配がなく、風まで出て来たようだ。




「ママ、俺、マッダレーナを送ってもう帰るわ・・・」


明が立ち上がった。


「そうなの?まだ早いのに。」

「いや、俺は明日朝から練習だし、マッダレーナは明日仕事なんだ。
 今日はこのまま帰るよ。」

「ママさん、アリガト。また来ますね。」


マッダレーナがママさんをハグして、頬にキスをした。


「わかったわ。またあなたのお国に行くことになりそう。
 帰って来たら会いましょうね。」


ママさんは、二人を玄関まで送って行った。


まどかも失礼しようかと思ったが、準備を手伝っていない分、
もう少し後片付けをお手伝いしてから、と残ることにした。

皿類を食器洗い機に入れ、残り物を容器に入れ替えて冷蔵庫にしまい、
何とかキッチンの面が片付くと、ママさんが嬉しそうに笑顔を向けた。


「まどかさん、ありがとう。お茶でも入れましょうか。
 それとも、さっきの残りでワインとチーズでも頂く?」


新しいグラスをのせたお盆を持って居間に戻ると、パパさんがTVのニュースを見ている。
雨はさっきより激しい。


「こりゃ、イカン!急な豪雨で電車がずい分止まってる。
 まどかさんのお家へ帰る路線は大丈夫かな。」


TV画面のテロップで一時不通を告げる路線の中に、
まどかの最寄り駅を通る線が入っていた。


あら、どうしよう?帰れないかも。


「大丈夫、僕が送って行くよ。心配しないで・・・」


隆がまどかの不安そうな顔を見て、安心させるように請け合った。


「明ちゃんは無事に着いたのかしらねえ。」


ママさんも心配気にTVの画面を見入っている。


「あら、道路もあちこち冠水してるって。あの子の運転じゃ心配だわ。
 隆ちゃん、連絡してみてくれるかしら・・・」

「明なら大丈夫だよ。でも、どこが冠水してるか、ちょっと聞いてみる。」


TVの傍を離れて、携帯を開いている。


「もしもし・・明?・・・」


隆の声を半分聞きながら、


「明は都内のマンションにいるのよ。
 仕事にも練習にも便利だし、そろそろ独立したかったんですって・・・。」

ママさんは少し寂しそうな声だ。

「でも、私たちもここを結構留守にするから・・・仕方ないかもね。
 あら、どうだって?」


携帯を片手に戻ってきた、隆に聞いた。


「思ったより道路の状況が悪くて、あちこち回り道してえらく時間がかかってるらしい。
 まだ、着かないそうだ。
 冠水の箇所は聞いたよ。
 一部、水が着き始めている所もあるらしいけど、
 ゆっくり行けば、行けないことはないだろう・・・。」

「そんな!無理は止めなさい。
 まどかさん、明日お仕事?」

「いえ、違います。」

「だったら、ここにお泊まりなさいな。何だったら、お家の方には私がお話するわ。」

「え~~っ?いえ、帰ります。ホントに。」


初めてお家に伺って泊めて頂くなんてとんでもないわ!

まどかは立ち上がった。


「ダメよ、無理して何時間も雨の中を回り道して行くより、ここに泊まった方が安全だわ。
 ね、そうなさいな。」


ママさんに、肩を押されて椅子に座らされてしまう。


何とか帰ろうと暫く粘ってみたが、大事な息子である隆に
何時間も付き合ってもらうのは必定だったので、
最後まで強く言えなかった。

結局、今夜は泊めて頂くことになり、家にはお友達のお宅に遊びに行っていたが、
交通事情、道路状況共に悪いので、泊めて頂くことにした、と連絡した。
家の人間も却ってほっとしたようだ。


でも・・・どうしよう?いきなり来て、泊めて頂くなんて事になって・・・。


「ああ、これで安心よ。
 隆が戻るまで、無事かどうか、ずっと心配しなくて良くなったわ。」

「この間までNYにいて、無事かどうかなんて心配できなかったじゃないか。」

「遠くにいるのと違って、家から出て行った人の安否はどうしても気になるのよ。
 まどかさん、着替えをお出しするから、ゆっくりしてね。」


ママさんが行ってしまうと、


「お腹空いてる?」と、隆が尋ねる。

「ううん、全然・・・」

「じゃあ、僕の部屋に来る?
 昔の写真とかがあるよ・・・」

「うわ、見たい、見たい!」





隆の部屋は2階の廊下の端の角部屋で、白い壁に窓が二方向にある。
そうっと入ってみると、大人の男性というより、男子学生の部屋のようだった。


「学生の時使っていたまま、まだ何も変えてないんだ。」


勉強机らしいデスクと、壁際に本棚、奥にクローゼット、
デスクの前の壁に大学の講義表まで、そのまま黄ばんで残っている。
壁ぎわにブルーのカバーをした、ベッドがあった。


「ここにもベッドがあるじゃない。」

「そうだよ。ずっとここを使っていたんだけど、今度帰ってきてからは、
 客間のダブルベッドを僕専用の寝室にしちゃってるんだよ。
 今夜、君はどこで寝る事になるかな。」


いたずらっぽく眉を上げて、隆が目をしばたいてみせた。


「急にお邪魔することになったので、どこでも結構です。」


まどかが俯いたまま、ちょっと堅苦しく答えた。


「じゃ、ここで一緒に寝る?・・・ちょっと狭いけど。」


と、まどかの座っているベッドをぽんぽんと叩いたが、まどかが目を剥いたので、


「冗談だよ、あの寝室のリネンを替えて、泊まってもらうのが一番良いだろうなあ。
 明の部屋の寝室も空いてはいるけど・・・」

「あの、そろそろ、お写真を拝見します。」




「隆ちゃ~ん!ちょっと来て。」


隆の長い腕が、高い所にあったアルバムを引っ張り出した処で、
階下からママさんの声が響いてきた。


「隆ちゃ~ん」と、まどかが小さな声で真似をすると、

「何だよ!しょうがないだろ?」


ちょっと口を尖らせて睨むと、アルバムを持ったまま、
まどかの首を片腕でぎゅっと締めた。


「ここだと、普通の可愛い息子さんよね」頭をロックされたまま、笑いながら隆を見る。

「別に何と言われても平気だよ。でも、普通言うか?」


そう言って、大きな手で顎をつかむと、ぶつけるように乱暴にキスをしてきた。


「あっつ!・・・」


唇を押さえながらも、すねた様な顔を見ているとおかしくて
くすくす笑いが止められない。
我慢しきれず思いっきり笑ってしまうと、
片手でロックされたまま、隆に脇腹をくすぐられた。


「きゃあ!」思わず、大声が出る。

「ほら、下に行ってこよう」


隆がにやりと笑って、まどかの手を掴み直し、階段をひっぱって行った。




階下に降りると、ママさんがリネン類と着替えや洗面用具を出してくれていた。


「今は、隆が使っている部屋、元は客用寝室だったのよ。
 リネンを替えるから、今日はそこで我慢してね。
 それから、このドレスはトルコかどこかでお土産に買ったの。
 一度も着ていないから、良かったら着て下さる?」

「何から何まですみません。急にお世話をかける事になって恐縮です。」

「いいのよ。私が頼んだんだもの。
 それに若い女性が泊まってくれるなんて久しぶりだし・・・
 適当にシャワーを使って着替えてね。」


久しぶり?
前にも誰か泊まったって事ね。
まあ、国際的なご家庭だから、お客は多そうだし・・・。




隆と一緒に、元客間の(今夜はわたしがお客だ)ダブルベッドのシーツを替え、
新しい枕を出してもらった。


「悪いね、手伝わせて。
 今のうちにシャワーを浴びて着替えて来たら?
 暑かったから、さっぱりするよ」


今更、遠慮しても始まらないので、
隆のおすすめのままにシャワーを使い、お借りしたドレスに袖を通した。

しゃりしゃりしたクレープ地のターコイズブルーのドレス。
フレンチスリーブで胸元に金で刺繍がしてあり、
足首までの長さの、ゆったりしたシルエットだ。

まどかがおずおずと出て行くと、居間のソファに居たパパさんが大げさに目を見張った。


「や、全然違う雰囲気だ。
 トルコのお姫さまみたいだなあ。」


そ、そうかしら・・・?


隣で一緒に飲んでいたらしい隆が、ちらっと微笑んでこっちに立ってくる。


「良く似合ってるよ。お姫さまも何か飲みますか?」

「はい。では同じものを薄くして・・・」

「白ワインだから、それは無理だな。それとも炭酸か何かで割る?」


笑いながら、彼がグラスに注いでくれたのを受け取って、軽く乾杯して頂く。

入れ替わりに、隆がシャワーを浴びに行ってしまったので、
しばらく、パパさんと話をした。

改めてよく見ると、かなりがっしりした体格で筋肉質だ。
エクアドルで空手の道場まで開いた、というのだから、相当の腕前なのだろう。

チーズを奨めてくれながら、


「う~ん、そういうドレスも本当にお似合いですよ。
 バザールで吊ってあるのを見た時には、それほどエレガントに見えなかったのになあ。」

「ご一緒の時に買われたのですか?」

「そう、トルコで同じ物を3枚くらい買った筈ですが、全然着ている所を見ませんな。
 お~い、ママ!このドレスの他のはどこへ行ったんだ?」


キッチンの方から、ママさんが顔を出して、


「お友達に一つあげたのよ。でも、まだ一つ残ってるわ。
 それは、まどかさん、貰って下さいね。」

「え?そんな・・・大事な思い出の品でしょう?」

「バザールに行って、買いたたいたのよ。
 全然着ていなかったの。まどかさん、とても素敵よ。」


ママさんが隣に座ると、すぐワインのグラスをパパさんが差し出して、
ソファ越しに肩を抱いている。

このお二人は今も熱々ね。きっと一緒に色んな所へいらしているんだわ。
何だか、羨ましいな。


お二人からトルコやブラジルの話を伺っていると、
髪を拭きながら、隆が出て来た。


「お姫さま、お待たせしました。
 じゃ、さっきの続き。写真をご覧になりたいって言ったよね?」


ちらっとママさん達の方を見て、
少し赤い顔をしているまどかの手を引っ張り、階段を上っていった。

ちょ、ちょっと待ってよ、ドレスの裾を踏みそうなんだから・・・・。





部屋に入ると、パタンと後ろでドアが閉められた。
まだ、雨の叩く音がする。

デスクの上に、二人分のグラスを置くと、きゅっと抱きしめられ、
わたしの頬に柔らかく柔らかく、唇を滑らせてくる。

何だか変な感じ。
ここには、学生の隆さんがまだ居るみたいなのに、とつい余所見してしまう。


と、いきなり顎をつかまれる。


「こら、何考えてる・・・」


すぐ上にある顔がわたしをまっすぐ見据えてくる。


「何だか高校生になったみたいな気分よ・・・」

「高校生でこんなことしてたの?」

「違うわよ!
 そうね、まるでクラスの男の子の部屋に遊びに来たみたいで・・」


隆も笑った。


「う~ん、僕もクラスの女の子を部屋に連れ込んだみたいな気分だな。」

「女の子を連れ込んでたの?」

「どうだろう?
 でも、今日は帰さなくていいわけだ。」


もう一度、わたしに回された腕にさり気なく力が加わった。
何だか、もうしゃべれなくなってしまう・・・・。

ゆっくり、ゆっくりお互いの体を撫でているうちに、
あなたの顔が近づいてきて、唇がそっと重なり、
この甘い柔らかさに飢えていたように、唇が離れない。


言葉がなくなると、外の雨音がざあっと響いてきて、キスの音が聞こえなくなった。
そのうちに雨の音も遠ざかり、目の前の温かい体の感触だけが残る・・・。


ずっとずっとキスをしていたい。
何度キスをしても、もっとキスをしたくなる。
唇が触れ合う度に、お互いの体に巻きつく力が強くなり、心臓の音が速くなり、
合間に吐く息が熱くなり・・・・。


どの位キスをしているのかしら。
離れたくない、ずっと抱きしめていて欲しい・・・。


わたしの思いが聞こえたように、あなたが力をこめて強く抱きしめてくれた。
耳元に触れる柔らかい唇・・・


「まどか・・・」


低い声。目を閉じて、この響きをうっとりと聞く。


「まどか・・・。
 帰らないでいてくれて、うれしいよ。」


目を開けて、あなたの頬を手で包んで、黒い瞳をのぞく。


「わたしも一緒にいられて、すごくうれしい・・・」


二人でひっそりと笑った。何だか、本当に高校生みたいだ。


大きな掌が、わたしの背中を何度も優しく撫でていくけれど、
かすかなためらいが感じられる。

うふふ・・・、思わず笑いがこぼれる。


「ここでは、悪い事できないね?」

「悪い事?なんてしたこと、ないよ・・・」


ちょっと困ったような顔を見ていて、やっぱり可笑しくなった。
今日は日本の男の子みたいね。
高校生のあなたも、学生時代のあなたもこんなだったのかな?
見てみたい・・・


「ねえ、写真見せて・・・」

「え?・・・ああ、どうぞ。」




写真は、それほど沢山あるわけではなかったが、
高校時代はNYにある、日本の○○大学付属校の寮生活だったそうで、
一緒に写っているメンバーも、ほとんど日本人。

もちろん、日本の高校とは背景の雰囲気が違っているけど、
服装などは、こっちの方が凝ってなくて、皆超ラフなアメリカン・カジュアルだ。

隆はやや固い顔をして写っている。
背は高いが、今より体つきはきゃしゃで、どこかあどけない少年の顔にメガネ。


「わあ、可愛い!やっぱり若いわあ。今とはぜんっぜん違う・・・」

「当たり前のこと、言うなよ。」


ムッとしているみたい?
空手の道着で、稽古を付けている写真も何枚かある。


「これ、お父さまのところ?」

「違う。NYの空手道場。小さい頃からやっていたから、何となく通っていた。」

「寮って男子寮と女子寮に分かれているの?」

「もちろん、そうだよ。」

「忍び込んだりする友達とか、いた?」

「それは・・・いた。やっぱり」隆が笑った。

「一応門限も消灯時間もあって、たまに先生が見回ったりしてたけど、
 本気で隠れて部屋に入ったら、まずわからない。」

「女子寮にこっそり入ったり、してみた?」

「う~ん、パーティの後とかに、何人かでね。」

「何だ、GFのところに行ったんじゃないのかあ・・・」

「まあね。・・・」


突つけば色々ありそうだけど、この顔では結構まじめだったかも。
何だか、体つきが違うだけで、男の子ってすごく無防備な感じがする。


「高校生の時から、もう親元を離れて暮らしてたのね。」

「ここに居る皆がそうだったから、それほど寂しくはなかった。
 長い休暇には親と一緒に過ごしていたし・・・。
 おかげで、まともな反抗期っていうのをやり損ねちゃったな。」


大学生の頃の写真はうって変わって、友達も華やかな雰囲気だ。
日本の学生の方がきらびやかなのかも。

隆はその中にあって、孤高というか、幾分クールな表情をしているように見える。
笑っている写真があまり無くて、少し冷たそうな感じ。
おうちで、明さんと写っている時の方が、屈託ない笑顔を見せているものがあった。


「何だか、大学の時の方が冷めた顔してるわ。ちょっと怖そう。」

「よく言われた・・・。もちろん、今でも時々言われる。
 そういう顔なんだ。」


やや苦い笑いだった。


「学生の頃は、この先どうしようか色々考えていて、
 あまり気持ちに余裕の無い時だったかもしれない。
 このまま日本で就職しようか、アメリカの大学院に進学しようか、かなり迷っていた。」

「そうなんだ。」

「高校の同級生の中でも、日本の大学に進まずに、ジュリアード音楽院に行って
 すでに、バイオリニストとして活躍し始めているのもいたし、
 そのまま、アメリカの大学に進学した者もいたから・・・」


ぱたんとアルバムを閉じながら、隆が続けた。


「でも、自分の育った環境を考えると、もっとアメリカ流のビジネスを勉強したくて、
 結局、アメリカでMBAを取って、NYで仕事を始めた。」

「日本に帰りたくなかったの?」

「すぐには帰りたくなかった。
 学んだ理論を実践できるビジネス環境は、アメリカの方があると思っていたから。
 間違っていなかったと思ってる・・・」

「そうなの。色々考えてのことなのね。すごいわ。」


仕事の時のクールな隆の横顔が少し戻ってきたように思った。
ずいぶん若い時から、先を見据えて考えて、やってきたんだ。


「僕は日本人であることを、疑ったことはないけど、
 仕事のスタート地点ではいわゆる『バナナ』でも構わないと思っていたから。」

「『バナナ』?」

「そう、外側はアジア人で中身は白人のことだ。在米アジア人だけでなく、
 シンガポーリアンもそういう風に呼ばれることがある。

 でも今は違うな。やっぱり中身もアジア人だと痛感する。
 だからといって、日本でだけずっと仕事をしていたいとは思わないんだよ。」

「・・・・」


と、言う事は、いつかまた、アメリカとか他の所へ行ってしまうって意味かしら?
すぐ、って事はないわよね。だって帰って来たばかりだもの。

黙ってしまったまどかを見て、隆もしばらく黙っていた。


「君は・・・絶対に日本を離れたくない?」


隆の黒い瞳が自分を見つめているのはわかっていた。
が、答えられない。
単身、外国で仕事をしようなどと今まで考えたこともないのだ。

でも、もし単身じゃなかったら・・・?



息を吸い込んで、隆の方を向き、口を開きかけたまどかに


「いいんだ。そんなに急に切羽詰まって答えてもらう事じゃない。」


柔らかく微笑むと、そっとまどかを引き寄せ、額に優しいキスをしてくれた。
まどかも何とか、微笑み返した。


「お母さまたちにおやすみなさいも言っていないわ。
 まだ起きてらっしゃるかしら?」

「どうかな?覗いて来る?」

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