AnnaMaria

 

続・裸でごめんなさい  18. 最後の一押し

 

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まどかは会社で残業をしていた。

いや、正確に言うと帰りそびれて、自分の机でぼうっと物思いにふけっていた。

部長と課長は外出先から直帰。今頃もう、どこかで飲んでいるだろう。



以前は、こんな時付き合ってくれた孝太郎も今は少し冷たい。

何だか少しうしろめたくて、まどかの方から声をかけかねていると
さっさと仕事を切り上げて帰ってしまった。




隆はNYに出張中だ。

そんな事は百もわかっているし、あと1週間も経たないうちにまた帰ってくるのもわかっている。

それでも、こんなに寂しくなってしまうのはどうしてだろう。

初めて会ってから、まだ半年くらいしか経ってないというのに、
もうすっかり彼なしの生活など、考えられなくなってしまっているのだ。

これからもこんな事はしょっちゅうあるに違いない。




「日本だけでビジネスをする気はない」と言っていた彼の言葉。


そんな時は、何ヶ月も離ればなれになるのだろうか。

それとも、わたしがどこまでもついていくの?

ついて行って何の役に立つと言うのだろう。

語学にも海外ビジネスにも疎いのに、ホテルかどこかでずっと彼の帰るのを待つのだろうか。

それは、もっと寂しい暮らしなのではないだろうか?

彼のお荷物になるのではないだろうか?


そんなのは絶対にイヤだわ!



では、どうすればいい?

どうしたら、お荷物にならずに済むかしら?




まどかはため息をつきながら、英会話スクールのテキストをひっくり返す。

その問いに対する答えの一つが、英会話スクールだったのだ。


「短期集中、英会話実力アップ!」

「すぐにしゃべれるようになる教室」

「このテープを聞けば、一ヶ月でネイティブの会話が聞ける」


デスクの中に自然とたまっていた、それらのパンフレットをゴミ箱に捨てた。



まずはとにかく、続けてみることよね。
昨日行った英会話教室はまあまあだし・・・。

どこかで始めないと、何も変わらない。

英語がひよこ並みでは、ビジネスはおろか、ひとりでホテルを出る事も覚束ないだろう。

取りあえず、一人で歩けるくらいにならなければ・・・。



ぱらぱらとテキストをめくっていると、誰かがガラス戸を開けてオフィスに入ってきた。

まどかはあわてて、英会話のテキストや残っていたパンフをまとめて、引き出しの奥にしまった。


誰だろう?もう、8時を過ぎている。


そう思ってドアの人影を見つめていると、
榎本ルナが手に何冊も雑誌やビジネス本を抱えて、こちらへ歩いてきた。

安川部長のデスクに積み上げ、手近のメモに「田代専務より」と書いて、表紙に張り付けると、
まどかの方を向いた。


「栗原さん、まだいらしたんですか?」

「ええ、ちょっと遅くなっちゃって・・・」

「大変ですね。お仕事の方、まだかかりそうですか?」

「いえ、もう終わろうと思っていたんだけど・・・」



あ、しまった!





「そうなんですか、じゃ、もし良かったら、一緒にご飯食べに行きません?
 お腹空いちゃって・・・」



何となく嬉しそうに、ルナが言った。


どうしよう、彼女とツーショットは怖い、避けたい!

でも逃げる訳にも行かない。


「わかったわ。いいですよ、行きましょう」

「じゃ、わたし、荷物取って来ますね。」


表玄関はもう閉まっていたので、ビルの通用口から出たところで待ち合わせをすることにした。



「栗原さんは、バリバリにお仕事頑張ってますよね。

 私もそのうち秘書から外してもらって、営業でもマーケティングでも、
 他の部署に回してもらおうかな。

 専務のアシスタントだけって、時々空しくなるんです。

 もっと、大変でも自分の力で達成したんだ、って仕事がしてみたい。」

「会社の仕事は、最初はどこでも誰かのアシスタントがほとんどじゃないかしら。

 わたしも部の仕事としてやっているわけで、自分だけで達成した仕事なんてないもの。
 気持ちは何となく、わかるけれどね。」


ルナはサラダを突つきながら、白ワインを飲んでいる。

結構いける口なのかも・・・・。


「うちの母なんか、会社である程度社会経験を積んだら、
 早く専門的な勉強を始めなさいってしょっちゅう言うんです。」

「専門的な勉強って?」

「だから、通訳の勉強をするとか、大学院で専門の研究をやるとか、ビジネススクールに入るとか、
 具体的な資格を目指して別の大学に入り直すとか・・・。

 今のままでは中途半端だからって・・・。

 留学し直すなら、アメリカに家もあるし、語学学校に行く必要もないだろうからって。」

「すごいアドバイザーがついてるわね。それって素晴らしいことよ。」

「そうなんですけど、わたし、母みたいに、目標に向かって、誰に何と言われようと、
 何を犠牲にしようと、がむしゃらに突き進むっていう意欲がないみたい。

 私、アメリカ生活の方が長いくらいなのに、
 あの国がホーム・カントリーだってどうしても思えなかった。

 だから、日本の大学に行って、日本の会社で仕事をしてみたかったんです。
 
 外資系は男女平等で、日本の会社は男社会ってひとくくりには出来ないと聞いていたし、
 なるたけ、女性も活躍している会社を選んだつもりだったんだけど、
 このままでいいのか、もう自信がなくなっちゃって・・・。

 結局、私って中途半端なんです。
 
 アメリカ流の自我を押し通すやり方に、ほとほと嫌気がさして、日本に帰って来たのに、
 日本の大学やお友達との付き合い方にもどうしても違和感が残ったし、
 こっちの会社にも満足できないなんて・・・」

「会社の中ではとても上手くやっているように見えるけど。

 私なんかより、ずうっと気配りがあって、
 今時の女の子には珍しいくらい謙虚で礼儀正しいって、オヤジたちが絶賛してるのよ。」

「そんな・・・買いかぶりです。」


ちょっと頬を染めて、首を振っている所を見ていると、
結局オヤジたちの意見の方が正しいのではないかと思えてくる。


誰にでも悩みはあるのね。


「でも、学校や会社なんかのグループには怖じけてしまうんだけど、
 一人一人の相手、お友達や好きな人なんかには、すごく勘が働くっていうか、
 この人は大事な人だって、直感的にわかるの。

 そう感じた人には、わたしから『親しくなりたい』って言います。その結果、断られても。

 まどかさんにも・・・、あ、まどかさんって言ってしまってすみません。」

「いいのよ。みんなそう言うんだもの。」

「だから・・・あの、神待里さんにお会いした瞬間に、ぴいんと来てしまって。

 ただうっとりする程素敵な人だって言うだけじゃない。

 私の事を本当に分かってくれる人って、すごく少ないから。

 この人なら、私の事を分かってくれる。
 いえ、私ならこの人がどんなに頑張ってきたのか、
 どれ程強い意志で、自分の場所に立っているのかを理解できるって思うと、
 ついつい注目してしまいました。

 見ていると、神待里さんは自分の下した判断を信じる強さと、
 周りに対する温かい思いやりの両方の持ち主だってわかって、
 どうしても、気持ちが止められなかった。

 こんなこと、まどかさんに言うのは失礼だって分かっているんですが・・・・。」



何と言ったらいいのか、本当に言葉がない。

あまり認めたくないけど、私より彼女の方が、
彼のある一面をずっと良く理解できるのかもしれない。

帰国子女として、幾つかの文化圏を行き来した者が理解できる感覚のようなものかしら。

それとも、彼女自身の感覚が鋭くて敏感なせいなのか、私にはわからない。


「お二人は・・・もう、お約束とかをされているんですか?」

「いえ、まだ何も約束したわけでは・・・」

「そうなんですか。

 神待里さんはもう、この先を心に決めておられるときっぱり言われました。」

「ええ、でも彼の世界に飛び込んでいけるのか、まだちょっと自信がなくて・・・。

 正直、迷っているの。」


「迷っている・・・何を迷うんですか?」

「榎本さん・・」


彼女の目が白く光ったので、まどかは思わずたじろいだ。


「贅沢な迷いですね。

 あんな人に愛されているのに、何を迷う事があるんですか。

 英語がしゃべれないこと?

 英語なんかできないまま、海外で暮らしている人は大勢いますよ。

 それに努力すれば、英語なんて幾らでも上達します。

 でも、努力してもどうにもならない事は・・・・どうしようもないじゃないですか!」


ルナはふっと横を向くと、唇を強く噛み締めていた。

唇も握りしめた白い拳も細かく震えている。

やがて、まどかの方を真っ直ぐに見据えると


「わたしだったら、どんな地の果てだって今すぐついて行くわ。

 自分の好きな人と一緒にいられるのなら、
 他に比べられるものなんて、何にもないでしょう。」


まどかは絶句してしまった。

何も言い返せない。

もしかして、彼女の愛より、わたしの愛の方が弱いのかしら。


「それとも何か迷うご事情があるんですか。

 ご両親の面倒を見なければならない、とか・・・」

「いえ、別にそう言う訳ではないけど・・・。」


ルナは何とか自分を落ち着かせようとしているように見えた。

ワインを飲んだ後、水も飲み、外の景色に目をやってから、
ちょっとさびしそうにまどかを見て微笑んだ。


「どんなにまどかさんが羨ましいか、絶対にわからないわ。

 仕事ができて、お友達もいて、同僚の信頼と尊敬も得ていて、
 その上あんな素晴らしい人に愛されて、
 どうしようか迷っている・・・・。

 信じられない!私には何一つ掴めていないものばかり・・・。

 いえ、他のことは何も羨ましくなんかない。

 あの人に愛されている事だけが、どうしようもなく・・・妬ましくて!」


顔を両手で覆ってテーブルに突っ伏した彼女の肩が細かく震えて、
長い髪で顔は見えないのに、嗚咽の声が漏れ聞こえてくる。

 
まどかは圧倒されていた。

ここまで率直に相手に感情をぶつけられる事に、
驚きを超えて、羨ましささえ感じていた。


本気なんだ。本気で彼を好きになってしまったのね・・・。

でも・・・わたしも本気で彼が好きなのよ。


じゃ、何をためらっているの?

目の前に突っ伏している姿が無言の問いを突きつけてくる。

たった一人で知らない世界に行くのが怖いの?

たった一人ではないのに、彼が一緒に行こうと言っているのに。

語学に自信がないから?

日本以外で暮らしたことがないから?

外国人のお友達と接したことがないから?


じゃ、彼を失っても日本での生活にしがみついていたいの?

彼以上に愛せる人に、この先出会えるとでも思っているの?


ルナが顔を上げて、バッグを掻き回し、ハンカチを探していた。


「ごめんなさい。取り乱して・・・。

 じぶんを・・・丸ごと愛して、理解してくれる人のいるところこそ
 自分の居場所だろう、と、神待里さんが言っていました。

 それって・・・まどかさんのことでしょう?」


ルナがハンカチで目元をぬぐいながら、まどかを見つめてくる。


「外国に長く暮らして、たまに日本に帰るとわかったことがあるんです。

 街や空気なんかもたまらなく懐かしいけど、自分を待っていてくれる人がいれば、
 そこが故郷なんだなって。
 
 実の父はもう別の家庭を持っているけど、
 わたしに会いに来てくれる、父の存在はやっぱり故郷なんです。

 わたしも誰かの故郷になってあげたい・・・。

 そう思ってきました。
 
 わたしが言うのはおかしいけど、神待里さんの言ったのはそういう事かなって。」


まどかはすっかりルナに気圧されてはいたが、ルナの言葉に温もりと真実を感じた。


そうだわ。


どこへ行こうと、愛する人の居る所が自分の居場所なんだ。


まどかは暫く黙っていたが、


「ルナちゃん、ありがとう。大事なことを教えてくれて・・・。」


 つらいでしょうに・・・・。



ルナはその言葉を聞くと、にっこり笑ってくれた。


「わたし、神待里さんも好きですが、まどかさんも好きなんです。

 思ったことをそのままぶつけてしまって失礼をしたのに、
 受け止めて下さってありがとう。

 うれしいです・・・・。

 乾杯させてくれますか?」


ルナとまどかは乾杯した。何のためかはお互い言わなかった。

互いに違うものの為に乾杯したのかもしれない。

それでも構わなかった。
お互いの未来のために、どうか良いように・・・。



「もしもし隆、もう会社?」

「今日はまだホテルだよ。まどかの方から電話くれるなんて嬉しいな。

 今朝はパワー・ブレックファーストじゃないんだ。助かったよ。

 まどかはどうしてる?」

「元気よ。今日、ルナちゃんとご飯食べたの。」


ちょっと間が空いたが、くすっと笑ったような気配が伝わってきた。


「それは、珍しい組み合わせだね。

 何か言われた?」

「いっぱい・・・。」まどかの口から思わず小さな笑い声が漏れた。

「それに背中をど~んと押されたわ。感謝してるの。」

「僕も感謝するような方向かな。」

「どうかしら?でも、早く帰って来て欲しいわ。」

「まどかには珍しい台詞だね。

 それじゃ、なるたけマークを上手く扱って、
 何とか最初の予定通り10日で帰れるように頑張ってみるよ。」

「帰れない筈だったの?」

「危ないところだったな。今も危ない。

 大丈夫、マークに人生の一大事がかかっているから、絶対に予定通りに帰せって言うから。」

「そんなこと言って首にならないようにしてね。」

「首に?何で・・・。(隆の笑い声が聞こえた。)

 一生に何度もないことなんだから、どうにか譲ってもらうよ。」

「一生に一度って断言しなかったわね。」

「Who knows? そりゃ、神様でないとわからないからね。

 愛してるよ、まどか。」

「わたしもよ。待ってるわ・・・」

「ああ、待っててくれ・・・・」



電話を閉じると隆の笑顔が浮かんで来るようだった。

たった5日が待ちきれないなんて、なんて短気になったものかしら・・・。



まどかは自分で自分がおかしくて、思わず一人で笑ってしまった。

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