AnnaMaria

 

続・裸でごめんなさい  28. 昨日のバラ

 

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「冴子が・・・。

 里帰りしてるってことか?」


隆がケンに問い返したところへ


「違うわ。

 永久・・・かどうかわからないけど、
 こっちへ引き揚げてきちゃったの。」


振り向くと、まさしくそこに冴子が立っていた。



長い髪をくるくると緩めのアップにし、
ベージュのスーツを着て、真っ直ぐに立っている姿は、
隆の記憶にある彼女とまるで変わっていなかった。


「ひさしぶりね・・・」


ちらりと微笑むと、グラスが残されていた席へ座る。


隆が救いを求めるように、ケンとエイジの顔を見ると、
その様子を見た冴子が笑って、


「何よ。びっくりしたのはわたしも同じよ。
 ここで隆に会うとは思わなかったわ。

 さっき、声が聞こえてきて、すごく驚いたのよ。」



ああ・・・


隆が自分の胸を軽く抑えて、笑うと、


「軽いショックがあったな・・・。
 とにかく、お帰り」



目の前のグラスを挙げた。


「うふふ、高校のサプライズ同窓会みたいね。
 3人きりだけど・・・。
 ほら、もう一度乾杯しましょ!」


ケンが笑い、エイジも加わってグラスの触れ合う音を響かせた。






「で、どういう事なんだ?」


落ち着いた口調で隆が問い返した。


「トニーと別れて、子供を連れて帰って来たのよ。
 今、職探し中。
 加えて、アルバイト中でもあるかな。」


はあ、と大きなため息をついて、冴子がワインを飲んだ。


「3週間前に帰ってきたばかりで、まだ全部荷物が届いてない状態。
 取りあえず住むところは見つけたけど、仕事がまだだわ。

 それで、仕事を探す前に、子供を預ける処を探したんだけど、
 コレが・・・!」


冴子が頭を振った。


最初に届け出た住所は、実家のもので、
子供の祖父母と同居、という形になり、
「子供を主に養育する人間」が居る、という理由のせいで、
待機児童の多い保育園では、すぐに入所できない。

試しに一度、保育園に体験入園させてみたところ、
子供が英語しか話せないので、他の子供とコミュニケーションできず、
夕方、沈んだ表情で帰ってくると、熱を出してしまったそうだ。


「悪いことに、たまたまスポットで見つけた、
 通訳のバイトみたいのを受けてしまって
 どうしても行かければならない日だったの。

 母に子供を見てもらったんだけど、言葉が通じないのは同じだから、
 二人ともぐったり疲れちゃってね。」


仕事の方もそれほど上手く行かなかったようだ。


「聞いてわからない英語なんてないから大丈夫と思ったのよ。
 
 スピーカーの最初の下手なジョークも上手く訳したし、
 バイト通訳としては上々の出来だわ、
 もしかして、また仕事が来るかも・・なんて考えてたら、
 わかんない言葉に詰まっちゃって。」


「わからない言葉って英語?」


「ううん、日本語。
『ワン切り』って知ってる?」


「ああ・・・」


男性3人ともがうなずいた。


「そうなの。やっぱり知ってて当然の言葉なのね。

 日本に帰ってから、手当り次第に新聞を読みあさったんだけど
 そんな言葉出ていなかったわ。」


「最近、あまり聞かないからな。
 対策が講じられたんだろう。」


冴子はうなずくと、


「そうなのよ。メインの主題じゃなかったんだけど、
 たまたまQ&A でその話題が出たの。

 最初聞いてわからなかった時に、すぐ聞けば良かったのに、
 この質問だけで終わるだろう、と思って流したのがまずかったわ。
 だんだん話がおかしくなっちゃって・・・・」


冴子は思い出してゾッとしたように、頭を震わせた。


講演が終わった時に、エージェントからすぐに呼び出され、
話全体の流れをおかしくしてしまった、と強く非難された。



「もうあのエージェントから、仕事は来ないわね。
 折角、お友達に紹介してもらったのに、申し訳なくて・・・」


冴子は俯いたまま、
ワイングラスの脚の方を無意識に指でこすっている。

あんまり落ち込んだので、
仕事先から、ケンとエイジの番号を呼び出して、
ここで落ち合ったのだと言う。


「という訳で、早急に仕事を探してるの。
 常勤だと保育所にも入れるみたいだし・・・。
 
 母にも、頼みにくいのよ。
 父の具合があまり良くないのもあるけど、
 元々、トニーと結婚するのをすごく反対していて、
 結婚式にもちゃんと出てくれなかったくらいだもの。

 顔を出せる状態じゃなかったんだけど・・・」


テーブルが一瞬、沈黙に覆われたが、


「それでも、冴子のご両親、孫と会えて喜んでるんじゃない?
 アメリカには一度も来なかったんでしょ。
 
 急に可愛い孫ができてうれしいんじゃないの。」


ケンが言ったが


「まあね。
 最初のうちはいいんだけど、
 長く一緒にいると、お互い意思が通じなくてイライラするらしく、
 二人で私を呼ぶのよ。

 全く、仕事にも勉強にもならないわ。」


残りのワインを干した。

しばらく黙っていた後、隆の方に向き直って、


「ああ、隆にまで、つい愚痴をこぼしちゃった。
 ごめんなさいね。わたしの話ばかりしてしまって・・・」


やっと冴子らしい笑顔を見せた。


「隆とは何年ぶりかしら?
 NYにいる時は、日曜日にブランチのお店で
 何度か、鉢合わせしたりしたのにね。

 子供が生まれてから、行くお店が変わっちゃったから、
 すっかり会わなくなって・・・。
 
 日本に帰国してたのも知らなかった」




ケンとエイジは、NYに二人で来た時、
連絡してくれたりしたのよ。

隆が帰国したなんて話、しなかったじゃない?


冴子は、二人の方を非難がましい目つきで見た。



「帰ってから、まだやっと1年経つか経たないかだからね。」


隆がかばうように言うと、
ケンとエイジが二人で目を見交わし、さり気なく立ち上がった。


「あら、どこへ行くの?」



「ん?気にしないで。
 ちょっと二人きりになりたくなったんだ・・」


エイジがウィンクして席を立つと、
オーナーの前のカウンターに移動してしまった。

いつのまにか、そこにえり子が座り込んで話をしている。



二人きりで残されたテーブルで、
一瞬視線がからまると、冴子が呟いた。



「隆、わたしの事、かわいそうだと思ってる?」



「ははは・・・、冴子がかわいそうな女、なんて考えられないよ」



隆が笑ったので、冴子も声を立てて笑った。



「同情って嫌ね。

 同情するふりをして、色々聞きたがるのよ。
 帰ってきてから、ずうっとうんざりなの。
 
 ね、隆は今どうしてるの?」


「うん、忙しくしてるよ。
 もうじき、結婚する・・・」



一瞬、冴子の笑顔が凍り付いたが、すぐに元に戻った。



「それはおめでとう!
 わたしと反対ね。これから幸せな結婚生活に入るのか・・・」


「ああ、今、ちょっとのぼせてる・・・」


「珍しいわね。隆って優しいけど、のぼせない男だったじゃない?」


「そんなことはないさ。冴子の思い込みだよ。」


「へえ・・・。ね、どんな人?」


「そうだな。
 可愛くてならないんだ・・・」


隆の言葉に、冴子がちょっと鼻白んだような表情を見せた。



「『可愛い』?
 隆も日本の普通の男だったのね。
 いわゆる可愛い女が好みだったなんて・・・何だか幻滅。」


「彼女は、いわゆる『可愛い女の子』じゃないが、
 僕にとっては最高なんだ。
 ハートが可愛いんだよ。」


「ふうううん、のろけちゃって・・・
 こんな話を聞かされた分、何かごちそうしてよ。」


「ああ、いつでもごちそうするよ」


隆が笑顔を向けると、


「いやね。そんなさわやかな顔しちゃって・・・憎らしい。
 全然変わってないじゃない。
 
 付き合ってた頃から考えると、10年近く経ったのかしら。」


「そうだね。
 君も変わってないよ。」


冴子は首を振った。


「わたしは子持ちになって、バツ一になって、今は失業中だわ。
 変わらないではいられないのよ。」


「子供はいくつなの?」


「4才の男の子よ。
 嫌になるくらいトニーに似てる。

 でも可愛いの。あの子の為に生きてるようなものだわ。」


言葉が通じなくて、いじめられるかもしれない保育園なんか、
本当は入れたくない位なんだけど・・。


「日本のベビーシッターってべらぼうに高いのね。
 近くの保育園じゃ、夜6時までしか預かってくれないの。
 どうやって6時に帰るのよ。」


「お母さんに頼んで、手伝ってもらったら?」


「・・・・

 結局そうならざるを得ないのかもしれないけど、
 本当はもっと自立してやって行きたいわ。
 わたしは家出した訳じゃないけど、実家に頼りづらくて・・。
 
 国際結婚バツ一は、色々と厳しいのよ」


「トニーはどうしてるんだ?」


「知らない。誰と暮らしてるのかも興味ない。
 別の女のお尻を追いかけて出ていったのよ。
 2度と顔も見たくないわ。」


「子供は父親に会わせないの?」


「だって日本に連れてきちゃったもの。
 もう簡単に会えないわよ。ほっとするわ・・・」


ふう、と隆がため息をついたのを、冴子が見とがめた。


「あなたがため息つくこと無いわよ。
 わたしに男を見る目がなかったのね。
 それだけ・・・」


ばっさりと切るような言い方だった。


二人の間に流れる沈黙は、歳月の重さ分だけたゆたっていた。

お互いの知らない時間が、
着実に流れてしまっていることを突きつける。



「それで・・・
 どんな仕事を探してるの?」



「ん?、何でもやるつもりだけど・・・。
 取りあえず、週2回のバイトみたいなのを受けたの。
 
 外資系の会社で、普段はPCとか事務処理を手伝って、
 通訳業務が発生したら、そっちを優先的にやるんだって。」



「通訳を目指してるの?」



「ううん、そうじゃないけど、
 取りあえず、語学しか能がないからね。

 幾つか、社内通訳に応募しているんだけど、
 同時通訳ができないし、ウィスパリングって言って、
 VIPの耳元でこしょこしょ囁くのもできないの。

 さらに、子持ちで残業をあまり望まない、なんて書いたら、
 そんな半端仕事しか回って来ないのよ。
 
 時々、通訳やるのに、時給千円よ。
 笑っちゃうでしょ?仕方ないけど・・・」



淡い色の口元に、指輪のはまった手をぎゅっと握って押し付ける。

昔から冴子の癖だった。


隆といる頃の冴子は、しょっちゅうはちみつ色に日焼けして
友人に囲まれ、大輪のバラのように華やかに笑っていた。



今は、本来の白い肌に戻っている。

髪は薄い栗色のままで、ぐるりとアップにされ、
細いうなじがよく見えた。


体形は、ほとんど変わっていないが、
それでも隆の知っている冴子とは違う、
どこか熟したような丸みや、落ち着いた雰囲気がある。


「やあねえ、あんまり見ないでよ。
 子供を産んだんだもの。
 昔とまるで同じサイズとは行かないわ。」


「いや、あんまり変わっていないように見える。
 顔つきが・・・少し、落ち着いたかな・・」


冴子が両手で頬を覆った。


「頬の肉が少し落ちて、おばさん顔になったかしら。
 いやだわ。
 もう、誰にも口説いてもらえないわね。」


「そうは思えないよ・・・」


「じゃ、隆が口説いてくれる?」




冗談ぽく冴子が笑って言った。

隆も一緒に笑うと、


「僕は今、彼女に夢中なんだ・・・。
 こうしてても、会いたくてしょうがない」


「あら、ひどい。
 わたしの顔を見ながら、彼女を思い出すなんて・・・。
 
 でもいいわ。
 わたしも今、隆を見ながら、
 会いたくてたまらない男のことを考えていたから・・・。」


そろそろ帰る・・・
あの子のこと、恋しくなっちゃったから。

ふわりと浮かべた笑顔は、
隆が見たこともない母親のものだった。



冴子が立ち上がる前に、隆は名刺を渡した。


「それは、僕の個人アドレスが載ってる。

 何か力になれる事があれば言って。
 僕にできることなら、何でもするよ」



冴子は渡された名刺をじっと見ていたが、
隆の顔を見直すと、



「ありがとう。感謝するわ・・・」

 
微笑んで見せた。


テーブルを立って、カウンターに行くと、
ケンやエイジ、オーナー等に挨拶をし、
背筋をまっすぐに伸ばすと、大きなストライドでドアを出ていった。


冴子のか細い後ろ姿を見ながら、
隆はどうしてもため息を抑えることができなかった。

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