AnnaMaria

 

続・裸でごめんなさい  29-1. 神様のおうち 1

 

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雨が降っている。

梅雨と呼ぶには、まだ早いものの、
これから訪れる雨の季節を予感させるような水滴が
車のフロントガラスに細かく散って、
街をぼうっと浮き上がらせる。


隣でハンドルを握る隆は、視界の悪さを気にしながら、
運転に集中しており、いつもよりずっと口数が少ない。


休みの朝に眠たいのはいつもの事だけど、
わたしの目を醒ましてくれるお日様が見えないと、
とろんとしたような気分が抜けないわ・・・。



フロントガラスの視界は確保されているが、
座席の横の窓やリアウィンドウは、どことなく灰色にぼやけて、
外の景色を遠くに感じさせる。


この小さな空間で呼吸をしているのが
二人っきりだと言うのを、いつもより強く感じて、
少し息苦しい。



「まどか、どうしたの、まだ眠い?」


「・・・ううん、そんなことないけど。」


隆が笑って、空いている手でわたしの髪をくしゃくしゃにかき混ぜる。


「うそだな。眠い声してる。」


「・・・・」


「もうそんなに遠くないと思うよ。

 実は車で行くのは初めてなんだ。
 小さい時から、電車とバスを乗り継いで行くところだったからね。
 
 でも、裏に駐車場を整備したって言うし、
 雨だから、車にして良かったよ・・・」


東京の中心部から、ほんの少しはずれた場所ながら、
駅前にはしゃれた店が並ぶエリアだ。

車はさらに進んで、住宅街を抜け、
閑静と言うより、ひっそりとした場所を目指す。


「大きな欅の木があるから、歩いてくれば、
 遠くからでもすぐわかるんだけど・・・」


雨で車からじゃ、見えにくいな・・・。


あたりの木々の色が一層濃くなり、
まだ色づかない、うす緑の紫陽花が雨に打たれている。


静かな区画に入った。


頭上で桜の枝がアーチを作っている道を走り、
脇に逸れたアスファルトの道をたどって、
駐車場に車を停めた。


「待ってて・・!」


隆が運転席から降りると、傘を持ってわたしの方のドアに回る。


自分でドアを開けて、さっさと降りてしまうと
とても機嫌が悪くなるのを知っているので、
そのまま、おとなしく待っている。

ドアが開くと、傘をさしかけてくれ、
隆をこれ以上濡らさない為にも、急いで降りる。


見渡すと駐車スペースは30台以上あるようだ。
こんな休日の雨の朝にも、すでに3台停まっている。


「結構降ってるから、自分のを差すわね。」


そう言ってから、わたしが水色の傘をひらくと
少し不満そうな顔で、隆がちらりと見た。


「でないと、ご挨拶するまでに、びしょびしょになっちゃうわよ。」


「いいじゃないか、雨なんだから・・・」


大きな傘を振りながら、まだ不満そうだ。


それでもここは彼に負けず、自分の傘をしっかり開いて、
石畳の敷かれた小道へと踏み出す。




参道には、大きな木が育ち上がって、
ここがとても古い場所であることを感じさせた。

頭の上の木々が雨を受けてくれ、
傘にあたる雨音が小さくなる。



「古い場所なのね。」


駐車場の脇から続く参道を歩きながら、
辺りの木々や塀を見上げていた。


「僕が小さい頃は、駐車場なんかなくて、
 こっから向こう全部、広い、何にも無い場所だったよ。

 あの奥に古い井戸があるんだ。」


近づいて来た、境内の端の方を指差しながら、
まどかの方を面白そうに振り向いた。


「古~い井戸でね。
 昔は何人も身投げした人がいたらしい・・・。

 こんな雨の日には、出るかもしれないよ。」


いたずらそうに眉をあげながら、
わたしが怖がるのではないかと期待して、
傘の中を覗き込んでいる。


「まだ朝よ・・・」


あっさり躱す。


「でも薄暗いだろ。時間は関係ないかもな・・・」


その手にはのらないわ・・・


つんと隆を追い抜いて、
さっさと先に神社の境内に足を踏み入れた。





正面に神社の本殿があり、脇にお札所、
反対側には、やや近代的な建物が建っている。

本殿はずいぶん奥まで続いているらしい。


受付を兼ねているらしい、お札所の小窓を開けて、
隆が名前と来訪を告げると、
中の巫女さんの装束を来た女性が、にっこり笑って返事をした。


「今、連絡しましたから、すぐ来ます・・・」


本殿の前にすえられている賽銭箱に
お金を投げ入れたくなる気持ちを抑えながら、
隆と二人、しばらく待っていた。


奥から、白衣袴姿の神主さんが現れ、


「隆ちゃんか?いやあ、久しぶりだなあ・・・」


服装のフォーマルさに似合わない、のんびりした声がかかった。


「おじさん、ご無沙汰しています。
 お忙しいのにすみません。

 こちらが・・・」


振り向いて、軽くわたしの肩に触れる。


「栗原まどかさんです。」


慌てて、お辞儀をした。


「初めまして。栗原まどかです。」


「こちらこそ、初めまして。
 隆の叔父の神待里忠之です。

 こんな雨の中で挨拶もなんですから・・・」


どうぞ・・・と指し示された先は、神社の本殿。
靴を脱いで隆の後に続き、奥へと入っていった。


「まあ、まずは神様にご挨拶をしてしまいましょう・・・」


どこからか現れた、赤い袴の巫女さんに案内され、
板敷きの廊下を渡り、奥の拝殿へと進む。


「ここにお座り下さい」


板敷きの間に円座が置いてあるので、そこに座る。


正座したのって、いつが最後かしら・・・?


これから始まる事の長さを計りかねて、不安になり、
隣を見ると、隆は何でもないような顔をして、
長い脚を折っている。


「あの・・・これは・・・」


隆に小声でつぶやいた積もりだったのに、
中のおじさまに聞こえてしまったらしい。


「お、何にも説明してなくて失礼しましたね。

 お二人はゆくゆく結婚されるのでしょ?

 そのお知らせと、ここの氏子である隆が無事に帰ってきたのを
 神様にお知らせするのですよ。」


おじさま(神主さんと言うべきか)は、奥の拝殿に入ると
榊と、お祓いに使う、白くてばさばさした物を持って来ると、
何やら、祝詞を唱えながら、
私たちの頭の上をばっさばっさと祓った。

それから、奥の拝殿に引っ込み、


「やお~ろずのかみ~がみぃ・・・・」


祝詞を歌うように唱え、最後の方で
わたしと隆の名前を言った。


「・・・ひさしく、ひさ~しくおん願い奉りそう~ろう~」


その後、巫女さんに注がれたお神酒を少し頂き、
またお祓いやお祈りを済ませて、どうやら終わったようだった。


「お疲れさまでございます・・・」


隆のおじさまが目の前で手をついてお辞儀をしたので、
慌てて、同じようにお辞儀を返す。


「これでご挨拶は終わりましたから、奥の方で
 お茶でも如何ですかな・・・」


どこか、茶目っ気のある口調で
私たちに向かって話しかける。


「はい、伺います。」




拝殿を戻って、いったん本殿の正面にもどり、
靴を履いて傘をひらき、おじさまの後ろに従った。


「ここも少し変わりましたねえ。
 色々建物が建って、お家が一目で見渡せなくなったのには
 驚きました。」


隆がおじさまの背中に話しかける。


「ふふ・・・、そうかもね。

 でも本殿やこっち側は、ほとんど変わってないよ。
 隆ちゃんや明ちゃんが、遊びに来てた頃とおんなじだ。」


雨が石畳をぴしゃぴしゃと叩いて、
おじさまの下駄が、石畳の上を歩きにくそうに動いて行く。


境内のすぐ脇の日本家屋の門をくぐると、
古くてどっしりした家があり、そこがおじさまの家らしい。


飛び石を踏んで歩くと、ツツジの丸い植え込みの陰に池があり、
赤い大きな魚がゆらりと水面をくぐるのが見えた。



玄関脇の応接室に通され、しばらく待つように言われる。




革の応接セットのある、落ち着いた、
だが、どこか懐かしい部屋だった。

キャビネットの上に、笛を吹く白拍子の姿をした、
木目込み人形が置かれている。


やあ、お待たせ・・・と言って現れたおじさまが
自ら紅茶とケーキの載ったお盆を持っていたので、
二人とも、思わず立ち上がった。


「すみません。おじさまにこんな気を遣って頂いて・・・」

「いや、いいんだ、いいんだ。

 今日は家内が所用で留守をしててね。
 信之は、別の神社の神事をやりに遠出しているんだよ。



 明日は仏滅でみ~んな暇なんだが、
 婚約の挨拶に、わざわざ仏滅を選ぶこともないからなあ・・・」


はっはっは・・と、楽しそうに笑う。

笑うと、隆のお父さまに似ているが、
こちらは髭がなくて、もう少し年上で、
白衣に袴装束のせいか、徹底的に和風な人に見えた。


「いや、まずはおめでとう。

 で、いつにしようか?」


ここ何週間かで隆と連絡を取り合って、
結婚式の日取りを決めようとしていた。

問題がふたつあり、
ひとつは隆の両親の帰国の日にちがわからないこと。

もうひとつは、わたしたちの結婚式をお願いするつもりの、
こちらの神社の予定がわからなかったのである。




「まどかさんは、『ジューンブライド』にこだわったりしますか?」


「いえ、特には。」


「じゃあ、今からだと7月○日ではどうかな。

 大安じゃないけど、その日は何も入っていない。
 僕も息子の信之も、思いきり、お手伝いできるよ。

 ところで、克己は本当に帰ってこれるんだろうな。」


「父はこっちが日を決めたら、それを狙って帰るから、
 決めてくれていい、という事でした。

 すみません、いい加減な父で・・」


「いやいや、そりゃ、前からとっくにわかってるから・・・

 南米なんかで暮らしてると、きちきちしてたんじゃ
 やってられないんだろう。

 あいつにぴったりだよ。」


わははは・・と笑って、こちらを見返すと、


「ひとつ問題がある・・・」



「何でしょう・・・」



「7月に打ち掛けを着ると、少し暑いかもしれない。
 もちろん、式場は冷房が効いているがね。
 お神楽の奉納なんてのは、外でやるからねえ。
 
 隆も紋付で出るんだろう?」


「そのつもりですが・・・」


「あれも涼しい服装とは言いがたい。
 まあ、あまり照らない日であることを祈るよ・・・」


わしも暑いしなあ・・・



白装束をひっぱり、汗を拭きながら言ったので、おかしくて笑ってしまった。



「いや、今日は雨だがね。
 6月の雨は恵みの雨。

 当社のご祭神である、スサノオノミコトは水を司る神様だ。
 これは二人を祝して、もたらされた雨だと考えればいい。

 スサノオノミコトはクシナダ姫一筋で、一途だったから、
 ここで結婚式をあげても浮気の心配は無かろう・・・」


くっくっく、とおかしそうに、叔父さまが笑った。



隆が応接間の窓から見える、神社を眺めた。


「この神社は懐かしいです。
 子供の時、よく遊ばせてもらったから・・・。

 広くて、あちこち隠れるところがいっぱいあって、
 いつまで遊んでいても飽きませんでしたね。」
 

「隆ちゃんとうちの信之が帰ってくると、
 いっつも体中蜘蛛の巣とホコリだらけ。

 明ちゃんは、泣いてるし・・・。
 一体どこへ潜り込んでるんだろうと、
 うちのと言っていたんだよ。」


「ははは、あまり正直に言えない場所もありますが・・・。

 床下も広かったし、お神輿の保管所も脇の穴から入れましたしね。
 
 あの井戸も・・・まだありますよね?」


ざわっと背筋を寒気が走ったが、もちろん
隆にはそんな素振りは見せない。


「あるよ。だけど蓋をしてある。

 近所の子供が面白がって覗いて、
 落ちたら大変だからなあ・・・。」


あそこに落ちたら、何日も見つからんよ、
大昔の骸骨と一緒になっちまう・・・。


隆がちら、とわたしを見る。

怖くないわよ・・・、とつんと見返してやる。



「隆ちゃんは、
 あ、未来の奥さんの前で『隆ちゃん』はマズいかな。
 でも長年呼び慣れていてねえ・・・。

 よく遊びに来てくれてたよ。

 夏休みなんか、毎日ここでセミ取りしてたのに・・
 克己のエクアドル転勤が決まって、急に行っちゃったものね。

 うちの信之が寂しがって、『隆ちゃんと遊びたい・・』と
 よくべそかいてたんだよ。」


そうなんですか・・・


アメリカに10年以上、南米で小さい頃を過ごした
典型的な帰国子女だと思っていたのに、
元は日本のわんぱく坊主だったのね。

今のスマートな隆からは、少し考えられないくらい・・・


「隆ちゃんや、他の皆も、ここの神様がお守りしてくれてるんだよ。
 メキシコで大地震があった前の年に戻って来たろう?
 
 ここを思い出してくれて嬉しいよ。
 式の時には、うちの信之が神楽を奉納するからな。」


おじさまと隆の思い出話は尽きないようだった。

話を聞いていると、半ズボンをはいて、真っ黒に日焼けした
小さな男の子たちが網をもって走り回っているのが
目に浮かんでくる。


またあなたの別の顔を知った気分よ・・・





当日の簡単な流れを聞き、またの訪問を約束して、
おじさまの家を辞し、
ふたたび、雨の降る境内をゆっくりと歩いていった。




「まどかは神社で結婚式なんか、やりたくなかったかな。
 教会でウェディングドレスが着たかった?」


隆は振り向いて、少し不安そうに聞いた。


「ううん。だって、わたしクリスチャンじゃないもの。
 それに、ドレスなら後のパーティで着られるわ。

 打ち掛けって着る機会、もうないだろうし・・・
 一度、着てみたかったから嬉しいわ。」


まどかの返事を聞いて、隆は微笑むと


「ありがとう・・・」


一つの傘の中でまどかの肩を抱きしめた。

傘の中の小さな宇宙で、隆は少し迷ったような目をして、
雨に煙る境内を見つめている。



自分が遊んだ場所を探しているの?

子供だったころの自分を探しているの?


聞いてみたかったけど、やはり黙っていた。
答えがひとつとは思えなかったから・・・。


それでも、水の膜に隔てられたような中で、
駐車場に変わってしまった場所にも
きれいに石畳が敷き詰められた境内にも
よく見ると、わたしにも、昔の面影が見えるような気がした。


何にもない、土の広場だった頃にも、
ご神木は立っていたろうし、榊や紫陽花や、
梅の木もあったに違いない。



「男の僕が、式の場所にこだわるなんて、
 おかしいかもしれないね。
 
 でも、ここも僕のルーツのひとつなんだ。
 まるで違う土地で暮らしていても、
 時々、ここで遊んでいる夢を見た。

 ホームシックというのではないけど、
 あの場所に帰りたいなあ、と思ったことはあるよ。」



軽く背中を押して、隆がわたしの肩を抱いたまま、
境内にそびえる欅へと歩いて行く。

隆が傘から腕を伸ばして、欅の幹に触れる。


大きく枝を張った欅の若葉が、私たちを覆うように雨を防いで、
傘にあたる雨音がほとんど聞こえなくなった。




かみさま・・・


思わぬ言葉が傍らから聞こえてきたので、
まどかは一瞬驚いた。


かみさま、
この人が僕の妻になる人です・・・


低いつぶやき声だけど、はっきり聞こえた。


そうなのか。そこにいらっしゃるのね・・・


かみさま、
わたしもこの人と歩いていきます。
どうか、よろしくお守り下さい・・・


隆が顔を回して、わたしを見たのがわかった。


わたしたちの言葉は、
どこかにおられる、どなたかに届いたかしら?・・・



欅の大樹のはるか上から、
からからと、神様の高笑いが降ってくるような気がした。

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