AnnaMaria

 

続・裸でごめんなさい  31. 前奏曲

 

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午前中、隆はどうしても抜けられない仕事があり、
ちゃんと約束に間に合うか、とひやひやしたが、
何とか終わらせることができた。

大急ぎで、約束のホテルへと向かう。

タクシーを正面ではなく、裏手の駐車場につけてもらって、
(その方が約束のレストランに近い)
急ぎ足で、駐車場を突っ切っていると、
建物の端に沿って植えられた紫陽花の茂みの脇に、
女性がうずくまっているのが見えた。

時間がないので、いったんは黙って通り過ぎたのだが、
もしや急に具合が悪くなったのに、
誰にも助けを求められないのでは、と思い直し、
何メートルか後戻りすると、女性の後ろから声を掛けた。


「あの・・・大丈夫ですか?」



うずくまり、紫陽花の茂みに顔を突っ込んだような態勢の女性からは、
返事がない。


「気分が悪いのなら、ホテルのコンシェルジェに頼んで、
 医者を・・」



なおも声をかけると、やっと女性が顔をあげた。

眼鏡をかけた、20代とおぼしき女性だが、
特に顔色が悪いわけでもなかった。


「わたしに言ってくれてるんですか?」



その女性がしゃがんだまま、こっちを見上げる。



「そうです、ずっとうずくまっておられるから。
 気分でも悪いのですか。」


その言葉で、しゃがんでいた女性が急に立ち上がり、
くらくらっとよろめいたので、隆が腕をつかんで支えた。


「大丈夫ですか。」

「ああ、すみません。
 急に起立したことから来る、単なる脳貧血です。
 すぐに治りますから・・・大丈夫です。」


女性は、グレーのスーツに眼鏡をかけている。

隆が手を放すと、もう揺らぎもせず自分の足で立ち、
小さく会釈をした。

その顔に、どこか見覚えがあるような気がしたが、
何かのセミナーですれ違ったのかもしれないと思い返し、
自分が急いでいたことを思い出した。


「大丈夫なら結構です。
 お気をつけて。僕はこれで失礼します・・・」


女性を駐車場に残したまま、大股に歩み去った。

約束の時間が迫っている。




エレベーターで6階にあがり、目指す中国料理店につくと、
予約の名前を告げる。

個室に通されると、まどかとご両親、
それに急遽、メキシコから帰国した隆の両親が、もう顔を揃えていた。


「遅くなりまして・・・申し訳ありません」

「いえいえ、ちょうど今時間ですよ。
 仕事先から来て頂いて、恐縮でした。
 先にお話をしていましたよ。」


スーツ姿のまどかの父が、隆に答えた。


「まどかさんが紹介してくれて、先にいろいろお話していたんだよ。
 
 我々の帰国が遅れたせいで、ご迷惑をおかけしました。
 ご挨拶がこんなに間際になってしまったことをお詫び致します。

 どうか、以後、末永くおつきあい下さい。」



隆の父が挨拶をすると、慌てて、まどかの父も頭を下げた。

「いえいえ、こちらこそ・・・」


隆の両親は、3週間ほど日本で過ごして、メキシコに戻るらしい。


「お前の結婚式が終わったら、少し国内を旅行しようとも思ってね。
 ゆっくり温泉にも浸かりたいし・・・。

 二人の予定はどうかな。」


隆の父が、まどかと隆を見て微笑んだ。


「ようやく色んな目鼻がついてきたところです。」

隆が引き取って答えた。



「色々考えていたようだが、結局どこに住むことにしたんだね?」


まどかの父の質問に、隆が箸を置いてきちんと向き直った。


「そのことですが、まどかさんとも相談した結果、
 僕が今いる、世田谷の家にそのまま来てもらうことにしました。

 ご存知のように、父の仕事の関係で、今は両親とも南米を動けません。
 僕が出てしまうと空き家になってしまうし、
 まっさらな新居で新生活、と行かないのは申し訳ないけど、
 まどかさんが承知してくれたので、そうしようと思います。」

「ほう・・・そうなのか。」


まどかの父には初耳だったが、
母親は大体の事情を聞かされていたらしく
全く驚いた様子がなかった。


「うちのまどかに主婦が勤まりますかどうか・・・。
 大事なお家をぐちゃぐちゃにしないかと、心配です。」


「いえいえ、わたしたちも先日聞いて、とても嬉しかったんです。
 あの家が空になるのは寂しいですし、
 二人で住んでくれれば、こんないいことはありません。」


隆の母がにこやかに答えた。


「荷物を整理して、2階のレイアウトを変えるつもりなんですが、
 なかなか手を付けられなくて・・・」

隆が言い訳をしている。

その後は、二人の暮らしかたについて、
かなり具体的な話が続いた。

そこに、女性が一人、ボーイに案内されて入ってきた。



「あら、遅かったじゃない。
 どうしてたの?心配したのよ。」


まどかの母が声を掛けると、


「ごめんなさい。ちょっと迷ってました。
 間違えて2階の宴会場に出ちゃったら人が沢山いて、
 うまく戻れなくなってしまって・・」



若い女性が答えた。


「あ、紹介します。
 妹のあやかです。まだ学生なんですが、今度卒業、だよね?」


まどかが立ちあがって、妹を紹介した。

まどかより、やや小柄で眼鏡をかけ、
肩近くまで髪を伸ばしている。


「初めまして、栗原あやかです。
 今は医学部で勉強中です。」


お辞儀をしたあやかが体を起こすと、正面の隆と目が合い、
隆が笑顔を向けた。


「先ほど、お会いしましたね。」

「あ・・・」

「神待里隆です。よろしくお願いします。」



きっちりした挨拶に、あやかが眩しそうにちょっと瞬きをしたが、



「こちらこそ。さっきは有り難うございました。」



小さく会釈した。


「さっきって、一体どこで出会ったの?」



まどかの問いに、隆は笑っただけだった。

わけがわからずに、あやかの方を見ると、



「何となく紫陽花の茂みを見たら、
 すごくおっきいカタツムリが4匹もいて、
 思わず見入っちゃってたの。久しぶりだなあって・・・」

「あやか、カタツムリ、好きだったもんね。
 水槽いっぱい、うごめいてたのを憶えてるわ・・・。
 最高で何匹いたのかな。」


まどかが遠い目をした。


「40匹くらいよ。
 今は忙しくて何も飼えないから、
 つい珍しくて覗き込んでたら、知らない人に心配されちゃった。
 なんだ、お姉ちゃんの彼だったのね。」


あやかがまどかの方を見て、ちょっと笑った。


「この子、小さい時から少し変わってたの。
 カタツムリ集めたり、カエル飼ったりしててね。
 人間のお医者さんになるって言うとは、思わなかったわ。」

「カエルに医者は要らないもん。
 でも、カエルの方が良かったかな。
 毎日、研修で患者さんのところ回るんだけど、
 何を話していいのかわかんなくって。」



あやかがため息をついた。



「雨ばかり続きますね、って言うから、
『カエルは喜んでると思います』って言ったら、びっくりされちゃった。」


そりゃ、驚くわよ、とまどかやまどかの母が笑ったが、
隆は柔らかく微笑んだだけだった。


「僕も昔、カタツムリが好きだったな。
 毛が生えてる奴がいるの、知ってる?」


隆があやかに聞くと、嬉しそうに答えた。


「『オオケマイマイ』ですよね。
 でも捕まえたことないんです。」

「子供の頃、神社の裏で捕まえたことある。

 メキシコに居た時には、かなりでっかいカタツムリを飼ってた。
 日本のと色や形が違ってて面白かったな。
 動物園には20cmくらいのも居たし・・・。」

「え、そうなんですか!見たいな。」


あやかが乗り出したところで、隆がウィンクした。



「よかった。気が合いそうだね。」


隆のまぶしい笑顔を見ると、あやかが顔を赤くして黙ってしまった。





両家の親たちは、熱心に会話をしており、
特にまどかの父は、非常な興味を持って、
隆の両親の海外生活について、質問を繰り返していた。


「・・・そうですね。南米の治安はいいとは言えません。
 家内の運転手を勤めてくれているのは、
 20年近く大使館の仕事をしていた人物ですから信用できますが、
 そういった人物を捜すのは難しいです。」

「奥様が一人で外出する、ということはありますか?」

「全くの一人きり、というのは、あまりありません。
 買い物に行くには、運転手やメイドを連れていきますから・・・。
 でも慣れれば、そういうものだと思えてきますよ」


隆の母が安心させるように言い、
まどかの父はまだ何か聞きたそうだったが、
母に目配せをされ、ようやく口をつぐんだ。




テーブルの端で、まどかはどことなくぼうっとしていた。

結婚式の招待客を決め、名簿を作り、衣裳を決め、
受付その他を勤めてくれる人を頼み、
仕事の段取りを先読みし、上司や同僚に報告する。

この一ヶ月はそんなことばかりだった。

新居や、家具探しをしないでいいだけ楽な筈だったが、
自分の荷物をまとめなくてはならないので、
その整理もある。

両家の顔合わせがやっと適ったのだから、
双方からの質問に、なるべくきちんと答えようとは思うものの、
ついつい他のことを考えたり、ぼうっとして
我ながら、表情がうつろになっているのがわかった。

気がつくと、隆の声がしていた。


「それでは、まだ幾つか決めなくてはいけない件があるので、
 このまま、まどかさんをお連れしてよろしいですか?」


隆が両家の顔を見て、許可を求めると、


「もちろんです。
 色々大変でしょうけど、あと少しですからね」


まどかの母がにっこり応じてくれた。

父親は、ちょっと意表を突かれたようで、
隣の母親の顔を見たが、隆の尋ねるような視線に合うと、
黙ってうなずいた。


「それでは、今後ともよろしくお願い致します。
 じゃあ、行ってくるからね。」

と、これは自分の親に向けた。


「ええ、行ってらっしゃい。」

「あ、車のキーを渡すよ。
 この後、ママと一緒に友だちの家に招ばれているんだ。」
 

隆の父親がポケットを探って、車の鍵を寄越した。



「いつも美味いワインを用意してくれてるのに、
 車があると飲めないな、と思ってたんだよ。
 ちゃんとまどかさんを送っておいで・・・」


隆の両親はにっこりまどかに向けて微笑んだ。

あやかだけは、やや不思議そうに二人を見ている。



中国料理店を抜け出した二人は、
青いカーペットの敷かれた、ホテルの広い廊下を歩いて行った。

夕刻から宴会があるのか、大きなテーブルが幾つも運び込まれ、
スタッフが総出で、何やら箱の入った白い紙袋を何十と載せていく。

もうじきランチタイムが終わる頃だ。



「決めることって、あと、何があったっけ?」

まどかが、あれこれ考えながら聞くと、

「何もないよ。」

振り向いた隆の顔は、いたずらな男の子のようだった。


「まどかと二人きりになりたかった。
 それだけだ。
 それとも・・・」



隆が急に足を止める。



「ご両親と一緒に帰りたかった?」



ううん、そんなことないわ・・・。



まどかも慌てて首を振った。



「ならいいけど・・。」



隆は腕をからめたままのまどかを引っ張りながら、
また大股に歩き始めた。


「パーティのあれこれは、エイジたちに任せてあるさ。
 君も、コーディネーターさんに頼んだんだろ?」

「ええ。」

「僕の分担は、メキシコの親と連絡して日取りを決めるのと、
 ハネムーンの手配。
 これは君が言ったんだよね?
 だから、もう終わりだ。」

「もう頼んじゃったの?」

「ああ、頼んだ。最高のところ。
 君が僕に任せるって言ったから、決めちゃったよ。」

隆はうれしそうに、ぎゅっとまどかの肩を抱きよせた。


「そうなの・・・で、どこ?」

「あとで、パンフレットを見せよう。
 やあ、ビール飲まなくて良かった。
 街を散歩するには暑過ぎる日だからな。」




ホテルの裏口を出ると強烈な陽射しが射るようだ。

駐車場に向かう間にも、じりじり陽が照りつけ、
隆はジャケットを脱いで脇に抱える。

日陰に停めてあったお陰で、車の中はさほど暑くはなかった。


「さて、どこへ行く?
 映画でも見る?」


片手をステアリングに載せ、もう片方はまどかの手を握りしめながら、
のぞき込むように隆が聞いた。


「ううん。特に行きたいところって、思いつかない。
 どこか、広いところでぼ~っとしたい気分。」


隆はまどかの様子をじっと見ていたが、


「わかった・・・・じゃ、適当にドライブしよう。」



都心部の道路はやや渋滞していたが、
車がどこに向かっているのか、まどかにはどうでも良かった。

流れているのは、ちょっと気だるいラテンミュージック。

眠いようなリズムが刻まれるたび、
休日ごとに繰り返される準備や、打ち合わせなど、
神経を使うあれこれから、だんだんと解放されて行く気がする。



結局、一時間弱、車を走らせて着いたのは、
だだっ広い公園だった。

砂と芝生の向こうに、海が見える。

駐車場で降りて、広い空を見上げると、
すぐ上を、大きな飛行機が横切って行く。


「ここ、どこ?あっちは羽田空港かしら」

そうだよ。

「へえ、どうしてこんな場所知ってるの?
 東京のスポットはあまり知らないと思っていたのに。」

「ここは昔から知ってる。
 飛行機が好きだったから、小さい頃、よく連れて来てもらった。
 飛行機のお腹まで、すぐ近くに見えるだろ?」


まどかの肩を抱きながら、隆がゆっくりと移動していく。




水平に広がる公園の一端には、
羽田空港が地平線上に白い点滅を繰り返し、
対岸にはお台場の観覧車や東京タワーの尖塔が並ぶ。

さらに遠くには、小さく別の観覧車も見えた。

空気はうっすらと黄色くなり始めていたが、
あたりはまだ、十分明るい。

空と海と芝生だけの場所を、ゆっくり歩きながら風に吹かれていると、
まどかの気分も落ち着いて来た。


「ねえ・・」


隆の髪も風に揺れている。
片手で髪をかき上げると、切り出した。


「こういうこと全部が負担なら、止めたっていいんだ。
 結婚式なんか取りやめにして、
 二人で籍だけ入れて、その日から一緒に暮らそう。」


隆の静かな声に、まどかはすぐに返事ができなかった。


「式を挙げるために結婚するんじゃなくて、
 君と一緒にいたいから結婚するんだ。
 
 ちゃんとお互いの親も会わせたし、
 どうしてもしなければならないことなんて、もうない。
 
 あとは君が来てくれるだけだよ」


まどかは、ゆっくりと隆に寄りかかった。

真っ白いシャツとかすかなコロンの香り。
その下にしなやかで張り詰めた筋肉があるのも知っている。

何も言わず、ただこうやって
隆にもたれているのが気持ちよかった。


「まどか・・・・」

「うん」


頭も隆の肩に預けて目を閉じ、
ひたすら隆の温もりだけを感じとる。

ふたたび目を開けた時は、さっきよりも夕闇が濃くなり、
空港の方角に、さらに多くの明かりがきらめいている。

見上げると、自分を見守ってくれていた視線に合い、
その優しさに胸が熱くなってくる。


「大丈夫よ。ちゃんと結婚式しましょう。
 色んな人が助けてくれてるんだもの。
 今日はちょっと疲れていただけ・・・・」


ありがとう、と隆の耳元でささやいた。

隆はまどかの頭を抱き寄せ、だまって髪を撫でた。
額の髪を掻きあげると、ひとつキスを落とす。


「元気が出るように。
 それで・・・早く僕のところに来てくれるように。」

「もう・・・すぐよ」


答えたまどかが下を向いたのを、見とがめて、


「あれ、もしかして、少し寂しい?」


隆が目をぱちぱちさせながら、覗き込んだ。


「寂しいわけじゃないけど・・・。
 全然不安がない、と言えば嘘になるわ。」


ふうん。

隆はちょっと不満そうに、まどかの髪をもてあそんでいたが、
不意に顔を近づけて、唇にキスをした。


「!」

「平気だよ・・・。何とかなるさ。」


手で唇を押さえ、上目遣いににらんだまどかに、隆が微笑んだ。


「わたしの寝起きを見ても、驚かない?」

「ははは!今までにも見たことあるよ。」

「あなたの方が、料理が上手でも?」

「とっくに知ってる」


隆がウィンクする。



やな奴!


「あんまり・・・整理整頓が得意じゃないかも。」


うつむいたまどかの顔をぐいっと引っ張り上げ、


「そう?僕は割に得意だ。一緒にやろう。」

ね?

すぐ近くまで顔を近づけて、返事を迫られたので、
柄にもなくドキドキする。


「わ、わかったわ。」


赤くなったまどかを見て、
隆が嬉しそうに微笑み、正面から抱き寄せる。



「まどか、これだけは覚えておいて。
 愛してるよ・・・」


茜色の空が大きく広がる夕暮れの公園で、
二人のシルエットは黒く一つになった。

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