AnnaMaria

 

続・裸でごめんなさい  35. 金色の午後(最終話)

 

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新婚生活の始まりは意外と忙しい。

幸せいっぱいの二人に、あやかりたい訪問者が押しかけたり、
家の中の足りない物を買いに行ったり、
新生活を始めた通知を出したり、と
ゆったりと家で過ごす週末など、なかなか訪れない。


やっとペースのできかけた日常をつかまえ、
午前中、隆がスポーツジムでたっぷり汗を流している間、
まどかは申し訳程度に少しプールで泳いで、
ゆっくりサウナに入り、仕事のない日の喜びを噛みしめていた。


「どこかで昼飯を食べて帰ろうか?」

「そうね、ついでに買い物も。
 お客用のスリッパが足りないみたいだったし・・・」




晩夏の昼下がり、買い物包みを抱えて、
やっと帰ってきた二人を、庭の楠から沸き出す蝉時雨がわっと包む。

見るからに暑そうな青い空に、小さな入道雲が湧いて、
芝生の庭にもくもくと濃い影を落とす。


「ああ、ビールが飲みたかった・・・」

「それで早く帰ろうって言ったのね。」


まどかが呆れながら、玄関の鍵を開け、
荷物を抱えた夫を笑顔で中へ招じ入れた。


先週、友人達を家に招いた時、ケンに作ってもらったアレンジが
まだ元気に花瓶の上でうねっている。

赤い極楽鳥のような花と分厚い緑の葉っぱ、
涼しげに葉の間を透かせた、グリーンのあしらいが
去り行く夏の賛歌を奏でているようだ。


隆は荷物を適当に片付けると、冷蔵庫に突進し、
良く冷えたビールの瓶とグラスを二つ抱えて、
居間のポーチに出ていった。


何かつまむ物はないか、と見回すまどかに、
早く早く、と外から手招きしながら、
ぷしゅ、と音をさせて、瓶の口を押し開け、
グラスにゆっくりと金色の液を満たしていく。


グラスの上3分の1に、レースのような白い泡が浮かび、
次第に白い層が狭くなって落ち着いた頃、
やっとまどかが姿を見せた。


「乾杯しよう」

「何に?」

「夏の午後に。」


隆がまどかのグラスにコンとグラスを触れ合わせると、
待ちきれないように、一気にぐうっと傾けた。


「ああ、最高だ。」


隆が真っ白な歯を見せて、極上の笑顔をうかべる。

うふふ、ジムに居る時から我慢していたものね。


まどかは自分のグラスを午後の陽射しにかざしながら、
夏を閉じこめたような金色の液体を、すっと味わう。


「おいしい!」


うっすらと染まり出す新妻の頬を横目に、
早くも二杯目を注ぎ足しながら、
隆の目が、ポーチに転がっていたボールに留まる。


それはゴム製のただのボールで、
サッカーボールでもバスケットボールでもない。

先週やってきた友人たちが、酔っぱらった勢いで、
これでサッカーをやっていたが、
元々は物置にあったものを、隆が出してきたのだ。



隆の視線が少し、翳る。

何を連想したのか、まどかにはよくわかった。
このボールはケビンが来る時に、
退屈しのぎになればと取り出してきたものなのだ。


あれからケビンとは会っていないし、
冴子親子の消息を聞くこともないから、向こうから連絡もないのだろう。


たった二日間を一緒に過ごしただけの小さな男の子は、
二人に忘れがたい感触を残していった。

熱のある小さな手でしがみつかれ、
胸の中に柔らかい体を抱きしめた記憶は、
今もふと、蘇ることがある。


「ケビン、元気でいるかしらね。」


隆には口に出しにくい名前を、まどかが呼んだ。

こんな夏の日は母親と二人、どう過ごしているのだろう。
それともまた母親の仕事が入って、
祖母と一緒にこの陽射しを眺めているのだろうか。


「ケンたちが会ったそうだ。
 冴子が時折、顔を出すらしい。」


また来てくれるといいわね、とは、簡単には言えない。

ケビンがここになじんで、隆や自分になつけば、
もっと会いたがって、ますますつながりが深くなるだろう。

自分が別れた父親の代わりの役をしては、と
隆が自制しているのがわかる。

本当の父親になれない以上、強い結びつきは却って
後でお互いを苦しめる結果にならないか、と考えているのだ。




冴子親子をめぐる状況は相変わらず厳しいらしい。

保育園には何とか入園できたものの、
冴子の仕事の性質上、週末にも仕事がちょくちょく入る。

その度に冴子の母親に預けているようだが、
父親の体調が優れず、孫の世話ばかりをしていられない母親の現状を見て、
冴子が心苦しく思っているのは容易に推測できる。


それでも仕事をして、二人で生きていかなければならない。



自分が隆と付き合っていない時に、彼が冴子と再会していたら・・・

まどかは考えることがある。

ケビンの愛らしさと冴子の必死の状況を見て、
隆は思わず、手を差し伸べていたのではないか。

そんな妄想がよぎるのは、自分だけでなく、冴子も同じかもしれない。


そう思うと、単純に冴子に同情するのもためらわれた。




芝生の回りにある花壇では、バラも百合も枯れたが、
レンガの縁をぐるっと這うように、松葉ぼたんが咲いている。
芝生に埋められたような鮮やかな色の帯は、
夏の日に輝いて、庭を彩っていた。

庭の隅にあるサルスベリのピンクが
青い空に映える。


この庭の風景も少しずつ、まどかの心に馴染みつつある。

日に輝く芝生、正面にどっしりとうずくまった大木、
庭の縁を揺れる、さまざまな色の花たち。
そして、すぐ傍らに座る人の端正な横顔。




ハネムーン先のタヒチで、むき出しの腕は黄金色に日焼けし、
隆の髪までが茶色く、夏色に染まっている。

眼のふちが少し赤い。
気がつくと、小さめの瓶が4本並んでいる。


「あら、もうこんなに飲んじゃったの?」

「まどかの分も入ってるよ・・・」


隆が少しとがめるような調子で言うと、まどかの顔を見て微笑んだ。


「まどかだって、すっかりバラ色だ・・」


そんなに酒に弱い方でもないのに、
顔が熱くなっているのが、自分でもわかる。

グラスで冷えた両方の掌を頬にあてて、
ほてりを冷まそうとしてみる。

まどかの様子を見て、笑いながら、


「酔っぱらったらいいんだよ。休日で家にいるんだから・・・」


手を伸ばし、まどかの髪をくしゃくしゃに掻き回して、
そのまま髪をもちあげると、耳の近くにキスを落とす。

毎日、キスをするようになったのに、
隆の顔が近づくと、今だに胸の鼓動が大きくなる自分に
我ながら呆れてしまう。


夫に惚れているのだ。
一緒に暮らすようになってますます・・・。


さらに熱くなった頬を押さえて、何かつまむものでも取りに行こうと
ベンチを立ちかけると、隆が手を引っ張って自分の膝に引き寄せる。


「こっちへおいで・・・」


膝の上にのせた新妻をさも愛しそうに撫でながら、


「愛してるよ・・・」


ふっくらとした唇の触感に包まれるのを感じると、
まどかも隆の背中に手を回して、きゅっと抱きついてしまい、
キスを返す羽目になる。


眼を閉じて、まぶたの裏にまぶしい陽射しを感じながら、
ビール味の柔らかい唇を何度も味わう。


「君は・・・?」


しっかりと膝の上に抱き取って、
まっすぐな視線を浴びせたまま、隆が問う。


「・・・わたしも・・」


途切れた返事に不満そうに、背中にぐっと力が加わり、
隆の眉が片方上がる。


「愛しているわ・・・」


この言葉を押し出すには、どうしても体に力が入ってしまう。

目の前の顔に、やっと満足そうな微笑が広がって、
もう一度、唇がやってくる。


どこかでミンミンゼミがのんびりと鳴き始めた。
隆のキスは終わるどころか、どんどん熱くなる。

口の中を暴れ回る舌の感触に酔いそうになって、
まどかの手も、しっかり隆の背中に回される。


「ん・・・んん・・・」


まどかが声を漏らすと、隆がやっと唇を離し、
とろりとした視線でまどかを縛った。


そんな眼で見ないでよ・・・


視線で縛り付けたまま、
隆の大きな手が首筋から肩、背中、腰のあたりまで
ゆっくりとまどかの輪郭をたどっていく。


こらえきれないため息が出てしまう。


隆がもう一度、まどかをぎゅっと抱きしめ、
髪の匂いを嗅ぎ、頬をすりよせて何度も顔をこすりつける。

二人とも、お互いの息が熱くなってくるのを感じた。


「上に行こうよ。」


耳元で囁かれる。


「まだ、真っ昼間よ。」

「僕たちは新婚なんだ。時間なんて関係ない。」


まどかを膝から下ろして立ち上がりながらも、
手はぎゅっと捕まえて離さない。


「シャワーも浴びてないわ・・」

「午前中、嫌というほど風呂に入ったんだろう?」


ポーチに残ってグラスを持とうとしたまどかを、部屋にひっぱり上げて、

「後で片付ければいい」


まどかの手を引いたまま、ぐんぐんと居間を横切って、階段をのぼり、
待ちきれないように寝室のドアを開ける。





午後の陽射しがブラインド越しにこぼれ、
ベッドの上に縞を描く。

絡まり合ったふたりの上にも、
細いペンシルストライプが動いて行く。


小麦色の体の上に残る、水着の白い痕跡。
長い指がたんねんに辿って、まどかを震えさせる。

隆の体も小麦色にこんがりと焼け、
筋肉の凹凸の陰が深く刻まれ、動く度になめらかな波が見える。



黙っているのに、あなたと会話しているみたい・・・

会話しているんだよ。
まどかの体に話しかけている。
ここはどう?これは気持ちいいって。
ねえ、どうかな・・・?

また、そんなことを言わせようとするのね。


隆がまどかを抱きしめたまま、
うれしそうに笑う。


僕の楽しみだからね。
言葉にしてくれなくても、ちゃんと返事は聞こえるけど、
まどかがトロトロに溶けたところを見たいから。


ひどいわ。


どうして?
とてもきれいでセクシーだよ。
もっとセクシーになって欲しいな。


わたしには無理よ。


そうかな。それほど難しいことじゃないよ。


どうすればいいの?


隆がまた眩しいような笑顔を見せてまどかを見やると、
どこか獰猛な感じがして、まどかはふとぞくりとした。



僕の言う通りにすればいい。
体から力を抜いて・・・。

あんまり苛めると、家に帰っちゃうわよ。


まどかが下から、上目遣いに隆を睨んだ。


そんなことさせないよ。
いいから、言う通りにしてごらん・・・。



唇がふさがれると、もう言葉はなくなった。

あとは隆の視線に縫い取られながら、
体の上を這っていく指先に震える。


「あ・・・ああ・・」


そのまま、じっとして・・・我慢しないで。


隆の手が背中を撫で上げると、まどかののども一緒に反り上がった。

ゆっくりと隆の体が重なってくる。
波のように襲ってくるリズムに応えて、
まどかの体にさざ波が走る。


足首をつかんで大きく広げられたり、
急に隆の上に引っぱり上げられたり・・・。

強く優しく、思うままに自分を扱う相手を、少し悔しく思いながらも、
まどかは次第に溺れていった。





いつしか、まどろんでしまったらしく、
まどかは外の気配の変化に、慌てて体を起こすと、
さっきまでベッドに刻まれていたくっきりした光の縞が消え、
ぼんやりとしたうすい灰色の帯のように、影の色が変わっている。

傍らには誰もいない。


まどかは起き上がって、素早く髪をまとめ、
素肌に、さらりとしたワンピースをまとうと、下へ降りて行った。




案の定、隆はポーチで足を組みながら、庭を眺めている。


まどかを見ると、うれしそうな笑顔を見せ、
大きく腕を広げる。


その真っすぐで、大らかな仕草がまどかをほろりとさせ、
今度はためらいなく、隆の腕の中に飛び込んだ。


近くに寄ると、ビールの匂いがする。


「あら、また飲んだでしょう。」

「一本だけだよ。まどかが寝ちゃってつまらないし、喉が渇くし・・。
 どう、気持ち良かったんだろう?」


まどかがすねて、返事をしない。


「すっかり、日が暮れて来たね。
 どこかへ出かけたかった?」


まどかが黙って首を振る。


「ううん、ここにゆっくり一日いたかったの。
 今日は望みが適ったわ・・・」


「良かった、僕もだよ。
 ずうっとまどかとだけ、一緒にいたかった。

 夕飯は何にする?」


「何か、さっぱりしたものを作ってみる。
 ちょっと教わったレシピがあるのよ。」


へえ・・・・。

少し疑わしそうな隆の表情。


「あら、バカにしてるわね。見てらっしゃいよ。」



夕闇が漂い始めた庭には、ツクツクホウシの鳴き声が混じり始めた。

さっきまでの白っぽく乾いたような空気に代わり、
ほんのり色づいたような、夕方の気配に染まっている。
空はうす紫がかって、金色のちぎれ雲が浮いていた。


隆が空を指差す。


「金色の雲だ・・・」

「ほんと、豪華ね。」

「ね、英語で金色を表す『golden』は、最高に幸せなって意味もあるんだよ。
 今日はまさに、『Happy Golden Day』だったな。」


「あら、金色のビールを飲み過ぎたからじゃなくて?」


まどかが笑ってからかうと、隆が座ったまま、
ぎゅっとまどかの腰を締めつけた。


「これくらい、飲み過ぎじゃないって、また後で証明してみせるよ。」


ちょっとムキになって言う隆の瞳の中に、
うす紫の空と金色の雲が映っている。


こんな風に二人っきりで過ごせる一日こそが『Golden Day』なのかも。

この幸せがいつまでも続きますように。


隆の頭を柔らかく抱き寄せながら、
まどかも至福の一日の余韻をかみしめた。






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