AnnaMaria

 

月見る月は・・・ 2

 

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信州は○田温泉きっての名旅館と讃えられる○○荘。

東京から長野新幹線で長野へ、その後乗り換えて須坂まで。
須坂からは、タクシーかバスの筈だったが、
たまたまこの日は他にも電車利用のお客が居たとかで、
須坂の駅までマイクロバスで迎えに来てくれた。

山奥の温泉に行くのに、便を考えれば車がいいのはもちろんだが、
今日の休みを貰うためにここ暫く、ほとんど徹夜続きだったし、
今回はあちこち寄り道せず、旅館でゆっくり温泉に浸かるのが目的なので電車にした。

新幹線の中では、薫が雑誌を読んでいたのを横目に、
ついうとうと居眠りしてしまったらしい。




東京は雨がぱらついていたが、須坂の駅を降りるとやや重い曇り空。
雨はない。

駅で、中年女性二人ともっと年配の女性(母親らしい)3人連れと共に
迎えのマイクロバスに乗り込むと、3時前に旅館に着いた。


旅館の玄関を入ると、お香の匂いがあたりに立ち籠め、
どこからか、力強い琴の音が聞こえてきた。

お正月にあちこちでかかるBGM風のほんわかした音色ではなく、
もっと生の糸の張りを強く感じさせる演奏で、澄んだ空気の中をどこまでも響き渡る。

視線をずらして上を見上げると、爪弾いている人の動きがほの見え、
ひどく贅沢な音楽に感じられた。

薫も黙って中空の弾き手を眺め、見とれている。
糸の響きがまだ残っている間に、ラウンジへ案内された。




「わあ・・・!」「ほうぅ・・」と言った感嘆の声が、ラウンジに到着した客の間から漏れた。

とじ目の全くない横長のガラス窓の向こうに、
圧倒的な緑に混じり、ちらちらと黄色や紅色を散りばめた渓谷の景色が窓いっぱいに展開し、
見る者に迫って来る。

上にあるはずの空や、この下を流れているであろう水の姿が見えない分、
大きく横いっぱいに切り取られた絵のような眺めだった。



「すごいわ・・・」


薫も大きな目を見張って、窓外の景色に吸い寄せられたままだ。


ラウンジにいる客が見事な景観に見とれている間に、
抹茶と菓子のもてなしが出る。

お茶を頂くと人心地が着き、目の前の薫の横顔も落ち着いて眺められるようになった。
同時に一抹の後悔の念が湧いてくる。


こんな贅沢な宿でのひとときは、やはり親にプレゼントすべきだったかな・・・。


今さら考えても仕方がないので、やっとはっきりしてきた頭をふり、
仲居さんの案内に従って部屋に向かった。





「こちらでございます」


指し示された部屋はまた贅沢なものだった。

10畳の和室には、渓谷に向いた縁台があり、
縁台の床に緋毛氈が敷いてある。


「こちらは『月見の縁台』でございます」


僕はためらわずに縁台に出ると、景色をざっと見渡してから、天井や床の部分を見上げ、
中指の背でつい、コンコン、と叩いてしまう。

あ、いけね、癖になってるな。

建築関係の人間を見分けるには、この癖があるかないかですぐわかる。
新しい空間に入ると、上を見て、下を見て、横を見るのだ。
何人かで寄り集まると、皆でコンコンやるので、遠目に見るとかなりみっともない。


「ほほほ・・、お仕事柄ですか?」


お茶を煎れてくれていた仲居さんに声をかけられて、はっとする。

こういう旅館の仲居さんなどは、入ってきた人間を見ただけで、
年齢、職業、一緒にいる二人の関係までもずばりと見て取ってしまうそうだから、
僕らがどういう二人なのかも、手に取るようにわかるのだろう。

何もかも見透かされている。
そう考えると、ホテルと違って旅館というのは、ちと気詰まりだなあ・・・

この部屋に僕らは若過ぎるのだ。




宿や部屋の説明を終えて、やっと仲居さんが下がると、
座ってお茶を飲んでいた薫に声を掛けた。


「こっちへおいでよ。」


縁台の方から手招きする。


「ん・・・」


縁台のすぐ外に萩の花が咲きこぼれ、青紅葉がびっしりと枝を重ねて、
景色を緑に縁取っている。
その植え込み越しに、赤に黄色に紅葉しかけている渓谷の景色が広がり、
はるか下に、水の流れが見えた。


「どうした、疲れた?」


隣で黙って景色を見ている薫の顔色が、少し冴えないようで聞いてみた。


「ううん、大丈夫よ。省吾の方が疲れてるんじゃない?
 お休み取る為に無理したでしょ」

「新幹線で寝たから、もう大丈夫だよ」


薫の肩に手をかけて引き寄せたが、妙に感触が堅い。

緊張してるのかな・・・


「なんだか・・・・場違いみたいで・・・」


薫が下を向いたまま言った。

顔をあげて僕を正面から見ると、


「マイクロバスの中でおばさんの一人が、じろじろわたしを見るんだもん。
『こんな若い娘が何で』と思ってるんじゃないかしら、
 そう考えると何だか居心地悪かったわ」

「こんな若い娘に戻りたいって考えてたんだよ、きっと。
 気にするな。もうそんなに会わないよ」

「そうかしら。晩ご飯がここじゃないんでしょ?
 あのおばさんたちに見られながら食べるの、嫌だなあ」

「そう思うなら、今度目が合った時ににっこり笑って、
 『こんにちは』ってあいさつすればいい。
 温泉宿で、相手の素性を詮索する方が無作法なんだ。
 向こうもその事に気がつくよ。」

「そうね、そうする。」


やっと薫が笑顔を見せてくれ、嬉しくなって肩に回した手に力が入る。

そのまま、柔らかそうな頬に顔をすり寄せて、口づけようとしたら、
ふっと躱されてしまった。


ふむ、緊張の種は他にもあるんだな・・・

僕は急がないよ。




「部屋の中をもう少し見てみようよ。」


薫を促して縁台を降り、居間に続く小部屋を開けた。


「わああ、可愛いお部屋、千代紙のお部屋みたい!」


目を見張りながら、嬉しそうな声をあげた。

4畳半の小座敷で、小さな机が片寄せてあり、
桜の花びらを一面に散らした襖に囲まれた、可愛らしい部屋だ。
襖を閉め切ると、紙で出来た小さな部屋の中にすっぽり入ったような気分になる。


「昔のお姫様のお座敷みたい。ここでおままごとしたり、お人形遊びしたりするの。
 あやとりとか、お手玉とか・・・できる?」

「ん〜、お医者さんごっことか・・・」

「バカっ!」薫が真っ赤になって、僕の背中をばしっと打った。


イタッ!結構痛いんだよ。


「かるた取りならできるよ、トランプでもする?」


小机の上にあった、トランプのカードを手に取る。


「本気でやるの?」

「やるよ。何がいい?二人だと、スピードとか、神経衰弱とか・・・」


カードを取り出して、パラパラとシャッフルを始めた。


「ええ〜?じゃ、スピード!」

「よし、3回やって負けた方が、何でも言うことを一つ聞くんだぞ。」

「いいわよ。わたし、強いから後悔しないでね」


スピードは3回やって、かろうじて一回勝てただけだった。


「参ったな。運動神経なさそうだから、大丈夫かと思ったのに」

「手先が器用じゃなきゃ、服飾科の学生なんてできないわよ」

「建築科の元学生も手先が器用だったんだけどなあ」


ぶつぶつ言って、畳にひっくり返った。


「何を聞けばいいの?」


畳に寝転んだまま、横目で見上げた。
薫は首を傾げながら、少し考えて、


「う〜ん、もったいないから後に取っておくわ。ね、も一回しない?」

「いい気になってるな。じゃ、今度は神経衰弱をやろう!」


神経衰弱は、3回やって3回とも僕の勝ちだった。


「ひゃっほう!じゃ、今度は僕の言うことを聞くんだぞ」

「わたしのだってまだ残ってるわよ」


トランプを箱にしまい、机にかたりと置くと、
すぐそばの薫の手を取って思い切り引っぱり寄せ、抱きしめた。

ふっくらした唇をふさぐ。
薫の体もさっきより、ずっと柔らかくなっている。

何度か唇を離してはまた口づけ、どんどん深く唇を合わせてから、
だまって薫を畳に押し倒した。

忽ち薫の体が緊張して堅くなり、顔を横に向けてしまう。


もうひとつの緊張の種はこれだな・・・。


「薫、大好きだよ・・・」


うなじにそっとささやいてから、
横になったまま、腕の中の薫を何度も何度もゆっくりとなでた。





「晩飯の前に温泉に入って来ようよ」


さっきの居間に戻ると、早くも渓谷の上に夕闇が落ちかかっている。


「お月様、今夜はダメかなあ?」


薫が縁台から曇り空を見上げて、恨めしそうに言った。


「どうかな。夕方になって少し風が出て来たから、雲が払われるかもしれない。
 先週の満月と違って月の出が遅いから、見られると思うよ」

「ん、そうだね。」





二人で大浴場に向かって歩いていくと、廊下の隅、階段の下など、
ごくさり気なく、秋草が活けてあるのが目についた。

萩、りんどう、小菊、紫式部など、秋の道辺に生えている野の花の風情そのままに
ひっそりと、控えめに風雅を添えている。

随所に行き届いた気配りが感じられて、廊下を歩くのが楽しかった。




大浴場は二つあり、夜中の12時を境に、男風呂と女風呂が入れ替わる。
清掃時間以外は24時間入れるそうだから、着いた日と、その夜中、あるいは朝方に来れば、
客は、両方の大浴場を楽しむことができる仕組みだ。

お湯はごく透明な温泉で、強い匂いもなく、じんわりと温まってくる。

体が十分あったまったところで、併設の露天風呂に出て行くと、
薄暮の中に、渓谷の景色が墨絵のようにうっすらと浮いてみえ、
川の音が聞こえてくる。


「もう1週間くらい後が、紅葉の見頃だって言っとったなあ。」

「今年は少し、遅れているらしい。」


後ろの湯船から、誰かの交わす言葉が聞こえてきた。

そうか、でもその頃はまた、混み合っているかもしれないな。

今頃の時期が山奥にある宿の風情を楽しむのに、丁度良いような気もして
目を閉じてお湯の感触を味わった。


温泉を出て、宿の浴衣に着替えると、
薫を待たずに先に部屋に帰ることにしていた。


女の風呂は長いもんなあ。
折角だから、ゆっくり入りたいだろうし・・・。

今度は廊下に誰もいないのを幸い、柱の具合、天井の様子、
壁の質感などを、思う存分、触ったり、横から覗いたりしながら、ゆっくり部屋に戻った。




ぶらぶら歩いて戻ったせいか、僕が部屋に着いてそれほど経たないうちに
浴衣に宿の羽織を引っ掛けた姿で薫が戻ってきた。

洗い髪を何やら後ろでひねって、頭の上の方に上げてあり、
細いうなじが浴衣の上から、すうっと白く伸びている。

浴衣とは言え、和装姿を見たのは初めてだったので、普段の姿との違いに戸惑った。
素顔だろうに、顔がうす紅く上気して、いつもよりずっと大人っぽく見える。

僕がだまって見とれていると、薫が照れて、


「やだ、恥ずかしいから見ないでよ」

「何で恥ずかしいの?」

「だって浴衣って何だか着慣れなくて、落ち着かないわ。」

「いや、よく似合ってるよ。服よりいいくらいだ。」


色っぽくて・・という言葉をまた呑み込んだ。


「わたし、服を作る立場なのよ。服より浴衣が似合うって言われても・・・」

「いや、どっちもいい・・・」


タオルを干したり、着替えをしまったり、部屋の中をパタパタ動く薫を捕まえて、
後ろから抱きしめた。


「いい匂いがする・・」

「お風呂あがりだもん・・・」

「髪がまだ少し濡れてるね」

「全部乾かしてると、遅くなりそうだったから・・・」


たまらなくなって、目の前の白い襟足にそっと唇をあてると、
薫が急に黙って、身を震わせた。

しばらくじっと当てていたうなじから唇を離し、ゆっくり前を向かせ、
少し汗ばんだ顎を持ち上げて、わずかに開いた紅い唇にゆっくりと指をすべらせる。

薫の体がふるえてくるのが、浴衣越しにてのひらに伝わる。


「あ・・・」

「黙って・・・」


さっきよりも熱を帯びている唇をまたふさぐ。
薫の熱い息もいっしょに僕の唇に閉じこめたようだ。

首筋からつながる白い胸元に、うすく汗が浮いているのが見えて、
だまって、そこにも唇をはわせた。

もう少し・・・

薫の反応を確かめながら、抱きしめる腕に少しずつ力を込める。

もうしばらく・・・

そう思いながらさらに強く抱きしめる。
薫の体がまたふるえ出す。


と、ジリリリリ・・・・と部屋の電話が大きく鳴った。

とっさに何の音かわからなかったが、はっと我に帰ると、電話を取った。


「お食事の用意ができました。
 どうぞ、お食事どころの方へお越し下さいませ。
 お待ちしております。」


電話を置くと


「食事ができたって・・・」


そう告げると、薫が赤い顔のまま、ぺたんと畳に座り、黙ってうなずいた。
潤んだ目を僕から背けると、


「1分待ってね。」


そう言うと、旅行バッグに手を突っ込んでごそごそかき回すと、ハンカチを探り出し、
手にぎゅっとつかんで、僕を見上げ、

「お待たせ!」と、少し無理矢理な笑顔を見せた。

う〜ん、かえって、また緊張させちゃったかな・・・

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