AnnaMaria

 

月見る月は・・・ 3

 

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食事は薫が心配していたような大広間ではなく、
宿泊の部屋ごとに食事用の小部屋が用意され、そこで頂くことになっていた。

つまり二人きり・・・。
ま、しょっちゅう仲居さんが料理を運んでくるけどね。


「良かったな。大勢の中で緊張して食べるんじゃなくて・・・」


座敷に座りながら、そう言うと、


「あら、実はさっきお風呂で、マイクロバスのおばさんたちには出会ったの。
 省吾が教えてくれた通り、にっこりして『今晩は』って言ったら、
 ちょっとびっくりされたけど、その後はずっと感じ良かったわ」


これでもう怖いことはないわよ~っと、元気になった薫。
そうだ、その意気だ。



料理はまた、素晴らしかった。

温泉旅館でよく出て来る、天ぷらと刺身とハンバーグとが一緒に出てくるようなものじゃなく、
近くの山に生えている山菜をさっと揚げたもの、
香り高い松茸を炊き込んだご飯、
串に刺した地物の野菜や肉を、自分で鍋に入れて揚げるもの。

そういったここでしか食べられない料理が、
季節の彩りたっぷりに、折敷や塗り物、吟味された器いっぱいに広げられ、
目にも贅沢なものだった。

薫はお腹が空いていたと見えて、せっせと箸を動かし、
苦手にしていた仲居さんとも、料理のことをあれこれ聞くうちに
気分もほぐれたらしく、何度も声を上げて笑っていた。


「これ、すごくいい香りのお酒ですね、ここに入ってるのは何ですか?」

「ここで採れたブルーベリーなんですよ。
 いい香りでしょう。お連れさんもご一緒に如何ですか?」


グラスに入った食前酒をちびちび飲みながら、
薫がピンク色の顔で仲居さんの説明を聞いている。


「いえ、僕はビールがいいんです。」

「じゃあ、ほんの少しだけ味見してみて・・・」


薫からグラスを差し出されて、一口味わってみると
なるほど、甘い中に野趣あふれるような果物の香りがあって、ちょっといいものだった。


「うん、いい香りだね。でもこれで飯は喰えないなあ。」

「何で?」

「僕には甘過ぎるよ。」

「そうかしら・・・」


薫は澄まして、グラスを空けている。
さっきの風呂上がりより、もっと赤くなってるよ。

僕は酒は強い方だと思うけど、連夜の睡眠不足で、
いつもより早く酔いが回るような気がした。

ぐでんぐでんで、部屋に帰るなりつぶれて寝てしまうって言うのは避けたいなあ。

そう思って、セーブしながら飲んでいるのだが、
薫の方があぶなそうだった。


「薫、大概にしとけよ。結構まわるぞ。」

「あら、いいわよ。今日はこのまま泊まるんだもん。倒れて寝ても平気!」


おいおい、このまま倒れて寝る気かよ・・・。

仲居さんがちょっと笑って、


「まあ、お客さま、これは食前酒に一杯頂くもんですから。
 お代わりを沢山すると、お月さまも見られずに寝ちゃうことになりますよ。」

「お月さま出るかしら?」

「さっき、大分雲が切れて来ましたから、大丈夫だと思いますよ


仲居さんが食べ終わった食器を下げて、部屋を出て行くと、


「もう、お腹いっぱいになってきちゃった・・」

「きっと最後に甘いのが出てくるぞ。」

「そうだねえ、でももう食べられないかも・・・ふう。」


薫はすっかりリラックスして、この宿になじんだようだった。
料理にちょこちょこ付いて来た、小さなイガ栗やススキ、と言ったあしらいを
脇に取り置いて、面白そうに見ている。
栗とぎんなんを楊枝で留め合わせて、熊に仕上げてあるのもあった。


「全部本物ってすごい。」

「そうだな。これを集めるために山歩きが必要かもなあ」

「さっきあの人が言ってたけど、女将さんも一緒に山菜採りやキノコ狩りをするんですって。
 今日は女将さんが会合にお出かけでご挨拶できなくてすみませんって。
 ちょっと会ってみたかったけどねえ。」


大分、発言に余裕がでたな。

料理の締めに、果物と山桃のシャーベットが出て終わりになった。


薫が立ち上がると、足元がぐらっと揺れる。
腕につかまらせて、小部屋を出た。

部屋を出たところで、マイクロバスに同乗していた親子3人連れ(だろう)に出くわした。

薫は僕の腕につかまったまま、「おやすみなさい」と少し甘えた声であいさつし、
僕もそのまま、ちょこっと会釈をした。


「おやすみなさい」と笑顔で挨拶を返され、

「可愛いお二人ねえ・・・」と言う話し声が聞こえてきた。

そ、挨拶って大事だよな。





足元の少し怪しい薫と腕を組んだまま、落ち着いた照明の廊下を抜け、
ゆっくりゆっくり部屋に戻って行く。

廊下の古びた柱時計を見ると、もう9時をかなり回っていた。


部屋の戸を開けると、柔らかく照明が落とされ、
夜目にも白い布団が二組、敷き並べてあった。

薫が思わず息を飲んで、口元に手を当てるのが見える。


そんなに怖がるなよ・・・。


部屋に入ってから、少し照明の明るさを戻すと、
薫の手を引いて、縁台の方へ行った。

向かいの渓谷はすっかり闇に沈み、さわさわと木々が揺れる音に混じって、
かすかに水の音が聞こえる。

空を見上げると、重く垂れ込めていた雲が動いて、藍色の空が切れ切れに広がり始め、
小さな星が時折きらめいた。


風が少し冷たくなった。

まだ月は姿を見せない。山の端がかすかに明るんで見える程度だ。

隣でほうっとため息をつくのが聞こえた。
月の光がないから、薫の横顔も闇の中にぼうっと白く霞んでいるようだ。


「寒くない?」


薫は黙って首を振る。

僕も黙ったまま、風の音と水の音をじっと聞き分けていた。
体の中に残っていた酔いが、少しずつ風に乗って飛ばされていくようだ。

ふいに、薫の頭が僕の肩の上に乗った。
僕も薫の髪に頬を寄せて、尚じっと立っていた。


「省吾・・・」

「ん?」

「あのね、少し怖いの」

「わかってるよ。
 月が出るまでに間があるみたいだから、部屋に入っていよう」


縁台の近くに寄せられた椅子に座って、足元に座布団を置き、
その上に薫を座らせて、ひざのそばに抱き寄せた。

薫の髪を触ると、ねじって止めた辺りの髪はまだ微かに湿っている。


「コーヒー持って来たけど、飲む?」

「今は何にも要らない。でもどうして持ってきたの?」

「前に、長野のスキー場でいつものコーヒーを炒れたら、メチャクチャ旨くてさ。
 水の旨そうな所には持って来る癖がついたんだ」

「そうなの。省吾ってけっこうマメね」


薫がふふっとほどけるように笑った。
その笑顔が可愛くて、上半身を腕の中に抱き取ったが、
そのまま、背中を撫でながらじっと座っていた。


「おばあちゃんが、よく口にしてた歌があるの。」

「歌って、五七五?」

「そう。月を見るたびに言うのよ。
『月月に月見る月は多けれど、月見る月はこの月の月』」

「それ、仲秋の名月をうたった歌?」

「うん、たぶんそうだと思う。この月の月は特別って・・・」


その後しばらく、おばあちゃんの話やら、どこかで見た月の話をしていた。
多分、どんな話でもいいから、こうやって二人で一緒にくっついたまま、
話をしていたかったんだろう。

あっちに敷かれた布団が、まだ薫には重過ぎるんだ。


10時を回って、ふと外を見ると、さっきよりも空が明るい。

薫の腕をひっぱって立たせ、部屋の照明を極限まで落としてから、
もう一度縁台に行ってみる。

山の端からのぼったばかりの半月だった。
半月なのに、とても大きくて明るい。
時折、墨のような雲がかなりの速さで月の面を掠めていく。


「右側が欠けているのは、下弦の月だっけ?」

「うん、多分そう。ああ、うれしい。
 ここでお月さまが見たかったの。」


風はさっきよりも、また少し冷たくなっていた。
前よりもっとぴったり寄り添って、生まれたばかりのような月を眺める。

冷たい空気の中で感じ合う温もりは、人との距離を縮めるみたいだ。

今、ここで薫と一緒に月を見られるのが、無性に嬉しかった。
豪華な旅館も素晴らしい景観も、一緒にいてくれる人がいなければ価値も半減してしまう。

世界にたった二人っきりのように寄り添って
眺めたいだけ月を愛でていられるとは、何と幸せなことだろう。


「薫?」

「ん・・」

「一緒にいてくれて、ありがとう」

「省吾・・・」


薫は僕の背中にそうっと片腕を回して、体を寄せて来た。

そのまま、胸のそばで、しばらくためらっていたが、
やがて思い切ったように小さな声で言う。


「ねえ。
 省吾はわたしと・・したくて・・・旅行の方を選んだの?」


強い言葉だが、不安がそれを君に言わせるんだね。
そして、そんな気持ちを薫に抱かせているとしたら・・・
それは僕のせいだ。


「薫がもしそんな風に思うんだったら、無理はしたくないんだ。

 僕は薫が大好きだし、薫を抱きしめたいし、一つになりたいと思うことがある。
 でもそれが目的じゃないから。
 薫がまだ不安だって言うのなら、待ってられるよ」


たぶん、という言葉を喉の奥に呑み込んだ。


「今、半分の月を一緒に見てるだろう。
 あの月がどんどん細くなって、またまん丸い満月を目指すみたいに、
 君と一緒に満たされるといいな、と思ったんだ。
 二人で欠けていくんじゃなく、二人で満ちていけるように・・・。

 僕は今、半分で、もう半分の君を待ってるって言ったら、
 わかってくれる?」


薫は黙って、今度は両手で僕にすがりついてきた。
胸の中に顔をうずめて動かない・・・いや、肩が少し震えているのがわかる。


「薫・・・?」


僕が起こそうとすると、薫が自分で顔を上げた。
頬が白く光った。


「ごめんね、嫌なこと言って。許して・・・。
 わたしだって、省吾とずっと一緒にいたくてここに来たのに、
 つい、あんなこと言っちゃったの。やな奴だって怒らないで・・・」

「大好きだよ、薫」


一度ぎゅっと抱きしめてから、頬のしずくをそっと拭うと、そこに口づけた。
唇を離して薫を見ると、まだ涙のたまった目に小さく半月が映っている。

少し冷たくなった唇に僕の唇をかぶせる。
微かに震えていて、涙の味がして、でも、信じられないくらい甘くて柔らかい。

僕は何度もキスを繰り返し、薫の耳たぶや首筋にも唇を落とした。
風で冷たくなった肌が僕のキスで少しでも温まるように。




薫の手を引いて、部屋の中に入る。
さっき月を見る為に照明を落としたから、ほとんど真っ暗だ。

白白と光沢を放つ布団のところまで、手を引いて、
シーツの上に立たせた。

薫の瞳が濡れたまま光って僕を見ている。
黙って胸の中に薫を包み込むと、目を閉じた。
この体が震えなくなるまで、いつまでも待つつもりだった。



やがて薫の震えが止まると、彼女の羽織をそっと肩からすべらせて落とした。
頭の後ろに手をやって、髪留めを外してやる。

まだ微かに湿り気のある髪が、ぱさりと浴衣の肩に落ちて、薫がまたはっとしたのがわかる。

湿った絹のような髪の中に手を入れて、首筋をさぐり、
あごを上向かせると、ためらっている唇をふさいだ。

僕の舌が薫の唇を割り、温かい口の中に入り込む。
いつもと違って逃げようとする舌を、しっかり捕まえて、
薫の声にならない声を僕が呑み込む・・・




白くひんやりした喉へ、僕の唇を少しずつ落としていき、
喉元でしばらくとどまっていたが、僕の手がゆっくり浴衣の襟もとをくつろいでいくと、
唇にやわらかい感触が伝わって来た。

唇を当てたまま、右手で、浴衣の帯に手をかける。
しゅっと衣鳴りの音をさせて結び目をほどき、帯をゆるめて落とす。



なめらかに白く輝く皮膚の川が僕の前に現れた。

最初は細い川だったが、僕が左右に浴衣を押し広げると、
次第にミルクのような滑らかな海が現れて、甘い匂いが立ち上り、小さな布が手に触れた。

手をかけて、薫の足からそれを抜き、肩から浴衣を一気にすべり落とすと、
薫の口から小さな悲鳴がこぼれた。



半月の青白い光は弱くて、薫の体の全てに光をあててはくれない。
それでも若くて、しなやかで、弾むように光っている美しい肌を
一瞬、何もまとわない姿で僕に見せてくれた。


「やめて、こんな・・・」

薫が恥ずかしがって、腕で胸をかばおうとしたが、僕はそれを許さなかった。


「薫、どんなにきれいだか、とても言えないくらいだ。
 月の光で真っ白に輝いてる。
 僕に見せてくれて、嬉しいよ」


薫はためらうように下を向いていたが、ふと僕の顔に視線を戻すと


「省吾・・・」と微かに僕の名前を呼んだ。

「ありがとう」


僕がその言葉を小さな耳に吹き込むと、まっさらな姿の薫を抱き上げてシーツに横たえ、
薄く布団をかけた。

自分の帯に手をかけてほどくと、遠くに放り、浴衣も下着も一気にすべらせて脱ぎ捨てた。


「薫の体を傷つけるような心配はさせないから、安心して。」


不安そうに目を見開いている薫に告げてから、
膝をついて、そうっとかぶさっていき、
白く震える体を僕の下に包むと、腕を回して堅く抱きしめた。

そのまま、唇を奪い、体の自由を奪い、柔らかなふくらみをつかみ取って、
熱い肌をこすりつける。

黒い髪が真っ白なシーツの上に転々とひるがえり、
僕の手の中のやわらかく丸い肉がしっとり汗ばんできて、唇から声がもれた。

そうっと手をずらして、薫の体の中心へ。
息を呑んで抵抗するが、左腕で強く抑えて締めつける。


「怖くないから・・・」


僕が囁くと、また少し力を抜いた。


君が溶けるまで・・・君の体を走るさざなみがもう少し大きくなるまで・・・。

白い肌のすみずみにまで、口づけをくり返す。

唇から漏れる息が熱くなり、
額にも汗がうっすらにじんで、体の中が充分に溶けたのを確かめて、
そっと上になり、柔らかい内腿を広げて、少しずつ体の中に沈めていく。

薫の体がびくんと大きく跳ね、シーツの上の手がきゅうっと堅く縮まった。
手を取って僕の手の中に包んでやるが、動きは止めずに、
薫が反発して逃げようとするのを、どこまでも追いかける。


僕を受け入れて・・・
薫とひとつになりたいから・・・


それでも薫の体が大きく揺れて、唇から小さな叫びが漏れ、
固く閉じられたまぶたから、つつうっと一筋涙がこぼれる。


薫、薫、大好きだよ。
もう少しがまんして・・・

薫の動きに構わずに進んで、
そのまましばらくじっとしている。


「省吾・・・・」

「薫・・・」

「今、ひとつになっているの?」

「そうだよ。薫の中にいるよ。」


そうっとまた、口づける。
薫のふくらみを吸い上げながら、片方の手でゆっくり体の輪郭にそって
なめらかな肌を撫でていく。

薫の体から少し力が抜けたのを確かめると、肩を抑えて
ゆっくり動き始めた。

薫が眉を寄せるのが見える。


「苦しい?」

「大丈夫・・・省吾だから、大丈夫」


ここまで来たら途中では降りられない。
薫と一緒に駆け上るだけだ。

彼女の細い指が握ったり開いたりするのを見ながら、
喉の奥から漏れる悲鳴が、次第に高くなるのを聞きながら、
僕は自分も一気に走り抜けてしまった。





「薫・・・」


向こう向きに体を伏せている薫。
黒い髪の中からほの見える白い肩に、そっと唇を当てた。


「・・・平気よ。省吾が好きだから・・・」


くぐもった声が、それでも答えた。

そっとこちらを向かせて、腕いっぱいで包んでやる。
何て愛しい存在だろう。


「大好きだよ。薫・・・・」


薫が胸の中から顔を上げて、何とか微笑もうとした。
白い花のようにはかなげな笑顔だが、青い月夜に似合って見える。
額に張り付いていた髪をどけてやると、伏し目がちの睫毛が揺れた。


「いつもの元気な薫はどこへ行ったかな」

「今はちょっとお休み。ここにいるのは、弱くて、恐がりのわたしだけ。
 でも省吾がいれば、平気。
 省吾がいれば、大丈夫・・・」

「本当に大丈夫?」


ちょっと笑って、僕の目を見た。


「わたし、省吾とキスした日は、何度も何度も省吾のこと、思い出すの。
 唇に省吾の唇の感触までよみがえってきて、時々はっとなるくらい。
 だから、今夜のことも、きっと何度も思い出す・・・と思う」


そう言ってまた微笑んだ。
薫が思い出しても辛くならないようにできたのかどうか、
そこまでは自信がない。

でも僕も薫が大好きだから。
その気持ちだけ伝われば、辛かったのも許してくれるかな。


「省吾・・」

「ん?」

「後でもう一度、温泉に入りたい・・・」

「入ったらいい。でも少し眠ってからにしよう」

「うん・・・そうする」


薫がふっと笑って、ゆっくり目を閉じたのが見えた。

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