AnnaMaria

 

青いプロフィール 5

 

blue_title.jpg



午前中に社内の打ち合わせが一つあったが、
午後からのアポがない土曜日。

その前日に珍しく直人の方から誘いの電話をかけると、
かおりは、すぐ承諾してくれて、
久しぶりに二人で会う時間を持てることになった。





冬の光が柔らかく入り込む、都心の現代美術館のカフェ。

全面のガラス越しに見える中庭の芝生は、
黄色く冬枯れていたが、
カフェの中には瑞々しいグリーンが飾られ、
天井からの光を跳ね返している。

白と黒の内装のシンプルなカフェの中に、
春色の服をまとってかおりが座っていた。



ここはコンテンポラリーアートの展示と、
30年代に建てられたモダンな建物の雰囲気が溶け合った人気のスポットで、
カフェの中は満員に近かったが、
かおりのすっきりと整った姿は、その中でも人目を惹いていた。

今さらながら、自分の恋人の美しさに打たれ
直人はまた、胸の奥をぎゅっとつかまれるような気持ちになる。


きれいだよ・・・


そう言ってやれないもどかしさを、胸の中にしまったまま、
かおりの前に姿を現すと、
その美しい顔が、見る見る嬉しそうに笑み崩れる。


「待たせた?・・・」

「ううん、全然。
 わたしが来た時はここがいっぱいで、
 しばらく入り口で待っていたの。

 今、座ったところよ。何か飲む?」


テーブルの上を眺めると、
紅茶の白いカップと、美術館らしく、
アートをかたどったケーキが置いてある。

今日の展示に合わせて、ポップな色使いのムースに
フルーツがあしらってあった。


「面白いね」


直人が目を留めて言うと、


「でしょう?
 お腹が空いているわけじゃなかったんだけど、
 あんまり可愛くて思わず頼んでしまったの。

 こっちから見ると、イラストの顔みたいでしょ?」


かおりがぐるっとケーキの皿を回して、直人に見せた。


「直人も食べる?」

「いや、俺は何か別のものをつまむ。
 会社からそのまま来たから・・朝から何も食ってない。」


苦笑まじりにつぶやいた。


午前中の打ち合わせにクライアントが数人同席していたので、
ネクタイはしていないものの、直人は黒いジャケット姿だった。



カフェを出てから、人気イラストレーターの展示を見る。

ポップな感覚と省略した柔らかい線で、
最近、ぐんと人気が出て来ている。

傍らで、熱心に展示に目を向ける合間にも、
自分を見つめる、いつもと変わりないかおりの視線を意識すると、
重く感じる時もあるのに、今日はわくわくと嬉しかった。

江田が見かけたという二人は、
やはり何でもないに違いないと言い聞かせながらも、
胸のどこかにちくりと刺す針のような思いがある。


俺はこんなに嫉妬深かったのか・・・


今まで、かおりに憧れるゼミ仲間や、
彼女に近づいてくる男の話を聞いても何とも思ったことがない。

かおりが誰かと二人きりでカフェにいるのを見かけてさえ
まるで心が揺れなかった。

自分は嫉妬などという感情とは無縁だと思っていたのに。

今さら自分を刺す思いにやや驚きながらも、
かおりの一緒にいた相手が、あの木下というのが引っかかって、
直人はどこまでも穏やかな気持ちになれずにいた。





その夜、直人はどうしても自分の気持ちを抑えることが出来ず、
どこか歪んだ情熱のままに、激しくかおりを追いつめてしまった。

問いかけるような、少しおびえたような眼差しが向けられていたのに、
かおりの白い腕をつかんで乱暴に組み伏せ、体中に唇を這わせる。
哀願の声など、もう聞こえなかった。

しまった、と気づいたのは、かおりが自分の下で
ほとんど気を失いそうになっているのを抱きとめてからで、
うつ伏せのまま、きゃしゃな肩が大きく喘いでいるのを見ると、
また、むらむらと手を出してしまいそうになるのをどうにか抑えた。


「かおり・・・悪かった。
 大丈夫か。」


かおりは腕の中で、まだ時折、びくびくと痙攣していたが、
汗のにじんだ顔をこちらに向けると、何とか微笑んで見せた。


「い・・いいの。
 嬉しかった・・・直人がこんな・・・」


とぎれとぎれに呟きながらも、
直人の方に、細い腕を伸ばしてきた。


嬉しい?これが嬉しいのか・・・。


直人は少し不審に思いながら、
シーツに溶けてしまったようなかおりを抱きとって、
汗で張り付いた髪を、少しずつ、少しずつ梳いてやる。


気がつくと、かおりの白い肌のそこここに赤い痕が散っている。
自分が付けたものに違いない。

こんな風に相手の肌を損なうまで、
我を忘れることはあまりなかった。

普段、素っ気ない自分の罪滅ぼしではないが、
なるべくかおりには優しく接したいと思っているのに。

今日のように激情のまま突っ走り、かおりを蹂躙してしまったら
彼女は嬉しいと言う。


女はどうもわからない・・・


自分の暴挙を詫びる代わりに、
腕の中でふるえるかおりについた赤い印を
ひとつひとつ指先でそっと撫でて、口づけを落として行く。

かおりが喉の奥で


「あ・・・」


とため息を漏らす。

身体の奥にくすぶる火が、また踊り出てきそうだ。


お前の心に、俺以外の誰かがいるのか?・・・
お前は俺なんかで本当にいいのか?・・・


口に出せない問いを呑み込んで、バラ色の濡れた唇を強く吸う。

くぐもった呻き声と、肌を押す柔らかい胸の感触が
直人から理性を奪いつつあった。


こんなにも愛しい女。
俺は一体どうしようとしているのだろう・・・


こちらを見上げる黒い瞳が、もう一度狂うのを見たくて、
直人は自分を引きずり込んでいく衝動を止められずに、のめり込んでいった。





二人で横たわったまま、少しとろとろとまどろんだようだ。

そのうちにかおりが目を覚まし、
直人の肩先にそうっと頬を寄せてきた。


「・・どうかしたの?」

「いや、何でもない。何故?」

「だって、こんな風に直人が・・・
 その、気持ちをぶつけてくることって珍しいと思うから・・。」

「久しぶりだったせいか・・・手加減できなくて・・・
 ごめん。」


その言葉を聞くと、かおりが体を起き上がらせ、
直人の顔を覗き込んだ。


「ううん、いいの。
 さっき嬉しかったって言ったのは、
 直人が素直に自分を見せてくれたみたいで嬉しかったの。

 いつもわたしに遠慮しているみたいだったから・・・」


遠慮?


「そんなことはない・・」


赤いふっくらとした唇が顔の上で動いている。

かおりを胸の上にそっと引き上げて、
首筋、肩、胸へとゆっくり指をすべらせる。

なめらかな肌についた赤い印をそっとさすりながら・・・


「ずいぶん、痕を付けてしまった・・・」


かおりの瞳を見ながら、ためらうように切り出すと、


「直人に会えたしるしだもの・・・。
 きっとしばらくは鏡に映して、今日のことを思い出すわ。
 今度会えるまでに全部消えないといいのに・・・」


そっと微笑むと、直人の胸に頬をのせてきた。
絡まっていた長い髪が、胸から脇腹のあたりへさらさらと滑っていく。


柔らかい躯の重みが感じられた。
きゃしゃな骨組みさえ、たまらなく愛しくて、
そのまま抱きしめる。


かおりは自分の胸に顔を埋めてじっとしている。


「かおり・・・」

「ん・・・?」

「かおりが・・好きだ・・・。」


一瞬、驚いたように顔を上げ、こちらを見つめて来た。

黒い瞳が濡れ濡れと輝き、やがて、その瞳が揺れて、
目の中いっぱいに温かいものが満ちていくのが見える。


「直人、わたし・・・」


かおりの涙が胸の上を温かく濡らすのを感じる。


「わたしも・・・好き・・・」

「ああ」


滑らかな温かい体を、また、涙ごとくるみ込む。


この女を信じられないというなら、
俺には何をする資格もないだろう・・・。


直人は、かおりを柔らかく揺すぶりながら、そう考えていた。

 ←読んだらクリックしてください。
このページのトップへ