AnnaMaria

 

琥珀色のアルバム  1. 朝のエンジン

 

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今ではあまり見かけなくなった、旧式の縦型ブラインドから、
午後の陽射しが漏れている。

美奈は素早くブラインドを伏せて遮光しながら、ふっと外の景色に目をやった。

都会の真ん中でも、晩秋の空は抜けるように青く、
白く陽を浴びたビルの隙間に、ちらちらと黄色に燃える銀杏の並木が鮮やかだ。

ため息をつきながら、ブラインドを全部伏せて、上から遮光カーテンまで引くと、
やっと部屋の中が真っ暗になった。
部屋の照明スイッチを入れると、さっきまでとは違った会議室の雰囲気になる。



今日の午後、広告代理店がここへプレゼンにやって来る。
来春当社から発売する、新しいコスメラインのイメージ・プロモーションを依頼してあるのだ。

スライドとボードを使った説明になるので、
映写できる環境とスクリーンを用意して欲しいと、事前に連絡を受けた時は、
窓のない別の部屋を使うつもりだった。

だが、暗い会議室の嫌いな常務が同席してプレゼンを受けることになったため、
急遽、この眺めはいいが、遮光の悪い会議室を用意することになったのだ。



美奈の働く化粧品会社は、新進のコスメティック・ブランド「KAtiE」の製造販売を行っている。
クリエーションを担当するのは、NY在住のメーキャップアーティスト「KATUE」。

彼女の本名は田畑かつえ、と言い、40代半ばを少し回った日本女性だ。
かつえの英語読み「KATUE」をもじって「KAtiE」(ケイティ)というブランド名をつけ、
自分の会社を興したのが7年前。

だが、実体は日本の大手の化粧品会社が資本を分けて、別会社として設立したもので、
社員も親会社からやって来た者が多い。

その中で、倉橋常務は外資系の大手化粧品ブランドから直接ヘッドハンティングされた、
バリバリの女性管理職である。

美奈は親会社で採用されたものの、入社以来5年間、
この会社のみで働いて来た生え抜きだ。

ニューヨークでキャリアを積んだかつえが自社ビルとして選んだのは、
意外にも最新のオフィスビルではなく、築30年近い古いビルで、
場所こそ外苑前にほど近い便利な環境にあるものの、
ビルの使い勝手としては、かなり悪かった。


「そりゃあ、かつえさんは、年に数回しか滞在しないから、
 ここがノスタルジックでいいなんて言うけど。
 実際に仕事する方の身にもなって欲しいわ。」


美奈は、プレゼンの準備で遮光に苦労したり、回線ケーブルの少なさを思う度、
ちょっぴり胸の中で、恨み言を言う。

かつえ本人が春と秋、3週間近くに渡って来日し、次シーズンのカラーパレット、
質感、イメージなどを説明して、実際の製作スタッフとも膝詰めで議論し、
その場で製品ラインをどんどん決めていく。

彼女はどんな目下のスタッフにも自分のことを「かつえさん」と呼ばせた。

この秋は、春夏コレクションが一段落した10月の半ばに来日し、
来春から新たに販売する予定の、スキンケア製品を含んだ新コスメラインの内容について
具体的な指示を出して行った。




今日のプレゼンに来社するのは、広告代理店とクリエーションチームのスタッフ。

美奈の会社からは、倉橋常務、前田部長、
そして今回新規ラインのプロジェクトチームのチーフになった
芳賀真也らが出席することになっている。

美奈と他のスタッフが会議室の準備を終える頃、
常務たちに混じって、芳賀も姿を見せた。

美奈の姿を見ると、ほんのわずか笑顔を向ける。

やや明るめの髪に笑顔が似合い、
オリーブグリーンの細身スーツに、
二つボタンのドゥエ・ボットーニという衿の高いシャツを合わせ、ネクタイはなし。
好感度の高い若い男性の典型のようなスタイルだ。

倉橋常務は元凄腕の化粧品販売員という履歴にもかかわらず、
全体に素顔にも見まごうナチュラルメイク。

ごくゆるく体に添うグレーのドレスを着て、
フェミニンさとできる女のアピールを同時に行うという難事に成功していた。


「芳賀さんは事前に会っているのよね?」


倉橋常務が芳賀に尋ねた。


「はい。向こうのスタッフには何度も。
 ことに今回は、いつもの代理店のメンバーに新顔が二人程加わったので、
 こちらのイメージを伝えるのに、少々時間がかかりました。」

「いいじゃない。いつも同じメンバーで創るとどうしてもマンネリになるわ。
 せっかく新しいラインを打ち出すんだから、
 うちのブランドに、内輪感覚を持っていない人の方が新鮮なものができるかも。
 期待できるわね。」


温厚な紳士、と言った雰囲気の前田部長は何も言わず、
二人の会話に耳を傾けている。

典型的なロマンスグレーの髪をきれいに撫でつけ、
髪に良く合うブルーのワイシャツを着ていた。

お茶の師匠の免状を持っているという噂だ。俳句もひねるらしい。





「こちらでございます。」


受付嬢の案内で、代理店側のメンバーが5人、会議室の中へと案内されてきた。

親会社と付き合いの長い大手広告代理店の面々で、美奈も何度も顔を合わせている。
中原部長以下、おなじみの顔の中に、見慣れない若手の顔を見た時、
美奈ははっと息をのんだ。


「綿貫先輩・・・」


美奈のつぶやきは届かなかったと見え、
綿貫の表情には何の動きもなく、緊張に引き締まった顔つきをしている。

黒に近い濃紺のスーツにネクタイを締め、
映写機らしい大きな機材を軽々と手に持っていた。

綿貫の後ろには、彼よりさらにひょろりとした長身の、長い髪を後ろに撫でつけ、
ちょっと変わったストライプのスーツを着た若い男が続き、
手に大きなボードケースを抱えている。


「ようこそ。中原部長・・・」


倉橋常務の柔らかい声でお互いの挨拶が始まり、新顔が加わっているせいで、
立ったまま、慇懃な名刺交換も行われた。


「小林さん・・・こっちに来てくれる?」


会議室の隅に控えていた美奈を呼ぶ常務の声で、美奈が進み出ると、


「小林美奈です。
 彼女はうちの生え抜き第一世代で、
 今度の新ラインの販促を担当しますから、よろしくお願い致します。」


倉橋が紹介した。

美奈も頭を下げてから名刺を交換し、その際に綿貫と正面から顔を合わせたが、
相変わらず、その顔に何の反応もなかった。



お互いの紹介が終わると、各々の席に分かれ、プレゼンが始まった。

15分ほどのキャンペーンスライドをまず流す。
次に店で販促用に使う、5分ほどの映像のみのビデオを2本上映してから、
部屋の遮光カーテンを開け、元通りの秋の陽射しを会議室いっぱいに入れると、
ボードでの説明が始まった。

綿貫が前に進みでて、ボードを示しながら、説明を始める。


「健康的な美への欲求が相変わらず続いている中、
 朝食に対する関心が高まっています。

 女性の心も外見も美しく、健康に保つために、
 朝から摂取するエネルギーに気を使うのは当然と言えるでしょう。
 
 しかし、忙しい現代の女性が、手の込んだ朝食を求めている訳ではありません。
 体を目覚めさせる質のいいビタミン、
 必要なエネルギーを手軽に取るのが理想です。

 例えば低脂肪のヨーグルトに、ポリフェノールやアントシアニンの多く含まれる
 ブルーベリー、ラズベリーなどの瑞々しいベリー類を加え、
 ベーグルなどを組み合わせた朝食が人気です。
 
 ファッションも軽く、美しく、ロマンチックにという
 トレンドは続いていますから、それに合わせて、
 朝食に並ぶフルーツの色目を中心にしたカラーアソートを打ち出しました。

 キーコピーは「朝のエンジン」。

 ラズベリー、ブルーベリー、キウイ、マンゴーなどをイメージカラーに
 キャンペーンします。

 新鮮な色目のコスメ製品は、朝のメイクに向かう女性の気分を、
 さわやかにしてくれるに違いありません・・・」


美奈はボードを説明していく、綿貫のてきぱきした調子に感心しながら、
同時に、この懐かしい声にもうっとりと聞き惚れていた。

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