AnnaMaria

 

琥珀色のアルバム  3. 恋人

 

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学生時代の思い出から、ふっと会議室に引き戻されたかと思うと、
綿貫の声が止んでいた。

芳賀真也の張りのある声が、プロジェクト・リーダーとして、
積極的に内容に関しての質問をしている。

質問はどれも綿貫の明快な答えを引き出しているようで、
この二人が事前に何度も打ち合わせしたことを、匂わせるものだった。


「わかったわ。よくできている。
 かつえさんは、朝ご飯のことまでは言ってなかったけど、
 ベリーやフルーツの色目を取り入れたって言ってたし、
 それが朝のフレッシュなメイクの気分を表してると思う。

 お疲れさまでした。
 どうです、前田部長?」


倉橋常務が満足そうな微笑みを浮かべて、前田部長を見た。

前田からの質問は主として、今後の日程の具体的な詰め方についてだった。

3月からのキャンペーンに向け、プロモーションビデオの納品時期の希望や、
完成した時点で、一度こちらにも見せて欲しいことなどを伝えた。

その後「朝のエンジン」を想起させるビジュアル画像や、
幾つか上がっているミニストーリーなどが検討された。


「御社からも、このラインにまつわるエピソードやストーリーを
 幾つか出していただければ、より具体的なイメージが創り出せると思います。」


綿貫のきびきびした声が、そう提案した。


「そうですね。じゃ、こちらの方でも少し用意してみましょう・・・。
 芳賀さんを窓口に今後もどんどん進めて行って下さい。」


倉橋の言葉を合図に、プレゼンは終わりになった。


「有り難うございます。そのうち、一席設けさせて下さい。」


代理店の中原部長が、さり気なく提案して全員が立ち上がり、
出口に向かうメンバーを倉橋や芳賀たちが送り出した。

綿貫は相変わらず、美奈の方をちらとも見なかったが、
美奈は手の中にある綿貫の名刺を見た。


広告代理店 ○○
企画営業部、綿貫直人。


こんなところで会うなんて。


美奈は心底驚いていたが、
客を送ってひとり会議室に戻ってきた芳賀の笑顔を見ると、
綿貫のことは忘れてしまった。





「美奈、どうだった。君だったら、買いたくなる?」


近寄ってきた芳賀真也が真剣な眼差しで聞いてくる。


「すごく素敵なイメージ。絶対買いたくなる!」

「そうかあ。

 結構苦労した甲斐があって、うまくこっちのイメージが伝わったみたいだな。
 ビデオやパンフの上がりが楽しみだよ。」

「早く新色を試してみたいな。来春のトレンドに合わせてあるのよね。
 ラボの方に、出来上がったらすぐ見せてって連絡済み。
 うう、待ちきれない!」


他のスタッフは各々出て行ってしまい、
まだ会議室に残っているのは美奈と芳賀だけだった。

芳賀は美奈の方へさらに一歩寄ると、


「美奈、もうじき誕生日だよね。
 まさか、誕生日に他の約束なんて入れてないだろうね?」


いつも笑顔を絶やさない人に、こんな風に真剣に見つめられると、
今さらながら、美奈の心臓がきゅっと止まりそうになる。


「それはないけど。でも仕事が忙しいのでしょ。
 無理してその日に合わせなくても・・・」

「確かに今、身動きしにくい状況だから、
 絶対に予定が入らないとは言い切れないんだ。
 もしそうなったら、週末に二人でゆっくりお祝いしよう・・・いい?」


真也のやや茶色を帯びた、澄んだ瞳の中に自分の姿が小さく映っている・・・
と、思う間に唇にふっと温かい感触が重なり、
その柔らかさにしびれたように動けなくなる。

真也のキスはいつも、唇から彼の温かさが伝わってくるようで、
何度触れても不思議な驚きを美奈に与えてくれる。

美奈の肩に真也の手が置かれ、そっと顔が離れるといつもの笑顔があった。


「がまんできなかった。ごめんよ、美奈。」


美奈は黙って首をふり、にっこり微笑んで見せた。


「ううん。すごく元気になった・・・あ、変な言い方かな。」


言ってから自分でもおかしくなり、声を上げて笑うと、つられて真也も笑った。


「美奈の楽しそうな顔が好きだ。僕も元気になったよ。
 じゃ、もう行かなきゃ。常務に呼ばれてるんだ。」


あわただしく去っていく間にも、振り返って


「美奈も頑張れよ!」


手を振ってくれる恋人がうれしくて、手を振り返したあと、
誰もいない会議室でひとり、唇に手を当てながら頬をゆるめてしまった。


こんなに幸せに浸っていていいのかしら?


ドアにもたれながら、呟いた。





プレゼンが終わると、途端に具体的な打ち合わせが増えた。

KAtiEブランドはTVでの広告こそ打たないものの、
雑誌、情報誌等での広告は積極的に行っていた。

都内の大手デパートに入店してから知名度もあがり、
売り上げも飛躍的に伸びていた。

代理店の綿貫と加澤の長身コンビは、コピーライターや、
グラフィックデザイナーを連れて、何度も社内にやって来ては、
芳賀らと打ち合わせを繰り返し、
前田部長や、時には倉橋常務まで同席して具体的作業を詰めていく。

美奈も何度も同席するうちに、さすがに綿貫も知らない顔こそしなくなったものの、
クライアントと代理店、という枠はきっちりはみ出さず、
二人で学生時代の話をする機会など、生まれようもなかった。





美奈の誕生日、携帯にメールが入った。


「美奈、誕生日おめでとう。ごめん、今日はかなり遅くなりそうだ。
 後で連絡を入れる。」


真也と二人で会えるかもしれないと、
いつもより少し華やかな服装をしてきた美奈は
ちょっぴりがっかりした。

でも、今の状況では無理もないと思い直し、
自分もたまっていた仕事を片付けることにした。



7時、8時、9時と時計の針が進むうち、美奈のまわりの人間も次々と帰って行き
フロアには誰もいなくなった。

美奈自身も疲れて、空腹を覚え、今日はあきらめて帰ろうか、と思った矢先、


「美奈!まだ残ってたのか!」


芳賀真也が驚いたように、美奈のいる部屋に戻ってきた。


「ごめんな。約束を入れるなって僕から言ったくせにこの有様だ。
 次から次へと、どんどん仕事が湧いてでるみたいで、全く切れ目がない。
 お腹空いただろ?」


口調は優しかったが、目はどことなく忙しなさをまとったままで、
仕事の緊張が続いているようだった。


「大丈夫。今日は帰るから、予定がはっきりしたら連絡して。」

「ああ、そうするよ・・・」


美奈、と真也が美奈の頬へ手を伸ばした所へ、ピピッと携帯が鳴った。
直ぐに真也が反応する。


「はい、芳賀です。わかりました。すぐに行きます。」


美奈が見ている前で、カチリと音をさせて携帯をしまうと、


「常務から呼び出しだ。行かなきゃ。じゃ、ゴメン、連絡するからな。」


美奈の頬に少しだけ手を触れると、あわただしく去って行ってしまった。




その後はそのまま自宅に戻った。

家の者は遅く帰った美奈を
きっと誰かと出かけたのだろうと思っていたようだった。


「違うの。残業してて遅くなっちゃった。お腹ぺこぺこ・・・」


疲れた顔で微笑むと、母親の


「あらまあ、今日は美奈のお誕生日だからてっきり・・・」


という声を聞きながら、家にあった夕食の残り物を少し呑み込み、
風呂に入ると、ため息をついて部屋に引っ込む。

しょうがないとわかってはいるけれど、
気持ちの底には「もしかしたら」の思いがあり、
何となく真也の電話を夜更けまで待っていた。

しかし、その夜は1時を過ぎても美奈の携帯は鳴らず、
あきらめて誕生日の夜を一人で眠った。





「この間はごめんな。打ち合わせが込んでて、結局終電にも間に合わなくてさ。
 常務と一緒にタクシーで帰ったんだ。
 常務のお宅が僕のとこに近くて助かったよ。」


絵画館前の銀杏並木が見渡せるイタリアンレストランのテラスに座り、
休日の二人はランチの皿を前にしていた。

この時期、この店のテラス席がとても人気でなかなか予約が取れないのだが、
真也は早くからここを押さえておいてくれたらしい。

テラス席は少し肌寒いが、一面に金色に染まった銀杏並木を見ながら、
昼間から白ワインで乾杯する気分は最高だった。


「何だか、とても豪華な景色よね。空まで続く金のカーテンみたい。」

「そうだな。陽があたると、金色のグラデーションが映えて余計にきれいだ。
 後で少し、散歩しよう・・・」


うっすら紅色に染まった真也の顔には、
連日の疲れを感じさせない程、生気にあふれていた。


「うふふふ・・・。真也、もう顔が赤い・・・」

「困ったな。酒が弱いってほんとにカッコわるい。

 ワイン一杯でこんなだから、どうしようもないよな。
 だからって、練習して飲めるようになるもんでもないし・・・」


二人で食事に行っても、真也はワインもビールも一杯がせいぜいで、
ためらいながら、酒のお代わりを頼むのはいつも美奈の方だった。


「真也の赤くなってる顔って可愛いから、襲われないように気をつけてね。」

「僕が襲われるの?
 確かに酒を飲んで送って行って・・・て言う送り狼にはなれないな。」

「うん、お酒を飲んで送ってもらって・・・じゃ、難しいわね」


美奈はコロコロと笑ったが、真也はちょっと憮然とした顔付きだった。




二人で腕を組んで、ゆっくりと銀杏並木を散歩する。
風がないので、一面の銀杏の葉は頭上で静かに沈黙したままだ。
足元に落ちた葉だけが、かさかさと音を立てる。

黄金の屋根の隙間からのぞく、透明な青空を見上げながら歩いていると、


「きゃっ!!」


銀杏の葉の重なった上をズルッとブーツの底が滑り、
思わず真也の腕にしがみついた。


「あっぶないなあ・・・ここで尻餅ついたら、お尻が青くなるぞ。」

「・・・・」

「銀杏の葉は油分が多いから、ちょっと濡れたりすると滑りやすいんだよ。」


年上らしく諭す真也がちょっと憎らしくて、美奈はそっぽを向いていた。


「なあ、美奈・・・」


真也が美奈の肩を抱いて、強引にこちらを向かせる。


「誕生日の夜、二人で会えなかったのを本当に怒ってない?」


真也の言葉で、美奈の気持ちを思いやってくれているのがわかり、


「うん、怒ってない。
 だって、今がどんなに忙しいかよくわかるから・・・」


素直な口調で答えることができた。


「そう言ってくれてありがとう。
 僕がもし今本社の方にいたら、まだ新ラインのチーフなんて
 絶対に任せてもらえなかったと思う。

 責任も仕事の量も多いけど、これだけやりがいのある仕事なんて、
 本社にいたらいつ回ってくるかわからない。
 このブランドの若くて元気なところも気に入ってるし、
 会社全体がまだ若い感じで、物事が言いやすいのもすごくいい。」

「そうね。
 わたしなんか、本社にいると、
 あの最新オフィスの雰囲気と人の多さにすくんじゃうの。
 本社で採用されたのに、すっかりこっちになじんじゃった。」

「本社のビルは確かに最新だけど、古い体質や考えがまだ残っているからな。
 こっちの会社はビルは古いけど、中身が新しくて風通しがいい。
 最初、ボロくてびっくりしたけど・・・。」


真也は屈託なく笑った。


「美奈にプレゼントがあるんだ。今、渡したい。いい?」


美奈は視線をあげ、真也に向かって「ん」と頷いた。

二人で近くにあったベンチに座り、
真也はジャケットの内ポケットから、小さなピンク色の包みを取り出して、


「誕生日おめでとう。気に入ってくれるといいけど・・・」


そっと美奈の掌にのせてくれた。

美奈が尋ねるように真也の方を見ると、小さくうなずいたので、
ピンク色の包にかかるチョコレート色の細いリボンをしゅる、とほどき、
包みから現れたグレーのジュエリーボックスを開ける。

キラリと秋の陽射しを受けてシンプルなリングが現れた。

空の一部を閉じこめたような青い石が中央に四角くひとつ嵌っている。


「わあ、きれい!」


掌の上でそっと転がすと、真也がつまみあげて美奈の薬指にはめてくれた。
が、左の薬指では少しリングが回ってしまう。

美奈はため息をついて薬指から外し、右手の薬指にはめて、真也に見せた。


「ほら、こっちだとぴったり!」


真也は少し残念そうな顔をしたがうなずいた。


「右手、ね。」

「左手だと中指にぴったり。ここにしようかな。
 それとも右手の薬指がいいかしら。
 でも右手だとどうだろ・・・」


美奈は指輪を外して、次々に違う指にはめてみながら、
その度に真也に見せた。


「好きにしなよ。」


真也がついに、前を向いて噴き出してしまう。
その照れたような優しい横顔を見るとたまらなくなって、


「真也、どうもありがとう。すっごく嬉しい贈り物よ。」


真也の肩にそうっと手をかけて、頬にキスをしようとしたら、
いきなり真也が振り向いて、ふたりの唇がやわらかく触れ合った。

真也の腕が美奈に回されて、一瞬二人はぴったり抱き合ったが、
黄金色の空の光がまぶしくて、ずっとそうしているには明る過ぎた。

お互いにそっと視線を交わすと、どちらからともなく立ち上がり
またゆっくり歩き出した。

今度はずっと真也の腕が美奈の肩に回されたままだった。





真也の部屋にまだ明るさの残っているうちから、
美奈の白い肌が真也の手の中で、うす紅に染まっていった。

贈られたブルー・トパーズのリングひとつを身につけて、
美奈はとろとろに溶かされていた。
白いシーツの中で、石の青さだけが時折二人の肌の上にきらめく。

服を着ている時のてきぱきした様子とは違って、
裸になった真也はベッドの中でじわじわと美奈をのぼらせた。

歯がゆいほどじっくりと美奈を愛撫し、美奈の目が潤み、熱い吐息がもれて、
切なく真也を求めるように見つめるまで、ゆっくりと愛して、
その後は美奈が息も絶え絶えに降参するまで、
果てしなく責め続け、決して止めなかった。

二人の年齢差はたった二つなのに、
ベッドの上で美奈を支配しているのは常に真也だった。

真也に抱かれるまで、こんな思いをしたことなどない。

触れられる度に、肌にしるしを付けられる度に、要求通りに動く度に、
どんどん別の女になっていくようで、美奈は自分でも恐ろしく思う。

ベッドにいる時の真也を見ていると、この人の中に、何かもっと別の
したたかで、貪欲な生き物がうごめいているのではないかと思ったことがある。

決して満たされることの無い飢え。

美奈が感じる、真也のわからない面だった。



二人で長いこと絡まり合ったあと、真也の腕の中でぐったりと体を預けていると、
また元の限りなく優しい恋人に戻って、美奈の頬にキスを落としながら、
そっと抱きしめ、眠らせてくれる。

神話に出て来る、無垢な若い恋人同士のように、裸のまま、
二人で至福の眠りに落ちて行く。

美奈のまぶたの裏に、昼間見た黄金色の景色が広がっていた。

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