AnnaMaria

 

琥珀色のアルバム  4. 声の記憶

 

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コスメブランド「KAtiE」、来春の新ライン立ち上げをにらみ、
プロジェクトにかかわるメンバーは加速度的に忙しくなっていった。

広告を打つ雑誌媒体の選択、イメージモデルやカメラマンの選別、
実際に店頭で配るパンフのコピーチェック等など、数え上げればきりがない。

美奈も忙しくなったが、真也の忙しさは更に凄まじいもので、
美奈の誕生日の週末を二人で過ごしてからは、全く休日が取れない。

社内を飛び回っている姿は目にするものの、顔を合わせて話す機会もなく、
以前はまめにくれていたメールも、返信すら滞りがちだった。

それでも、真也の顔に表れている充実感を見ると、
今、彼がどんなにこの仕事に打ち込んでいるのかがわかる。


頑張って欲しい・・・。


そう思いながらも、気が付くと、つい指輪を触ってしまう。
会えない寂しさを、薬指に灯るブルートパーズの輝きが癒してくれるように思うから。





「美奈さん、今日のスタジオ入りは大丈夫ですか?」


新規プロジェクト企画で後輩の長田が、美奈のデスクまで確認に来た。


「ん、大丈夫。夕方からよね?」

「5時からで申し訳ないって、代理店の綿貫さんが言ってました。
 その時間じゃないと、音楽ディレクターの予定が取れなかったんだそうです。」

「平気よ。今日はそのつもりで仕事片付けてるから。あとは誰が来るの?」

「こっちは芳賀さんと僕と美奈さん、
 向こうは、ディレクターとして綿貫さんと加澤さん、かな。
 音楽ディレクターとミキサーがひとりずつ来ます。

 じゃ、僕は外出先から回ってスタジオで待ってますから。」


店頭に置く、イメージビデオの音入れだ。
美奈はこれまで、音入れの作業に立ち会ったことがなかったので、
楽しみにしていた。

近頃、まともに顔すら見られない真也も来るし、
もしかしたら、帰りに二人きりの時間も少しは持てるかもしれない。
そんな淡い期待を持ちながら、美奈もひたすら仕事を片付けて行った。




外苑前の会社を出たのは4時前だったが、
スタジオのある東銀座に着く頃には、晩秋の日は暮れかけて、
行き交う人の姿がシルエットとなって浮かび始める。

スタジオは古いビルの上にあり、
古色蒼然としたエレベーターがぎぎっと上昇すると、
美奈は思わず、到着階のランプを確かめた。

美奈は15分前に着いたが、音楽ディレクターは大きなCDボックスと共に
サウンドブースに入ってもう作業を始めており、綿貫も加澤も既に来ていた。

真也の姿だけがまだ見えない。

5時になった処で、綿貫が全員を紹介し、あいさつを済ませた。

さっそく新ブランドのライン毎に作られたイメージ映像を流し、
それにディレクターが予め用意してきた音楽をのせてみる。

音楽が変わると、流れている映像のイメージががらりと変わって見えるのがすごく面白い。

ナレーションが入るのは、音入れの後になるので、
映像にのせて、美奈の隣で長田が原稿を読み上げていた。





「綿貫さん、読んでくれませんか。」


長田が急に原稿から顔をあげて綿貫に声をかけた。


「僕が、どうして?」


ソファの一番端に腰を下ろし、じっと作業を見守っていた綿貫が鋭くこちらを向いた。


「だって、ここ、甘い男の声で始まるシーンでしょう。
 綿貫さんの声甘いし、
 映像と音楽とナレーションの3つそろった所を聞いてみたいんです。
 協力して下さいよ。」

「あ、わたしも聞きたいです!」


美奈もおもわず、声を出してしまうと、
綿貫がきっと目の端でにらんでくる。


「僕も聞きたいっすね。
 綿貫さん、言うこときついですけど、声は甘いですから・・・」


同じ代理店の若手の加澤にまで言われて


「お前まで・・・」と小さく呟き、ぎろっと加澤をねめつけた。


うふふ。昔とおんなじこと言われてる


美奈はおかしくて、くすくす笑った。


「しかし、僕は素人ですし・・・」


ためらっていると、ブースの向こうから声がかかった。


「いいじゃん、綿貫さん、やってよ。
 その声で女の人起こしてよ・・・」


頼む、とブースのガラス越しに、音楽ディレクターから片手で拝むようにしてまで言われ、
綿貫はしぶしぶながら原稿を取り上げた。




「キューが入って、5秒数えてから入って・・・」

「・・・わかりました」


覚悟を決めたらしい綿貫が返事をした。


ディレクターが3、2、1でキューを出すと、
アコースティックなサウンドが流れ始め、かすかに鳥の声が混じる。

ビデオ画面には、ぐっすり眠っている女性の顔に、朝の光が降り注ぐ映像が映る。


「おはよう。
 起きて・・・。目を覚ましてごらん。
 朝が来てるよ・・・・。」


画面の女性の頬に男性の大きな手が触れて、女性がうっとりと目を開き始める。
目を開けた女性のあごをなでるように男の手が動き、


「君の・・・すべすべ。

 大好きなんだ。」


女性が気持ち良さそうに目を閉じてうっとりしている。


「さあ、起きて。君の好きなフルーツを用意したよ。

 起きて、僕に笑顔を見せて・・・」


画面の女性の手を男性の手が引っ張って、体を起こす。
女性はミルク色のキャミソール姿だ。

起き上がってテーブルのところまで来た女性が、
皿に盛られた、赤いラズベリーをひとつつまんで唇にしばらく当て、
やがて唇を開いて、味わうところがアップになる。

唇の色とラズベリーの色がシンクロしている。

女性が白っぽい光の中で、フルーツをつまんだまま、
ちょっといたずらそうに微笑んでいる。


「朝の光の中で、君はフルーツよりみずみずしい・・・」


男性らしいシルエットが彼女を抱きしめるところで、音楽がフェイドアウトして、
イメージ映像が終わる。

終わると、美奈も長田も加澤も思わず拍手していた。
ブースの中のディレクターもミキサーも拍手している。

綿貫はちょっと憮然とした顔で立っていたが、
あきらめたように小さく頭を振ってソファに戻った。


「全く・・・顔から火が出そうですよ。」


苦虫をかみつぶしたような顔で言ったのが、おかしくて我慢できず、
美奈はソファにつっぷして笑ってしまった。


「美奈さん、ダメですよ。
 女の人にそんなに笑われたら、綿貫さん、自信なくしちゃうじゃないですか。」


長田が思わずたしなめる。
綿貫の渋い顔を見ると、また笑えてくるのを必死にこらえて、


「すみません。
 このスキンケア製品を使うと、お肌がすべすべになって、
 あんな素敵な声の男性が起こしてくれるかもしれないって考えると・・。
 いいです!絶対、買いたくなっちゃうと思います。」


ちょっとわざとらしかったが、目に涙をためたまま、美奈も思いっきり褒めておいた。



これ以降、男声のナレーションは綿貫が、女声は美奈が読み、
BGMをひとつひとつ一緒に検討していった。

途中でやっと真也も合流し、比較的年の近い者同士の気軽さで
忌憚なく意見を言い合う。

おかげで、全員の気持ちが製作に前向きになり、
新ラインにかかわる者同士としての一体感が生まれたようだ。





7時半に軽食のサンドイッチとコーヒーが出て、しばらく休憩になった。

座りっきりの体を伸ばそうと、美奈がエレベーター横のホールに出ると、
綿貫がちょうど携帯を閉じて、内ポケットにしまった所だった。


「あ・・の、綿貫先輩・・・」


おずおずと美奈が声をかけると、ちらと目を上げて、


「ああ・・・久しぶりだったな。」


なんだ、やっぱり忘れ去られてたわけじゃなかったのね


美奈はほっと息をついた。


「その言葉、もっと前に言うべきだったんじゃないですか?」

「そんな余裕が無かったんでね。」


美奈を見返す顔がほんの少しほどけたところへ、真也がやってきた。


「ああ、ここに居たんだ、美奈。
 綿貫さん、お疲れさまです。」


綿貫にぺこりと挨拶すると、美奈に向き直り、


「美奈、この後打ち合わせが入ったんだよ。

 パンフの方のコピーが今上がったって言うから、
 悪いけど、代理店の加澤君にも付き合ってもらって、
 今日中にチェックしたい。
 これから、二人で会社に戻る。
 美奈は大丈夫だよね?後を頼むよ。

 じゃ、綿貫さん、そんな訳で加澤君をお借りします。
 遅く来て途中で帰るのは申し訳ないが、後をお願いします。」

「わかりました。こちらこそ、加澤をお願いします。」


綿貫が頭を下げた。


今日こそは、二人の時間が取れると思ったんだけどな


美奈は内心の失望を押し隠し、真也の背中を黙って見送ると、
救いを求めるように、薬指の青い石に触れる。

綿貫は美奈の様子を横目に見ると、
黙って先にスタジオ内に戻っていった。





スタジオの中で、ブース外にいる人間は、美奈と長田と綿貫だけになった。
ブース内では、音楽ディレクターとミキサーがもう作業を開始している。

イントロを細かく切ったり、ラストをフェイドアウトさせたり、
先ほどのナレーションの時間に合わせて、細かい仕上げをしているようだ。
曲もほとんど決まり、残りの2曲を、幾つかある候補から決めた。


「もう一度通しで、さっきの綿貫さんのナレーション入りの奴、流します。」


ブースからディレクターの指示が入る。


音楽が流れ、映像に綿貫の甘い声がかぶり・・・
美奈は聞いているうちに、うっとりしてしまう。

同時に、過去に見たある場面が鮮明に蘇ってきた。





美奈が新入生の年の広告研究会「4年生追い出しコンパ」。

その年の4年生は大学院に残るひとりを除いて、
卒業前に全員の就職がほぼ決まっていた。

4年生の顔には、ほっとした反面、
これを最後に思いっきり騒いでやろうという覚悟が見えて、
ただでさえ賑やかな酒宴が、今や馬鹿騒ぎに転じていた。

2次会になると酒量もぐんと増え、かなり酔っぱらう者も出て来た。


「かおりさん、大丈夫ですか?」


2年生の男子学生が、幸田かおりの隣から顔を覗き込んでいる。

ふだん飲んでもほんのり顔を赤くする程度のかおりが珍しく酔って、
今はやや気分が悪そうに、額の部分に両手を当てて頭を肘で支えていた。

その男子学生と、かおりを挟んで反対隣の3年生の女子学生が、
かおりの腕を取って支え、席を立たせてどこかへ連れていった。

外の風にでも当てようとしたのかもしれない。

綿貫は例によって、ちらっとそっちを見たきり、他の4年生との議論に夢中で
腰を上げようとはしなかった。


大分経ってから、かおりが店内に戻って来たが、
真っ直ぐに立っていられず、
入り口近くのベンチに3年生の女子に腕を抱えてもらって、
やっと座っている様子だった。


「直人・・・」


という低いつぶやき声が、ひそかに美奈の耳に聞こえたような気がした。
周りを見回した者が他にもいたから、きっと他の者にも聞こえたのだろう。

先ほど、かおりを連れ出した男子学生が綿貫の側に屈み込み、
「綿貫さん」と小さく呼ぶ声に振り向くと、
男子学生が指差すかおりの方を見て、


「ああ。
 しかし、ここで抜けるのは・・・。まだ途中だし。」


と、ためらった声を出した。


綿貫と話をしていた4年生が事情を察して、


「いいよ、行け。
 かおりだってもうじき卒業する。今日が最後なんだ。
 世話してやれよ。」

「しかし・・・」


尚もしぶる綿貫に、周りからも


「いいから早く行け!たまにはちゃんと面倒見ろ」


と言う声が次々とかかり、
綿貫も覚悟を決めたように立ち上がり、かおりの座るベンチの前に行くと


「かおり・・・」


ふだんよりも柔らかい、低い声で恋人の名前を呼び、
隣の女子学生に代わってかおりの脇から腕を差し込んで立ち上がらせ、
ぐらりとよろめいた彼女を、肩を抱いて支えた。

綿貫がかおりの名前を呼ぶのを、美奈は初めて聞いた。


「じゃ、すみません。お先に失礼します。」


綿貫は店に残っている4年生にいつも通りの声をかけ、
しなだれかかるかおりの肩をしっかり抱きかかえながら、
店の外に出て行った。

二人が出て行くと、何となく皆の間からため息が漏れた。

綿貫にもたれかかったかおりの、安心した、どこか陶酔したような表情に、
普段とまるで違う大人の女性の一面を覗いた気がして、
見ている美奈までが切なくなった。

かおりを抱いていながら、相変わらず冷静で、
仕事でもこなしているような態度の綿貫だったが、
かおりを見る目に少しだけ優しさが見えた。

何より、恋人の名前を呼んだ、あの甘い声はいつまでも耳に残る。
 
美奈が恋人らしい二人を見たのは、この時一回だけだった。

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