AnnaMaria

 

琥珀色のアルバム  12-1. ぬくもり1

 

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タクシーが止まるのを感じて、美奈は自分がうとうとしていたのを知った。

こんな風にすぐに意識を無くしてしまう程眠りたいのに、
ベッドに入ってしまうと、まるで眠れない。

怖い夢ばかり見ては目を覚まし、その夢に戻りたくないと願いながら、
それでも更にざらついた現実には、もっと戻りたくないと考えると、
しまいに、吐き気がしてくるのが常だった。




綿貫の部屋に入ると、如何にも男の部屋らしく、
適当に雑然とした印象だった。

本棚が充実しているのが目に入った位で、あとはよくわからなかったが、
外の冷えきった空気と違う空間にほっとしていた。

綿貫はコートだけ脱ぐと


「コーヒーでも煎れる?」

「コーヒー?」


その単語の意味が頭に浮かんでくるのに、しばらく時間がかかった。


「要らない・・・」

「では、水は?」


水?ああ、そう言えば喉が渇いている、ひりつく程に。


「お水を・・・頂きます。」


コートも脱がずに立ったまま、美奈は答えた。

綿貫から水をいっぱいに満たしたグラスを渡してもらうと、
そのまま、一気に全部飲み干してしまった。


「おいしい・・・」


少しだけ戻ってきた現実感に戸惑いながら、テーブルに空のグラスを置く。

綿貫は少し笑ったように見えた。


「落ち着いたか?」


落ち着いた?わたし、落ち着いているんだろうか・・・。

寒い。

さっきわたしの隣にあった筈の温もりは
どこへ行ってしまったんだろう・・・。


思わずあたりをきょときょとと見回し、
背中のあたりに感じる寒気にふるえ、
自分で自分の腕を抱きしめるようにしてしまった。


どこにもない・・・・。


「美奈・・・」


近くで声がして、美奈の肩のあたりから、
電流のように温かさが伝わってきた。


わたしが欲しいもの。


美奈は自分の肩におかれたぬくもりを探ると、綿貫の手だった。

その温もりにすがるように、その手を胸に引っ張って両手で抱きしめると、
背中までが一面に温かいものに包まれた。

背中から押し寄せる、温かいエネルギーにうっとりと目を閉じて、
体を包んでいく感覚を味わう。


「気持ちがいい・・・」


自分を確かに支えてくれて、
抱きしめてくれる胸の温かさに、また涙がこぼれそうになった。

そのまま、美奈の体が反転して、
今度こそ、すっぽりと綿貫の腕の中に収まる。

頬に触れる、彼の首筋が温かくて、滑らかで、
何度も顔をこすりつけてしまう。

背中を温かい強い腕がゆっくりと滑っていく。

彼の体からあふれだすエネルギーを、もっと直に感じたくて、
自分の指を、彼の手からカフスを外した袖口の中へと滑らせ、
その奥の手首の上まで、肌をゆっくりさすり上げる。

何度もやっているうちに、不意に手をつかまれて止められ、
代わりに柔らかいふっくらとした唇が、そうっと美奈の唇に触れて来た。

目を閉じて、その優しい甘さを味わってみる。

ためらうように、何度も唇の上をやさしく擦るように彷徨い、
何度目かにぴたりと合わさると、甘い蜜のような熱いものが
そっと美奈の口に入り込んできた。

おどおどと口の中を動き回ると、またすぐ戻ってしまう・・・。

少しだけ大胆に入ってきたところをつかまえて、美奈の方からそっと絡ませた。

舌からさえ感じる、彼のエネルギーが、
どんどん体の中に流れ込んできて、その交流が美奈を陶然とさせる。


この人が欲しい・・・。


だから、何度目かに唇が離れて、綿貫の体の中に全身が包まれた時、
震えながらも正直に告げた。


「お願い、わたしを・・・」


美奈を抱きしめている体は温かく揺らがなかった。
が、何の返事も聞こえてこない。

聞こえなかったのか、と思い、ふと顔を見上げると、
自分を見つめている、強い視線にぶつかる。

美奈はその目の中に自分の求める答えを探そうとしたが、
綿貫はふと視線をゆるませると、
もう一度美奈を柔らかく抱きしめ直した。


「美奈・・・お前が後悔する。」


どうして?どうしてわたしが後悔するの?
わたしがこんなに望んでいるのに・・・


美奈はその問いを瞳にこめて、ひたと綿貫を見つめた。


「後悔なんか・・・しない。」

「美奈・・・」


美奈には、綿貫がかすかに微笑んだようにも見えた。


「もう、言うな・・・」


美奈はもう一度、必死で綿貫の体にしがみついた。


ここから、離れたくない。
やっと見つけたのに・・・


「離れたくないの。離さないで下さい。
 ずっと一緒にいたいんです。」


どもりそうになりながら、訴える美奈の唇が今度も塞がれた。

さっきより、強く押し付けられる唇。
さっきより、激しく絡み合う舌、腕と腕、背中を滑り降りるてのひら・・。

唇を塞がれたまま、美奈のコートが滑り落ちた。

そのまま、美奈の体がふわっと重心を失い、綿貫の腕に抱き上げられて
奥の冷たいベッドにのせられる。




「一人で眠れないなら、ここで眠ったらいい。ずっと俺がついている。」


綿貫は上着を脱いでネクタイを外し、ソファを指差すと、


「俺はそこにいるから・・・安心しろ。」


そう言って美奈のそばを離れようとした綿貫の手を、強く握った。


「行かないで。ここにいて。
 あなたに触れていたい。
 お願いです・・・。」


綿貫はベッドに座ると、美奈をぴったり抱きしめた。


わかった。ずっとここにいる・・・


美奈はすがりつくような目で綿貫を見ていたが、
自分から彼の胸の中に入り込み、
背中に手を回してぎゅっと抱きついた。

そのまま、二人でベッドの中にゆっくりと倒れ込む。



大きくて繊細な手が美奈の首すじをなでる。

首すじから、肩へ、背中へと手を伸ばし、
ゆっくりゆっくり撫でさする。

美奈の体の中を温かい波がゆっくりと通り抜け、
綿貫から伝わる熱を感じて、陶然となった。

美奈が指を伸ばして、彼のシャツのボタンをひとつひとつ開け、
その中に忍び込むと、堅く張った筋肉に手を這わせる。

彼の手触りを直接感じたくて、
美奈の手が何度も胸の上を這い回る。

綿貫の口から、くぐもった呻き声が漏れた。


もっと、もっと・・・


美奈が目の前の胸に顔を近づけ、口づけようとした時、
綿貫が美奈の手首をつかんで止めた。

美奈の瞳が問いを発して、見あげる。


「これ以上は止めよう。
 お前には今、眠りが必要なんだ。」

「でも・・・」


こんな形でどうやって眠れ、というのだ?

すでに体中が熱く、どくどくと脈打って、
目の前の熱い躯を欲しがっているのに。


「眠れないの・・・」

「知っている。俺が眠らせてやる・・・」

「こんな状態じゃ、よけい眠れないわ。」

「眠るためだけに、ヤケを起こすな・・・。」

「でも、あなたが欲しいの・・・」


両腕を背中に回してしがみつくと、
綿貫がその上からさらに大きな体で包み込み、
美奈の背中をゆっくり撫でて、揺らしてくれた。

頬と頬を重ね合わせ、何度も何度も口づけをしてくれる。

やっと落ち着いてきた美奈の傍らから、
低い声が聞こえてくる。


「俺だって、美奈が欲しい。
 だが、こんな形でお前を抱きたくない。
 お前の中には、まだ沢山の整理しきれていないものが渦巻いているだろう。

 どうしても俺が要るなら、ずっとここにいるから、
 今だけは何もかも忘れて眠れ。」

「そんなことできない・・・」

「できるさ・・・」


美奈の頭をそっと引き寄せ、


こうやって俺の胸に耳を当てて・・・


美奈はその通りにした。


俺の心臓の音が聞こえるか・・・。


綿貫が囁きながら、美奈を胸の中に強く抱きしめた。


目を閉じて、鼓動を二つずつ、ゆっくり数えて・・・


耳に響いて来る柔らかい声に、美奈は抗いようもなく従った。



目を閉じると、自分の全身を包んでいる彼の体から、
また温かいエネルギーが流れ込んでくる。


気持ちいい・・・
 
 
トクトクトクトク・・・

トクトクトクトク・・・

ああ、体が溶けて舞い上がっていくようだ。


美奈はうっとりして、もっと確かに綿貫の存在を感じたくて
目の前の肌から手を這わせて、胸をたどり、
そのまま締まった腹の方へと、ずうっと直に撫でていく。

かすかに笑ったような気配がして、
美奈は目を開ける。

と、綿貫の大きな手が美奈のまぶたをそっと撫でて、
唇を落としてくれた。


目を閉じていろ・・・
それから、これはストップだ。


美奈の手首が柔らかくつかまれた。


「どうして?」

これ以上、俺を煽るな・・・。


美奈・・・と、低く囁く声。

何度も何度もわたしの額に、頬に、顎に、唇に
柔らかい口づけが落とされる。

かすかな、羽が触れるような感触・・・。


美奈・・・


わたしの深い記憶の底にあった、あこがれの声。
今はこんな近くから、あなたの胸から直接響いてくる・・・。


このまま、眠るんだ・・・


美奈はその声の導く通りに目を閉じると、大きな何かに包まれて、
何日ぶりかの夢の世界へとゆっくりと漂い出した・・・・。

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