AnnaMaria

 

琥珀色のアルバム  12-2. ぬくもり2

 

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白い、眩しい光を感じる。

温かい波の中で揺られているような夢を、ずうっと見ていた。
遥かに遠いところから、自分の意識がゆっくりと戻ってくる。


ここはどこだろう・・・


ずいぶん久しぶりに眠ったようだ。

目を開けて、見慣れない部屋の様子に戸惑った。

自分のかたわらの白いシーツがぽっかりと空いて、
誰もいない・・・。

手で自分の隣のシーツを探ると、まだほんのり温もりがある。

誰のベッド・・・?

と、一瞬、いぶかしんだ後、大慌てで体を起こした。

服を着たまま眠ってしまった違和感と
ついに眠り込んでしまった場所を思い出し、赤面し、狼狽した。

ベッドサイドテーブルの上に、デジタル時計と
掌に納まるくらいの木彫りの猫がいる。


アンティークかしら・・・。


長い年月、人の手に撫でられて黒光りしているようで、
鋭い彫り後がなだらかになり、丸くなって眠っている猫。


うふふ、面白い。
猫が好きなのかしら?・・・


美奈は猫を戻してベッドから起き上がると、
立ち上がってカーテンをいっぱいに開け、部屋の中を見渡した。





綿貫の城。

昨夜ここに着いた時にはほとんど何も目に入らなかったが、
朝日が部屋中にまぶしく溢れている今は、ゆっくり見ることができる。

カーテンからこぼれる白い光が、
鋭角的な線を描いて、床の上に、
明るい平行四辺形を浮かび上がらせている。

部屋の壁一面に本棚が二つ。

画集、雑誌、ハードカバーの小説が何冊かと、
広告関係の本や資料がぎっしり並んでいる。

キッチンの隣に二人掛けのダイニングテーブルと、布張りのソファ、
大きなスピーカーとステレオコンポのセットがあった。
部屋の一番奥にベッドが寄せられている。

どれもシンプルで、木のテーブルと本棚以外は全て白で統一されていた。

綿貫の姿はない。

美奈はあわててベッドを簡単に整えると、洗面所で顔を洗い、
メチャメチャになっている髪をなんとか撫でつけた。

このまま、バッグを持って逃げ出そうかとも思ったが、
主のいない部屋を鍵もかけずに放っておくわけにも行かず、
落ち着かない気持ちのまま、ソファに座って本棚を見渡していた。





がちゃり、とドアの鍵を開ける音がして、
思わず美奈は飛び上がった。

綿貫がビニール袋を下げて、入ってくると美奈を認めて、


「目が醒めたのか。おはよう・・」

「お、おはようございます。」


美奈はどぎまぎして、綿貫の顔がまともに見られなかった。


「あの・・・昨夜はご迷惑をおかけしました。
 泊めて下さってありがとうございます。」


へどもどと言葉を並べる美奈を、綿貫は面白そうに見ていたが、


「別に迷惑はかけられていない。
 眠れたのか?」

「ええ、久しぶりに・・・」


美奈はあたりを見回して、何だか生まれ変わったような気持ちがした。


吐き気がしない。
体がゆったりとして、気持ちがいい。

朝の柔らかい光をいっぱいに浴びて、
体の中から細胞が覚醒していくようだ。

美奈は嬉しくなってにっこりと微笑んだ。


「少し元気になったみたいだな。」

「ええ、綿貫さんのお陰です・・・」


綿貫は抱えていた袋をキッチンに置くと


「コーヒーを飲む?
 後はあまり何もないんだ。
 牛乳とりんごだけ買ってきたけど・・・」

「いつも朝ご飯は食べないんですか?」

「ほとんど食べない・・・。
 牛乳を飲んだり、パンぐらいかじることもあるが。」


美奈はまた笑いたくなった。


「なんだか、綿貫さんが普通の人みたい・・・。」

「なんだ、それ。普通に決まってるじゃないか。」

「超人、綿貫だと思っていたから。
 朝ご飯に朝食ゼリーなんか流し込みながら走ってるとか・・・」


美奈は言いながら、おかしくなってまた笑った。

綿貫は怒らなかった。

一緒になって笑うと、すらりとした銀のケトルに水を入れて火にかけ、
コーヒーミルに豆を入れて、スイッチを入れた。

ぎゅわ〜ん、ぎゅわわわわ・・・

ミルが豆を砕く音が部屋に響き渡る。

「すごい音・・・」美奈は驚いたが、

綿貫は手を止めず、コーヒーポットにフィルターを乗せ、
引き終わったコーヒーの粉をフィルターに入れると熱湯を丁寧に注ぎ出した。

コーヒーの香りが部屋いっぱいに広がる。


「毎日、こんな風にコーヒーを煎れているの?」

「いや、休日くらいだ。
 たまに飲みたくなって煎れることもあるが・・・。」


どうぞ、と真っ白いカップに入ったコーヒーを差し出された。


「牛乳も砂糖もあるぞ。」

うふふ・・・。

カップを取り上げながら、美奈が思い出し笑いをした。


「昔、綿貫さんに、にっが〜いコーヒーごちそうになりましたね。」

「覚えてたのか」


自分もカップを取り上げながら、綿貫が答えた。


「だって苦くて、ミルクと砂糖なしだと最後まで飲めなかったんだもん。
 怖いから、なかなかそう言えなかったし・・・」

「そうかな。美奈は、ずいぶん好き勝手なことを言ってたような気がする。」

「大学生になったばっかりだったから『大人の味』って思った」

「今は、高校生だってコーヒーくらい飲むだろう。」

「あんな苦いのは飲まないわ。」


美奈はコーヒーを半分飲んで、


「おいしい・・・。すごくいい香り・・。」

「それは良かった。俺の腕がいいせいだ。」


綿貫が微笑んだ。



「わたし、そろそろ帰ります。」

「駅まで送っていこう。」

「大丈夫ですよ。」

「ここに来たことがないくせに、帰り道がわかるわけないだろう。」


美奈が飲み終わったカップを洗おうとしたが、
カップを持ち上げた美奈の手の上に、綿貫が自分の手を置いて、


「このままでいい。」


美奈に微笑みかけた。

何て優しい顔をするのかしら・・・。

美奈は思いがけず、顔が赤くなって来た。




コートを着てバッグを持つと、綿貫の後について玄関へ歩いていく。
靴を履こうとして、振り返ると部屋の奥のベッドが見えた。

体の奥を、またずうんとしびれるような感覚が貫いて、
思わず身震いした。


「どうした?寒い?」


綿貫が心配そうに美奈を覗き込んだ。


「ううん・・・」


美奈は首を振って、次の言葉を何とか絞り出した。


「お願い。
 もう一度・・・もう一度だけ、抱きしめて・・・」


綿貫は何も言わず、美奈の方に体を向け直すと
大きく胸の中に包んでくれた。

美奈の手からバッグが滑り落ち、綿貫の背中に手をしっかり回して
抱きついた。

綿貫の腕にも力がこもり、ぎゅっと抱きしめると
2度、3度、美奈をそのまま抱え上げては下ろして、
愛しそうに頬ずりをする。

温かい胸に抱きしめられているうちに、
美奈の体から、段々力が抜けてくるようで、
立っていられなくなりそうだった。



「もう・・・帰ります。」


やっとのことで美奈が言うと綿貫もゆっくりと腕を解いた。





駅までの商店街は、休日の朝のことで人通りがまばらだった。
眠そうな若者と、きっちりコートを着た女性がぶらぶらと歩いている。

どことなく下町の匂いのする街の中を、綿貫と並んで歩いていった。


「ここを真っ直ぐ行けば駅に出られそうですね。
 うん、これなら一人でも帰れたかも。」

「商店街に出るまでの道がわからないだろう。
 さっき、違う方向へ曲がろうとしてたじゃないか。
 あの道を行くと、駅には着かないぞ。」

「そうだったかしら・・・」


まだ半分シャッターの下りた店の一つに、お客が2、3人たむろしている。


「あれ、何?」

「ああ、有名な鯛焼き屋だ。
 しっぽまでぎっしり餡子が入って旨い。
 いつも行列していて、なかなか買えないけど・・・。」

「へええ、まだやってないんだ。残念だわ。
 今度、買って!」


鯛焼き屋をじっと観察していた美奈が振り向いて、綿貫に言った。


「ああ、そのうちな・・・」


ポケットに手を突っ込んだままの綿貫が微笑んで答えた。

朝日の当たる商店街を抜けると、間もなく駅に着いた。


「じゃな、気をつけて帰れよ。」


綿貫は軽く美奈の肩に触れて、手を挙げた。


「ありがとう。それじゃ・・」


美奈も手をあげて、改札の方へ歩いていった。
一度振り向くと、綿貫がまだ立ってこちらを見ている。

もう一度、手を振ると、美奈はホームへ続く階段を下りて行った。

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