AnnaMaria

 

琥珀色のアルバム  16. 宴の後

 

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綿貫が電話で聞いた店に駆けつけると、
心得た店の者に奥へと案内された。


従業員の荷物置き場のような小部屋の、小さなソファの上に、
酔いつぶれてマグロのように横たわっている体と、
脇に座り込んでオロオロとこちらを見上げている目。


「つぶしちまったのか・・」


綿貫があきれたような声で言った。

途方にくれていた美奈が応える。


「いえ、あの・・・、
 返事がないな、と思ったら、こんな風になってしまわれて。
 連れ出そうにも、どうしていいのかわからないし、
 長田くんや、前田部長の携帯はつながらないしで、

 ・・・ごめんなさい。」

「そう言えば、お前、結構酒が強いって言っていたな。」


綿貫はほっとすると同時に、別の情景がふと脳裏をよぎった。

何ヶ月か前に、見た光景・・・。

床に横たわる芳賀と、その傍らに座り込んで真っ青になっている倉橋。
一瞬、二つの光景が重なる。

しかし、今日は、救急車を呼ぶ必要はなさそうだ・・・
倒れている人間も違う。

金子の喉の奥から、かすかにもれてくる規則的な鼾を聞いて、安堵した。





「知り合いがご迷惑をおかけしました。」


店の者に言うと、隣に現れたバーマンが


「いえいえ、こちらはよくご利用下さるお顧客様なのですが、
 ご連絡先までは存じ上げないので、
 お連れの方を不安にさせてしまいました。」

「精算は?」


綿貫が財布を取り出そうとすると、


「いえ・・・。」


バーマンは手をあげて、綿貫を制した。


「うちは原則として毎回精算ですが、
 さっき申し上げましたように、こちらはお顧客さまでございます。
 こういう形での精算は望まれますまい・・。

 またおいで頂ける事を期待して、
 ご本人から頂いた方が良いように思います。」


真っ白いバーコートを着た、バーマンはそう答えた。


「恐れ入りますが、念のため、
 そちら様のお名刺だけ頂いてよろしいですか?」


綿貫はうなずいて、名刺を渡し、
長々と横たわっている体を眺めた。


さて、どうしよう。俺も自宅までは知らないが・・・。


ふと思いついて、ここのホテルのフロント直通の電話を貸してもらい、
確認すると、案の定、金子の名前で部屋が予約してあった。


やっぱり・・・という思いで、


「迷惑をかけて申し訳ないが、僕の名前でチェックインするので、
 ホテルの人間を一人、こちらに寄越して下さい。」


間もなく、ホテルの制服を着た、フロントの人間が現れ、
金子の顔を見ると、確かに常連である事を認めた。

綿貫はその場で、フロントの人間が持参した、
チェックインの用紙に自分の名前を書き込むと、


「部屋まで連れて行くので、悪いが手伝って頂けますか。」


綿貫とホテルマンの二人で両方から肩を支え、担ぎ上げた。
美奈が後ろから、金子の鞄とコートを持って廊下を付いて行き、
エレベーターに乗る。



金子の予約していた部屋は、広めの落ち着いたダブルの部屋だった。

綿貫とホテルマンがダブルベッドのカバーを外し、
手前側の枕に金子の頭を乗せ、
ぐったりした体を着衣のまま、どうにか横たえると靴を脱がせた。

見ていた美奈は、カバーの下の真っ白いシーツの広さに、はっとする。


「ネクタイはどうしますか。」

「少しゆるめる程度でいいでしょう。いずれ、気が付くはずだから。」


ホテルマンが器用に、寝ている金子のネクタイを緩め、
美奈が運んできた、金子のコートや鞄をデスクに置いた。

3人でドアを閉めて、鼾をかき始めた金子の部屋を後にする。

フロントにも綿貫の名刺を置き、
美奈の持っていた金子の名刺から、本人の名前を記入すると、
後のことを頼み、やっと手続きが終わった。




ホテルを出ると、少し青ざめた美奈が後ろをついて来る。
渋谷の喧噪もここまでは届かない、閑静なエリアだ。

冷たい舗道の上を、公園通りに向かって
ゆっくりと並んで歩いていく途中で、美奈が口を切った。


「助かりました。
 わたし一人では、どうしたらいいか、わからなくて・・。
 ご迷惑掛けてすみません。」

「いや、俺の知り合いでもあるから・・・。」


綿貫がちらりと美奈へ振り向いて答え、
またすぐに前を向いてしまう。

美奈はさっきから気になっていることを、口にした。


「あの・・・あのお部屋って・・つまり・・まさか、その・・・」

「さあな。
 金子さんが時々、どこかのホテルに部屋を取っていて、
 月に何度か泊まる、という話を聞いたことがあったんだ。」

「・・・・」

「いつも一人で泊まっているのかどうかも知らない。

 今日も飲んだ後、泊まろうと思ったのかもしれないし、
 誰かと泊まろうと考えていたかもしれないし、
 そこまではわからない・・・。」


それを聞くと、美奈は少し安心して、


「はあ・・・そうですよね。
 あんな落ち着いた紳士が、わたしのような小娘をどうこうなんて、 
 考えませんよね。」


何だ、思い過ごしだったか、とブツブツ呟いていると、


「金子さんは、確かバツ1だか、バツ2だかで、 
 奥さんが20才くらい年下だったかな。

 前の奥さんと離婚するのに、多少時間がかかったって言ってたし、
 今の奥さんが30前後に見えたから、
 知り合ったのが、奥さんが美奈くらいの年の頃かもしれないな・・・」

「う・・・」

「確かに紳士だが、女性好きでね。
 若めの女性がお好みだったか、俺も詳しくは知らない。」


綿貫が淡々とした口調で言う事態が、
段々胃の中に収まるにつれ、
さっき飲んだ酒が、急に胃の中で暴れ出してきた。

車の往来がある通りに出たところで、道ばたに美奈がしゃがみ込んだ。

大きなベッドに納まった金子の姿を思い出すと、
自分の陥りそうになった穴を見たようで、
一気に酔いが醒めると同時に、気分が悪くなる・・・


何だか、気持悪・・・


タクシーに向かって手を挙げかけていた綿貫が、
振り向いて美奈の側に戻って来た。


「おい、大丈夫か・・・」


座ったまま、首を縦に振る。


「今なら、ぎりぎり終電に間に合うかもしれない。
 一人で帰れる?」


とてもではないが、混んだ終電になど乗れそうもない。
頭がぐるぐるする・・・

首を横に振る。

歩道に手をついてしまった美奈の様子を見て、
綿貫はため息をつき、しばらく佇んでいた。


「少しなら車に乗れそうか・・・?」


うずくまったまま、黙って首を縦に振る。


しょうがないな・・・。


後ろから美奈の脇の下に手を入れて、何とか美奈を立たせ、
自分に寄りかからせると、綿貫はタクシーを停め、
美奈を背中から抱えこんで、車に押し込む。


「幡ヶ谷まで・・・」






車に乗っている間中、美奈は綿貫にぐんにゃりともたれて、
目を閉じていた。

少しでも目を開けると、世界が回り出す。
タクシーが信号で止まるたび、
胃の中を何かがせり上がってくるのを感じる。

やっとの事で車が止まると、精算をしている音が聞こえ、


「降りるぞ・・・」


先に降りた綿貫のコートの腕が、自分を引き上げてくれて、
硬い歩道を足の下に感じた。

目は何とか開けているのだが、夜の道路が暗くぼやけて、
信号が赤く灯っているのが、ぼうっと目に映る。

引っ張ってもらうままに、
泳ぐような足取りで、どこかの部屋の前まで歩いて行き、
目を閉じたまま、綿貫のコートにもたれていると、
鍵のかちゃかちゃと鳴る音が意識の隅で聞こえる。


「美奈・・・」


ひやりとした室内の空気を感じ、部屋が明るくなり、
もう歩かなくていい、と安心した途端、
今度は本格的に、ぐうっと胃の中がせり上がって来た。


「すみません・・・ちょっと・・・」


靴を蹴飛ばしたまま、トイレに駆け込んで何とかドアを閉めた。





結局、小一時間トイレにこもっていて、
半分眠りこんでいたところを、
綿貫にひっぱり出してもらった。

挙げ句に、コートを脱がせてもらい、
背中をさすってもらうやら、
汗びっしょりの額や首を拭いてもらうやら、
散々世話を焼いてもらう結果になった。

今はソファに並んで座り、クッションをお腹に抱えたまま、
グラスに入れてもらったミネラルウォーターをすすっている。

恥ずかしくて情けなくて、顔も上げたくないのだが、
ここまで迷惑をかけてしまうと、
結構、開き直った気分にもなってきた。


「良くなった?」


ミネラルウォーターの入った、大きなグラスに半分顔を隠したまま、
こっくり頷いて、返事をする。


「ったく、お前は・・・
 一体どれだけ飲んだんだ。」

「わかんない。でもあらかた吐いちゃったみたい・・・。
 わたし、まだお酒臭いですか?」

「まあ・・・ね」


綿貫が苦笑しながら、答えた。


「うう、最低だわ・・・。」

「熱いシャワーでも浴びて来いよ。」

「浴びたいけど、今、浴びると溺れそう・・・
 着替えもないし・・。

「着替えくらい探してやる。
 頑張って浴びて来い・・・酒が抜けるぞ。」

「そんな・・また迷惑かけちゃう・・・」

「今さら遠慮しても200年遅い。」


綿貫が立ち上がって、奥でゴソゴソしている音が聞こえると、


「ずっと前から置いてあるパジャマがあった。
 一度も着ていないから、それを着たらいい」

「パジャマ着ないの?」

「着ないな・・・部屋にいる時間が短いし、何度も着替えない」

「ふうん、じゃ、一体綿貫さんは何を着て寝ているの。」


そんなこと、どうだって・・・
と呟きかけたが、クッションの上からはみ出した、
美奈の大きな目がまっすぐ尋ねているのを見て、


「色々だ。
 Tシャツか何かで仕事していて、それで寝たり、
 シャワー浴びて、暑くてそのまま寝てしまったり、とか・・・」

「ふ〜〜〜ん・・・」

「さ、とにかく、シャワーを浴びて来いよ。」


美奈は全く立ち上がりたくなかったが、
ソファの前に立った綿貫に強く手を引っ張られ、
いやいやソファを降りて、バスルームに向かった。


「ここに着替えとタオルを置くぞ・・・」

「はい、ありがとうございます。」

ああ、一体どこまで世話をかければおしまいになるんだろう・・・。


美奈はバスルームのドアを開けながら、ため息をついた。





シャワーから出て髪を拭きながら、
ずるずるとソファに座っている。

大分、すっきりはしたものの、
今度はこめかみの辺りが少し痛くなってきた。

綿貫が替わってシャワーを浴び、やっぱり髪を拭きながら、
ソファに戻ってきた。


髪が濡れて光って、何だかちょっとドキドキする・・・。

彼のパジャマを借りちゃって、
二人ともシャワーを浴びて、ソファに並んで座ってて
こういう光景ってすごく親密な情景よね・・・。

実態は・・・
トホホ・・・情けない。


「髪が濡れたままだぞ。
 もっとちゃんと拭けよ・・・風邪ひくぞ」

「え、何だか頭が重くて痛くて・・・、
 揺らすとちょっとつらいから。」

「拭いてやる・・・」

「え、い、いいです。」


美奈がずるずるとソファの一方の角ににじり寄ると、


「姉貴のところの姪っ子が、実家に泊まりに来ると、
 風呂上がりにパジャマを嫌がって、素っ裸で走り回ってるんだ。
 俺が捕まえて、頭を拭く役なんだよ・・」


ほら・・・と、手を引っ張られて、
「え?」と思っている間に、
大きなバスタオルでゴシゴシ拭き始める・・

頭がグラグラ揺れるたびにかすかに痛む・・・

姪っ子ちゃんと一緒かあ・・。

「う、頭が痛いから、もうちょっと優しく拭いて下さい・・」

「いつもこの位、ゴシゴシ拭いてるぞ。」

「わたしは走って逃げないから、
 すみません、もうちょっと優しく・・・つ・・!」


髪がタオルの中でぎゅっと引っ張られた。
ホントに容赦ない人だ。


「ほら、終わりだ・・・」


美奈のタオルと、自分が拭いていたタオルを持って、
綿貫が立ち上がった。

また新しいミネラルウォーターのグラスを持ってきてくれる。


「ほら・・・」

あ、アリガトウゴザイマス。

何だか、まだお酒が抜けていない気がする・・・

「わたしだけ、お酒臭いのも何ですから、
 綿貫さんも何か飲んで下さい・・・」

「そうしてるよ。」


改めて綿貫のグラスを見ると、
琥珀色の液体が透明な大きな氷に絡まっていた。

カラカラと氷の音。

しばらく、二人でずるずるとグラスの飲み物を飲む。


「怒らないんですか。」

「何を。」

「不用意について行ったって、怒られるかと思った・・・」

「少しは、リスクを認知してるんだな・・・」


綿貫は面白そうに、美奈を見た。


「誰かと飲みに行くのは別に悪い事じゃないだろう。
 酔っぱらって連れに迷惑かけたのも、美奈じゃない。」

「でも今、別の人に迷惑かけてます・・・
 ああ、頭がずきずきする」

少し眠れよ・・・ベッドまで連れて行ってやる。

ダメ、横になったらまた出そう・・・おいおい。

このままでいい・・・眠い・・・。


差し伸べてくれた手を取らずに、
ソファで丸くなったまま、目を閉じる。


「綿貫さん・・・」

「何だ。」

「わたし・・・真也にもう会えないって言いました」

「そうか・・・。
 美奈はそれでいいのか?」

「・・・いいの。
 わたしの中では、もう終わったことだから。」

ぱふ・・・。

いつの間に体がずるずる斜めになって、
何か柔らかい物の上に軟着陸したみたい。

クッションかな。


しっかり抱えようとすると、もっと温かい物が背中にあたり、
頭を撫でてくれた。


気持いいな・・・。


取りあえず、あったかいものを肩越しに引っ張って、
しっかり胸の中に抱え込む。


体の前に、毛布みたいなものがふわっとかけられた気がする。


「お前が酒に強くて良かった。
 弱かったら、今、ここにいないだろうな・・」


わたしの大好きな声がすぐ近くから聞こえる。
この声が聞きたかったんだ。

体を少し回して、温かいものの中に、もっとしっかりはまり込む。

ほんとに気持いい。


どこからか、あの懐かしいトクトクトク・・と言う音が聞こえる。
これはわたしのもの。わたしを癒してくれた音。

離さないわ。


腕を回してぎゅうっと抱きしめたまま、
うっとりと眠りに落ちてしまった。


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