AnnaMaria

 

琥珀色のアルバム  17-1.新しい朝

 

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誰かに腕をつかまれていた。

行きたくないのに、引っ張って行かれる・・・。

ドアが開くと、広いダブルベッドがあって、
無理矢理に押し倒される・・・。

いやだ、絶対イヤ!


「美奈・・・」


絶対に思い通りになんかならない!

頭がヘッドボードにぶつかって、ゴリゴリ音を立てる。
痛い、痛い!


「美奈!」




目を開けると、わたしの手首の上に他の人の手が乗っていた。
すぐ横に眼鏡をかけていない、誰かの顔。

美奈はほっと息を吐いた。


「ああ、綿貫さんだったの・・・」


綿貫がすぐ傍のベッドの上に上半身を乗せて、美奈を覗き込んでいる。


「誰だと思ったんだ?」


不機嫌そうな声がした。


「ううん、誰かと間違えたわけじゃないの。
 いやな夢を見て・・・」


頭を起こそうとすると、ズキッと鈍い痛みが走った。


「痛っ」


顔をしかめて、頭を押さえる。
綿貫が苦笑しながら、


「ずいぶん飲んだみたいだから、どうしたって少しは残るだろう。
 まだ寝てろ。」

「ありがとうございます。
 でも、喉が渇いたから、お水が飲みたい・・・」


ベッドの奥の壁際からごそごそと、綿貫の居る側にずり寄って、
フローリングに足を下ろした。


ほら・・・


綿貫が手を引いてくれたので、よっこらしょ、と
ベッドから立ち上がる。


うわ〜〜、くらくらするぅ・・・。


一旦立ち上がったものの、世界がまっすぐでない感じがして、
また床に座り込んでしまった。


「大丈夫?」

「大丈夫です。でもこのまま、進みます。」


最初、四つん這いでそろそろと床を進んだが、
綿貫が後ろにいるのを思い出して、
何とか半身を起こし、膝立ちでずりずりと冷蔵庫へ向かう。

ミネラルウォーターのペットボトルを見つけて取り出し、


「これ、もらってもいいですか。」

「ああ、どうぞ。」


床に座り込み、キャップを開け、
冷蔵庫につかまったまま、ごくごくごく・・・。


はぁ〜、美味しい。


振り返ると、呆れたような顔で綿貫がこっちを見ているので、


「あ、あの、おはようございます。
 綿貫さんは、眠れました?」

「いや・・・。
 誰かが、がっちりしがみついてて、
 ベッドに運ぶのに苦労した。」


はぁ、そうだったかな・・・まずい。


ペットボトルの残りを飲み干すと、


「か、顔でも洗ってきます・・・」


また、ずりずりと膝立ちで床を進み、洗面所にたどり着いたところで
洗面台につかまって立ち上がった。


きゃあああああ〜〜〜!


美奈の悲鳴に、綿貫が驚いて中に入ってきた。
洗面所の鏡に綿貫の姿が映る。


「どうした?」

「昨日、髪をちゃんと乾かさないで寝ちゃったから、
 こんなにスゴいことに・・・!」


なんだ・・・?

美奈が鏡の中で、片側が大きく立ち上がった髪を指差す。
綿貫が横を向いて、こぶしで口元を押さえたのが見えた。


「だって、左側だけ、こんなトサカが立ち上がっちゃった。
 どうしよう!
 今日はもうずっと直らないかも。」


髪を押さえながら鏡を見ていると、
綿貫の笑っている顔がすぐ横に映る。


「そんなに笑わないでよ!」

「いや、昨日はかつえマジックのせいなのか、
 印象がずいぶん変わって見えたが、
 こうして見ると、昔の美奈とちっとも変わってないな。」


きゃ、やだ!

美奈は髪を押さえていた手を、顔に当てた。


「19や20才の時とは違うわ。
 あんまりしげしげと見ないで下さい!
 あれから、お肌の曲がり角も過ぎちゃったんだし・・・」

「化粧品会社にいるんだろ?
 社員がそんな事じゃ売れないぞ。」


美奈がぶうっと膨れっ面をすると、
綿貫が美奈の背中を、ぽんと触って、
笑いながら洗面所を出ていった。





顔を洗い、あちこち勝手な方向を向いた髪を何とか撫で付けて戻ると、
綿貫がダイニングの椅子に座っていた。


「何か食べたいものはある?」

「う〜〜ん、ポ○リスエットとかが飲みたいです。」

「わかった、買ってくるよ。他には?
 この先に、焼きたてパンのベーカリーがあるぞ。」

「え、ホント?
 パン屋さん、好き!
 一緒に行きたい!」

「その格好じゃ無理だろ?」


美奈は、昨夜借りたパジャマのままだった。


「そうですね・・・」


自分の格好を見直して、しゅんとしてしまう。


「今のうちに洗ってしまったらいい。
 昨日着ていたのは汗だらけだったし、
 乾燥機に入れれば、2時間くらいで乾くだろう。」


美奈の複雑そうな顔を見て、軽く笑う


「俺のと一緒には洗わないから、安心しろよ・・」


いや、そういう問題じゃなくて・・




提案通り、洗濯機の中にカット&ソーと下着を入れて、
ジャーっと言う音が聞こえてくると、
着るものがいよいよ無くなって、よるべない感じだ。
綿貫はとっくに着替えて、Tシャツとジーンズ姿になっている。


わたしだけ、借り物のパジャマって言うのも間抜けだ・・・


綿貫にも洗濯機の回り始める音が聞こえたらしく、


「服が乾くまでここから出られないな・・・」

「う・・・」

「乾かなければ、ずっとここにいる事になる。」


どことなく、楽しそうに言う・・。


「何だか、楽しそうですね・・」 

「ふふ、お前が逃げたくても逃げられない状況って、ちょっと面白い。
 飛んでる小鳥をつかまえたような気分だ」


ん?どういう意味だ。


「じゃ、適当に買ってくる。もう少しベッドで寝てろ・・・
 二日酔いは寝ないと治らない」


言い置くとドアを開け、たちまち外へ出かけてしまった。





よろよろと立ち上がると、何とかベッドを直し、
カーテンと窓を開けて、部屋の空気を入れ替えた。

新しい朝の光に洗われて、
よどんだ夜の空気が浄化されていくようだ。


うわあ、やっぱりお酒の匂いがこもっていたかも・・・
ホント、最低だ。





この前ここに来た時に目についた、木彫りの猫を撫でてみる。

よく見るとうす目を開けている。
如何にも眠そうな顔。

「お前もまだ眠いの?」

くすっと笑って、猫に話しかけた。

「お前のご主人さまの寝顔を、また見そびれちゃったよ。
 いつも、どんな顔で寝てるの?教えて・・・」

猫は横目で、邪魔されたような顔をしただけだった。





洗濯機のジャーっという音が終わって、
うぃんうぃんうぃん・・・という微かな回転音に変わる頃、
ガチャリ、という音がして、綿貫が戻ってきた。

一緒に、パンの香ばしい匂いがぷーんと部屋に漂いだす・・。


「お帰りなさ〜い。わあ、いい匂い!」


美奈が立ち上がって玄関まで行き、
綿貫が持っていたパンの包みを受けとると、
上の部分を開けて、中を覗き込んだ。


「どうしたんですか?」


綿貫がそのまま動かないのを見て、美奈が尋ねた。


「いや。
 何となく部屋に帰ると、
 誰もいなくなっているような気がしていたんだが、
 もちろん、そうじゃないな・・・」


美奈がふくれた顔をして、にらんだ。


「ひっそり帰っていて欲しかったんですか?
 まだ帰れないの、知ってるくせに・・・」

「そうだった・・・」


美奈の顔を見て、かすかに微笑む。

包みを下ろして、パーカを脱ぐと、
ケトルを火にかけ、コーヒーミルを回す。
 
ぎゅわ〜〜、ぎゅわわわ〜〜ん・・・

とつぜん、美奈が笑い出した。
綿貫が振り返る。


「何だ?」

「だって、何度聞いてもすごい音だもん。
 お腹が空いているみたい、このミル。うふふふ・・・」


美奈がすぐ隣で、くつくつ笑っている。


綿貫が棚から取り出した皿を受け取って、テーブルに並べると、
グラスにポ○リスエットを注ぎ、立ったまま、半分くらい飲み干す。

ケトルが沸いて、ドリッパーにお湯が注がれると
コーヒーの粉がぶわあっと膨れ、芳しい香りが立ちのぼり、
朝の空気の中を流れた。

向かいあって座ると、まずコーヒーを味わう。


「う〜ん、いい香り・・・
 綿貫さんの煎れてくれるコーヒー、大好き。」

「コーヒーだけ?」


ふっと切り返された言葉にむせそうになる・・。

カップ越しに綿貫の顔を伺うが、しらっとしたまま、
コーヒーを飲んでいる。


何よ、どういう気?
余裕かませちゃって、何だか、憎たらしい・・・


「何か言ったか?」

「え?ああ。
 コーヒーは好きだけど、綿貫さんは憎たらしいわ。」

「ひどい言われようだ。夜中に助けに行ったのに・・・」


眉をひそめて言われると、しゅんとするしかない。


「そうでした・・・すみません。
 挙げ句にこんなにご迷惑まで掛けて・・・ごめんなさい。
 あの、このご恩は、一生忘れませんから。」

「ふふ、そうだな。
 どうやって返してもらおうかな・・・」


綿貫の目が楽しそうにきらめいた。

言い返そうか、と思ったが、口を尖らすだけにして、
ぷんぷんと焼きたての香りを漂わせている、パンの包みを開ける。


「わあ、おいしそう!」


美奈の目が丸くなった。


「まだ朝だから、それ程たくさん種類はなかった。
 目についたものを買ってきただけだが、
 食べられそうなものはあるか。」


綿貫も首を伸ばして、美奈の手元を覗き込むと、空中で目が合い、


「綿貫さん、先に選んで下さい。」

「俺は何でもいい。
 二日酔い気味の美奈が、食べられそうなものを選んだらいい。」


オリーブオイルの香りが立つ、生ハムとトマトの乗ったものと、
アスパラとチーズがとろけた、2種類のフォッカッチャ。

パリパリのクロワッサンと、
上に芥子の実のついた、小さな丸パンが幾つか。
他に、オレンジの薄切りの乗ったペストリーが一つ。

パンをみつめる美奈の目がきらきら輝いているのを見て、


「お前、二日酔いにしては元気そうだな・・・。」

「え?ポ○リスエット飲んだら、元気になっちゃった。
 ではお言葉に甘えて、わたし、これとコレ!」


綿貫さんのもお皿にのせますね。


生ハムとトマトのフォッカッチャを綿貫の皿にのせ、

いただきま〜す!

自分はすぐにアスパラとチーズにかぶりついた。


「さっきまで頭がずきずきする、と言ってたくせに、
 よく食えるな。」


美奈の食べっぷりを見ている綿貫は呆れ顔だった。





朝食の皿を流しに運び、
綿貫が新聞とコーヒーカップを持ってソファに移動する。

美奈は洗面所にある乾燥機に、洗い上がった衣類を入れた。


これが乾けば、帰れるわ・・・


ぶおんぶおんぶおんぶおん・・・・


乾燥機の中で、わずかな衣類が回り出す。

キッチンの皿をさっと洗い、
あちこちを開けて見つかったクロスで拭くと
しまう場所がわからないので、適当に重ねて置く。

綿貫は、ソファで新聞を読んでいる。
前の小テーブルに、美奈の分のコーヒーも載っていた。


隣に座らずに、本棚の近くのCDケースが並んでいるところへ行った。
5、6段に渡って、CDやDVDがぎっしり詰まっている。


「気に入ったのがあれば、かけていいぞ。」


綿貫が新聞を見たまま、言った。


うん・・・と返事をしたものの、
多過ぎて、どれを選んでいいのかわからない。


沢山あり過ぎて・・・


と呟くと、
パサッと新聞を置く音が聞こえて、綿貫がCD棚の方へやってきた。

美奈のすぐ後ろに立って、しばらく棚を眺めていたが、
背中越しにすうっと手を伸ばして、一枚抜き取り、


「じゃ、これにしよう・・・」


美奈に、ちらと笑いかけた。


一瞬、綿貫の息が首筋にかかり、
美奈は心臓の音が急に大きくなるのを感じる。

スピーカーから、軽快なジャズのメロディが聞こえてくると、
綿貫はまたソファに戻って新聞を広げた。

美奈はまだ立ったままだ。


「こっちで座れよ。」

「う・・ん・・・まだ見てるから・・・」


綿貫が美奈の方へ顔を向け、


「美奈が立っていると落ち着かない・・・。」


あ、はい・・・と答えると、
美奈は一人でキッチンに行き、ダイニングチェアの方に座った。


しばらく、別々の場所で音楽を聞いている。


「美奈・・・」

「はい。」

「コーヒーが冷める・・・」

「あ、はい・・・」


美奈がソファへ歩いていき、
小テーブルのカップに手を伸ばそうとすると、
綿貫の手が、美奈の腕に一瞬触れる。


「きゃあっ!」


カップを持つのを止めて、ソファに倒れ込んだ。


「何だ、何にもしてないぞ。」


綿貫が美奈の驚いた顔を見て、ソファに起き直った。


「うん、でも・・・ここから何か、流れてきたみたい。」


美奈が触れられた方の腕を押さえた。


「何が流れてきた?」

「綿貫さんの・・・何だろう・・気持ちかしら」


綿貫は、じっと美奈に目を据えると、


「俺の気持がわかったのか。」


美奈は大きな目を開いたまま、まじまじと綿貫を見ていた。


「わかったような、わからないような・・・」

「俺は何と言っていた?」


新聞を読んでいた手が美奈のあごに、軽くかかる。


「ずるいわ。自分は掌に語らせて、わたしには言葉にしろって言うの?」

「そうしろと言ったわけではない。聞いただけだ。」


美奈は自分のあごにそえられた、
綿貫の手をそうっと両手で包む。


「ほら、これがわたしの気持ち・・。

 わかる?」


美奈は目の前の顔を見つめたまま、しばらく、そうしていたが、
そのうち綿貫の手をそっと放した。


あごにかけられた手に力が加わるのと、
美奈が目を閉じるのが、ほとんど同時だった。
大きな影がかぶさってきて、唇に、柔らかい優しい感触が重なり、
その甘さに身震いしそうになる。

柔らかさの後に、温かさが、
温かさの後に、湿った、そっと擦れるような感触。

何度も何度も唇で包まれるうちに、
頭の後ろがずうんとなって、気が遠くなりそうだ。


こんなキス、したことない・・・。


束の間、動きを止め、ほんの少し唇を触れ合わせたまま、
お互いの熱い息を唇の上に感じ合う。

そのまま、しばらくじっとしていたが、
また、ぽってりと唇全部が覆われ、
口の中にまで熱い息を伝える、生き物が入り込んでくる・・・


コーヒーの味・・・。


頭の後ろに添えられた手に、しっかりと抱え直され、
さっきより、もっと強く、隙間なく唇が重なった。

どちらの唇がどちらのものかわからなく成る程
ふれ合い、混じり合い、動き合い、絡め合うと、
二人とも息が上がって来る。

それでもまだ離せず、貪るように、お互いの唇を吸い合うと、
ついに、美奈の頭は綿貫の胸の中に倒れ込んだ・・・。

強い腕にしっかりと抱きしめられている。


また世界が回り出した。
二日酔いのせいなのかしら。

つかまらなくちゃ・・・


目を閉じて、綿貫の胸にしがみついた。



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