AnnaMaria

 

琥珀色のアルバム  19-2.イラストレーター

 

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6時前では、2月の街はもう真っ暗だ。

この冬は暖かくて、分厚いオーバーの必要はないけれど、
かつえの行くNYは、ダウンコートがないと生きていけないほど寒いらしい。
会社のそばの、デザイナーズブティックのショーウィンドウに早くも並んだ、
ぺらぺらとロマンティックな春物のドレスを見ていると、
はるかな空の下で行われる、
戦いのようなコレクション会場が目に浮かんでくる。


「小林さん・・・」


ウィンドウの前で佇んでいた美奈に、後ろから声がかかった。
振り返ると、イラストレーターのQである。


「ああ、Qさん・・・今晩は。」


今日はまたチェックのツイード地のキャスケットをかぶって、
片手に黒い、小ぶりのポートフォリオを持ち、
マフラーをぐるぐると巻いていた。


お洒落な人だな・・・


「今日はもう、お帰りなんですか?」


並ぶと意外に背の高い彼から、見下ろされながらも、
久しぶりに街を歩ける気分で高揚していた。


「いえ、昨日、かつえ社長が言っていた路面店を見て回ろうと思って。
 今頃なら、他の通勤の人たちが買い物している様子も見られるかな、
 と思ったんです。」

「お仕事ですか。
 ですが、お店を見ると言うなら、
 もし小林さんが差し支えなければ、僕も行きたいですね。

 KAtiEさんからお仕事もらって、
 他の化粧品のショップも見たいと思っていたんですが、
 何しろ、女性ばかりで入りにくくって・・・・」


Qが苦笑しながら、頭をかいた。


「ええ、もちろんです。
 うちの仕事の為に見て下さるんだったら、
 是非一緒に行きましょう。」


思わぬ連れができたが、目的は同じだ。

外苑前から表参道へと青山通りを、ゆっくりとたどっていく。

今夜は風もなく特別暖かい夜で、街行く人ものんびりした表情で、
ウィンドウショッピングを楽しんでいるようだ。




フランスのプロヴァンス地方のオリーブオイル、ラベンダーなどの
天然材料を使って作られた化粧品のショップが最初にあった。

店内も南仏の店の雰囲気そのままに、
床板ばり、クリーム色の漆喰の壁に、オリーブやラベンダーをあしらって、
まるでジャムのように、化粧品がずらっと並んでいる。

店に入る前に、Qがさっと小ぶりのデジカメを取り出して、
正面から写真を撮った。


「あ、カメラ持ってるんですね。」

「ええ、取材用にいつも持ち歩いているんですよ。
 後で小林さんに送りますね。」

「うわあ、助かります。
 そう言えばカメラもって来るべきなのに、全然気が回りませんでした。」


小さな店だが、仕事帰りと見られる女性で
店内は賑わっていた。

カップルの客もいたので、男性客がQ一人ではなく、
商品を見るのに何の抵抗もない。

Qはこういった商品を見るのは慣れているようで、
オリーブオイルの石けんやクリームなどを手に取って眺めている。


美奈は、店内のスタッフの人数と大体の広さと、
商品の陳列などを観察するのに忙しく、
店内ではQと別行動だった。

一通り見終わって、店を出て、
忘れないうちにと、美奈がメモを取り出して書き始めると
Qが、さっと美奈の荷物を持ってくれた。


「あ、ありがとうございます。」


「これ全部持っていたら、書きにくいでしょう。
 忘れないうちにどうぞ・・・・」


微笑を含んだような顔で言われ、
美奈は遠慮なく好意に甘えることにした。



以後、英国発信の自然化粧品のショップ、
米国発の、手頃な価格と発色の良さを売りにしたブランドのショップと続く。

かつえと同じく、元メークアップアーティストが発案し、
彼の名前を冠したショップは、特に広く、
美しいカラーパレットが映えるように、店の作りはごくシンプルだ。

百貨店よりもずっと品揃えが豊富なようで、
指名買いで商品を買いにくる客が、切れ目なく入ってくる。


「青山みたいなエリアにある路面店って、
 飾りかと思っていたんですけど、
 結構、実際にお客さんが来ているんですね。」


店からちょっと離れたガードレールの横で、
またしてもQに荷物を持ってもらって、
メモをしこしこと書きながら、美奈が言った。


「そうですね。
 ここにしかない商品やサービスを目指して来るから、
 来店客の購買率や金額は大きいかもしれませんね。」


Qが片手で器用に、店頭写真を撮りながら答えた。
美奈が無駄のないその姿に、ふと疑問を感じて、


「Qさん、何か慣れてますね。
 もしかして、こういうお仕事もやってらしたんですか?」


さっとカメラをポケットにしまうと、
美奈の方に笑顔を向けた。


「まあね・・・。
 イラストレーターで食べられるようになったのは
 ごく最近だから、それまではかなり色々やってたんですよ。
 ファッションイラストも描きますから、
 時々取材もしているんです。」

ふうん、そうなんですか・・・


その後は、さらにファッションブランド発信の、
コスメショップを幾つか回った。

服と別フロアで展開されているところもあれば、
コーナーで紹介しているところもある。


そんなこんなで10軒近くの店を回った頃には、
すっかり美奈の目が回ってきた。

足元がふらふらして、幾分猫背気味になった美奈を見て、

「大丈夫ですか?」

少し心配そうに、Qが聞いた。


「大丈夫です。
 Qさんこそ、こんなにわたしに付き合わなくたっていいんですよ。
 お疲れでしょうし、手伝わせてしまって申し訳ないです。
 どうぞ、適当なところで切り上げて下さい。
 わたしも、もう少しで止めますから・・。」


そう言いながら、美奈の方が、
通りのガードレールによりかかって、
ふうふう言ってしまっている。

いつの間にか、美奈の荷物はずっとQに持ってもらっていた。

ああ、もう駄目だわ・・・。


美奈の心の声が聞こえたかのように、


「今日はこのくらいにしませんか。
 一度に沢山見ても、後で思い出せないでしょう・・・。」


Qがにっこり微笑んだ。


「そうですね・・・。もう頭と足が限界みたいです・・・」

ははは、そんな感じだな。


「お腹は空きませんか?」

「お腹というより、喉が渇きました・・・」

「では、一杯だけ何か飲んで行きませんか・・・」


Qが片目をつぶって、顔の前で手をくいっと回した。 


う〜ん、この科白、前にも聞いたような・・・


美奈は、ブーツの足首をぐりぐり回しながら考えた。


あの結果、どうなったんだっけ?


Qが美奈のためらいを見て、微笑を含みながら


「何か、問題があるんですか?」

「いえ、つい先日、一杯だけと思って飲み過ぎて、
 大失敗したのを思い出しただけです。
 でも、やっぱり、行きますっ!

 喉がカラカラなんですもん。
 このままじゃ、帰れないわ・・・」


決意したようにピョンっと立ち上がった美奈を見て、
Qがまた、おかしそうに笑った。


「そりゃ、嬉しい。
 僕も喉がカラカラです。
 
 どこに行きましょうかね。
 あんまり歩きたくないでしょう・・・?」


情けない顔で美奈が頷いた。


そちらの荷物も持ちましょう・・・
いえ、とんでもない、大丈夫です。

Qと荷物の取りっこをしながら、
通りから半分見える半地下の店へと入っていった。


ほぼ満席だったが、ひとつだけ、隅のテーブルが奇跡的に空いており、
疲れきった足を、ようやく休められて、美奈はほっとした。

荷物を投げ出して、コートを脱ぎ、
身軽になると嬉しくなって、思わずQにむかって笑顔を向けた。

するとQがすっと、手元で何か動かしたので、
よく見ると、先ほどから活躍していたデジカメだ。


「今、何したんですか?」


Qがボタンを押して画像をひとつ戻すと、
美奈の微笑んだアップの顔が写っている。


ひょえ〜、いつの間に・・・・


美奈が驚いていると、


「すいません。事後承諾ですね。
 先に写してもいいか、と聞くべきなんだけど、
 そうすると、この表情をのがしちゃうから・・・
 怒りましたか?」

「いえ、怒ってませんけど、驚きました。」


正直に告げた。


「よかった。
 小林さんが嫌なら、すぐ消しますよ。」


Qがちょっと申し訳なさそうに微笑んで、美奈の顔を見る。
ビールが運ばれてきた。


「お疲れさまでした。」

「いえ、こちらこそ、付き合って頂いてすみませんでした。
 何だか、お世話ばかり掛けてしまって・・・」


乾杯してから、ビールを飲む。


おいし〜〜いっ!

グラスを持ったまま、また正面を向くと、
Qの手の中にカメラがある。


「また撮ったんですか?
 油断ならない人ですね。」

「まあね・・・だって、すごくいい表情をしているので・・・。」


Qの言葉は本気なのか、お世辞なのかわからなかった。


ふうん・・何と反応していいのか、
戸惑っちゃうわ。

Qが、今度こそカメラから完全に手を放し、
少し目を細めながら、美奈の方をじっと眺めると、


「そのスタイルは、小林さんに似合ってますね。」

「スタイルって服ですか?」

「服も髪もメイクもです。
 すごくぴったりだな。
 そんなお洒落しているのに、仕事だけなんてもったいない・・・」


美奈のお気に入りの黒いワンピースで、
衿もとに細く赤い縁どりと、袖と胸元に赤いボタンのついた、
ロシア風のドレスだった。

ウェストに赤いサッシュを締め、ブーツを履いている。


「かつえさんが、何か気に入った服を持って来いって言ったんです。
 それで、少し華やかなメイクをしてくれたんですが、
 何の予定もない日で・・・・」


Qがまた笑う。


「本当にいいですよ。」


お気に入りの服を褒められたようで、美奈はうれしかった。


「ありがとうございます。でも良かった。
 外でおいしいビールが飲めたし・・・
 あ、ちょっと待って下さい」


美奈の携帯が震えるのを感じた。

開けるとメールが4本も来ている。
全て長田からで、着信も4件。


何だろう?


開いていくと、


『美奈さん、どこにいますか?僕らも店を見に来ました。』
『女性ばかりで入りにくいので合流したいです。返信下さい。」
『携帯見てます?』
『今、美奈さんが通りの向こうに見えました。全然気付いてくれませんね。』


こういった4件に目を通し、Qに断って店の外に出ると、
すぐに長田に電話した。


「もしもし・・小林です。」

「美奈さん、やっとつながりましたね。
 もう遅いけど。
 お店見るの、途中で止めちゃいましたから・・・」

「そうなの。
 もう飲んでるのね。」

「美奈さんも来ませんか。
 今、見たことも聞けるし・・・どうです?」

「誰と一緒なの?」

「僕と芳賀さんと加澤さん。
 さっきまで綿貫さんもいたんですが、会社に戻りました。
 でっかい男4人で化粧品の店にいると、
 目立つったらないので、途中で分かれましたけど・・。」

「うふふふ・・・ごめんね、気付くのが遅くて。
 でもわたし、もう帰るから今日は止めとく。」


真也とは、まだ飲みたくないわ・・・


「そうですか。じゃ、お疲れさまです。
 明日、聞かせて下さい。」


長田との電話が終わって、Qの向かいに戻った。

Qのややエキゾチックな横顔がこちらを向いた。
髭はあるけれど、ハンサムと言ってもいい顔立ちかもしれない。


「小林さん、この間の話、考えてくれましたか?」

「この間の話って何でしょう。」


美奈は本気で尋ね返したが、
Qは笑いながらも小さくため息をついた。


「忘れちゃったかな。
 写真のモデルになって欲しいとお願いした件です。」

「ああ、思い出しました。
 本気だったんですか。わたしはまた、冗談かと・・・」

「本気ですよ。
 それ程、長い時間拘束するつもりはありません。
 半日くらい撮影に付き合って下されば・・・。
 引き受けて頂けませんか?」


引き受けてくれるか、と言われても、
撮影のモデルなど、やったこともなく、
何をどうすればいいのかもピンと来ない。

その旨を正直に告げると


「べつに何も心配は要りませんよ。
 素人の写真撮影と全く同じ。
 ただ、一緒にいて、写真を撮らせてもらうだけです。
 
 別に難しいポーズを付ける必要もないし、
 特別な服も要らない・・・、そのままでいい。
 でも、是非お願いしたいんです・・・
 僕は・・・」


その時、ふと美奈の意識に何かが触れた。


あれ・・・?


気が付くと、店の中を聞いたことのある音楽が流れている。


あの朝、綿貫の部屋で流れていた、透明感のあるジャズ。
この曲、何ていう曲なんだろう・・・

急に宙を見て、聞き入ってしまった。


は、と向かいを見直すと、
Qが少しもの問いたげな様子でこちらを見ている。


「あ、すみません、お話の途中で・・・。
 すごく気になる曲が流れたので、つい固まっちゃって・・・」


Qは静かに首を振った。


「いえ、構いませんよ。
 この曲が気になるんですか?」

「ええ・・・」

「何ていう曲?」

「それが・・・曲名を知らないんです。」


ふむ、とQも少し考える顔をした。


「僕も曲名まではわからないな。
 演奏者は何となく心当たりがあるけれど。
 店の人に聞いてきましょう・・・」


立ち上がりかけるのを、慌てて制して、


「いいんです!
 ホントに、そこまでしてもらわなくてもいいので・・・!」


綿貫さんに聞けば済むことなんだけど、
どうも聞きにくくて・・・

その癖、妙に耳に残っちゃった。


「そうですか・・・では、やめて置きます。」


座り直して、Qがまた静かに笑顔を見せた。


「はあ、ビールを飲んだら元気になりました。
 一杯じゃ、やっぱり済まなかったけど・・。」

「もう一杯ワインをどうです?」

「いえいえ、今日はやめて置きます。
 でも、Qさんのお陰で、今日はすごく助かりました。
 お店を見て回るなんて、あまりしたことなくて・・・。」

「僕でよければ、いつでもお付き合いしますよ。
 さしあたり、今日のショップのデジカメ画像を送りましょう。
 会社のPCがいいですか?」

「ええ、助かります。是非、お願いします。」


わかりました。
では、これは?どうしましょうか。


Qが少しいたずらっぽい顔をして、デジカメを取り出し、
美奈の顔を表示させた。


「あっと、それは、会社じゃない方にお願いします。

 わあ、写真上手ですねえ。
 わたし、いっつも変な顔してるのばかりなんですけど、
 こんなにちゃんと写っているのって珍しいわ。」

じゃ、この写真を送るアドレスを貰ってもいい?


美奈は自分の名刺を一枚引き抜くと、
PCの個人アドレスと携帯電話番号を記入して、Qに渡した。


「ここへ送って下さい・・・急ぎませんけど。」

すぐに送りますよ。

Qが名刺をしまいながら、美奈に笑顔を見せた。

そう言えば・・・と、急に美奈が思い出した。


「この間は、素敵なカードを送って下さって有り難うございました。」

「気に入ってもらえましたか?」

「ええ、すごく!かつえさんの部屋にも、
 マーシャのカレンダーにも、飾ってありました。」

「あの夜、お会いした女性にお送りしたんです。
 僕を覚えておいて欲しかったし・・・。」

「そうだわ。
 Qさんは、どうしてQさんっておっしゃるの?」


Qが苦笑いしながら、自分の名刺を一枚出して美奈に見せた。


イラストレーター
田中汲一
Atelier Q

と、記されていた。


「僕の名刺、あまり、ご覧になってないんですね。」

「すみません。本名が汲一さんなんですね。
 お名刺、ちゃんと分類して名刺入れにしまってあるんですけど、
 Qさんで刷り込まれてしまって・・。」

「いいんですよ。Qで通っていますから・・・
 覚えて貰いやすいし。」


ええ、一度でお名前を覚えました。


「それは嬉しいです。」


Qがにっこり笑った。


では、そろそろ行きましょうか・・・。

ええ。

立ち上がって、しばらく伝票を取り合っていたが、


「小林さん、僕はあなたより大分年上です。
 今日は僕が誘ったのですから、どうか受けて下さい。」


でも・・・


「大丈夫。これでモデルを引き受けろ、とは言いませんから。
 でも、是非引き受けて欲しいのは本当です。
 良い返事を待っています。」


美奈はQに気圧される形で、「はい」と答えていた。


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