AnnaMaria

 

琥珀色のアルバム  21-2.わたしの居場所

 

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あったかくって、体がぐにゃぐにゃになったみたい。
肩も背中も足も、頬までも、
何か熱くて、しなやかな処にすっぽり嵌っている・・・

いつもと違う匂い。
親しいような、あまり馴染みのないような・・・。



頭の下の感触がいつもと違うのに目を醒ますと、、
自分のではないベッドで、
男の腕を枕に眠っているのに気がつく。


は!そうだった。
泊まっちゃったんだわ・・・


そうっと綿貫の方に体を向けると、彼はまだ眠ったままだ。
二人とも何も着ていない・・・。

上掛けから出ている肩のあたりはひんやりしているが、
くっつきあっていた部分の皮膚は、ぬくぬくと熱い。





昨夜、ベッドに移ったのは覚えている。
移ってからも、美奈は責められっぱなしだった。

反撃しようにも、体が言うことを聞かず、
正気を保っているのがやっとで、
結局は綿貫の要求通りに、上になり下になりしているうちに、
ついには気が遠くなり、倒れ込むように眠ってしまったみたいだ。


大変な夜だったわ・・・
狼の巣に自分から飛び込んじゃったみたい。


思い出すと、自分でも目をつぶりたくなるくらい、
恥ずかしくなってくる。


あんなわたしじゃ、呆れられちゃったかな・・・。


ここまで考えて、
傍らでひっそり寝息を立てている大きな体にすり寄り、
首すじに鼻先をこすりつけてみる。

温かくて、綿貫の匂いがする。

端正に彫り出されたような顔が、無防備に眠っていると、
どこかの神が降りてきて、
休んでいるようにすら見える程、美しい。


ったく、あんなことまでしたくせに。
こんなきれいな顔のままなんて、ずるいよ。


居間のソファはどんな惨状かと、
思いついただけでぞっとして、綿貫を起こさないよう、
そうっとベッドを抜け出した。

案の定、ソファもその周りも昨夜の嵐の名残をとどめて、
目も当てられない状態だった。

美奈はまず、乾燥機から自分の下着を取り出してくると、
素早く着替えて、できるだけ音を立てないように、
脱ぎ散らかされた服や、あちこちにすっ飛んでしまったクッションなどを拾い集め、
綿貫の服を軽く畳んで、ソファの端に置いた。

グラスをキッチンのシンクに置いたが、
水音を立てると、彼を起こしてしまいそうだったので、
そのままにする。

やっと居間のあたりが元通りに片付くと、
また忍び足でベッドの方に戻り、静かな寝顔を眺めた。


きれいな顔・・・


きれいだが、今の自分にとっては、
愛しさの方がずっと勝っている。

思わずまた頬ずりして、キスをしたくなったが、
きっと目を覚まさせてしまうだろう。

もう少し、この「無防備な綿貫」という珍しいものを
しみじみ眺めていたかった。





そうだ!
折角、目が醒めたんだから、
この隙に近所のパン屋さんに探検に行ってこようっと。


思いつくとじっとしていられなくなり、
コートにマフラーをぐるぐる巻いて、バッグから財布を抜くと、
なるたけそうっとドアを閉めて外へ出た。





マンションの外へ出ると、空気はまだ冬らしく冷たかったが、
もう立派な太陽がのぼっている。

3月が近いから、夜明けはそれなりに早い。

一体何時なんだろう、と携帯を見ると、
8時をゆっくり回っている。


ひゃあ〜〜、ずいぶん早起きしたつもりだったけど、
単に、わたしたちが寝坊してただけじゃない。
やっぱり夜更かしが効いたのかな・・


またしても昨夜の出来事に、気持ちが戻りそうになるのを
何とか押し戻して、きょろきょろと辺りを見回した。

息が白く見えるほど、寒いわけではない。


さて・・・パン屋さんはどこかな・・・?


駅と反対方向に向かって、何軒か進むうち、
香ばしい匂いが流れて来て、これは近いぞ、と予感させた。





入り口前がこぢんまりしたウッドデッキになっていて、
植木鉢の脇に「パン・ド・ピス」と看板。

小さなテーブルの上に、子供用の青い長靴が片方置いてあって、
その中から、すっと小さな緑の木が伸びている。


かっわいいい〜〜!


白くペンキを塗った店の外から覗くと、
きつね色に焼けたパンが、長いのや、丸いの、
赤い何かがのった物、黒いぷちぷちがついたもの等がずらり。

奥のベーカリーから、
焼きあがったばかりのパンをぎっしり積んだ天板が運ばれて来て、
ブルーの三角巾をした女性が、きびきびと棚に移していく。


わあ、おいしそうだわあ・・・


美奈は入る前に、立ち止まって胸に手を置き、


いい?二人分よ、二人分だけ買うのよ!


しっかり自分に言い聞かせてから、パン屋のドアを開けた。





綿貫の部屋に戻ると、できるだけ静かにドアを開けたつもりだが、
おっきなパンの紙袋やら、靴を脱ぐ音が
ついガサガサとしてしまった。

美奈は、コートを着たまま忍び足で、
首を伸ばしてそうっとベッドの方を覗いてみる。

今の音で目覚めたらしい綿貫が、
大儀そうに裸の半身を起こして、片肘をつき、
乱暴に髪をかきあげたのが見えた。

買ってきたものをキッチンテーブルに置いて、
美奈がベッドの脇に座る。


「おはよ・・・!」


そっと綿貫のあごの横にキスをする。

すぐ側に来た美奈の顔を見て、ふっと微笑み、


「ああ、おはよ・・・。

 さっき隣をさぐったら美奈がいないから、
 もう・・・帰ったのかと思った。」

「また、そんなこと言ってる。
 黙って帰った方が良かった?」


そう言いながら、綿貫の顔を覗き込み、
ほっぺたを少し、そわそわとくすぐってやる。

眠そうに片目のまぶたが何度か閉じられては、また開く。


「いや・・・」


ふいに裸の腕が伸びてきて、コートのままの美奈を抱き寄せた。


「いてくれて良かった・・・。」


その言葉で、美奈も目の前の体に腕を回してしがみついた。

綿貫が美奈に巻き付いたマフラーを外しながら、


「たくさん着込んだんだな・・・」

「だってコートが薄いし、寒いと嫌だもん」


美奈も自分でコートのボタンを外して脱ぐと、椅子に放った。


「お湯湧かすね、コーヒー入れるわ。」


立ち上がろうとすると、また腕をつかまれて、
座らされた。


「ダメだ・・・」


腕をつかんだまま、綿貫のすこし気怠い顔が近づいてくる。


「折角戻ってきたものを、逃がすと思うか・・」


綿貫のすこし乾いた唇が重ねられ、
縛られたように動けなくなったところへ、
両腕をつかんで、ぐっと引っ張り上げられた。

ベッドの中に引きずり込まれると、
たちまち裸のままの体が上に乗ってくる。


「冷たいな・・・お前」

「わたしが?わたしの体が?」


綿貫の頬が少し緩んで、口元から白い歯が見えた。


「体の方だ・・・。冷えきってる。
 もう一度、あったまれ・・・」


返事する間もなく、唇が降りてくる。
たちまち温かい舌が入り込んで来た。

ためらいも遠慮もなく、
まっしぐらに美奈の中に入ってくる。

まだベッドの熱を帯びた、温かい腕にきつく抱きしめられ、
ゆで卵を剥くみたいに、つるつるの中身が出るまで全部剥かれると、
もう一度、綿貫の体の熱をじかに受けることになった。


「『ゆで卵』みたい。」

「『ゆで卵』?
 ああ、ははは・・。
 面白いことを言う・・・。

 やっぱり、殻が残っていると食べにくいな。」

「熱々のパンを買ってきたのに・・・。
 いい匂いがするでしょ?」

「お前の方がずっとうまそうだ。」


狼みたいなセリフを吐いて、
肩のあたりにがぶり、と口づけられると、
また体の奥がじわり、と熱くなって来る。





昨夜より、もっと近づいて、もっと直接に感じ合った。
体の中に、綿貫の熱を感じる。


このまま、素直になっていいの?
今わかったこの気持ちを伝えた方がいいのかな。


「ねえ、綿貫さ・・」


背中から、また一心に綿貫の体の熱を浴びながら、
それでも美奈は名前を呼んだ。

ぴったりに重なった体、
耳のすぐ側でかすれた返事が聞こえる。


「何・・・」

「すごく・・・気持ちがいい・・。」


返事の代わりに、ふよふよと弾んでいる胸を後ろからつかまれた。

自分の体がこんなに柔らかいのを、
彼の手の感触で知る。

こんなにお腹の皮膚が白いのも、
這い回る腕の色との違いで知る。

こんなに感じているのも、
抱きしめる強い腕をもぎはなそうと震えるわたしを、
しっかり押さえつけている筋肉で感じる。


あなたが好き・・・。
たぶん、ずぅっと好きだった。

こんなに幸せな気分になれるなんて、
この間まで想像もできなかった。

真っ暗な冷たい世界にいたのに。
もう二度と、元気になどなれないと思っていたのに・・・。

あなたとひとつになれることが、涙が出る程うれしい。


「あなたと離れたくない・・・。
 ずっと一緒に居たい
 ここがわたしの場所だもの」


綿貫の胸に手を這わせながら、
自分のこぼした言葉をどこかで聞いたように思った時、
美奈の中に一瞬、鋭い痛みが奔った。

だが、すぐに、
自分を包んでくれる強い体からのエネルギーに溶かされ、
真上にある、まっすぐに見つめてくる黒い瞳に魅了されていた。


あなたが好き。
あなたが好き。


「ね、聞こえてる?」


綿貫の頬にぴったり自分の頬をつけながら、
美奈がささやく。


「ああ、ちゃんと聞こえてる。
 心配するな・・・・」


柔らかく響く声が聞こえると、
美奈に回された腕が優しく締まった。


他には、何にも欲しいものなんかない・・・・。


腕の中の体をいっぱいに抱きしめ返しながら、
美奈は幸せなため息をついた。



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