AnnaMaria

 

琥珀色のアルバム  25 エンジン始動

 

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「かつえさん、予定が変更です。
 名古屋を皮切りに、関西から先に売り場が開きますので、
 メイクショーも、大阪を先にお願いします。」


営業部長が、かつえに説明している。

新規プロジェクトの恒例ミーティングを、
今日はかつえの部屋で行っていた。

かつえは連日の取材攻勢に、
さすがにぐったりとソファに座ったまま、報告を受けていたが、
急に美奈の方を向くと、


「美奈ちゃん、TVのメークモデルやってくれない?
 メークし終わって、ぱっと表情が動くような子にやって欲しいの。
 うちの宣伝だと思って協力してよ。」

「え?」


2月に行ったプレス発表に続き、今度は雑誌等のパブリシティで、
新規ブランドデビューの広告を怒濤のように打った。

加えて、旬のタレントを多用した華やかな新作披露パーティが
TVのワイドショー等で取り上げられるにつれ、
KAtiEブランドの知名度は一気に上がって来た。

何より大きかったのは、かつえ本人の露出を増やしたことだ。

社長として「KAtiE」のための仕事なら全部受ける、
と言っただけあって、TV、新聞、雑誌など媒体を問わず、
舞い込んだ取材のほとんどを受けた。

そのうちの一つが、
3回シリーズで放映されるTVのメーク指南講座で、
最新メークを易しい解説と実演で、
初心者にもできるように披露するもの。


「いいでしょう?
 裸になれって言ってるんじゃないわ。
 顔だけよ。すっぴんになっても可愛いじゃない?」

「はあ・・・」


日頃、メークの個人レッスンまでしてもらっている美奈が、
かつえの言葉に逆らえるわけがない。

美奈はメーク中のシンプルなカットソーと、
仕上がった後のウォーキング用に、
3セットのスタイリングを着ることになった。

衣裳は、フィッティングのため、スタイリストが事前に来社した。
彼女を紹介してきたのは綿貫である。

長身でしなやかな身のこなしの、かなり若い女性で、
綿貫のことをよく知っている様子だった。


「あのう、綿貫さんとよく一緒に仕事をするんですか?」


好奇心に駆られた美奈が尋ねると、


「いえ、何度かご紹介はしてもらいましたけど、
 実際に一緒のお仕事をするのは、これが初めてです。」


答えながらも忙しく手を動かし、
衿を立てたり下ろしたり、裾を引っ張ったり、
幾つも持参した小ぶりのスカーフを、
美奈の顔のそばに合わせたりしている。


「へえ、そうなんですか。
 あの綿貫さんにスタイリストの知り合いがいるなんて
 ちょっと意外だったので・・・」


美奈の体の向きをくるっと変えさせながら、


「綿貫さんには、ずいぶん色々助けて頂きましたから・・・」


今度は、背中の方のチェックをしているらしい。

若いスタイリストさんの言葉が気にはなったが、
仕事に没頭している彼女に、
それ以上余計なことは聞けなかったのだ。




番組収録当日は、かつえの一番弟子を任ずる、
メークアップアーティストの瀬尾も同道し、
アシスタントを担当する。

綿貫はかつえの仕事ぶりを別個にビデオ撮影するべく、
加澤とカメラマンを従え、
収録スタジオにやって来ていた。

収録前のメーク道具等の準備は、瀬尾とかつえでたちまち終えてしまう。
移動の多い仕事なので、あっという間に
現場を整えるのに慣れている風だった。


「美奈ちゃん、そんなに緊張しなくていいのよ。
 皆さん、今日はメークを見にいらっしゃるんだから・・・」


固くなっている美奈に、かつえが声を掛けてくれたが、
画面に出れば、あれはKAtiE のプレスだと、
わかる人にはすぐわかってしまう。

化粧品ブランドのプレスとして、
肌荒れや、眉が整っていないなどは論外であろう。

肌を万全の調子に保つのは、
残業続きの現状ではかなり難しかったが、
丁寧なクレンジングと、かつえの毎朝の入念な肌チェックのおかげで
アップになって吹き出物が大きく映る、
という事態は何とか避けられたようだ。


「本番行きます!」


ディレクターの声で、一気に収録現場が緊張する。


「あたしはメークブラシを持っている限り、緊張しないのよ」


かつえは余裕しゃくしゃくだが、美奈はコチコチだ。

スタジオ中の視線が一斉に、かつえの手元と自分の顔に注がれてみると、
唯一、綿貫の視線が、自分を守ってくれているようで、
こっそり、スタジオの中に姿を探してしまう。

強烈なライトを当てられているので、
スタッフを見分けるのは難しい筈なのに、
綿貫の顔だけは、なぜかすぐにわかった。

仕事に臨んだ厳しい表情だったが、
きっと、心のどこかでハラハラしているだろうと思うと、
ちょっぴりいい気分だった。


かつえが下地とファンデーションの伸ばし方をレクチャーし終えたところで、
イラストを使った詳しい説明に入り、一旦、美奈からカメラが外れ、
瀬尾が別のモデルの仕上げに入った。

先ほどから、製品の並べ順の乱れが気になっていた美奈は、
この隙に、ついと椅子から降りて、最初に瀬尾が並べた通りに並べ直し始めた。

自分がファンデーションだけの、のっぺら能面メークに、
クリップで髪を留めた姿なのも忘れていた。

ほとんど並べ終えてしまってから、ふと目の前を見ると、
綿貫が腕組みをして、怖い顔でにらんでおり、
加澤が笑い出しそうに掌で口を抑えている。


「??」

あたし?


美奈が自分を指差すと、綿貫が手で椅子に戻れ、と
強く合図したので、あわててメーク用の椅子に戻ると、
その様子を見ていた一部の観客から、かすかに笑い声がさざめいた。




かつえと瀬尾が戻って来て、
美奈のポイントメークが始まる。

まず顔の右半分だけ、かつえがトークをしながら
仕上げて行く。
その手元をアップのカメラが追う。

その際、カメラマンのコードがかつえのシャツの裾にひっかかり
シャツの裾が大きくめくれてしまった。

美奈の顔をスタジオの観客に見せながら、
かつえがよどみなく説明をしていく。

かつえマジックの秘密に関わるところだ。

ここでまた、VTR説明が入り、
かつえが別のモデルのメークに向かう前に立ち止まった。

美奈はさっと椅子から降りて屈むと、
かつえのシャツの裾を直す。

今度は綿貫だけでなく、加澤まで、
大きく手で「戻れ!」の合図を送ってきたので、
あわててまた椅子に戻った。

またどことなく、スタジオから笑いが漏れる。


何よ、かつえさんのシャツ直しただけじゃない!


美奈のほっぺたがふくれそうになったが、
何しろ、カメラのどアップになる身である。

スマイル、スマイル・・・と自分に無理矢理言い聞かせて、
なるべく、にこにこして椅子にかける。

顔の右半分だけメークした美奈が、わざとらしいスマイルを浮かべた
不気味な顔が一瞬画面に映ったが、すぐに消えた。


メークが両側とも仕上がってクリップを外し、
にっこり観客に笑顔を向けるところは、とても上手く行った。

その後、待ち構えていたスタイリストさんに
スタジオの隅で着付けをしてもらい、瀬尾がスタイリング剤等で
すばやく髪を整えると、再びTV画面に登場。

美奈はかつえに教わった通り、慣れないながら、
スタジオにいる観客の正面までウォーキングしていった。


「春らしいメークでしょう?
 皆さんも、かならずご自分でおできになりますよ。
 是非、トライしてみて下さい。」


かつえのナレーションが入る。
美奈が退場すると入れ違いに、もう一人のモデルが正面に進んで行く。

すぐまた、スタジオの隅に連れて行かれ、
瀬尾がカーラーで髪を巻き直す。

かつえが来ると、クレンジング用のコットンでたちまち唇と目元を拭き、
新たなメークを施して、付けまつ毛を付けた。

スタイリストが素早く、ややガーリーな小花模様のドレスを着せ、
靴をサンダルに履き替えさせてくれた。

瀬尾がカーラーを外して、さっと髪を撫でつけると、
立ち上がって、正面に行くように指示される。

さっきと同じように、中央の位置から、
正面の観客席までウォーキングして、戻って来る。
さっきよりは慣れたようだ。
振り向きさまに、ちらっと綿貫を確認する余裕まであった。

大人しくスタジオの奥に引っ込むと、やっとお役ご免となった。



ほっとして、一気に疲れが出た気がしたが、
まだ収録の真っ最中である。
かつえが会場からの質問に答えている。

スタイリストさんを手伝って、洋服をハンガーに掛け、
小物類をまとめる。

かつえが置きっぱなしにしている進行表を閉じて、
瀬尾や自分のものと一緒にバッグに詰める。

その他、目につくものを手当たり次第に片付けて行った。


カーーーット!


「お疲れさま!」


ディレクターの声が響き渡ると、
さらに大きなかつえの声が響き渡った。


「皆様、本日は最後までご覧下さいましてありがとうございます。
 これからも、わたしとわたしのメークアップを愛して下さいね。
 此のたび新しく出た、当社のサンプルキットを
 ぜひ、お土産にお持ち帰り下さいませ。」


美奈はさっきのドレスを着たまま、
かつえの隣に並んで、スタジオを退場するお客様に、

「よろしくお願いします!」

声を掛けながら、一人一人にサンプルキットを手渡した。


あら、あなた、モデルさんじゃないの?

退場して行く観客のひとりが、美奈に尋ねた。


「KAtiEの社員なんです。
 素人のほうが皆様に身近に感じて頂けるかと思いまして・・・」


かつえがにこやかに答えると

まあ、そうなの。可愛い方ね。


「ありがとうございます!」


美奈がお辞儀の角度をさらに深くして、
サンプルキットを手渡した。



三日分の撮影をいっぺんに終えたところで、
そろってディレクターに挨拶に行った。


「おつかれさまでした。
 いやあ、この彼女、モデルさんなのに、こまこまよく動くねえ。
 カメラに間に合わないかと、こっちがハラハラしちゃったよ。」


申し訳ありません!

かつえと綿貫、美奈が3人で頭を下げた。


「プロのモデルより、素人の方がいいだろうと思いまして、
 うちの社員を連れてきたんです。
 でも、いい感じでしょ?」


かつえが取りなすように言った。

ディレクターはしばらく美奈をじろじろ眺めていたが、


「うん、ちょっと面白いね。
 今度、別の番組でコスメブランドの紹介をやるんだけど、
 君、自分んとこの紹介役やらない?」

「はい?」

「いや、深夜枠で軽いトーク番組なんだけど、
『ずばりコスメ検証!』とか言って、
 スタジオに来ているモデルや女優さんたちに
 コスメチェックをしてもらうの。

 その時に、いくつか話題のブランドを短く紹介するんだけど、どう?
 2分くらいだと思うけど・・・。」


固まっていた美奈の代わりに、かつえが答えた。


「それは嬉しいです。
 彼女、うちのブランドのプレスも兼ねていますから、
 その線で是非、ご紹介させて下さい。」

「うん、ノリでスタジオのゲストから、
 突っ込みも入るかもしれないけど、
 彼女、大丈夫だよね?」


かつえと綿貫が一瞬、目を見合わせた。


「大丈夫だと思います。たぶん・・・」


かつえが答えた。

美奈には返答の機会が与えられていないようで、
二人の傍らで目をぱちくりさせていた。

ディレクターは綿貫に向き直ると、


「こちらも社員さん?」

「いえ、違います。
 私は広告代理店の者で、現在、KAtiEさんを担当させて頂いております。」


ディレクターは綿貫も撫で回すように見ると、


「ふうん、こりゃ、いい画になりそうだね。
 いや、タレントを使うと、こういうスーツの感じが出ないんだよ。
 君も一緒に出てくれないかな。」

「申し訳ないですが、特定の仕事で顔をさらすわけには行きません。
 お得意様との関係にも触りますし、私は裏方ですので。」

「でも、今はこのブランドの担当なんでしょ?
 いいじゃない。」

「申し訳ありませんが・・・」


綿貫の返事はていねいだが、きっぱりとしていた。

かつえが進み出ると、


「うちのブランドを紹介するチャンスを下さって、
 ありがとうございます。
 こちらをご紹介代わりにスタッフの皆様にお渡し下さい。」


かつえに合図されて、あわてて、
美奈と加澤がサンプルキットを幾つか下げてきた。


「あちらのテーブルに置かせて頂きますので、ご自由にお渡し下さい。
 あと、こちらがわたしの名刺で、ほら・・・・」


かつえに促されて、あわてて美奈が自分のバッグをこじあけ
名刺をディレクターに差し出した。


「小林美奈です。よろしくお願いいたします。」

ふ〜〜ん。


ディレクターは、まだ未練そうに綿貫を見、
かつえと美奈の名刺を受け取ると、もう一度綿貫に目を向けた。

綿貫と加澤もすかさず名刺を差し出して、


「出演以外の仕事なら、何でもお手伝いさせて頂きますので・・」


綿貫の言葉に苦笑しながら、ディレクターが受け取った。


「ん〜〜、実にいい感じなんだが惜しいなあ。
 まあわかった。
 じゃ、決まったら、連絡しますから、よろしくお願いします。」

「こちらこそ、ありがとうございます。」


一同で深く頭を下げると、ようやく収録現場を引き揚げた。
美奈はふわふわして、何だかまだ現実に戻れないような気分だった




美奈のTV出演はその番組だけだったが、
かつえはそれだけでは止まらなかった。

「世界で活躍する女性」というインタビュー番組にもゲスト出演、
ファッションショーの舞台裏を紹介する番組でも、
かつえの厳しいプロフェッショナルな仕事ぶりが映った。

この春の雑誌インタビューには、何度登場したか、わからない。

ただ、何事にも全力投球のかつえの消耗はひどく、
社に戻って檄を飛ばす姿が、ここしばらくは見られなかった。





3月に入ってから、新しい売り場が次々と開いた。

怒濤のプロモーション活動の成果か、
売り場には、連日お客が詰めかけ、
総合ブランドデビュー記念のコスメキットは、
毎日毎日、山のように追加された。

売り場でのメークレッスンも大好評で、
予約制にも拘らず、列をつくって待つ様子が、
雑誌やTVのワイド番組で取り上げられ、
さらに行列する人数を増やす、と言った状態になっていた。

当初から、売り場オープンに合わせて、
かつえのメークショーを、東京、大阪の百貨店でやる予定だったが、
大阪の売り場オープンが早まった関係で、
東京に先駆け、大阪でメークショーをやる運びとなったのだ。

綿貫と加澤は、連日、イベントの進行に忙殺されていた。

事前に、広通の大阪支社と連絡を取り、
綿貫の同期で、大阪に常駐しているアートディレクターの小松に
全面的に協力を依頼していた。





久しぶりに顔を合わせた小松は、
以前よりいっそうひょろひょろとし、
逆立った髪と青白い顔色で、夜行性動物を思わせた。


「やあ、綿貫。
 やっぱりもうプランナーとして、独り立ちしたんだな。
 お前が化粧品やるってのが少し意外だけど・・・・」


小松がおかしそうにちょっと微笑んだ。


「中沢部長がディレクターで残ってくれている。
 俺一人だと手が回らないところを、助けてもらっているよ。」

「あの人は、最初からお前のことを買っていたんだ。
 理解ある上司と組めるなんて、そう有ることじゃないぞ。」


見たところ、年齢、職業不詳に見える小松が
そんな当たり前の常識を言うのが面白くて、
綿貫の口元がほころんだ。


「お前も、絵ばっかり描いていた訳じゃないみたいだな。」


それを聞くと、小松はちょっと照れたような表情になった。
昔と変わらない友人を見いだして、綿貫はほっとする。



20代で、綿貫が社内の逆風にさらされていた時、
小松とは、助け合った経緯がある。

綿貫は入社前から、
「広通賞」ダブル受賞の新人と注目されていたところへ、
本人の不器用さと、同窓の先輩との軋轢等で
社内で孤立を深めてしまった。

小松はと言うと、
ずば抜けたアートセンス以外の一般常識がすっぽり抜け落ちていて、
どう仕事を進めたらいいのか戸惑っていたのだ。

小松は偏らない情報で、
綿貫は持っている知識とプレゼン力で
お互い、足りない所を補い合って切り抜けた。


「う〜〜ん、相変わらず平面の仕事が多いんだけどね。
 たまに、こういう立体がらみのディレクションや、
 イベントのプロデュースも手がけているんだ。
 今回は、ちょっとロマンティックにやってみようと思ってさ。」


小松が取り出して見せたイベント場のスケッチは、
相変わらず素晴らしい腕の冴えを見せていた。


「花でうずめるってことか?
 しかし、メークモデルは、ランウェイ・ウォーキングはしなくても
 お客から見えるように動いてもらわないと・・・」


「大丈夫だよ。
 床はごくシンプルに歩きやすくして、
 背景、その他の目に触れるところを花で埋めるんだ。
 
 本当はもっと足場を高くしたいんだが、
 あの百貨店の天井が思ったより低いから、頭がつっかえてしまう。
 ピンクや赤の色調で、ぐっと春らしく行くから、
 かつえ社長には、黒のような濃い色を着てもらえると映えるかな。」


小松が言ってから、ペンでスケッチの真ん中に
さらさらとかつえらしいシルエットを書き入れた。


「このスケッチを見せる際に伝えてみるよ。
 だが、かつえ社長は気に入らないと直前でも遠慮なく、
 変更を申し入れる人だぞ。」

「わかっているさ。
 良くするための変更なら何でも受けるつもりだと言ってくれ。
 任せとけって・・・」


小松がまた屈託なく笑った。


「金曜日に新しい売り場を開けて、二日後の日曜日のイベントだろ?
 う〜んと商品を積んでおいて下さいって伝えてくれよ。」

「わかった。じゃ、細かいところを詰めよう・・・」


小松の現場采配は見たことがないが、
アートディレクションの腕は熟知しているので、不安は無かった。




KAtiE本社に戻ってから、
綿貫は新規プロジェクトメンバー全員に
大阪のメークショーに関する小松のスケッチと、
自分の書いた進行表を見せた。

ひとつ、いつもと違っていることは、
そこに普段、滅多に顔すら見たことのない、
親会社の副社長が同席していたことだ。

ざっと綿貫からの説明が終わると、
早速、真也から確認が入った。


「これだと、僕と美奈、長田は、前日の夕方、売り場を見て、
 セッティングのため、閉店後の9時に
 売り場に再集合となっていますね。
 それで間に合いますか?」

「イベント場のセットは別で仕上げて、金曜中に店へ納入しておきます。
 土曜の閉店後は、うちのアートディレクターと現地のデコレーターで、
 セットを組み立てるだけですから。
 
 芳賀さんたちには、翌日のショーを把握する為においで頂くので、
 セッティングにお力を借りることはありません。」


綿貫が答えた。


「14時にメークショーが始まって、約1時間弱。
 終わり次第、お客さまがそのまま
 売り場に殺到することも考えられますよね。

 コスメキットと商品を厚くしておかないと、
 売り切れでは、話になりませんなあ。」


営業部長が自分で言いながら、すでに電卓を出しかけている。


「うちの大阪の者からも、ぜひ商品を厚くされて、
 沢山売って頂ければ、とのことでした。
 僕からもお願いします。」


綿貫が小さく頭を下げた。

KAtiEブランドの成功は、担当する広告代理店にとっても
大きなポイントとなる。 


「かつえさんは、前夜のうちに大阪に入って、
 セッティング中の売り場を見に行きます。

 翌日の午前中は、デビュー初日になる京都の売り場に挨拶してから、
 昼前に梅田に入る予定にしていますが、
 それで大丈夫ですか?」


かつえ秘書のマーシャが、芳賀と綿貫両方の顔を見て、確認する。


「結構です。」
「大丈夫です。」


二人が同時に答えた。


「わたしは一日早く、デビュー初日の金曜朝一番に大阪入りします。
 この日はかつえ社長がおいでになれませんから、
 売り場のビューティ・アドバイザーたちの士気をあげる為にも、
 応援に回るつもりです。」


倉橋が穏やかに宣言した。

その後、一瞬、その場を沈黙が支配した。
かつえが綿貫の渡したスケッチから、一度も顔をあげないからだ。

一同がそれでも黙ったまま待っていると、


「これ・・・これじゃ、駄目だわ。」


かつえの口から、やっと言葉がこぼれた。


「はい。」


綿貫がかつえに向き直る。


「どんな変更でも受けます。
 何でもおっしゃって下さい。」


かつえが組んでいた足をほどいて、座り直した。


「スケッチが素晴らしいから、セッティングの情景はよくわかりました、
 でも、これでは駄目。
 
 イベント場の背景としては最高かもしれないけど、
 ここでの主役はメークなの。
 これだけ背景に花があると、
 モデルの顔に咲いた花がかすんで見えちゃう。
 
 正面のお客さんは着席しているけど、
 後ろでは立ち見のお客も多いでしょう?
 このままだと、モデルの顔と背景の花の部分が重なるのよ。

 少なくとも、モデルの胸から上の背景に
 ちらちらと花が来ないように、無地の背景でお願いするわ。
 修正スケッチをできるだけ早く見せて頂戴ね。」

「わかりました。すぐに伝えます。」


綿貫の言葉に、隣の加澤も頷いた。

「ではここで、具体的な販売戦略をもう一度確認します。」

芳賀の言葉に、一同がまた一斉にファイルに目を落とした。

この春の出店は、全国7店舗。
トップは名古屋で、11時には、かつえが店に入る。

その後、博多、大阪と続き、大阪でメークショーを開催した後、
東京の三つの売り場が開き、最大の売り場面積のある、
渋谷店でメークショーを行う。

店側から提案されたイベントは出来る限り受けること。
デビュー記念コスメキットは、KAtiE自慢のファンデーションと
コントローラー、パウダーに、メークアップベースがミニサイズで入り、
5000円限定。

ただし、これだけ買った人はビューティレッスンの予約はできない。

これ以外の商品を購入いただいたお客様のみ、
メークアップレッスンを予約できるが、当分の間は、
お一人につき、月一回までのご利用にさせて頂く。

メークアップアーティストを、開店当初一ヶ月は
常時二人貼り付かせる。

売り場からの苦情、提案、感想を受けた場合は
絶対にそのままにしないで、プロジェクト内で問題共有のため、
すぐに共通の掲示板に書き込んでおくこと。

ここまでを確認した時、それまでずっと黙っていた
親会社の副社長が手を上げた。


「わたしも売り場に行っていいのかな。」


綿貫がかつえと倉橋の顔を見る。


「もちろんです。
 KAtiEの副社長として、ご挨拶下さるのならば、
 売り場のメンバーも、お店の方も喜んで下さるでしょう。」


倉橋がにこやかに答えた。


「そうか・・・。
 もちろん、僕も百貨店には沢山知合いがいるから、
 これから色々な知り合いに、あちこち頼んでおくよ」


副社長がほっとしたような口調で発言すると、
すかさず、かつえが発言した。


「副社長、うちの会社のことも考えて下さってありがとうございます。

 売り場の挨拶、お店との対話、どれも有り難いですが、
 ひとつだけ、お願いがあります。
 副社長はKAtiEの取締役でもありますが、
 これまでの企画にあまり参加されていません。
 
 どうか、副社長とお店側だけの間で、
 独自のお約束や取り決めを絶対になさらないように
 お願いいたします。
 
 これは営業部長にも、
 倉橋常務率いるビューティ・アドバイザーさんにも
 お願いしておきます。
 
 これから、あちこちで出店要請等のリクエストが増えるでしょうが、
 独断で承知してしまうことだけは止めて下さい。

 まだ、たったこれだけの人数です。
 全員で理解してgoサインを出すのに、時間はかからない。
 
 誰かがよかれと思って暴走を始めると、
 それを収拾するのに時間がかかったり、
 先方としこりが残ったりしますから。

 これを破った方は、プロジェクトから外れてもらわなければなりません。
 おわかり頂けますね?」


はい・・・。


一同の同意の返事に、
副社長も何とか威厳を保ったまま、重々しくうなずいて、
会議は終わった。


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