AnnaMaria

 

琥珀色のアルバム  26-1 関西出張

 

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品川を出る時の天気ははっきりしなかったが、
新幹線に乗り込み、西に進むにつれて雲が晴れ、
空が明るくなってくるのがわかる。

まだやり忘れていることがあるような気がしたが、
もう出発してしまったのだから、
今更心配してもどうしようもない。

車内で遅いお昼でも食べて、少しゆっくりしようと美奈は居直った。



午前中、美奈はプレス関係の返事を片付け、
長田もあちこちに電話をかけていた。
真也の姿は見えなかったが、どこかで奮闘しているに違いない。

かつえは部屋に缶詰になって、書類仕事をこなしているらしい。

倉橋は営業部長と共に、とっくに大阪の売場に着いて、
あの独特の微笑で采配を振るっていることだろう。

綿貫と加澤は昨日から大阪入りして、
向こうのスタッフと詰めの作業を行っている。

この週末がKAtiEブランド、新しい春の口開けとなる。
漏れも見落としも許されない。
やり残した事はないかと、朝から何度もリストをチェックしていた。

12時に、真也、長田と共に社を出る。
品川からのぞみに飛び乗ると、3時半に新大阪に着いた。





大阪は3回目だが、
一度目は新入社員研修で、親会社の大阪支社を訪れ、
研修後に近くを少し回ったに過ぎない。

2度目は、自分で神戸に旅行に行った際、
ついでに大阪に足を伸ばしたもので、
仕事で行くのは、今回が初めてだった。


大阪駅に着いて、地上から梅田地区の様子を眺めてみると
工事中の建物が大きく目につく。

以前の状況をそれほど詳しく覚えているわけではないが、
どことなく、あちこちの景色が変わって見える。

前は、駅の通路に、
ちょっとレトロな天井とステンドグラスがあったような・・・

百貨店に続く、駅のコンコースに戻りながら、
美奈があちこちを見回していると、真也が


「どうした?」


と尋ねて来る。


「いえ、何だか駅の感じがずいぶん変わってみたいだなあって。
 なんかもっと古めかしい雰囲気があったように思ったんですけど・・・」

「ああ・・」


真也が工事中の目立つあちこちを見回しながら、


「去年だったか、改装に伴って取り壊されたらしいよ。」

「そうなの・・・何だかもったいないみたいね・・・」

「これから梅田は、高層ビルが幾つも建つらしい。
 来る度にがらっと景色が変わっているかもしれないな。」


何度も大阪出張に来ている真也は、混み合った通路の中を迷わずに進む。
置いて行かれては大変、と美奈と長田は足早に真也の後を追いかけた。




百貨店裏の通用口から、入店証を付けて店内に入る。
1階の一部と2階が化粧品フロアだ。

一階のメーンステージに、店側の応援で、
KAtiEブランドがディスプレイされ、
明日のメークショーの案内が置かれているのが嬉しかった。

入店証をつけているので、階段で2階に上り、
KAtiEの売場に行ってみると、
周りに行列ができているので驚いた。

よく見ると、短い列が2本あり、
一方の列の先頭にビューティ・アドバイザーが立ち、
総合ブランドデビュー記念のコスメキットを販売している。

キットの購入を希望されるお客が多過ぎて、
普通のカウンターだけでは、さばききれなくなったようだ。

もう一つの列はと言うと、
鏡張りのKAtiE専用カウンター前の椅子に続いており、
黒いユニフォームに身を包んだ、男性メークアップアーティストが二人、
一心にお客にメークを施していた。

通路に面した角側には、ビデオ画面が設置され、
プレス発表で上映した、
綿貫がナレーションのプロモーションビデオが流れていたが、
売り場の喧噪で、あの独特の甘い声はほとんど聞き取れない。

あまりの盛況ぶりに、しばし3人とも呆然と売場を見ていたが、
真也が真っ先に我に返ると、2歩程売場に歩み寄った。


「今、着いたのね」


どこから湧いて出たのか、倉橋があでやかなブラウスに
クリーム色のスーツを着て、3人の前に現れた。


「遅くなりまして・・・」


真也が頭を下げたので、美奈と長田も一緒に挨拶をした。


「待っていたのよ。すごいでしょ?
 もう、わくわくしちゃうわよ。
 今日の売り上げが楽しみだわ。
 どこまで行くかしら・・・。

 あ、フロアマネージャーに紹介するわね。」


折しも、営業部長がこちらに近づいて来る。
後ろに連れている若手が抱えているのは、
キットが入っている段ボール箱だろう。


「ねえ、芳賀さんたちをマネージャーにご紹介してくれる?」


倉橋が声をかけると、営業部長は若手に合図して売場に行かせ、
額の汗を拭いた。


「いやもう、驚きましたよ。
 開店前から万端準備していたんですが、
 お店が開いたら、どうっとお客様がいらして下さってね・・・。

 11時にはもうカウンターがいっぱいになってしまって、
 後からお客様はどんどん詰めかけるしで、
 しょうがなく、キット販売だけは別に並んで頂くことにしたんですよ。
 朝から何度、追加したことか・・・」


また、小さなタオルで額をごしごしと拭く。


「キット以外の動きはどうですか?」


真也の質問に、


「いいです。
 特にリキッドファンデーションはうちの売りでしょ?
 メークレッスンを受けたお客様は、ほとんどファンデを買って行かれますね。
 その他に、ご自分のメークに使ったリップやアイシャドーを
 追加で、ご購入になるのがほとんどです。
 
 あの、果物のエッセンスでカラーリングした、
 スプレータイプのミストも好調です。」


じゃ、こちらへ・・・

シャツ姿の営業部長の後について、
倉橋とともに、美奈たちが続いた。


「マネージャー、うちのプロジェクトリーダーの芳賀です。
 こちらはプレスと、企画担当の者で、東京から応援に参りました。」


営業部長が声を掛けると、売場の端に立っていた、
40代の男性と50代とおぼしき女性がこちらに向き直った。


「初めまして、お世話になっています・・・」


真也が挨拶をした後、お互いに名刺交換をして、
売場の状況、明日のメークショーの進行を確認する。


「僕も閉店後に、セッティングを見に行きますよ・・・」


男性マネージャーの言葉に、


「ありがとうございます。
 当社社長のかつえも、ぎりぎりになりますが、
 ここに寄らせて頂いたあと、メークショー現場を確認しますので
 よろしくお願いします。」

「わかりました。では後ほど・・・」


マネージャーたちが去って行くと、
倉橋が営業部長を振り向いて、


「わたしがこの3人を催事場に案内してくるわ。」

「すみません、常務。では、私は売り場に行ってきます。」


営業部長の背中を見送りながら、倉橋が微笑んだ。


「うふふ、部長、今日はお昼も食べてないと思うわ・・・」

「倉橋常務は召し上がったのですか?」


ううん・・・
倉橋は楽しそうに首を振った。


「新幹線の中で軽く食べたもの、十分よ。
 さっき、ジュースだけ飲んできたの。
 もう、喉がからからになっちゃってね。」


倉橋はうきうきしているらしく、
頬がピンク色になり、少女のような表情で、
楽しそうに微笑んでいる。

柔くウェーブした栗色の髪がつやつやと流れ、
華やかな色合いのブラウスが顔に映えて、
同性の目から見ても、華やかな女っぷりだ。

バックヤードにためらいなく入って行くと、
奥の業務用エレベーターのボタンを押し、
7階の催事場へと向かう。


奥のイベントホールには人影がなく、
セッティングに使うらしい材木や背景パネルが積まれ、
中央の舞台にも何やら青い布をかけたものが置いてあった。


「もう、資材の搬入は終わっているのよ。
 あとは閉店後に組み立てるだけ。
 今日はここを使っていないから、もう始めても良さそうなんだけど、
 音がガンガン響くものね。」


3人で舞台に置かれている青いシートをちょっとめくってみると、
思った通り、パネルや足場が重ねて置いてある。

元通りにシートを掛け、照明の位置、客席の方向を考える。


「実際のセッティングは、
 広通さんが手配したデコレーターさんがやってくれるでしょう。
 明日の進行は、綿貫さんの絵に沿って、こちらがやるのだから、
 よく頭に叩き込んでおかないとね。」


ああ、メークショーが終わったら、
また売場が忙しくなるわ、大変よ。

倉橋は楽しみでたまらない出来事を待ち望んでいるように、
朗らかに笑った。


この人は根っからの売場育ちなんだわ・・・。


美奈は倉橋の生き生きとした様子を見ながら、納得した。


「綿貫さんたちは、どこなんでしょう?」


長田が、美奈の疑問を代わりに聞いてくれたのでほっとした。


「ああ、午前中、資材を納入する時に、ちらっとご挨拶に見えたわ。
 広通の大阪支社の方と一緒だった。
 アートディレクターなんですって。
 ちょっと変わった人よ。

 今はここで作業できないから、
 あちらのオフィスで準備を進めているんじゃない?
 夜にはまた、ここへ姿を見せるでしょう。」


倉橋がすらすらと答えた。


「わたしはこのまま、売場の応援をして、
 閉店後にここに見に来るわね。
 
 そちらは、ずっとここに居ても仕方がないから、
 夜の作業前に、他のお店の売場を見て、
 軽くご飯も食べてきたらどうかしら?」


倉橋の提案に、真也がうなずいて


「そうします・・・。」


答えた後に、美奈と長田を振り返ったが
二人ともうなずいた。


「そう・・じゃ、もう少し、売場の状況を見て行って。
 見ないと報告できないでしょ?」


倉橋がまた、嬉しそうに笑った。



2階に戻ってはみたものの、手伝おうにも
売場はとても混み合っていて、余分な人間がうろうろすると
邪魔になることは必至だった。

やむを得ず、少し離れた場所から、
3人バラバラに状況を見つめる。

驚いたことに、他にもKAtiEブランドを見守っているらしい目が
幾つもあるのに気がついた。

中年男性の二人連れは、こっそりデジカメで写真まで撮っている。
角にいる女性も売場の状況をじっと見ている様子だった。


KAtiEに来て下さっているお客は、20代、30代の女性が主だったが、
40代、あるいはそれ以上の女性が何人も見受けられる。

キットと他の製品をお買い上げのお客様には、
メークアップレッスンの予約券を渡し、
その時間近くまで、自由にお買い物ができるよう配慮してあるのだが、
そのまま、売り場を離れずに列にならんだまま、
メークアップアーティストの手さばきを、
じっと見ているお客様が結構居る。

プロのテクニックを観察しているのか。
自分のメークの希望に生かそうと思うのかはわからないが、
お客様が研究熱心なのは間違いない。

5時を回ると、店内に仕事帰りとおぼしき女性の姿が増え始め、
それに従い、KAtiE前の行列はますます長くなっていく。
近くで買い物をしているお客も、ちらちらと視線を投げている。

見る場所を変えたり、フロアの中を移動したりしながら、
1時間近く、売場を観察した後、真也が言った。


「美奈と長田は、関西の他店をほとんど見ていないんだろう。
 今のうちに見て来たら?
 で、うちのコンペティターの状況と、
 売場の広さくらいはチェックして来いよ。」


今からだと・・・と真也は、時計を見た。


「難波まで行くのは無理だな。
 梅田の2店と、行けたら心斎橋まで足を伸ばして、
 7時には戻って来てくれ。

 先に軽く飯を食おう。
 セッティングが始まったら、食ってる暇ないだろうから・・」

「はい」


真也にそう言われて、店から押し出されたものの。
大阪に不案内な二人は、駅でもらった地図を拡げ、
上空に輝くイルミネーションの目印を見上げながら歩き始める。

金曜の夕方とあって、あたりは大勢の人で混み合っていた。
百貨店へと向かう女性客の流れは、
波のように押し寄せて途切れることがない。

慣れない道を、人ごみを混じって歩くだけでも疲れてくる。

結局、梅田地区の2店の化粧品フロアをうろうろしただけで、
すぐに6時半を回ってしまった。


「はあ、もう駄目。目が回るわ。」


仕事帰りの女性でにぎわっているフロアを歩き、
KAtiEのコンペティターブランドの客層をチェックするだけで
目がチカチカしてきた。


「僕も結構、目に来ました。
 倉橋常務、スゴいですね。
 お昼も食べないで接客して、あの笑顔。
 負けるなあ・・・」

「前は、豪腕のビューティ・アドバイザーだったのよ。
 すごい売り上げだったみたい。
 はあ、生き生きしていたわねえ・・・」


自分たちがプロジェクトで一番若手なのに、
こんなにへとへとになるのでは、情けないと思いつつ、
慣れない場所では、さっさと移動するのもままならない。


7時前に、元の売場に戻ってくると、
近くにいた真也がすぐに二人を認めた。


「どうしたんだ?もうへろへろか・・・」


どことなく真っ直ぐに立てない二人を見て、
真也が笑った。


「すみません。ちょっと人に酔っちゃって・・・」


長田が答えたが、美奈は口を利くのも億劫だった。


「じゃ、少しだけ休憩して来よう・・・。
 何か食べる?」


う〜ん・・・何も要らないけど・・・。
コーヒーが飲みたい。


「コーヒー?
 ん〜〜、そうだな。じゃ・・・」


へろへろの二人を連れ、真也がやってきたのは、
すぐ近くのファッションビルの上階にある、スターバックスだった。

店に入ろうとすると、近くに観覧車の乗り場がある。


「ひえ〜、あの観覧車ってここから乗るんだったの!
 すごい!ぜひ乗ってみたいなあ・・」


急に元気になった美奈の言葉に、真也が


「仕事中だろ?倉橋常務に言いつけるぞ。
 昼飯も食べずに仕事している人が聞いたら、何て言うかな・・・」


笑いながら、釘を刺したので
なかば足の向かいかけていた美奈はあきらめて立ち止まった。

金曜の夜のことで、カップルが沢山、列を作って待っている。

何時までかな?

何げなく案内板を覗くと、11時まで(10時45分最終)とあった。


「へえ、11時迄やってるの!
 さすが、大阪の真ん中だけあるわね。」


美奈は目を丸くした。


カフェに落ち着いて、温かいカフェオレ、
ちょっとぱさぱさしたサンドイッチをつまむと、
少し元気が出て来た。


「芳賀さんは・・・どうしていたの?」

「店の人と話をしたり、
 休憩に出たうちのビューティ・アドバイザーに手応えを聞いたり、
 倉橋常務とも、少しだけお茶を飲んだよ。
 予想を上回りそうだと、手放しで喜んでいた。」

「そう・・・本当にすごいわね。
 明日はどうなるかしら?」

「とにかく混乱だけは避けたいから、細かく商品の補充と、
 列の管理を徹底して、メークショーの前後が勝負だろうな。

 他のブランドのメークショーは30分で、3回くらいが普通だけど、
 かつえさんのは1時間たっぷり見せるからね。
 一回だけだ。」


真也の様子は落ち着いていた。
去年から、真也とまともに向かい合って話をしたのは
初めてのような気がする。

ブランドデビューに伴う慌ただしさが、
美奈と真也の間にあったしこりを取り除いていた。


「美奈さん、今度はモデルやんないんですか?」


長田が茶化すように言った。


「もう沢山よ。皆に怒られちゃった。
 特に瀬尾さんに、すごく厳しく注意されちゃったの。
 かつえさんは、わたしの方を、
 あんまり見てなかったから良かったんだけど・・・」


綿貫にまで、こっぴどく注意されたことは言わなかった。

この処の忙しさで、二人で会える時間はとても少ないのに、
この前は、わずかに会えた時間のほとんどを
お説教されていたような気がする。

珍しく綿貫から、夜、時間が取れないか、とメールをくれたから、
うれしくて、無理にも仕事を切り上げ、ほいほい会いに行くと、
最初に美奈の話をちょっと聞いたあと、
いきなり、メークショーの時の行動を、逐一、厳しく注意された。


ああいう時、また、元の鬼先輩に戻っちゃうのよねえ・・・。


後からよくよく考えると、
注意するためだけに呼び出されたような気もする。

最後にちょこっとだけ、励ましてくれて、
「今日はもう帰れ・・」って・・・そんな、つれない。

会えたのは嬉しかったけど、怒られたのは嬉しくないわ。
あれはデートって言うより、研修じゃない・・・もう!


綿貫の遠慮のない指摘を思い出して、
美奈は顔をしかめた。


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