AnnaMaria

 

琥珀色のアルバム  28 ミーティング

 

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「おはようございます。うわあ、どうしちゃったの?」


恒例の月曜朝ミーティング。
綿貫、加澤の広通ペアが姿を現すと、長田が驚きの声をあげた。

スーツの衿足にかかるくらい伸ばしていた加澤の髪が、すっきり刈り上げられ、
ほとんど坊主頭に近いクルーカットになっていた。


「いえ・・・ちょっと心境の変化って言うか、
 ここらでびしっと引き締めようと思いまして・・」


加澤が気弱に微笑んでぼそぼそと説明したが、
隣の綿貫は黙ったまま、表情を変えない。


「あら、ぐっと男っぽくなったじゃない」


常務の倉橋は入って来るなり、ちらと加澤に微笑み、後ろを振り向いてうなずいた。
倉橋に続いて入っていたのは、親会社S社、副社長の曽根である。


「前回に引き続き、今回も副社長が同席して下さることになりました。」

倉橋が紹介すると

「経理との打ち合わせがあるんで、こっちに来ていたんだけど、
 どうせなら、KAtiEの現状も聞いておこうと思ってね。」


当然のように上座に付き、テーブルの面々をぐるっと見渡した。

コレクション中でかつえは不在。
前田部長、真也、美奈、長田の企画サイドと
営業部長に広通ペアを加えた面々である。

全員から一通りの進行状況を聞き終わると、倉橋が

「新ブランドの滑り出しは絶好調と言っていいと思います。
 ただ、当初の売り上げ目標のクリアは、新宿エリアへの不出店があるので、
 今シーズンは難しいでしょう。
 秋口に条件を整えて、もう一度出店の可能性を探って行くためにも
 他店での売り上げを上げることが必須ですね。
 半期分の売り上げロスを、地団駄踏んで悔しがってもらわなくては・・・」


両手を組み合わせながら、倉橋の目が挑戦的に光った。


「デビュー直後の数字だけではなく、
 その後の売り上げも安定していることが大事ですね。
 パブリシティその他、使えるものは全て使って、
 あらゆる側面から全力で売り場をバックアップします。
 綿貫さん?」


発言後に真也が目を向けると、かねて打ち合わせができていたのか、
綿貫が資料を配り始める。


「デビューブランドなので、雑誌その他での注目度は大です。
 くわえて、かつえ社長本人が出演したTVのオンエアがまだ幾つか残っています。
 雑誌の『ボーテ特集』ではトップの扱い。
 今後は、その他の美容番組や美容記事の中で、
 KAtiEの新ラインをたくさん使ってもらえると
 視聴者や読者の信頼をますます得られるのではないでしょうか。」

こちらは、今後のパブリシティ予定です。

一同が資料に目を通す間、綿貫の声が続いた。


「7月までこの調子で、切れ目なくキャンペーンを打って行きます。
 同時に秋冬の広告戦略も完成させなくてはいけません。
 次回、企画書をお持ち致します。」


「新宿エリアでは、相変わらずA百貨店を狙ってるの?」

ここまでずっと黙っていた副社長から質問が出た。


「もちろんです。A百貨店を落とさないとナンバー1ブランドになれません。
 かつえさんもそのつもりです。」


倉橋が答えた。


「だが、あそこに入れても、もうからないだろう?」

「売り上げはあがりますが、利益は出にくいかもしれませんね。
 あの店の売り場を維持するには、かなりの経費がかかりますから。
 副社長もよくご存知でしょう?」

もちろんだ・・・

「それでも、絶対にA百貨店に入らなくてはならないんです。」

「よし。そこまで本気なら、明後日、あの百貨店の社長と会食する予定がある。
 KAtiEの他店での売り上げ数字をちらっとつぶやいてみてもいいな。」

「まあ・・・」


倉橋の笑顔があでやかになった。


「A百貨店の売り場担当者が強気でして、あちらの条件をのまないと
 入れない、の一点張りなんですよ。
 服飾の売り上げが厳しくなっている現在、
 美容売り場は、今なお右上がりのおいしい場所。
 百貨店側だって、売り上げのいい新ブランドが、
 喉から手が出るほど欲しいはずなんですが・・・」

「わたしに任せておきなさい」

ありがとうございます。


真也は二人が話す間、だまって倉橋と副社長の顔を見比べていた。
そう言えば、と副社長は真也に向き直ると

「君はプロジェクト・リーダーだったな。
 KAtiEはこのままでは、戦力不足だろう。
 うちの社でも、KAtiEブランドに興味を持っている者はいる。
 こっちから、もう少し人数を斡旋して・・・」


倉橋の笑顔はそのままに、片方の眉だけが上がった。


「わかった、わかった!
 かつえさんのいないうちに勝手なマネはしないよ。
 また怒られては適わないからな。
 だが、A百貨店進出はかつえさんの望みだから、構わんだろう。」

「望みなんてものじゃなく、『切望』です。」

「わかった。わたしはKAtiEの副社長でもあるからね。
 KAtiEのためにできることがあれば、やって行こう。
 ところで、先日のTVをまだ見ていないんだが、録画はあるかな?」

「はい、企画室のHDDに入っています。
 いつでもご覧になれますから。」


長田が答えると、副社長は「じゃあ、わたしはこれで・・・」と立ち上がった。

例の番組の話が出たところで、美奈の背中に悪寒が走ったが、
もう済んでしまったことだ。

あの後、美奈も録画しておいた番組を見たが、
確かにでんぐり返りに関わる場面はカットされているものの、
ニューハーフにからかわれ、ほっぺたをふくらませる場面などは
そのままである。

見終わった人は、チャラチャラとそそっかしくて、すぐむっとする未熟なプレス、
という印象を抱くだろう。

はあ、それも事実だから仕方ないわ・・・。

ため息をつきながら美奈は考えた。

ただで、KAtiEブランドを宣伝させてもらうからには、
このくらい、恥をかくのは仕方ないことなのだろうか。

・・・それにしても、アレにも何か理由がありそうね。

いつになく、しゃっちょこばっている加澤の頭を見ながら訝しんだ。

のっぽで、いつも個性的なスーツを着こなしている加澤の髪が、
ああまで短いと、逆に職業不詳のあやしい感じになる。

綿貫はいつもとまったく変わりなかった。
つまり、会議中、美奈の方をちらとも見ない、ということである。





会議が終わり、打ち合わせのオープンスペースへ出たところで、
加澤が綿貫から離れて、そっと美奈の方へ寄って来た。


「足の具合、どうですか?」


足は折れてもヒビが入ってもおらず、足首を少しひねっただけ、という診断だった。
それでもまだ歩く度に痛いので、どうしても足を引きずってしまう。


「ありがとうございます。
 1週間もすれば、ほとんど問題なく歩けるだろうって。」

「そうですか・・・」


見るからに、加澤がほっとしたのがわかった。


「でもそれまで無理は禁物ですよ。
 気をつけて下さいね。ホントに心配してたんですから。」

ありがと。

美奈は笑顔を向けた。

なんて優しいのかしら。こんな人が恋人だったら良かったのかも。

加澤から少し離れて、資料をチェックしている綿貫を横目で見ながら
思わず出そうになったため息を引っ込めると、一歩、加澤へにじりよる。


「ね」

「なんすか?」


すでに警戒して、加澤の視線が泳いでいる。


「何やったの?」

え?

「どうして、髪切っちゃったの?
 不良の広告マンらしくて良かったのに。」

美奈がささやきながら、詰め寄ると

「いや、勘弁して下さい。
 やんちゃが過ぎて、今にも放り出されそうなんですから」

ふうん・・・・。

二人して、ちらりと綿貫の様子をうかがった。
壁の掲示物を見ているようだが、既にじりじりしかけているのかもしれない。


「でも、その髪型もかっこいいいわよ。」

「ありがとうございまっす。じゃ、また来ます!」

加澤が珍しく、美奈の腕をぽんと叩いて笑い、
綿貫と二人してエレベーターへ歩いて行く姿を見送った。



さて・・・。

会議室に残された資料の束を見やったが、今の自分は、歩くのに手が必要だ。
あとで長田に頼もう。

目立たないように、右手で壁をこすりながら、
そろそろとエレベーターへと進んでいると、


「美奈、まだ痛むのか?」


真也が後ろからやって来た。
何とか笑顔を見せると


「ええ、ちょっとだけ。
 でもあと数日で治るってお医者さんが言ってたから。」

そうか・・・。

真也は会議室の中に視線を走らせると、すぐに残っていた資料を取って来た。


「あ、それ、後で長田さんに頼むから」

「どうせ降りるんだ。僕が持ってったっていいだろう。」


美奈の歩みに合わせて、真也もゆっくりと歩いてくれている。


「あの、急ぐんなら、どうぞ先に行って下さい。」

「エレベーターまで一緒に行くだけだ。
 収録のときのことは、今朝、綿貫さんから聞いた。
 怪我をさせてしまって申し訳ない、と謝ってたけど、
 別にあの人のせいじゃないだろうに。」

「そのとおりです。」


人の少ないフロアとは言え、二人でカタツムリのように歩んでいると、
何人かが追い越しながら、いぶかしそうに二人を見て行く。


「杖とか持って来なかったのか?」

「あるけど・・・だって大げさで。」

「どうやって会社に来たんだ?」

「ひとつ前の表参道からタクシー拾ってきたの。
 ねえ、もう先に行って。」

「もうエレベーターに着くじゃないか。」


真也がつと歩みを進めるとエレベーターのボタンを押した。

ゆっくりと上がって来た箱の扉が開くと、
エレベーターに乗り込む際、真也が近づいて美奈の背中を支えた。

美奈は驚いて身体を引こうとすると、真也が先に気づき、
苦い顔ですぐ腕を離した。


「ごめん。
 触られるのも嫌な存在、だったな。忘れてた。」


独り言のような真也の呟きは無視した。
真也の慣れた仕草が思い出させるものが苦痛だった。
一刻も早く企画フロアに着いて欲しい。

企画フロアに着いて、のろのろとエレベーターが開いた途端、
美奈が扉から飛び出そうとして、大きく前にのめった。


「おっと!あぶない。だいじょうぶですか?」


結果的に、エレベーター正面で待っていた男性の胸に、
倒れこんでしまった。

すみません!

後ろから続いた真也が、美奈を支えようとしてためらう。

栗色のニットを着た正面の男性が美奈の両腕をつかみ、
ちゃんと立たせてくれた。

美奈が顔をあげると、なじみ深いヒゲと微笑んだ唇が見える。


「Qさん・・・」

「大丈夫ですか?
 何だかふらついているみたいですが・・・」


のぞき込んできたQに何と答えようか、と迷っていると、


「Qさん、すみませんが美奈を席まで連れていってやってくれませんか。
 先週、ちょっと足をひねったらしいんで。」


後ろから真也の落ち着いた声が聞こえて来た。


「あ、大丈夫です。ゆっくり行けばひとりで行かれますから。」


美奈が壁をつたって行こうとすると、Qが笑いながら


「まあ、役得ってことで送らせて下さい。
 さ、つかまって・・」

にっこり差し出された腕には、何となく逆らえなかった。
さっきエレベーターを下りる時、さらにひねったらしく足首がうずく。

茶色の革ジャケットを着たQの腕につかまると、
意外にもがっしりと強くて、頼もしかった。
鼻下のヒゲが無くなり、顎のまわりだけ、無精髭のように残してある。


「Qさんって、たくましいんですね。意外だわ。」


美奈が冗談めかして言うと、


「そうですか?
 ペンより重いものを持てないみたいに思われるんですが、
 嵩張る作品を持って、あっちこっち移動するんで、案外力持ちですよ。
 昔、野球もやっていたし・・・」

「やきゅう?」

「ええ。今もたま〜にやりますよ。」


Qの腕につかまって会社のフロアをのろのろ移動するのは、変な気分だった。
ただ、美奈の歩みが不自然に上下するので、どこかを痛めているのは
見ている者にもわかるはず。

美奈のデスクのそばまで来ると、長田が立ち上がって、


「あ〜あ、美奈さん、エスコート付きで会議室から戻ってきたんですか。
 じゃあ、僕がお姫様の椅子を引いて上げましょう。」

よっこいしょ!と・・・。

色気のないかけ声と同時に、美奈が椅子に着地した。

は〜〜あ。

美奈がため息をつくと、長田は吹き出したが、Qは笑わなかった。


「どこで痛めたんです?」

「TV番組の収録中、階段から転げ落ちたんです。」


Qの質問に長田が代わりに答えたのを、美奈が長田をにらみつけた。


「いや、美奈さんがドジだからじゃなく、近くに性悪のニューハーフがいて、
 足を引っかけられたみたいなんです。」

「そうですか。それは災難でしたね。
 番組を見ていた限りでは、全くわかりませんでしたが・・」


う!やっぱり見てるんだ。

美奈が首をすくめた。
長田が美奈の顔を眺めてまた笑い、あやうく美奈の転落シーンが
オンエアされるところだったことを説明した。

Qは興味深そうに聞いている。


「長田、資料ここに置くぞ。」


後ろからやって来た真也が会議室から持って来た資料を、
どさっと脇のテーブルに置くと、


「あ、すみません、芳賀さん。
 あとで取りに行かなくちゃと思ってたんですが、ありがとうございます。」


それをしおにQが小さく真也に会釈し、「それでは」と去って行く。


「ありがとうございました。」


美奈がQの背中につぶやくと、聞こえたしるしに、
ちょっと振り向いて手を挙げてくれた。


「美奈さん・・・」


長田が隣から美奈のところににじり寄って来ると。


「トイレに行きたくなったら早めに言って下さいね。
 僕が連れてってあげますから。」

「結構よ、自分で行けるから・・」


つんと答えると、美奈はPCのスイッチを入れた。

あ〜あ、あの失敗、そのうち全員に知れ渡っちゃうだろうなあ。

美奈はすっかり憂鬱になった。





「倉橋常務・・・」

「どうしたの?」


自らの執務室で、真也の持って来たスケジュール表をチェックしながら、
倉橋が返事をした。


「副社長は、本当にKAtiEを応援してくれるつもりなんでしょうか?」


真也の言葉に、倉橋はうすく笑った。


「本当だと思うわ。」

「しかし、親会社のブランドが二つもA百貨店で大きく展開しています。
 年齢ターゲットが多少違うので、
 直接のコンペティターとは言えないかもしれませんが、それでも
 そちらを応援せずにKAtiEの肩を持ってくれるのか、と」

「副社長は勝ち馬に乗りたいのよ。」

「しかし、KAtiEが売り上げを伸ばして、親会社のブランドの勢いが下がると
 問題なのじゃないでしょうか。」


倉橋は持っていた資料をテーブルに置き直し、一歩真也に近づいた。


「KAtiEは親会社にとって、有望株なの。
 あっちの会社って人が多いから、いろいろあるんじゃない?
 副社長はこのあたりで、別のパワーラインを作ってもいいと考えてるのかもよ。
 それにそう考えてるのが、副社長だけとは思わないわ。」

「しかし、KAtiEと親会社では待遇がずいぶん違いますし、
 社会的ステイタスだって、まるで違うのに。」

「年配の人にはそういう物が大切かもしれないから、
 余計に人がつかえてて、なかなかポジションが回ってこない若手も多いはずよ。
 親会社の会議にも出たことあるでしょ?
 芳賀さんくらいの年齢で出席してた人、いた?」

「いいえ。」

「あっちでプロジェクトリーダーったら、管理職の部長クラスだから、
 50がらみか、よくても40代半ばでしょ。
 こっちの風通しのいいところで、思い切り腕をふるいたい人はいるわよ。」

「・・・・」

「副社長はいろいろ相談を受けてるに違いないわ。
 余計な約束をしてないといいんだけど。

 芳賀さん、気をつけないと、あっちの誰かと
『トレード』なんて話にもなりかねないわよ。
 その方がお給料はあがるかもしれないわね。」

「そんなことは望みません。」

「それが通るのは、ここがかつえさん直轄だからよ。
 それでも役員クラスはそうじゃないのが、厄介ねえ。」


あ、わたし、もうそろそろ出なくちゃ。


「売り場に行くんですか?」

「ええ、副社長といっしょにね。
 KAtiEの売り場を見たいんですって。
 ああいうエラい人って、一人では行けないもんなのよ。」


倉橋はバッグとコートを腕にかけると、微笑んで真也を見返した。


「ねえ、怖い顔してるわよ。」

「いや・・・してませんよ。
 いってらっしゃい。」


真也も資料を取り上げると、倉橋のためにドアを開け、
続いて自分も部屋の外に出た。

廊下では、鈍い輝きを放つコートを着こなした、押し出しのいい姿が立って、
ゆったりと窓の外を眺めている。
副社長の曽根は倉橋を見つけると笑顔を浮かべた。


「やあ、迎えにきたよ。」

「恐縮です。さあ、まいりましょう。」


いそいそと駆け寄る倉橋の声を聞きながら、真也は小さく会釈すると、
二人を見送らずに階段の方へ歩き去った。




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