AnnaMaria

 

琥珀色のアルバム 31 鍵

 

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先日、妙な夢を見てから、美奈はときどきQのことを思い出した。

撮影の日の笑顔や気遣いだけでなく、Qにカメラを向けられていた時に感じた、
ちりちりしたような高揚感まで。
Qの態度はあくまで礼儀正しく、美奈のリラックスを
最優先してくれているのがわかったものの、
時折覗く、こちらに踏み込んでくるような視線が今も肌の上に灼け残っていて、
思い出す度に心のどこかが泡立つ。

やっぱり、一日一緒に過ごした時間は大きい。
美奈の目にも、Qのあれこれが目に焼き付いてしまった。

カメラを構える流れるような動作、素早く動く指先。
元は野球をやっていた、という筋力までどこかに感じられる。
センスが良くて器用な机上クリエーターという他に、
ねらったモノを逃さない瞬発力と、捕らえた対象を一瞬、
金縛りにするような腕力があるのもわかった。


「だからお礼を言ったんです。『ありがとう』って。」

Qが撮影する時に空や風にささやいた「お願い」。
あれはちょっと良かった。
カメラマンは、風や光を味方にするのだと改めて感動した。

ただ、全体としてのQがつかみきれない。
きっと、優しいだけじゃないのだろう。
撮影が終わり、食事を誘ってきた時には、
ほんの少し危険な匂いがして、びくりと緊張した。

ただ、一日中、見られ続けていた相手とあれ以上過ごす気にはなれなかった。
Qのような熟練のプロの目には、一緒にいればいるほど、
色んなことがわかってしまうに違いない。
別に何の秘密があるわけじゃないけど、
心の奥まで見透かされてしまいそうで怖い。

今度、Qが声をかけて来たら、どんな風に話そうか。
ちょっと距離を置いた方がいいのか、全く今まで通りの、
親しみのこもった態度でいいのか。
美奈なりにあれこれ悩んでいたのに、一向に接触がない。

会社でQの姿を見かけたものの、いつも遠目で、
そばに寄ることも、視線を合わせる機会もなく過ぎてしまっていた。

かと言って、美奈からメールするのも気がひける。
聞きたいのは「写真はもうできましたか?」の一点だけ。
それだって、早く見たいと思っている一方、不安な気持ちもある。
一体、何が写っているのか。


撮影の日の夜を一緒に過ごした綿貫は、美奈の求めに応じて、
しっかり抱きとめてはくれたものの、
ほんの時折、ひやりとした冷たさを感じさせた。

綿貫は「撮影」について、注文をつけたこともなければ、
やめろ、と直接言ったこともないが、
何となく、彼の気に入らないことをしてしまったような気がする。

綿貫からメールがないのはいつものことだが、
宙ぶらりんのこんな時は、返信のひとことでいいから欲しかった。
彼が自分を忘れきっていないことを確かめたい。

とは言え、綿貫は本当に忙しそうで、さっき玄関で見かけたのに、
しばらく後、もう外を帰って行く後ろ姿に気づく、と言った状態で、
さりげなく彼の機嫌を知らせてくれていた加澤まで、
断髪してからすっかりおとなしくなり、
美奈を見ても気弱な微笑を投げて来るばかりである。

もともと美奈のところに寄って声をかける、ということは皆無だったので、
変わりはないものの、それにしても横顔や後ろ姿ばかりを見せられると、
知らず知らず、自分が拒否されているような気分になる。

まったく。たまには思い出してよね。

まるで鳴る気配のない携帯に、美奈はひとり呟いてみる。





代わりに出入りの増えているのは、ロマンスグレーに仕立てのいいスーツを着て、
お伴を連れた、S社副社長の曽根である。
最近よく連れているのが、広通のS社担当、森だ。

ある朝、恒例の定例ミーティングの際に、
森が黙って後ろの席に控えていたので驚いた。
綿貫や加澤も同席していたので、さすがに長田が戸惑った表情を見せる。

曽根は倉橋に

「構わないかな?
 KAtiEの仕事の進め方を、彼にも知っておいてもらいたいんでね。」

いかにも磊落に言うのへ、真也が答えた。

「定例ミーティングに参加するのは関係者だけです。
 恐縮ですが・・・。」


はっきりした拒否の言葉に席を立ち上がりかけた森を制して、

「代理店の人だって、ここにいるだろう。」

「綿貫さんと加澤さんは、KAtiEの担当です。」

「知っている。わたしは別の代理店の者を連れてきたんじゃない、
 森君も同じ広通の社員だ。」

「KAtiEの担当ではありません。」

「KAtiEはS社の100%子会社で利害は一致している。
 代理店側も一緒にやってくれた方が話は早いじゃないか。」

「S社の誰もが副社長のように考えるわけではありません。
 現にS社『アンジュ』ブランドの担当者は、KAtiEをコンペティターと見なして、
 ライバル意識むきだしです。
 これ以上、ごちゃつきたくありません。」

「そういう奴らもいるかも知れないが、私に言わせれば、それこそ愚かな競争だ。
 同じ社内で牙向き合ってどうする。
 協力していくべきところだろう。」

「子会社と言っても、同じ会社ではありません。
 戦略も違えば、方向性も違う。
 同じものを目指すなら、わざわざ別会社にした意味はない。
 
 S社の『アンジュ』は、このゾーントップの売り上げで、
 KAtiEはまだ遠く及びません。
 親子会社で同じパイを食い合う愚挙を犯すつもりもないが、
 共同戦略を張るつもりも全くありません。
 まして、二つのライバルブランドのプロモーションを
 同一チームに担当してもらうなんてあり得ない。
 本来、別の代理店にまかせることを考えていた位です。

 KAtiEは独自にナンバー1を目指して行きます。
 恐縮ですが、森さんには席を外していただきます。」

「そう頑になることもないだろう・・・」


副社長と真也の言い合いに、倉橋が割って入った。
今朝は白っぽいシャネルツィードで、砂糖菓子のように甘い雰囲気だ。


「まあまあ。
 ミーティング参加は、直接関係のある者だけに限っていますから。
 実際、ひとりでも少ない方がいいくらいなの。
 ごめんなさいね。」


ここまではっきり言われ、曽根の後ろで黙っていた森が
ついに席を立ち上がった。


「君までそんなことを言うのかね。
 私はS社とKAtiEの橋渡しをしたいんだ。
 S社の凝り固まった連中と違って、森くんは私の考えに賛成してくれ、
 協力を申し出てくれている。
 だから・・・」

「これは、S社とKAtiE合同の打ち合わせではありません。
 KAtiEブランドを一人でも多くのお客様に知っていただく為の連絡ミーティングです。
 それ以外の方はご出席頂かなくて結構。
 副社長は・・」


倉橋は柔らかい声の調子を変えないまま、曽根の顔をまっすぐ見つめた。


「KAtiEの副社長として来て下さったんですよね?
 でなければ・・・」

「でなければ何だ?
 ここにいる面々は忘れているようだから言わせてもらうが、私は両社の副社長であり、
 KAtiEの財務を監査する立場でもある。
 ここの業務を知るのは私の仕事であり、責任があるんだ!」


副社長の曽根は、KAtiEでは常に温厚、洒脱な紳士の顔を見せていたので、
激昂して、居丈高に権限を主張している姿を見るのは初めての者が多く、
美奈や長田など、驚いて固まってしまっていた。


「副社長、では、わたしはこれで・・・」


森は倉橋の言葉つきから、これ以上もめるのはマズいと判断したのだろう。
そっと小腰をかがめて副社長に会釈し、会議室の面々に一礼すると
ドアを開けて出て行った。

一瞬訪れた沈黙をはらうように、倉橋の声が響いた。


「さて時間を大切にしましょう。
 副社長と私はこの後出かけるので、あと10分しかありません。
 では、芳賀さんから報告を始めて下さい。」


各自が短い連絡事項を述べる間、副社長はむっつりと黙ったままだった。
8分で連絡ミーティングが終わると、


「では、各自の受け持ちをお願いします。
 副社長、2分で用意しますので、恐縮ですがC応接室でお待ちいただけますか?
 取って来なくてはならないものがありますので。」

「ああ、わかった。」


むっつりと副社長が部屋を出て行くと、倉橋が早口で

「芳賀さん、必要以上に副社長を刺激しないで。
 逆効果になるわよ。
 この後も打ち合わせが必要なら、かつえさんの部屋を使って。
 マーシャに入口を見張ってもらいなさい。
 彼女は、もう来てるわよね?」

あ、前田さんを呼ぶのを忘れないで。

倉橋が振り向きながら言うと、急ぎ足で会議室を出て行った。


「では、10分後にかつえさんの部屋だ。
 いったん自分の席に戻ろう。」


真也が宣言すると、それぞれがバラバラと席を立ち、部屋を出て行く。
綿貫が真也の方へ近づき、


「申し訳ありません。うちの人間の不適切な対応が御社まで巻き込んでしまって。」

「綿貫さんが謝ることはありませんよ。
 森さんだって、副社長に座ってろ、と言われたから座っていたんでしょう。」

それにしても、アレは厄介だな。

真也は眉をひそめ、綿貫は目を伏せたまま一礼すると、
加澤を促して部屋を出て行った。





「森さんはどうして、あそこまで強硬に出たんでしょうか。」

広通の会議室で、上司である中原クリエイティブ・ディレクターと
綿貫、加澤がひざを交えていた。


「いろいろ聞こえてはいるが・・・」

中原は相変わらず陽に焼けた顔で、ストライプ・シャツの袖をまくっている。


「S社は今、海外販売が絶好調で、同業他社に大きく水をあけている。

 10年ほど前、現社長が海外販売へ本腰を入れようとした際、
 曽根副社長はあまり味方をしなかったらしい。
 それ以来、現社長は海外、曽根副社長は国内、と半ば分担して業績を上げ、
 それぞれ、社長と副社長におさまったらしいが、
 ここへ来て、S社は海外に直接投資を行い、
 海外販売の伸びを一段と確かなモノにしたいらしい。

 一方、国内市場は飽和状態で、S社の既存ブランドはジリ貧だ。
 国内ブランド不振の責任と海外販売に積極的じゃなかったことで、
 下手をすると、曽根副社長は詰め腹を切らされかねない状況らしい。」

そこで・・・。

「国内での将来性あるブランドとして、KAtiEの取り込みを計っているわけですね。」

綿貫が中原の言葉を継いだ。

「そうだ。
 子会社という形態のまま、S社の国内ブランド扱いにして、
 KAtiEの成長を自分の手柄にしたいんだろう。
 森もそこに可能性を感じて、副社長と同じ舟に乗り込んだらしい。
 森の打ったこれまでのプロモーションが悪かった、とは言わないが、
 国内で巻き返しを計るようなうねりは生み出せなかったからな。
 森も必死なんだろう。
 
 手負いの曽根副社長の力をバックに、お前を蹴落として後がまに座る気だぞ。
 どうする?ゆずってやるのか?」

「ゆずるもゆずらないも、僕は最大限の努力をして、
 KAtiEのプロモーションをやるだけです。
 ただ、広通内部の内輪もめをクライアントに持ち込むのは、
 非常に申し訳ない。」

「森は一向に申し訳ないと思ってない。
 それどころか曽根副社長を使ってKAtiEをかき回してでも、
 自分が担当に座るつもりだ。
 森の行儀の悪さを心配している場合じゃない。
 しっかりしないと喰われるぞ。」

「はい。」


中原は、半ば面白そうに綿貫を見た。


「かつえ社長の口添えを期待しているなら、間違いだ。
 あの人はファッション・ビジネスで、
 主張して、主張して仕事をかち取ってきた。
 森の『なりふり構わぬ売り込み』を非常な熱意と取るかもしれない。
 お前も一度、なりふり構わずやってみろ。」

「はあ・・・」

「髪振り乱した、必死な綿貫もそろそろ見てみたい。」


中原は口元にからかうような笑みを浮かべてはいたが、
目は真剣だった。

傍らに控えている加澤は心配そうに、だまって中原と綿貫を交互に眺めている。


「だが・・・。
 俺も社内の仁義なき戦いを、クライアントに持ち込むのは反対だ。
 森には別方向からプレッシャーをかけておこう。
 ただ、曽根副社長がS社の社長やかつえさんを丸め込めば、
 あっちが道理となる。そうなったら、お前はお払い箱だ。」


中原は立ち上がった。


「しっかりやれよ。今後も情報は流す。
 俺にできることは全部やっておこう。」


手の中の紙コップをくしゃりと握りつぶしながら、中原が部屋を出て行った。
ドアが閉まると、加澤が心配そうに綿貫に顔を向けた。


「綿貫さん・・・」


綿貫は、めずらしく脚を組んだまま、空中をにらんでいる。


「得意なことじゃないが、やらなきゃならないみたいだ。
 情報収集も始めよう。
 注文を待ってないで、企画書のアイディアを練って置かなければ。
 あとは・・・そうだな。」


加澤が期待するような眼差しを向けた。

「取りあえず、飯を食いに行こう。」

綿貫が上着をつかんで勢い良く立ち上がるのを、大急ぎで加澤が後を追った。


 


「美奈!」

どこからか聞こえて来た声を、聞き違いかと思いながら、あたりを見回した。
街へ備品を買いに出た美奈の先に、綿貫と加澤が立っている。
加澤の顔にも驚きの表情があった。
綿貫が仕事中に美奈を呼び捨てにしたことなど、なかったからだ。

ためらいがちに綿貫たちへ足を向けると、向こうもこちらに近づいてくる。
その傍にいた加澤が

「すいません、僕、ちょっと先に行かせてもらいます」

美奈が綿貫のそばにたどり着く前に、ぴょん、と飛び跳ねるようにして、
傍を離れて行った。

コンビニと高級家具ブランドが混在する、外苑前の歩道で二人は向かい合った。


「どうしたの? 
 これからうちに来るんですか。」

「もう行ってきた。ここから別件に回る。
 その前に美奈に渡して置きたくて・・」

渡す?何だろう?


上着の内ポケットに手を入れた綿貫を、美奈は突っ立ったまま、じっと見ていた。
黒地に細いストライプの走ったスーツに、軽そうなコートを羽織り、
歩道に突き刺さったようにまっすぐ立っている。

ほんの少し髪が伸びたみたいだ。
広い肩の上の短髪が春風にそよぐ部分がある。

ひさしぶりに見る姿に見とれていると、チャリン、と音がして、
美奈の掌に冷たい感触がねじ込まれた。

もう一度、掌をひらいて見てみると、銀色に光る鍵に
ミッキーマウスのキーホルダーが付いている。

「??」

寄り目になりながら、空中にかざして見ていると、


「部屋の鍵だ。」

「・・・でも・・どうして?」


驚きの次に照れ臭さがのぼってきて、美奈の言葉もかすれ気味になる。


「渡しておいた方が便利だと思うから。」

「好きな時に入り込んでいいの?」


挑戦的に言った美奈に、綿貫はほんのわずか微笑んだ。


「ああ。」

「えっち写真集とかDVDとか、留守中に家捜ししちゃうかもしれないよ。」

「お前に見つかるような場所にはない。
 それより、夜食に湯豆腐の鍋を用意しておいてくれる、とかでもいいぞ。」

「そんなこと期待してるの?
 だったら、わたしの特製シチューを作っちゃうよ。
 サツマイモとトマトとオクラが入ってるの。」

「それは勘弁してくれ。
 第一、土鍋はあってもシチュー鍋はない。
 あがりこんで風呂を使うなり、音楽聞くなり、好きにしてくれていい。
 俺が帰れるのは、どうせ夜中だろうし・・・。

「今までだってそうだったじゃない。」

「そうだな。」

だのに何で・・・とさらに問いつめたくなるのを我慢して、

「んじゃあ、新宿とかで飲んで帰るのが面倒くさくなった時に潜り込むわ。
 家より都心に近いからタクシー代かからないし・・・」

「ああ、そうすればいい。
 どっかで酔っぱらっても助けには行かれないがな。」

「何とか部屋まで行き着くわ。
 綿貫さんの部屋に着いたとたん、ゲロ吐いちゃうかも。」


さすがに綿貫の眉間に不機嫌そうなしわが現れた。


「お前な・・・」

「ま、滅多にゲロは吐かないけど、死ぬほど飲む日はあるかもしれない。
 部屋中にお酒の匂いを充満させておいてあげる。」

「二日酔いになったら、耳元で、大声で叫んで起こしてやるよ。」

「んもう、性格いい!」


ひとしきり言い合うと、ほんの一瞬、沈黙が訪れた。


「どっか行っちゃうわけじゃないよね?」

「俺にはわからない。
 ただ、もうあまりKAtiEでは顔を見なくなるかもしれない。」

「どっか僻地に飛ばされちゃうの?」

「僻地に、広告代理店の仕事はない。」

ははは、そうだよね。


美奈は綿貫の胸に飛びつこうと、一歩体を前にだしたが、さっと躱されてしまった。


「何よ、感激して飛びついてあげようと思ったのに。」

「お前に飛びつかれると、重くてひっくり返りそうになる。」


横を向いて、しらっと言い切る姿がおかしくて、
思わず、声を出して笑い出してしまった。


「じゃね。」

「ああ、頑張って仕事しろ。」


説教がましい言葉に、イ〜ッと舌を出しながら、
ゆっくりと後ろ向きに綿貫の傍を離れて行き、
しばらくすると小さく手を振って、くるりと背中を向ける。

歩道に立っている長身の姿は、ファッション誌のグラビアのように、
隙なく決まっていたが、表情にかすかな影があって、
振り向いた美奈の胸を切なくさせた。

先日の副社長と真也の言い争いと、何か関係があるに違いない。

ああ、嫌だな。

綿貫の代わりに、あの抜け目がなくて、何を考えているのかわからない森なんかが
KAtiE担当になるのはイヤだった。

綿貫さん、ぜったい頑張って!

美奈ははるか後ろを行くであろう、綿貫に、こっそりとエールを送った。




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