AnnaMaria

 

琥珀色のアルバム 38 対決

 

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「本日はお忙しいところ、ありがとうございます。
 さっそくプレゼンテーションを始めさせて頂きます。」

KAtiEのレトロな会議室にぴいんと緊張がみなぎっている。

スクリーン正面にシルバーグレーのパンツスーツを着た、社長のかつえ。
両隣にS社の副社長曽根と倉橋常務。
その後ろに芳賀真也、病み上がりの長田、
そして美奈やKAtiEスタッフ何名かが座っている。

壁に沿って作られた席の窓側に広通の森の部下、数名、
反対のドア側に綿貫、加澤、岩見そら、中原部長が座っている。

順番はすでにくじで決められ、森のアイディアが先に披露されることになっていた。

照明を落とそうとした寸前にドアが開き、室内にひとりが滑り込んで来る。
見れば現在はS社の総務部長となった前田だ。
曽根が見とがめて口を開こうとしたが、かつえが手を上げた。

「わたしが呼びました。同席してもらいます。」

曽根の顔にわずかに不快そうな色がよぎったが、
何も言わず、進行を促した。
今度こそ照明が落とされ、スクリーンに光が当たる。


- - - - - - -

深い紺色の画面に、黒い線が幾すじも斜めに走る。
まっすぐでなく、微妙にゆがんだり、
線同士の幅がひろがったり、せばまったり。

紺色と見えたものは、カメラが引いていくにつれ、
夜明け前の淡い光にうかぶ、ざらざらした岩壁とわかる。
地層か波の跡か、自然の描いた幾何学模様の岸壁、
群青色の空と海、薄明の美しいモノトーンの世界。
明けの明星のみが金の輝きを放つ。

時が風化させ、風や波が洗い晒したものたち。
岩肌の質感と変化していく夜明けの空と、鈍く空を映す海面。
線と面で構成された景色に、力強いトランペットの旋律が流れだす。

岩壁をカメラが低くなぞると、
動かない岩壁の前で、何かが小さく揺れた。
さらに近づけば、白と黒の頭が黒っぽい毛布から覗いている。
空に光が現れ、景色が色を取り戻し始める。

白は流れる金髪に、黒は巻き毛の黒髪に。
毛布からのぞくなめらかな肌が曙光に輝く。
黒い髪が揺れると金の髪も風に流れ、混じり合う。
夜明けのくちづけ。

恋人たちの横顔も少しずつ色づく。
金髪女性の若く無垢な顔立ち、匂うような肌。
恋人に笑いかける柔らかいピンクの唇。
お互いを見つめる甘い表情。

二人きりの夜明け。
美しい髪がもつれ、肌がからみ、微笑み合い、
喜びがトランペットの旋律に乗って、画面から響いてくる。

- - - - - -

ほうっというため息がもれた。
画面が消え、室内に照明が戻っても余韻が漂う。
驚くほど完成された画面、シンプルで力強い音楽。
見たことのない場所。

「撮影者はどなた?」

素早くメガネを外した倉橋から質問が発せられた。

「イタリアのカルドロッシです。」

森の答に、美奈の隣にいた芳賀真也がふっと息を吐いた。

「有名なカメラマンだ。CMなんか撮らないって聞いてたけど。」

ひとり言のように真也がつぶやく。

「音楽は?」曽根副社長が尋ねた。
「マイルス・デイヴィス」

森が低い声で応え、曽根がうなずいた。
それっきり言葉が途切れ、会議室の中に妙な沈黙が漂った。

「見事な作品ね。
 聞きたいことはあるし、もっと説明もしたいでしょうけど、
 とにかく先へ進んでいいかしら。
 もう一つのアイディアも早く見たいので。」

「はい。かつえ社長、ありがとうございました。」

森が結んで着席すると、加澤が立ち上がってPCのプロジェクターをいじった。
再度、照明が落とされると、綿貫の落ち着いた声が響く。

「それでは始めさせていただきます。」


- - - - - -

葉っぱが一枚、はらりと落ちた。
と見る見る葉っぱが増え、赤、黄、だいだい、うす茶、焦げ茶・・・
色とりどりの葉が積み重なって、たちまち画面を埋めつくす。

いつしかそこは、色あざやかな秋の山。
一帖の真っ赤な錦に乗って、黒髪の姫が
空の高みから一気に駈け下る。
姫の吐く息、指先からつむぐ色で、
あたりの色彩は、さらに絢爛たる混沌へ。

金襴手の打ち掛けをまとった、あどけない姫が飛び回るたび、
黒髪がなびいて、画面を横切り、
宙を舞う、うれしそうな表情がアップになる。
冷たい秋風に頬が色づき、唇が興奮に赤らんで。

風の中を自由に舞いながら、画面のこちらへ一瞬、視線を流す。
心を見すかすような黒い瞳。
軽く微笑むと、紅い唇からふうっと息を吹き出し、
山に最後のひと刷毛をほどこすと
風に乗っていずこかへ消えて行く。
華麗なる色彩を残して。


- - - - - -

わあ、と言う声がKAtiE女性スタッフや、美奈の口からこぼれ、
思わず手を叩いた。
叩いてしまってから、はっと一瞬肩をすくめ、中央のかつえたちを見直す。
照明が再び灯ると

「どうです?」かつえが傍らの曽根に訊いた。

ふうむ。
曽根は腕組みしたまま、うなると

「どっかのアニメーション作品みたいですな。
 ジブリとかそういうところの。
 楽しいんだが、化粧品のイメージとしては・・・」

「でも色味はよく研究されていましたわ。
 うちの新色がきちんと使ってあったでしょ。
 実際にオンエアするときには、色の微調整が可能かしら?」

倉橋が尋ね、綿貫がうなずいた。

「もちろんです。
 かつえ社長のご意見を伺ってもよろしいですか?」

かつえはしばらく腕組みしたまま、じっと宙をにらんでいた。
が、そのうち大声で笑い出し、体を揺すって笑いを止めようとしたが、

「かつえさんったら。失礼じゃないの。」

驚いた倉橋にまで笑いが感染してしまう。
見ていた美奈たちも驚いたが、かつえと倉橋があんまり弾けたように笑うので、
一緒になって大声で笑ってしまった。

ひとしきり笑い声が止み、かつえが震えながらハンカチを引っ張りだし、

「ああ、びっくりした。」

メガネを外して目元を拭いた。

「こんなものを見せられるとは、思ってもいなかった。
 面白いわね。元絵は誰が作ったの?」

「ここにいる岩見そら、です。」

綿貫がそらを指すと、そらが小さく礼をする。
今日は無理矢理ジャケットの袖を通していたが、
左手はまだ白いギプスで固められ、痛々しい。
髪を後ろでひとつに結び、化粧気のないあどけない顔つきは
高校生と言っても通りそうだ。

「ふうん。
 綿貫さんはまた、面白い人を連れて来たわねえ。」

「○HKの『みんなのうた』の背景みたいだな。
 可愛くて面白かったよ。」

曽根が余裕のある笑顔で、そらを見下ろし、感想を述べた。
かつえは足を組み直すと

「では、森さん、付け足したいことがあったら、
 伺いましょう。」

「はい。」

再び森が進み出て、ボードの一枚を指した。

「撮影はカルドロッシ。
 カメラマンというより、昨今は世界的アーティストとして通っており、 
 商業撮影を請け負うことなど、滅多にありません。
 発表されれば、十分な話題性を持つでしょう。

 内容について付け足すことは、ほとんどないと思っております。
 撮影地は彼個人所有の島で、これまでCMに使われた事はありません。
 非常に美しい天然の岩壁、空と海。
 若く美しいカップルの幸せな愛。
 いろいろな感情に訴える、シンプルで詩的な作品だと自負しております。」

森の説明に曽根が何度も大きくうなずき、小さく拍手さえした。

「非常に洗練された作品だったね。
 まさに大人の美しさを訴えるものだ。
 すばらしい出来だと思うよ。」

「本当に。
 何も無駄なものがなくて、完成された世界でしたわね。
 動くものが波と彼らだけ、というのがロマンチックだわ。」

倉橋がほんのり赤い顔でコメントした。

「かつえ社長のご意見をお聞かせ願えますか?」

森が問いかけると、かつえは固い表情を見せた。

「これってKAtiEのイメージなの?」

「はい?」

「先春、総合コスメティックブランドとして、
 本格的にデビューしてからのプロモーションは見てくれたわよね?」

「はい、もちろん。」

「これがそのプロモーションにつらなるイメージの作品なの?」

かつえの口調の厳しさに、森は冷や汗が流れるのを感じたが、
ここで引くわけには行かない。

「KAtiEの広告、製品を全て見せていただいた上でのご提案です。
 個々の口紅や新色を売り出すのではなく、
 女性らしい美を開放するブランドのプロモーションとしてとらえ、
 今回のイメージになりました。」

「では聞くけど、これを見て、KAtiEのお客様は
 自分の愛用ブランド広告だと感じてくれるかしら?」

「驚きがあってもいいのではありませんか。
 見て感動し、これは何だろう、と自問した後、
 KAtiEだったのかと、改めて得心して頂ける完成度だと。」

かつえの顔は厳しいままだ。

「作品の完成度を言っていない。
 確かに無駄のない美しさで、これ以上ない完成度だと思う。
 テロップに『ゲ○ン』とか『カ○バンクライン』とかあれば、
 ああ、なるほどと思われるような・・・」

倉橋がはっとしたように、かつえの顔を見た。

「映像コンペじゃないのよ。
 広告賞は取れても、うちのブランドだと共感してくれないと
 お客の心はつかめないわ。
 あのカルドロッシを連れてくるのは、さぞ大変だったでしょうけど、
 彼はもう自分のための仕事しかしないのよ。」

これを見ればわかる。

かつえは残念そうに目を細めて、美しいボードを凝視する横で
曽根は憤懣やるかたない様子だ。

「わたしはそうは思わないね。
 非常にすばらしい感覚と力強さに満ちた作品だ。
 大自然と女性の美がしっかりとらえられてる。
 素人くさいもう一つとは比べものにならん。
 わたしは絶対にこちらを推す。」

「比べる、比べないじゃなく、全然別ものです。
 作品の出来をどうこう言う前に、
 KAtiEのイメージを広げる提案が必要なのよ。
 聞いてみましょう。
 美奈ちゃん、どっちが良かった?」

緊迫したやり取りの後、いきなり指名されて、
美奈は飛び上がった。

一瞬、目をとじ、カルドロッシの美しい残像を思い浮かべる。
それから目を開けて、正面の二つのボードを見比べ、

「かわいいお姫さまが飛び回るほうです。」

返事をした。
曽根が不満そうにうなる声が聞こえ、背中が縮んだ。

カナちゃんは?エリは?長田くんはどう?

次々尋ねられたKAtiEスタッフの答は、いずれもそらの案だった。

「芳賀さんはどうなの?」

倉橋常務が柔らかい声で訊いた。
真也は返事を少しためらっている。
彼個人の趣味をよく知っている美奈は、迷う気持ちがわかった。

「秋の山のほうです。」

「KAtiEスタッフは、今までの路線に慣れてしまってるんじゃないのか。
 こちらの良さがわからない筈はないと思うが・・・」

真也の返事が終わらないうちに、曽根が不満そうに口を出した。

「ちがうのよ。KAtiEブランドをよく知っているからの答なんです。
 可愛くって新しくって、わくわくするものがぴったりなのよ。」

「倉橋くんもそう思うかね?」

問いを振られた倉橋は、あどけなく小首をかしげて見せ、
ほんのりと微笑んだ。

「カルドロッシの作品、素敵でしたわ。
 シンプルで品のいいエロスも感じました。
 でも、可愛いと言えば・・・」

言葉を切って、なだめるように曽根を見ると

「お姫さまのほうかしら。」

ううむ。

「可愛いだけじゃなく、美しくなくちゃいかんだろう。」

「ええ、可愛くて美しかったですわね。」

曽根は倉橋の答えに不満のようだ。

「おわかりいただけますか?」かつえの言葉に、

「わからん!
 本気であのカルドロッシの作品を蹴るつもりなのか。
 グレードの違いも明白だ。
 あの貧乏くさい作品にそんなに満足したのか?」

「完璧に満足しているわけではありませんが、
 身近な親しみやすさがありますし、インパクトは・・」

「美的インパクトなら、カルドロッシに勝るはずがない。
 違うか?」

吠えた曽根は、怒った顔を倉橋に向けた。

「どちらにも感じましたわ。」

にっこり倉橋が答えると、さらにうなりだした。

「君たちはどうかしている!
 カルドロッシ作品の真価がわからないと見える。
 これはS社に持ち帰って、他からの判断をあおぐ。」

「曽根副社長、お間違えありませんように。
 これはKAtiEのプロモーションです。」

かつえが返すと

「金を出すのはS社だ!」

曽根がねめつけて立ち上がり、行くぞ、と森に声を掛け、
さっさと部屋を出て行ってしまった。

曽根と森が出て行った会議室に一瞬、沈黙が漂ったが、

「やれやれ・・・」

かつえの盛大なため息に、どこからともなく吹き出す声が聞こえ、
一瞬、笑い声が部屋にさざめいたが、広通の綿貫らは笑うどころではない。

「つい、怒らせちゃった。
 頭に血が上っているから、今は何を言っても無駄ね。」

かつえは両手を大きく広げると、緊張している広通組に向き直った。

綿貫さん。

「はい。」

「お疲れさま、よくできてたわ。」

「ありがとうございます。」

「綿貫さんのプレゼンテーションを披露してもらうヒマがなかったわね。
 曽根さん、帰っちゃったし・・・」

かつえがまた笑ったが、綿貫はどうしても笑えなかった。

「わたしの気持ちは既に決まっているけど、楽観はできない。
 KAtiEが自前でプロモーションを張れない限り、
 あっちの口出しは覚悟しなくちゃならないから。」

「はい。」

「それに幾つか調整すべき点もあるわ。
 イラスト路線は継続していきたいから、Qさんとも連携しなくちゃね。
 キャンペーンの日取りを考えると、こっちはこっちで進めて行きましょう。」

「ありがとうございます。」

「まあ・・・、週明けにははっきりさせるわ。
 今、S社に乗り込んで反対意見を述べると逆効果かもしれないから、
 じれったいけど、あっちの頭が冷えるまで待つ。」

「わかりました。」

「じゃ、さっそく上に来てくれる?
 芳賀さんも入って。あ、そちらの・・・」

かつえの視線がそらに止まった。

「クリエイターの岩見さんもご一緒に。」

笑いかけると、そらがこっくりうなずいた。

綿貫と中原部長はそっと顔を見合わせた。
長い週末になりそうだった。




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