AnnaMaria

 

琥珀色のアルバム 40 発熱

 

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また携帯の音だ。

この夜中に、まさか男の自分が出るわけに行かない。
Qは、美奈の彼がKAtiEのプロジェクト・リーダーだと、
うすうす察していた。
自分が美奈のポートレートを撮るのに嫉妬深い目を向けていたし、
イラストにもあまり良い顔をしなかった。
彼女を酔っぱらわせて、深夜、部屋にとどめていると知れたら、
KAtiEへの出入り禁止も覚悟しなくてはならない。

あれこれ考えていると、美奈が苦しそうにもぞもぞ動いたので、
顔を近づけた。

「どうしたの?」

「おみず。おみずがのみたい。」

Qは冷蔵庫のミネラルウォーターをコップに汲んで、美奈を抱き起こした。
背中を支えてやりながらコップを渡すと、唇が乾き、手が震えている。
それでも二口、三口、水を飲んで、コップが半分空になった。

「さむい。」

近くに出しておいたブランケットを重ねてやり、抱き寄せた。
誰に抱かれているか、美奈にはわかっていまい。
そっと首すじに手を触れると火のように熱い。
絶対にさっきよりも熱が上がっている。

「ごめん・・・なさい。めいわくかけて。
 タクシーなら、かえれますから。」

かさついた唇で、ぽつぽつと言葉を押し出すも、
体はぐったり自分に預けたままだ。

「今、無理に移動したら倒れてしまうよ。
 ここは気にしなくていいから、朝までおやすみなさい。」

「でも・・・」

「目が醒めたのなら、ちょうどいい。もう一度熱を計ろう。」

体温計の目盛りは、ついに41度を示した。
Qが用意しておいた解熱剤を服用させ、ソファに寝かせたところで、
また携帯が鳴った。
Qは少々ためらった後に

「美奈さんの携帯、さっきから何度も鳴っていたよ。
 もし出られるなら出たほうが・・・」

「あ・・・」

半分横になりかけた美奈が大儀そうに起き上がり、バッグを探るので、
Qが手伝って携帯を取り出す。
表示にS!という文字が浮き出た携帯を耳に当て、
美奈がかすれた声で「もしもし・・・」と答える。

会話を聞かないでおこうと、Qは少しソファから離れた。

「う〜ん、ちょうし、わるくて・・」
「くるまでかえれるから。だいじょぶ」
「ここ?え〜とどこだったっけ」
「う〜ん、でも・・・」

聞いていない筈のQだったが、美奈の言葉に相手がますます不安になるのが、
手に取るようにわかる。

「でもほんとにわかんないから・・」

ろれつの回らない口調で美奈が言って、Qを見上げた。

「どうしたんです?」
「ここ、くるって。ばしょ、いえって。」

どよんとした目のまま、携帯を半分握っている。
Qはためらったが、結局美奈から携帯を受け取った。
相手はかなり怒っているかもしれないと、少し緊張する。

「もしもし、ご心配かけてすみません。
 美奈さんは体調がすぐれないようなので、このまま、ここで休んでもらって
 朝になったら僕がお送りします。
 それから医者に行くなりした方が・・」

「ご迷惑をかけて、こちらこそ申し訳ありません。
 でしたら尚更、今、迎えに行きます。
 そちらの住所を教えてもらえますか?」

電話ごしの声の冷静さが、却って感情を抑えつけているように思われ、
Qは今後の美奈が心配になった。

「ですが、今、無理に動かさないほうが・・・」
「すぐ行きますから。」

きっぱりした調子にあきらめて、Qは住所と部屋の表札を教え
美奈に携帯を返そうとすると、ソファにぐったり横たわって既に意識がない。
Qは不安な気持ちで、男が来るのを待つことになった。





15分くらいすると美奈の額に玉のような汗がにじみ、
髪が濡れてきた。
掛けていた毛布をそっとはぐと、着ている服が水に落ちたほども濡れている。

毛布をはがしたせいか、カタカタ歯を鳴らし、寒そうにするので、
Qは急いで適当な着替えを持ってくると、美奈を起こした。

「美奈さん、着ているものが汗でびっしょりだ。
 とにかく着替えた方がいい。」

タオルで顔や髪を拭いてやりながら言って聞かせると
「はい」とうつろな顔で返事をする。

「間に合わせだけど、ここに替えがあるから。
 自分で着替えられるかな?」

「はい。」

「じゃあ、僕はあっちの部屋に行ってるから、終わったら呼んで。」

汗みどろの美奈に着替えを握らせると、Qは隣の寝室に移動した。
果たしてちゃんと着替えられるのか不安だが、
まさか手伝うわけにも行かない。

寝室からそれとなく気配を窺いながら、

「美奈さん、もう大丈夫?」

声を掛けながら先ほどの部屋に戻ると
QのTシャツとスウェットに着替えた美奈が、濡れた髪を振り乱しながら、
自分の服をまとめようとしていた。

顔を上げると
「すみません、何から何まで」

さっきより、ややはっきりした声で頭を下げた。

「いえ、大した服じゃないから気にしないで。袋を持ってきましょう。」

「ありがとうございます。」

美奈がもらった袋に濡れた衣類を押し込み、
ソファに倒れ込んだところで、玄関のベルが鳴った。

「うわ、どうしよう!」

美奈があわてて毛布の中にもぐり込むのを見て、Qも覚悟を決めた。
彼と対決しなければならないかもしれない。
ざっと居間の中を見回し、誤解を呼ぶものがないかチェックし、
玄関へ行って鍵を開ける。

静かに中へ入って来た長身の男を見て、Qは仰天した。

「あれ、綿貫さん?」

てっきり怒りに燃えた芳賀真也が現れると思っていたのに、
意外な出現に、正直、混乱した。
当の綿貫は恐縮した様子ながらも落ち着き払っている。

「夜中にお騒がせして、本当に申し訳ありません。」

「いえ、ともかくどうぞ。」

一礼してドアを閉め、綿貫が部屋に上がって来た。
ソファの上に毛布のかたまりが丸まっている。

「・・・・コレですか?」

「ええ、コレです。」

Qは最初の驚きから立ち直ると、突っ立っている綿貫に返事をした。
日頃、礼儀正しい綿貫が、押し殺したような無表情で尋ねるのが、
何だかおかしい。

「おおかた飲み過ぎてご迷惑をかけたのでしょうが・・・」

「いえ、そうではなく、体調を崩されたようです。
 41度も熱が出て、さっきようやく少し引いたのですよ。」

綿貫はQの言葉に少し眉をひそめたが、
そのまま毛布のかたまりの側に立つと

「美奈、迎えに来た。車を待たせてある。」
「・・・・・」
「美奈、聞こえてるんだろう?」
「・・・・・」

無言のかたまりに、男二人が一瞬、押し黙る。

「どのくらい飲みました?」

「ビールとワインを数杯ですか。
 途中までは元気にご飯も食べていたのですが、急に震えだして・・」

「本当にすみません。
 自分の体調も把握できずに、こんなご迷惑をかけてしまって。」

綿貫が決めつけると、びくりと毛布が動いた。
すかさず綿貫が近寄って毛布をはがすと、中から
ダブダブのTシャツ、スウェット姿の美奈が、くの字に転がり出る。
ゆでたように真っ赤で、早くも服の一部が黒く濡れ始めている。

状態の悪さに、一瞬、綿貫はたじろいだ様子だが、
Qは綿貫の少々荒っぽい扱いに驚いた。

「さ、起き上がれ」「ひ〜〜」

美奈の手を引っ張って起こし、脇の下から腕を入れ、立たせようとしている。

「ほら、しゃんと歩け」「う〜ん、ちょっとまって〜」
「体調管理がなってないからだ。」「すみませ〜ん〜」
「俺に謝ってどうする。迷惑かけたのはQさんだろうに。」
「Qさん、ごめんなさ〜い〜」

けなげにも美奈は一生懸命歩こうとしているようなのに、
足下がふらつき、見ているQは気が気ではない。

綿貫は肩で美奈を支えながら、置いてあった荷物を持とうとした、
その拍子にぐらりと美奈がかしぐ。

あぶない!

あわててQが反対側から支える。

「綿貫さん、僕が荷物を持ちますから、美奈さんをお願いします。」

「すみません。」

綿貫と美奈が揺れながら玄関に向かううち、美奈がまた激しく震えだした。

「待って下さい!」

二人が止まるとQが荷物を下ろして、後ろから美奈に毛布を着せ掛けた。

「寒がっています。毛布ごと車に乗ったほうがいい。
 美奈さん、大丈夫ですか?」

「・・・・」

「お気遣い、ありがとうございます。」

綿貫が答えて美奈を毛布でくるむと、ふたたび背中を抱えながら進み、
後ろから荷物を持ったQが続く。

いっそ抱えて運んだほうが、とQは何度か思ったが、
綿貫はあくまで歩かせるつもりのようだ。
どうにか美奈に靴をはかせるとエレベーターで玄関ロビーに向かう。

建物の前で待っていた車まで、あと一歩のところで、
綿貫にしなだれかかっていた美奈が、急にふりむいてQへ腕を伸ばした。
驚いてQが美奈の手をつかむと、美奈が体ごと倒れ込んできた。

「Qさん、ありがとう。
 たのしかったし、おいしかった。
 なのにこんなごめいわくかけて、ごめんなさい。」

「僕は大丈夫だから気にしないで。」

Qは美奈を受け止めたものの、ふらつく体はなかば綿貫が支えている。

「どうかほかのかたにもおわびを。」

少し涙ぐんだ美奈がQの手を放さない。

「大丈夫ですよ。美奈さんこそ早くよくなって下さい。」

「ほんとにごめんなさい〜」

「ほら、もうQさんを困らせるな。」

ったく。戻ったら、でっかい灸を据えてやる。

ふと漏れた言葉に、美奈とQがそろっておびえたような表情を浮かべたので、
綿貫もむっとした。

「冗談ですよ。」

「もちろんわかっています。」

「それでは、本当にお世話をお掛けしました。これで失礼します。」

美奈を車に押し込んで窓越しに綿貫が頭を下げると、車が動き始め、
後ろの窓から美奈が弱々しく手を振るのが見えた。


だいじょうぶ・・・かな?

何だか妙な組み合わせの退場に、呆気に取られたQだが、
しばらくしておかしくなり、ひとり笑ってしまった。

そうか、綿貫さんが美奈さんの彼だったのか。
考えもしなかった。
二人のやり取りを思い出すと、また少し笑えてくる。

空っぽの部屋に戻るまえに、夜空を見上げた。
肩のあたりを欠いた月が、ひとり上ってくる。

小鳥は飛んで行ってしまった。
ほんのしばらく羽を休めてもらえるかと思ったのに。






「幡ヶ谷まで」

綿貫が告げたのを聞いて美奈がむくむく起きだした。

「れ〜?わたぬきさん、あたしいえかえる。ねてればいいから。」

「お母さん、まだ大阪なんだろう?」「うう。」

「じゃあ、ダメだ。その状態で一人にはできない。
 ミイラになるぞ。」

「ひとりでもだいじょぶ。」

「ちゃんと一人にもしてやる。安心しろ。」

そう言った綿貫が腕組みをして、前に向き直ってしまったので、
美奈は毛布の中でため息をつき、もそもそと手を伸ばすと、
甘えるように綿貫の右肩にもたれかかる。

一瞬、綿貫がこちらを見たのがわかったが、
怒られる前に、急いで目を閉じてしまった。



ようやく部屋に着き、毛布にくるんだままの美奈を
とりあえずソファに座らせた。
綿貫が荷物を置いたり、手を洗ったりしているのを、
美奈が呆然とソファから眺めている。

「さて」

ソファの隣にそっと座り、どんな具合かと尋ねようとすると
毛布ごと、ぶるぶる震えている。
首すじを触ると火のように熱い。説教はあとまわしだ。

「とりあえず水分だけ摂って、すぐに寝ろ。」

買い置きのスポーツドリンクを飲ませると、
よろける美奈の背中を抱いてベッドに押し込み、
借りた毛布を上から余分に掛け、立ち上がった。

「・・こでねる?」
「え?」
「・・たぬきさんはどこでねるの?」

ベッドから赤い目を半分開いて、こっちを見ている。
綿貫はまたベッドのそばに膝をついた。

「ソファで寝る。お前はゆっくりここで休め。」

美奈が半開きの目のまま、綿貫の手を握った。
そのまま放そうとしない。

綿貫は表情をゆるめて、つかまれていない方の手で
額に貼り付いた髪をどけてやった。

「心配するな。眠るまでここにいる。」

美奈はなおもしばらく、重いまぶたの下からじっと綿貫を凝視していたが、
やがてゆっくり目を閉じた。
まつげの影が目の下に落ち、憔悴した顔をさらに隈取っている。
ときどき、まぶたがぴくぴく動いて目を開けそうにするので、
そのたび、そっと髪をなでてやった。

まさか、子守唄をうたうわけにもいかない。



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