AnnaMaria

 

琥珀色のアルバム 41 軟禁1

 

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明けて土曜日、朝一番に連れて行かれた医者で、
めでたく美奈は「インフルエンザ」の診断を受けた。

「え〜?こんな春にも、インフルってあるんですか?」
「夏でもあるよ。たまにね。」

医者が試薬を指差しながら、あっさり答えた。

「発症した昨日含めて5日間は、他の人にうつすから絶対に外に出ちゃダメ。
 帰りも別の出口から帰ってね。」

冬が終わったのに、いんふる?

混乱したまま、別室で治療薬の吸引と説明を受けると
薬とマスクを渡されて、傍の出口からひっそり出された。

待合室を出て、路上で携帯を使っていた綿貫が、
違う出口から来た美奈に目を留めた。


「どうした?」

「インフルエンザだから待合室、通るなって。
 綿貫さんにもうつるよ。近づかないほうがいい。」

「俺は予防接種を受けてる。調子はどうなんだ?」

「う〜ん、何だか頭がまだフラフラする。
 お部屋に戻ったら荷物持って、うちに帰る。」

「バカ言うな。」


昨夜のように歩けないほどの熱ではなかったが、
今も39度を超えており、Qの借り着に綿貫のパーカを羽織った
情けないスタイルだ。

足下がふらつくので、綿貫の腕にぶら下がりながら歩いている。
手をつないだり、腕を組んだりを極端に嫌がる男だが
不調時は寛大なのを知っているのだ。


「あ〜、インフルエンザなんて、どこでもらったかなぁ」

「KAtiEで感染者が出てたのか?」

「インフルとは聞かなかったけど、長田くんがずうっと調子悪くて
 休んでた。それで・・あっ!」

「なんだ?」

「彼が休む前、ふたりでラーメン食べた時、
 長田くんがもうビール飲めないって残すから、
 もったいないって、残りをぐ〜っと空けた・・・かな。」

「・・・・」

「アレだ!間接キスしちゃってたんだ。あ〜あ。」

「・・・・」

隣を歩く男の顔をのぞきこみ、冗談ぽく笑うと


「やだ、ホントのキスはしてないから。ね?」


綿貫の腕がすっと外されて、つかまっていた美奈はヨロヨロと踏み迷った。


「何よ、急に。付き添いで来てくれたんでしょ?」
「昨夜より大分元気だから、ひとりで歩けるだろう。」


そういうといつものペースに戻って、さっさと歩いて行ってしまう。

え〜〜、あるけない、ふらつく、もうダメ〜〜。

美奈が足を引きずりながら、ノロノロ進んでも振り向きもしない。
いっそ、このまま家に帰ってやろうか、とも思ったが、
財布一個で出て来て、バッグは綿貫の部屋に置きっぱなし。

マジにふらつくのにぃ。

思っても後の祭りだ。
結局、同じ部屋へ別々に帰る羽目になった。




「ぶ〜〜〜〜」

美奈がふくれながら部屋をノックすると、綿貫がドアを開けてくれた。
平然とした表情が憎らしい。


「遅かったな。」

「何よ、病人置き去りにしてさっさと帰るってアリ?」
 あ〜、ちょうしわるぅ、めまいするぅ。


ブツブツ言いながら、ソファにどすんと座り込むと
綿貫が近づいてパーカを脱がせ、手を引っ張って立ち上がらせる。

「なによ?」

「インフル患者は水分を摂って寝るんだよ。
 俺はちょっと出かけてくる。」

「どこへ?」

「買い物と週末の雑用だ。おとなしく寝てろ。」


ベッドまで連れてくると、上掛けを剥がして美奈をつっこみ
ふとんを掛け直すと、パーカをハンガーに掛けた。

「じゃあな。」


かちゃりとドアの閉まる音がした。
ベッドに押し込められた美奈は面白くなかったが、
見上げた天井の羽目板が、今日は少々ゆがんでみえる。

やばいか。

仕方なく目を閉じたものの、何かむなしくてもう一度起き上がる。
ベッドを出て、よろよろ近くの棚を探すと「居た」。
綿貫が叔父からもらったとか言う、半眼の木彫り猫。

「お前、ちょっと固いけどご主人さまより愛嬌あるし・・・」
一緒に寝ようか。

美奈はざらざらした木目を撫でながら、もう一度目をつぶった。




目をさますと2時を回っている。
ベッドに起き上がってあたりを見回すと誰もいない。

「わたぬきさん」

呼んでみたが、答えもない。
喉が渇いたのでベッドから起きだすと、視界がぐらりと揺れた。

冷蔵庫のポ○リスウェットまで、もそもそ進もうとすると、
ソファ前のテーブルに紙が置いてある。

「仕事に出かける。戻りは夜。
 きちんと薬をのみ、水分補給すること。
 食べられるものがあれば食べて。」

ふ〜んだ、一人にもしてやるってこういうこと?
部屋に連れ帰ってほったらかしにするんだ。

「追伸:絶対、外へ出ないように」

軟禁じゃん!もう。

見直したキッチンのカウンターにレトルトのお粥とスープのパック。
バナナが一房。

冷蔵庫を開けるとヨーグルト、プリン、桃ゼリー。
ポ○リスウェットとビールのパック(これは自分用に違いない)。
冷凍庫に「ひえピタ枕」が入っていた。

これらでどうにかしのげってことよね。
やれやれ・・・。

美奈はキッチンの床に座り込むと、
ペットボトルごとポ○リスウェットをあおる。

KAtiEスタッフに連絡しなくちゃな。
5日間、出勤停止ぃ?
あ〜あ、こんなタイミングで。

美奈はプレゼンの顛末を思い出して、憂鬱になった。






-------
足を踏み出そうとすると、シュッ!
綿貫の目前でいきなりカーテンが閉まった。
あわてて別の方向に踏み出せば、またシュシュッ!
大きな布に行く手をさえぎられる。

『お前なんざ、どこへも行けやしないさ』

カーテンの向こうから、勝ち誇ったような声がする。

誰だ!森さん?

シュシュッ!ガタッ、トン!


かなりリアルな音が聞こえ、頭がはっきりしないまま、
悪夢から逃れようと、綿貫は無理矢理目を開けた。

最初に目に映ったのは、灰色の棒のようなシルエット。
壁に立てかけてあるような・・・
何だろう?

少し窮屈なソファで寝返りを打ち、置いたはずのメガネを手探りする。
寝ぼけ眼の焦点が合ったところで、

ぷは〜〜っ!

妙な音がして、何かがどっと手前に倒れ込んで来た。
どん!という鈍い音と共に布のかたまりが起き上がり、床にあぐらをかく。
美奈だった。

両手を組んで、頭上で伸びをしながら左右に揺れている。
止まって立ち上がり、流しに片脚を乗せた。
ふと振り返って目が合うと急に笑顔がはじける。

「おはよう!目が醒めたの?」

脚を下ろして、あっという間にアップで迫って来た。

「・・・何をしてる?」

「ああ、ごめんなさい。起こしちゃったかな。
 なるべく音を立てないようにやってたんだけど。」

「やってたって何を?」

「ストレッチ!
 熱が出たし、昨日一日寝てたら体が固まっちゃって。
 バレエの基本レッスンをさらってみてたの。
 ダメねえ、さぼってると・・・」

足が上がらなくなっちゃって、と言いつつ、また流しのふちに片脚を乗せた。
半分体を起こした綿貫が、まじまじとソファから見つめていると、

「あ、ごめんね!
 この部屋バーがないから、このシンクのふちが丁度いい高さなの。」

美奈の脚がさらに上がって、ゆっくり弧を描き、床に降りる。
シュッと音がして反対の脚がまたゆっくりと上がり・・・

この音だったか。

夢で聞いたカーテンを引く音は、美奈のバーレッスンの音らしい。
では、さっきの細長いものは?

「この部屋、何にもない壁が少ないのよね。
 前は支えが無くても逆立ちできたけど、最近ちょっと自信ないから、
 後ろに壁のあるところでやってるの。
 逆立ちって体にいいよ。ずれた内臓が元の位置に戻るの。
 綿貫さんもやってみない?」

「いい。」

「最初はちょっと難しくても、コツをつかめばすぐできるわよ。
 夜寝る前に逆立ちして、体のゆがみを取って寝ると熟睡できるわ。」

「勘弁してくれ。」

さっきのは逆さま美奈、か。
ったく、ちょっと元気になったかと思ったら、パタパタと・・

「体調は良くなったのか?」

うれしそうに美奈がまた飛んで来た。

「うん。さっき計ったけどもう熱ないみたい。
 まだ、すこ〜し節々がかったるいけど、それは仕方ないよね。」

あ〜、お腹すいた。


美奈が両手で綿貫の顔をはさんだ。


「ね?もう手も熱くないでしょ?治ったみたい。」

「治ったんじゃない。症状が治まったんだ。
 体内でウィルスが渦巻いてるんだから、絶対、外に出るなよ。」

う〜〜ん。

「5日間出勤停止って、火曜日まで行っちゃダメってこと?
 どうしよう!この非常時に。」


でっかい目がくるくると動いて、いろんな感情を映しだす。
寝起きにはめまぐるしいほど。


「ねえ、お腹すいた。」


美奈の手が綿貫の肩にかかって、首すじをなでる。
温かい息が耳元をくすぐるのに、言っている内容は
色気のないことおびただしい。

「起きて、朝ごはん買って来て。
 あのおいしい焼き立てパン屋さんのやつ。」

クロワッサンが食べたい気分だけど、あるかなあ。
なければフォカッチャとか、ケシの実のブールとか・・
オレンジのペストリーとかもあったら、絶対食べたい!

美奈の頭にはパン屋の棚の様子が、
ありありと浮かんでいるようだ。

綿貫はあきらめてソファに起き直り、髪を搔き上げた。
この居候、寝かせておいてくれる気は全くないらしい。
美奈は手を綿貫のひざに置き、目をきらきら輝かせている。

「ねえ、一緒に行きたい。」「ダメだ。」

ぶ〜〜!
急に顔がふくれた。

「マスクすれば大丈夫なんじゃない?」
「ウィルスはマスクを通る」


立ち上がってとにかくシャワーに行く。
戻ると今度は、床の上でストレッチしている。
横に倒した姿勢でスウェットがずりあがり、白い脇腹が見え、
さらに倒すとその上までちらりと・・・

ダメだ、ダメだ!

頭を振りながら横切って行く綿貫を、美奈が不思議そうにながめる。


「20分くらいで戻るから、お湯をわかしておいてくれ。」

「了解〜!コーヒー豆も挽いておく?」

「計って挽くからいい。おとなしくしてろよ。」

「うん、待ってる!パンに迷ったら電話ちょうだい。」


美奈は自分が寝ていたベッドを整え直し、鼻歌を歌いながら、
テーブルに皿とカップを用意していると、綿貫が帰って来た。
ぷーんと香ばしいバターの香りが漂う。

「見せて見せて見せて見せて!」

飛びついて来た美奈にパンの袋を渡し、豆を計量してミルにかける。


「あ、これとコレは新作!胡桃とカシスね、食べたことないわ。
 このペストリーには何が挟まってるの?
 カスタード?チョコ?」


何のことを言っているのか見当がついたので、
コーヒーを淹れながら答える。


「バナナとキャラメルクリーム。」「わあ!」


袋に鼻をつっこんでいる様子は、尻尾を振る子犬みたいだ。
コーヒーをカップに注ぎ終わると、美奈が歓声を上げた。


「もう食べてもいいのね!ねえ、綿貫さん、どれがいい?」

「甘いの以外なら何でもいい。好きなのを取れ。」

「やった!結構沢山買ってきてくれたね。
 前にわたしが買ったときは、多すぎるって言ったのに。」

「だいぶ腹ペコみたいだったからな。」


サク・・・と音をさせて、クロワッサンをほおばりだすと
ようやく静かになる。


「おいし〜〜い!
 ああ、夢に見ちゃった。
 この部屋にいると無性にパンが食べたくなる。
 昨日はおかゆとゼリーだけだったし。」

「足りなかったか?」

「ううん、それしか食べられなかった。
 綿貫さんが出てったのも帰ったのも、知らなかったもん。」

「よく寝ていたから起こさなかったんだ。」

「今日は日曜だけど仕事に行くの?」

「ああ、会社ではないが、一カ所だけ行って来なくてはならない。
 付きっきりで看病できなくて悪いな。」


少々皮肉っぽく答えると


「もう看病要らないもん。あとは薬飲んで部屋にいるだけ。
 あ、そうだ!着替えがもうないの。どうしよう?
 買ってきてくれる?」

「女性ものの着替えをか?」


綿貫が目を剥いたので、美奈が笑った。


「広告マンって何でもできるんじゃないの?
 下着や生理用品のCMだって作るんでしょ?
 女ものの着替えくらい・・」

「仕事ならな。」


くすくす美奈が笑い出した。


「いいよ、洗濯して乾燥機で乾くまで下着なしでいるから。」

「俺の新品のを使えばいい。女性用トランクスだってあるんだろ?
 大して変わらんだろう。」

う〜ん、どうかな。

「ああ、お風呂に入りたい。」

「熱が下がったばかりだ、止めとけ。」

「いやよ、そんなの我慢できないわ。
 ねえ、あなたの好きな音楽かけて」


コーヒーカップを取り上げながら、美奈が言った。
綿貫は首を振って立ち上がると、棚の前でしばらく迷っていたが
ほどなく軽快なガーシュインの旋律が流れだした。


「いいなあ。
 綿貫さんってホント、音楽の趣味はいいよねえ。」

「他がダメみたいな言い方だ。」


ウェストサイド物語のメドレーになると、
美奈が座ったまま、足で拍子を取る。

タタッ、タ、タタタタ、タタタタ!マンボ!

「ああ、昔、発表会でウェストサイドをやったんだ。懐かしい。」


膝のうえでカウントをとっていた美奈が、ついに立ち上がって踊り始めた。
手招きしながら、

「ねえ、チャキリスになってくれない?」
「無理言うな!」


美奈が動くのを見ているだけで、目が回りそうだ。
昨日高熱で寝込んでいたとは、到底思えないほど足が上がる。

「調子いいわ。ストレッチが良かったのかな。」


ステップを踏みながら美奈が回り込んで、綿貫の正面に来た。
エンディングでぴたり、とひざまづいて綿貫の足に手を置く。


「汗かいてるじゃないか。」

「熱のせいじゃないもの。気もちいいわ。」

「見てるこっちがクラクラしてくる。
 風呂でも何でも浸かって、おとなしくしててくれ。
 俺はもう出るが、昨日よりは早めに戻って来れるから。」

「ん、待ってる・・・」


こくん、とうなずくと綿貫の体にきゅっと抱きついて来た。
一瞬、美奈の汗の匂いがする。


「行ってらっしゃい。気をつけてね。」
「お前、言ってる事とやってる事が反対だ。」


うふふ・・・
耳元でふくみ笑いが聞こえる。


「外に出ちゃダメなら、お部屋の中探検しちゃおうかな。」
「勝手にしたらいい。」

美奈の額をとん、と叩いて、綿貫は立ち上がった。

奥のクローゼットと洗面所を行き来し、恋人が出勤モードになるのを
美奈はソファでクッションを抱えながら、ぼうっと見ていた。

専業主婦ってこんな感じ?

ちらりと思ったが、全然違うと思い至った。
一緒に住んだら、こういう場面がけっこうあるのかな。
大体、この男と一緒に住むってどんな感じだろう?

スーツでなくジャケット姿なのが、少しくだけていると思ったが、
何しろ自分は寝間着代わりのTシャツとスウェットなので、
玄関で並ぶとかなり間が抜けている。


「行ってくる。
 いいか、まだウィルスぎっしりなんだから、あんまり暴れるなよ。」

「大丈夫、大丈夫。」


一瞬、疑わしそうな視線を向けて、踵を返そうとするのへ
美奈が素早くタックルして、頬へのキスを奪った。
う、とも何とも言えない音が綿貫の喉から出る。

「いってらっしゃい。
 お帰りを待っているわ、ダーリン!」

美奈が投げキッスすると、綿貫はあわてて出て行った。
綿貫を送り出してしまうと、美奈は部屋の中を見回した。

「さて、何をしようかな?」




物干し場がないので、ベッドのシーツ類は全部乾燥機。
ウィルス殺菌にも調度いいかもしれない。
ちょこっと混じっていた綿貫のものをどう干そうか迷ったが、
干している形跡が全くないので、これも乾燥機に入れることにした。

キッチンを片付けて拭き、フローリングにワイパーを掛けると
もうすることがなくなった。

綿貫の部屋で一番面積を取っているのは書棚で、
CDもアルファベット順にきれいに並べられている。
書棚を見れば人となりがわかると言うが、見たところ仕事関連が多く、
ビジネス本に加え、グラフィック、写真、建築、アート関連の本までと多彩だ。

かつえがコレクションのメーク現場を書いた
「キャットウオーク裏の戦場」があるかと思えば、
女性下着のパイオニアが書いた本に
なぜか「あんこの本」「老舗煎餅」などというタイトルまであって、
仕事か趣味かわからないが、守備範囲は相当広そうだ。

中に「情熱がなければ伝わらない!アタッシェ・ド・プレスという仕事」
という、ドンピシャな本があり、美奈はそっと抜き出して、
ぱらぱらめくり始めた。



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