AnnaMaria

 

琥珀色のアルバム 48 囚われて

 

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美奈が綿貫にメールを送っている頃、長田も加澤に連絡しようと
していたらしい。

「捕まりませんね。携帯も返信して来ない。
 広通の中もごたついているのかな。」

「そうねえ。」

自分も綿貫をつかまえようとしているのを、長田は知らない筈だ。
真也も頭を振る。

「綿貫さんにも連絡が取れないそうだ。
 夕方、中原部長がかつえさんのところに来るって話だから、
 その後に少し状況を教えてもらえるかもしれない。」


曽根副社長更迭の結果をふまえ、秋冬プロモーション・アイディアを
綿貫+そら案に戻し、一刻も早くスタートさせたいのに、
肝腎の綿貫たちが姿を見せないことで、真也も少し苛立っている。

美奈は不意に、非常ルートをひとつ思いついた。
会議室のあるフロアまで駈け上がると、携帯を開いてコールする。


『江田です。』
『もしもし、KAtiEの小林美奈です。
 江田さん、お願い。何が起こってるのか全然わからないの。
 ほんのちょっとでいいから、教えてもらえませんか?』
『・・・・』
『江田さんの言える範囲でいいんです。お願いします。』

電話の向こうでため息が聞こえた。

『電話では無理やわ。
 美奈ちゃん、今日の午後、ちょっと出られる?』
『はい、後輩がいるので、少しなら席を空けられます。』
『わかった。3時にクライアントとアポがあるから、その前に寄る。
 電話したら出て来て。』
『わかりました、ありがとうございます。』

午後になり、何度も時計を見上げていると携帯が揺れた。

『雑貨、家具○ボネ、2階、江田』

メールが入った時点で後輩に断りを入れ、指定の場所に走って行く。
フロアに駆けこむと、江田がのんびりキッチンクロスを眺めていた。

美奈の思い詰めた顔つきに、江田が吹き出す。

「わ、こっわい顔!そんなんじゃ彼氏に逃げられるよ。」

言われて仕方なく、指で眉間のしわを伸ばす。

「だって、広通の人で連絡取れたの、江田さんが初めてなんです。」

ため息をつきながら言うと、江田がさらに笑った。

「悪いねえ。ホントに会いたい人じゃなくって。」
「いえ、そんなことないです・・・」
「ええって、わかってるから。」

見ていたクロスから、二つほど選び出して広げながら、
江田が声を落として言う。

「綿貫くんと加澤ちゃん、両方とも今、査問中。」
「サモン?」

美奈のおうむ返しに、江田がようやく向き直ると

「うちの森の不適切な行為のせいで、あんな事態を引き起こして、
 クライアントにえらいご迷惑掛けたでしょ?
 他の者も不適切なことをしていなかったか、社内調査が行われてるの。」

「不適切な行為って、何があったんですか?」


江田は何気なくあたりを見回してから、
かいつまんで曽根と森に掛かっている容疑を説明した。
調査が終わるまで、S社およびKAtiEの担当だった者は、
外部、とくにクライアントとは接触できない。

「クライアントの責任者が社会的立場を剥奪されたのに、
 代理店側が無傷では、こちらとしても申し訳が立たない。
 当然、森には何らかの処分が下されるはず。
 今後、うちがS社やKAtiEから下ろされても仕方ない事態だし。」

残念だけどね。

江田がちょっと微笑んでつぶやいた。

「と言うわけでどうなるかわからないけど、もうちょっと待ったって。」
「わかりました。」

あ、それ下さい。

美奈は一礼して、江田の持っていたキッチンクロスを奪い取ると、
レジに向かう。

「そんな、ええよ。自分で買うから。」
「いえ、いいんです。急にわたしが買いたくなりました。」

包装されたクロスを江田の手に押し付ける。

「いろいろとお心遣い、ありがとうございます。」

またも一礼すると江田が苦笑いした。

「なかなかやり手やねえ。この手で綿貫くんを落としたんか。」
「いえ、落とされたのはわたしの方ですから。」
「うわ、よう言うわ。」

江田は小さく美奈に頭を下げると、ありがとう、とつぶやいた。

「とにかく、元気だしてな。」
「はい。江田さん、今度こそ、カラオケ行きましょう!」
「連絡、待ってるわ。じゃあね」




戻って仕事を大急ぎで片付けると、いつもの会場に向かう。
美奈の受講しているプレス・セミナーは渋谷のファッションビルの
4階で行われていた。

なじみになった受講生の何人かと挨拶を交わし、教室へ入ると、
一団がひと隅にかたまって、ひそひそ話をしている。
プレス・パーティなどで時々見かける、華やかで若い女性たちだ。
有名な高校、大学、女子大などで元々交流のあった女性たちが、
偶然にもプレス関係の仕事に多く携わっていたのだと、
曽根りり花から聞いたことがあった。

彼女たち以外の受講生は、すでに思い思いの席に着いて、
講師の来るのを待っている。

入り口にあでやかな姿が現れた。曽根りり花だ。
白い肌は変わらずなめらかで美しかったが、少し表情が固い。
りり花を見ると一団から声が上がり、彼女を包むように囲んで
同情とも励ましともつかない言葉を掛けている。

「皆さまには、ご心配かけてごめんなさい。わたしは大丈夫ですから。」
「良かった!心配してたの。」
「お父様はどうしておられる?」
「ふつうに会社に行ってますけど。」
「あ、そうなの。」「それは良かったわ。」
「婚約者の方は大丈夫なの?」

一瞬、りり花の白い頬に赤い血が上った。

「すごく忙しくて、彼とはあまり会えないんです。」
「それは心配ね。」「大変でしょうけど、頑張って。」


狭い教室の中の会話は、輪の外に座っている受講生にも筒抜けだ。
友人を見舞う言葉の間に、好奇心が見え隠れしている。

美奈は心から同情した。
ニュースの報道から、周囲の誰もが、
自分の父親に起こった出来事を知っている。
さっきのように、りり花を見る目には同情と好奇心が渦巻いていて、
さぞ、息苦しい毎日に違いない。
そんな中、変わらずセミナーに出席しただけでも大したものではないか。

講師が現れて教室のドアを閉めると、ようやくいつもの雰囲気が戻って来た。

受講中にりり花をのぞき見るような真似はすまい、と思っていたので、
自分のノートの上に、ぱさりと落ちた結び文に一瞬、気づかなかった。

これは自分宛かな、と、さりげなく辺りを見回すと、こちらを見ている
りり花の視線に合い、かすかに彼女がうなずく。
高校の授業中みたいだ、と懐かしく思いながら、結び文を開く。

『もしお時間があったら、セミナー後にお茶しませんか。りり花』

美奈はただちに
『時間あります。終わったら、1階のエレベーター前で待っています。』

元のように結び文をたたむと、講師が前を向いている隙に、りり花に手渡した。




近くのカフェは閉店間近なのか、妙にがらんとして
店のスタッフが床の一部を掃除したりしている。
フラペチーノとコーヒーをはさんで、美奈とりり花は向かい合った。

「美奈さん、ニュースやネットで伝えられる憶測ばかりがふくらんで
 父や彼に、本当は何があったのか、全然わからない。
 お願いです。
 少しでも知っていることがあったら、教えてもらえませんか?」

頭を下げられて、美奈は苦笑した。
今日、自分が江田に言ったせりふとほとんど同じだったからだ。

江田から聞いた話を美奈がそっくり伝えると、りり花が大きく息をついた。

「そうだったんですか。」

「また聞きだけど。りり花さんは何か、思い当たることある?」

う・・・ん。

「無いと言えば嘘になるかな。でも接待の範囲だと思ってた。
 わたしの新居用のマンションも今年になって買ったものだし・・・。」

苦い笑いを浮かべた。

「うちの父っておだてられると、その気になるタイプだから。
 去年まではちょっと焦ってたみたいだったのに、
 KAtiEに出入りするようになってから、見る間に元気になって、
 やる気バリバリだったの。」

「そう。」

だが、曽根元副社長の処分は既に決まってしまった。
問題は森がどうなるか。

「彼は社内でけっこう敵が多かったみたい。そういう職種なのかな?
 わたしにはすごく優しいから、嫌われる理由がよくわからないんだけど、
 競争とか妬みとか、足の引っ張り合いもあるって笑ってた。」

美奈は森にあまりいい印象を持っていないから、
社内で敵が多かった、という噂にうなずきたくなってしまう。
綿貫は何も言わなかったが、江田は森をこき下ろしていたし、
岩見そらが露骨にそっぽを向いていたのを見たことがある。

「ぜんぜん、彼と連絡が取れなくて・・・」

りり花がぽつんとつぶやいた。
不安な気持ちは痛いほどわかる。
わかるが今さら、綿貫のことを打ち明けるわけにも行かない。

江田から聞いた、調査が終わるまで外部と接触できないらしい、
という話をすると、首をかしげた。

「父はクライアントだったかもしれないけど、私とは何の関係もないのに。」

「携帯封じられてるかもって話も聞いたの。」

そう・・なんだ。

りり花は肩を落としたが、美奈に向き直って深々と頭を下げた。

「ありがとう。
 美奈さんが教えてくれなかったら、不安で頭がおかしくなってたかも。
 これからも何かわかったら、教えてくださる?」

「わかったわ。」

教えられる範囲でなら、なるべくりり花の不安を取り除いてやりたい。

「本当にありがとう。すごく気持ちが楽になったわ。」




広通の社内規則に反した営業活動を行っていたかどうか、に関する調査は、
かなり容赦のないものだった。

一般の業務から切り離され、独自の調査権を持つ人間が行う。
彼らはどういう手口で不正があるか熟知しているようで、
「聞き取り」をしながら、話のほころびを見つけるのに長けているようだ。

綿貫は、自分は「灰色」の疑いを掛けられての調査だから、
当然、不愉快なものになると覚悟はしていたが、
勾留されているわけではなくても、長時間「軟禁」状態でつつかれると、
やはり精神的にこたえる。
とはいえ、これをくぐらないと「潔白」を証明できないのも承知しているので、
ひたすら耐えるしかない。

「灰色」あるいは「黒」の疑いを掛けられた者は、お互いに連絡を取れない上、
調査が終わるまで他の社員とも距離を取るよう求められた。
一般の社員らは、急に姿を見なくなった者たちを「査問中」と推測し、
あれこれと噂する。

殊に「業績」はずば抜けて華やかでも、毒のある噂の絶えなかった森は、
すでに社内で「黒」と見なされ、
今まで、森に煮え湯を飲まされたり、反感を持つ人たちが、
あることないことをぶちまけ始めた。

いわく、
コンペで対立した同僚を、悪評をばらまいて退社させた。
起用したデザイナーを妊娠させて捨て、自殺未遂に追いやり、
ついでに借金も踏み倒した。
タレントと「お友だち」になれると餌をつり下げ、
クライアントから仕事と多額の金を引き出す。
結果、スキャンダルや家庭不和で離婚に至ったのが何組も。
クライアントとの癒着は前からで、何度も査問の対象になっている、など等。

あらゆる手を使って、クライアントからの仕事を勝ち取り、
世間の耳目を集める宣伝を打ち、多額の報酬を獲得すると言う点で、
森は確かに優秀なプランナーだった。
だが不正を働き、クライアントに深刻な社会的ダメージを与えたとあれば、
広告マンとして失格である。



何度目かの面談を終えて、綿貫が部屋から出ると、
ドアの前に中原部長が立っていたので、驚いた。

「どうだ、進みは?そろそろ終わりそうか?」
「僕のほうからは何とも。」

中原は日に焼けた顔でうなずくと、二人で廊下を歩き始めた。

「で、このまっ最中に、お前に呼び出しがかかってる。
 どうしても会わせろ、とね。
 迷惑を掛けたS社からの指名だから、よけい断れない。」

「僕が会ってもいいんでしょうか?」

査問中、クライアントと接触するのは禁止されている。

「まあ、お前はKAtiEの担当だったんだから、
 S社はクライアントじゃない、とも言えるんじゃないか。」

「でも関連会社です。」

曽根がS社とKAtiEの副社長を兼務していたから、
綿貫が査問を受けなければならなくなったのだ。

「そうなんだが、迷惑を掛けたクライアントの要望を断るわけに行かない。
 特例として、調査チームに了解してもらったよ。」

「S社のどこからです?」

「『アンジュ』だ。」

綿貫の足が止まりそうになるのを、歩き続けるよう中原が促した。

「ずっと森さんが担当していたブランドじゃないですか。
 KAtiEと売り場や顧客ターゲットがかぶるので、
 社内コンペティターのような関係でしたし。」

「新設の『戦略室』直轄のブランドになるらしい。
 そこの室長がどうしても、お前を呼べ、と聞かんのだ。
 とにかく顔を見せて来てくれ。」

「わかりました。」




S社に出向くのは、正直、気が重かったが、
行ってみると、社内の雰囲気は特にとがってもいなかった。
かなり以前から、曽根は本社では浮いた存在だったらしい。
社員たちは曽根の解任にショックを受けるどころか、
むしろサバサバした顔つきに見える。

綿貫が通された応接室は、シンプルなグレーのソファと椅子が置かれ、
上品で感じが良かった。


「こんにちは。」

ドアを通って入ってきた部長が女性だったので、少し意外に思った。
もちろん、そんなそぶりは毛筋ほども顔に出さない。

シャネル風のベージュのスーツに、メガネを掛けている。
年齢は40代後半から50がらみと言ったところか。
女性の年を当てるのは難しい。
まして化粧品会社の部長を務めている女性などは。


「はじめまして、広通の綿貫です。
 この度はいろいろとご迷惑をお掛けしまして、申し訳ありません。」

深々と頭を下げると、女性は笑って名刺を差し出した。

『戦略室室長、部長、湊真砂子』

「わたしは別に迷惑を掛けられていないわ。
 どっちかというと有り難かったくらい。」

楽しそうに笑ったが、綿貫はどう応答していいのか困った。

「それにわたしの方は綿貫さんを知ってたの。
 KAtiEのイベントのとき、お見かけしてね。」

「さようでしたか。それは失礼いたしました。」


奨められて再び椅子に座ると、湊がにこやかに切り出した。

「ご無理を言って呼び出しているのは承知しているので、
 単刀直入に言うわね。
 綿貫さん、一緒に『アンジュ』をやってくれない?」

クライアントから直々の依頼を断る、などは、
広告代理店の辞書にはまずない。
しかし、これは簡単に承諾できる依頼ではなかった。

「湊室長、たいへん有り難いお申し出ですが、こんな状況で、
 わたしの一存ではイエスと申し上げられないのです。
 ご理解いただけないでしょうか。」

「状況を勘案してうんぬん、はどうでもいいわ。
 わたしは綿貫さんご本人にやる気があるかどうかを聞いているの。
 どう、一緒にやってくれる?」

柔らかく椅子に座ったままの姿勢で、湊部長はずんずん攻めて来る。

「湊室長・・・」

「綿貫さんは、もうKAtiEを外れたんでしょう?
 曽根さんも森さんもいなくなった。
 綿貫さんがうちのブランドを担当するのに、何の問題があるの?」

綿貫が答えられずにいると、

「KAtiEを下ろされた者が、KAtiEよりはるかに大きな
 ブランドを担当するのって、いいリベンジになると思わない?
 予算も仕事もずっと大きいわよ。思う存分、腕をふるって欲しいの。
 広通の状況どうのこうのは、こちらから上をつついて何とかするから。」

「わたしの提案した案をごらんになったのですか?」

「見てないわ。
 契約うんぬんの問題もあって、S社はカルドロッシを切らないことになったの。
 あれって森さんが作ったんじゃなくて、カルドロッシ独自の創作でしょ?
 シンプルで素晴らしい作品じゃない。
 KAtiEより、うちのブランドにぴったりだと思う。
 あれを元にうちのプロモーションを起こして欲しいの。
 やってくれるわね?」

声の調子は柔らかくても、言っていることは相当強引だ。
なるほど、新任の室長はやり手らしい。

「KAtiEで、わたしのプランが再び採用される可能性もあると聞きました。
 そうなればプランの責任者として・・・」

「KAtiEは綿貫さんを指名したんじゃなく、綿貫プランを指名したと聞いたわ。    
 できたプランは作ったクリエイターと別の担当に任せればいいじゃない。
 わたしはプランじゃなく、綿貫さんが欲しいのよ。」

「・・・・」

「ごちゃごちゃ言う外野は、こっちから圧力かけて何とかする。
 綿貫さん本人の承諾さえもらえれば。
 どう?一緒にやらない?」

湊室長は、どんどん退路を塞いでくる。
ここまで率直で強引なオファーから、
先方の機嫌を損ねないように引くにはどうしたものか。

次々と畳み掛けてくる中、綿貫は何とか返事を保留するのが精一杯だった。

「わたしは諦めないわ。ずっと綿貫さんと仕事がしたかったんだもの。
 とは言え、こちらも急いでる。
 3日以内に返事をくれると約束して下さる?」

「わかりました、かならず。」

「おわかりでしょうけど、チャンスは一度だけ。
 これを断ったら、今後、うちとの仕事は2度とないと思って。
 場合によっては、広通さんと組むこと自体、考え直すわ。
 よく考えてね。」

湊はにっこり微笑みながら、人差し指を立てた。
綿貫もかすかに微笑み返すと立ち上がる。

びびった顔を見せるくらいなら、死んだほうがマシだ。
とにかく、ここを出なくては。







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