AnnaMaria

 

琥珀色のアルバム 50 再びの船出

 

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6階の執務室に、午前中の穏やかな光が差し込んでいる。
かつえはひとり、珍しく白衣をはおって、
白いテーブルに幾種類ものカラーパレットを並べながら、
アソートを組んでいた。

「かつえさ〜ん、お客さまですよ。」

マーシャに案内されて、中原部長を先頭に、綿貫、加澤、岩見そらの
広通組が入ってくると、かつえはメガネを外して笑顔を見せた。

「おはようございます。
 ふふ、ずいぶん待たせてくれたじゃない。」

かつえの言葉に、一同がそろって頭を下げた。

「KAtiEさんには多大なご迷惑をお掛けしました。 
 今後、スタートの遅れを取り戻すために、全力で頑張ります。」

中原部長が述べたところで、また頭を下げる。

はははは・・

「まあ、今日は皆さん、ずいぶん、お辞儀が多いわね。
 おかげで、頭のてっぺんがよく見えちゃった。」

む、それはマズい!

中原部長が頭頂部を、はっしと押さえたところで、笑いが弾けた。

「どうぞ、お座り下さい。
 皆さんには、お話ししておかなくては。」

かつえの言葉に、真っ白なソファへ4人が落ち着くと、
今度はかつえが深々と頭を下げた。

「頭を下げなくちゃならないのは、広通さんだけじゃないの。
 わたしも皆さんにご迷惑を掛けました。」

中原部長があわてて、

いえ、そんなことは決して・・

言いかけた中原の口をつぐませるほど、
かつえの表情は聞く者に緊張を与えた。

「KAtiEサイドが全員で推している案を、曽根さんの独断で
 あっさり覆すなんて、あり得ない。
 わたしは何のための社長なんだって・・・悔しくてね。

 メーク製品の監修だけやっていればいい、というお飾り社長なら
 今すぐ下りる。
 本当に育てる気があるなら、KAtiEの考え方、売り方、
 人の育て方全部を尊重し、独自性を重んじてくれるはず。
 それがないならS社の1ブランドと同じだって、
 本社にタンカ切りに行ったのよ。」

かつえの強い眼差しが4人を貫いた。

「KAtiEを船出させる時に決めたの。
 わたしやKAtiEブランドを汚す者は、
 たとえ身内だろうと絶対に容赦しないとね。」

沈黙が続き、かつえの顔が不意にゆがんだ。

「とは言え、曽根さんを落とすのに、広通の人も巻き込む結果になった。
 すまないと思っているの。
 特に綿貫さん、ご迷惑をかけました。」

「いいえ。どうぞ、ご心配なさらないで下さい。」

綿貫が静かに答えると、かつえが微笑んだ。

「誤解しないでね。
 綿貫さん抜きであのプランをやるつもりはなかったし、
 やれるとも思わなかった。
 ただ、どう転ぶかわからないから、指名できなかったのよ。」

「承知しております。」

「ありがとう。
 では今度こそ一緒に、秋冬プロモーションを進めて行きましょう。
 スケジュールもギリギリよね。
 これから企画に下りるんでしょ?」

「はい。そのつもりです。」

かつえが大きく破顔した。

「わたしもこれが終わったら、すぐ下りるわ。
 今朝はすごく光線がいいから、逃したくないのよ。
 先に芳賀さんたちとスケジュール詰めてて。」

「わかりました。では後ほど」

4人が立ち上がって移動し始めると、

あ、待って!

かつえから声がかかった。

「第2シーズンの船出として、ぜひまた、ぱ〜〜っとやりたいの。
 都合の付く日を調整しておくように伝えて。
 いい、今日から3日以内よ!全員参加だからね。」

「はい!」

威勢のいい返事を聞くと、かつえは満足そうに手を振って、
再びカラーパレットの方へ向き直って行った。




「それではKAtiEブランド、第1シーズンの成功と、
 第2シーズンの発展を祈って、かんぱ〜〜い!」

かつえの大声が店の隅々にまでビンビン響くのを、
スタッフ全員が懐かしい思いで聞いていた。

「加澤ちゃ〜ん!もう会えないかと思ったよ。」

のっぽの加澤へ抱きつかんばかりに寄って来た長田が、
がつんとジョッキを合わせた。

「いやあ、長田さん、僕も会いたかったっすよ。
 一時はもうダメかと・・・」

二人とも急に声を潜めて

「よく連れて来てもらえたね。」
「いや、それがあぶないトコロで。
 綿貫さん、僕をアンジュに飛ばそうとしたんですが・・・」

ひそひそ囁き合いながら、二人そろって、ちらりと向かいに目をやる。
綿貫は例によってオフの場所にも関わらず、
真也と仕事の打ち合わせを始めてしまっていた。

「岩見さん、あなたの作品ステキね。
 CGだけでは絶対できない味わいを残している。
 未来的で懐かしくて、ハイテクで手作りっぽくて・・・
 下手そうなのに、実はすっごく巧い。」

そらが恥ずかしそうに笑うと「そら」とだけ、言った。

「わかったわ。」

つられて、かつえも微笑んだ。

「『そら』みたいな人がいるなんて、広通もすごいなって感心したの。
 どんなものを見せてくれるのか、ワクワクしてる。
 期待してるから、頑張ってね。」

かつえの熱い言葉に、そらがこっくり、うなずいた。

今回、デビュー時の新年会より、出席者がかなり多い。
企画とプレスを一緒に回している、美奈や長田の後輩たち、
営業部隊までも加わって、一段とにぎやかだ。

前田部長によると、S社からKAtiEへの転属希望者がけっこう居るらしい。
今後は面接をして、優秀なスタッフを増やしていくそうだ。

「うへえ、会社の知名度や待遇が違うのに、
 こっちへ来たい人がそんなにいるんですかね。」

「今のところ順調で、伸びざかりに見えるからよ。
 売れなくて、ひいひい言いだしたら、手のひらを返したように
 皆さん、S社に戻りたがるんじゃないかしら?」

長田の疑問に倉橋が答えていた。
倉橋は最近、とみにまた肌の色つやがいいようだ。
微笑むと上気したように、ぽうっと頬にばら色が上ってくる。
少女みたいに。

美奈は乾杯して、ひととおりの顔ぶれと話すと、
目立たないよう、隅っこの離れた席に引っ込んだ。
新年会と同じ店ながら、以前より広いスペースを借りたので、
大きな花瓶の影に隠れれば、あまり姿は見えないはず。
長田が心配そうに近づいて来た時に、体調が今イチだから、と言っておいた。

あれほど心配していた綿貫は、やつれも見せず、
バリッとしたスーツ姿で仕事の話に熱中している。
こういった席で、こちらを一顧だにしないのも、いつも通り。

綿貫がKAtiEの担当に戻ると聞いて、ほっとしたが
何だか気が抜けたのも事実だ。
ひとりで空回りしていたのが、バカバカしく思えてくる。


「久しぶりですね。元気でしたか?」

懐かしい声の響きに、美奈が顔を上げると
Qが笑顔で立っていた。
あわてて立ち上がろうとして、お箸をひっくり返してしまった。

「そのまま、そのまま。ここに座ってもいいですか?」

Qが隣の椅子を指差したので、黙ってうなずいた。
二人で並んでから、美奈は座ったまま、深く頭を下げた。

「Qさん、先日は大変ご迷惑をお掛けしました。
 今まできちんとしたお詫びも言えずに、すみません。」

初めて招んでもらったごはん会で高熱を出し、
着替えや毛布まで借りた挙げ句、夜中に綿貫と出て行ったきり。
またすぐ会えると思っていたのだ。

借り物はクリーニングして、ささやかなお礼と共に
宅急便で返したものの、顔を合わせるのはあの夜以来となる。

かつえが不在がちの間、QもKAtiEにほとんど顔を見せなかった。
曽根と森が、Qのイラストに興味を示さなかったせいだろう。
クリエーションの部分は森に一任の様子で、あのままだと、
お払い箱になっていたかもしれない。


「いえいえ、ていねいなお礼の品まで頂きました。
 どうかもう、気にしないで下さい。」

「いえ、本当に恥ずかしくて・・・すみません。」

美奈はうつむいたきり、黙ってしまった。
Qはすっと席を立つと、新しい箸と料理を持って来て、
ビールを注いでくれた。

「すこし・・・元気がありませんね。」

彼が復帰して、うれしいはずではありませんか?

低くした声でQの口から「彼」と聞くと、どきっとする。

「それはそうなんですけど。
 いろいろ考えすぎちゃって、バカみたいだな、と。」

返事がないので、美奈がQの顔を見上げると、
軽く握った手を唇に当てたまま、困ったように微笑んでいる。

「?」

「実を言うとね。
 僕は美奈さんの彼が『芳賀さん』だと思い込んでいたんです。
 あの夜、美奈さんの携帯が鳴る度、表示に『S!』と現れたから、
 間違いないと。
 だから、あの夜、彼が現れた時はすごくびっくりしました。」

「どうして、そう思ったの?」

「芳賀さんの態度で。でも、僕の勝手な思い込みでした。
 きっと大事なスタッフに僕が近づくのを、
 快く思っていなかったんですね。」

「・・・そうだったこともあるんです。」

え?

「だから、以前、芳賀さんと付き合っていたんです。
 考えてみると私、手近にいる人ばかりですね。」

あはは、と自嘲気味に笑うと美奈はぐっとビールを空けた。
Qはしばらく黙っていたが、何か言いたそうに美奈を見た時、

「ねえ、みんな、聞いて!
 ここでちょっとお知らせがあるのよ。」

かつえの良く通る声が「お知らせ」と告げたので、一同がしんと静まった。

「ほら、ちゃんと言いなさい。」

誰かに促しているようだが、
集まった者はわけがわからず、ぽかんとしていると、
真也が倉橋の腕を引いて、一歩前に進み出た。

「え〜、こんな場で言うのは恥ずかしいのですが、
 実は僕と倉橋さんは、正式にお付き合いすることになりました。」

え〜〜っ?ホントですか?
あり得ない!ジョーダンですよね?

「あの・・・わたしもこんな場で言うのはどうかと思うのですけど、
 そんなわけでよろしくお願いします。」

ばら色に頬を染めた倉橋が、恥ずかしそうに頭を下げたところで、
みんなから再度、え〜〜〜っ、と驚きの声が上がった。

「いつの間に!」「芳賀さん、凄腕ですね。」
「おめでとうございま〜す」
「曽根副社長、じゃなくて、曽根さんが聞いたら、
 心臓麻痺起こすんじゃないですか?」

関係ないでしょ。

倉橋が軽くにらんで、つんと横を向くのを、
隣の真也が気にした様子でのぞきこむ。

美奈も内心、ショックを受けていた。
まさか、この二人が本当に付き合うとは考えてもいなかった。
人を踏みつけた浮気から発した関係など、
うまく行くはずが無いと思い込んでいたのだ。

みんなと一緒に拍手はしたものの、美奈がすぐ横を向いてしまったので、
Qがあたりを見回すと、KMプランニングの金子と話していた綿貫と、
目が合った気がした。

だがそれも一瞬のこと。
綿貫の視線は、すぐに熱心な話し相手へと戻って行った。

ぼうっとした様子の美奈を放っておけず、
Qが隣で見守るうち、会はお開きの時間となった。



「さあて、今夜、わたしの麻雀に付き合ってくれる人、誰かいる?」

「喜んでおつきあいしましょう。ただし、手加減はしませんよ。」

中原部長とKMプランニングの金子がさっと名乗りを上げた。

「じゃあ、あと一人。
 芳賀さん、強いんだけど、交際宣言したばかりの人を巻き込むのもねえ。」

かつえは思案顔でメンバーを眺めながら、ふいに視線を止めた。

「そうだ!綿貫さんは麻雀やらないの?」

「学生時代は多少。最近はかなり、ご無沙汰ですね。」

「おつきあい頂けない?麻雀ってすごく性格が出るのよ。
 綿貫さんがどんな麻雀を打つのか、ずっと知りたかったの。」

「わかりました。では、わたしでよければ・・・」

「やった!決まったわ。」

加澤が心配そうにこちらを見たのがわかったが、
美奈は気づかない振りをした。
隣にいたQへ、ていねいに挨拶をすると、帰り支度を始めた。




長田は営業部隊と共に2次会へ流れるらしい。
美奈も誘われたが、体調を理由に断った。

三々五々、思い思いの方向へ散る面々の中で、
真也と倉橋が連れ立って、みんなに手を振る。
くるりと背を向け、見なければよかったと後悔した。

同時にこんなことで動揺している自分が情けなかった。
真也に未練があるわけじゃない。
あの二人が上手く行こうと行くまいと、どうでもいいではないか。

ただ、あんなにも自分を苦しめた二人が、
ニコニコ幸せそうに寄り添っているのが、受け入れ難いのかもしれない。

では、あの二人が不幸になればうれしい?
それもまた、あまりに情けない考えで、自己嫌悪に陥る。

青山通りはところどころ、ウィンドウの明かりを残し、
ほとんどの店はもう営業を終えている。
だが歩くにはいい季節、まして金曜の夜とあれば、
人通りが途切れないのもうなずけた。

どこか、ひとりで飲みに入ってみようかな。

さりげなくあたりを見回し、いつか綿貫が連れて行ってくれた店の方向を
眺めてみたが、きっぱり足を向ける決心がつかない。
休み前の混み合っている店に、ひとりで入るのは
それなりに勇気が要りそうだからだ。

仕方なく、街のウィンドウを眺めながら、ぶらぶら歩いていると
携帯が震えているのに気づいて、あわててバッグから取り出した。

『どこにいるんだ?』

聞こえて来たのは、綿貫の声だった。
どうして?今頃、かつえと卓を囲んでいる筈ではないか。

『そっちこそ何処なの?雀荘の前?』

『いや、表参道の交差点を過ぎたところで、渋谷方向に向かっている。 
 ひとりか?』

『どうかしら。
 他の面子はどうしたの?』

美奈は骨董通りへ続く角の「マックスマーラ」前で、
立ち止まって電話を持ち直し、あたりを見回した。

人の行き交う、暗くなりかけた舗道を、
懐かしいシルエットが近づいてくる。
シルエットは左手を下ろすと、すぐ手前で立ち止まった。
この店のウィンドウは、まだ明るく照らされている。

「ここに居たのか。連れは?」

「そんなのいないわ。それより、どうしたのよ?
 かつえさんに、やられてる頃だと思ってたのに。」

綿貫がかすかに笑った。

「俺が負けるとは限らないじゃないか。
 だが、加澤が替わってくれてね。」

「加澤ちゃんが?どうして?」

「さあな。急に麻雀がやりたくなったらしい。
 そう言っていたよ。」

ふうん。

美奈の顔から空を見上げた横顔が、店のライトに照らし出された。

「月が出ている。」

え?

つられて美奈も空を見上げると、いろんな直線に縁どられた細長い空に、
白い月が浮かんでいた。

「何度か携帯を鳴らしたぞ。」

「ぜんぜん気づかなかった。マナーモードにしてたし。」

「ふつう気づくだろう。鈍感なんだな。」

「ほっといてよ。」

美奈は口をとがらせて、綿貫に背を向けた。
ひさびさに会ったのに、何てせりふだろう。

綿貫はストライドにモノを言わせて、すぐに追いついて来る。

「どこへ行く気だ?」

「別に。ちょっとブラブラしてるだけよ。
 もう帰るわ。」

まあ、そう急ぐな。

綿貫が近寄ってきて、肩に手をかけたので驚いた。
めったにこういうことはしないのに。

「まだ帰らなくてもいいだろう。」

目の前の信号がチカチカしだしたので、
急かされるように足を早めて渡り始めた。

「そっちは渋谷だぞ。」「知ってる。」
「帰るなら、反対じゃないのか。」
「いいの。少し歩きたかったから。」

交差点を渡り終えると自然に綿貫の手は離れたが、
暗がりで自分に向けられた視線は感じる。
それでも何だか素直になれず、そのままずんずん歩き続けた。

「どうしたんだ?」

「別に。ふつうですけど。」

「久々に会えたんだ。部屋に来ないか?」

美奈は立ち止まって、綿貫を見上げた。
交差点からの逆光で表情がよく見えない。

「行くと何かいいことある?」

「お前が来た時用に、ライムが買ってある。」

「ライム?何でわたし?」

「ジンライムが好きだろう?フレッシュ・ジンライムが作れる。」

ああ・・・。

さすがにクスリと笑いがもれた。
綿貫の顔にも笑みが浮かんだようだ。

「う〜〜ん、ちょっと魅力が足りないかも。
 お姉ちゃんの赤ちゃんが生まれて、お母さん大変なんだもん。
 わたしが家に帰らないと・・」

「無事に生まれて、よかったな。」

ようやく会えた恋人は、ぷん、とふくれてそっぽを向いている。
なかなかあっさりとは行きそうもない。


『かつえさん!あの僕、麻雀やりたいです!』
『・・・え、そうなの?』

びっくりして立ち止まり、訊ね返したかつえへ、
加澤は必死にうなずいた。

『はい。何だか無性にやりたくなりました。
 綿貫さん、確かまだ仕事が残ってましたよね?』
『?』

加澤が一体何を意図しているのか、すぐには読めなかった。

『ブランク長引いたから、ちゃんと繫いでおかないと、
 先方がヘソ曲げちゃいますよ。
 クライアント横取りされたら、大変じゃないですか。』
『・・・・』
『じゃあ、かつえ社長、僕じゃ物足りないかもしれませんが、
 お相手よろしくお願い致します。』
『いえいえ、大歓迎よ。』

かつえの声は笑いを含んでいた。

『じゃ、綿貫さん、お疲れさま〜!』
『お先に失礼致します。』


せっかく加澤が自ら泥水に浸かってくれたのだ。
こちらも多少の努力をしなくては。


「渋谷まで歩いてから、考える。」

「わかった。」

「腕組んでくれないと、一緒に歩かない。」

綿貫がぎろりと美奈を見ると、知らん顔で澄ましている。

「お前、機嫌悪いな。」

「あたりまえでしょう?どれくらい心配したと思ってるのよ。」

「心配?何を?」

「知らない!」

仕方なく腕を差し出すと、美奈が思い切りもたれかかって来た。
懐かしい感触だが、かなり歩きにくい。

綿貫にはどうにも収まりの悪い体勢のまま、
月夜の道を二人で歩き続けた。







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