AnnaMaria

 

琥珀色のアルバム 51 誘った理由

 

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渋谷に着くまでも、山手線に乗ってからも
美奈はほとんどしゃべらなかった。

少し混んだ車内で寄り添うこともなく、綿貫はそのまま放っておいたが、
酒臭い男が美奈の方へ倒れ掛かってきた時だけ、
さりげなく割り込んで美奈の背中を押し、ドアの方へ連れ出した。
考えてみると、二人で電車に乗ったのは久しぶりだ。

途中のコンビニでロックアイスとソーダを買い、
問うように美奈を見ると、かすかに首を振ったので、
適当に近くのものをカゴに放り込み、レジを通って店を出た。

綿貫にしてはずいぶんゆっくりした歩調なのに、
美奈はさらに遅れて、ずるずると歩いてくる。
白い月が美奈の後ろから、おっとりついて来た。

鍵を開けて美奈を部屋に入れると、綿貫は上着を脱ぎ、

「シャワーを浴びてくる」

言いおいてバスルームに消えた。
着替えて髪を拭きながら部屋に戻ると、
美奈が上着を脱いでいたので、ほっとした。

「シャワー浴びて来いよ。」

「なんで?家に帰ってから浴びるからいいの。」

素気ない口調にそれ以上押すのはやめ、
綿貫は大ぶりのグラスを二つ取り出した。
ライムを洗い、外皮をくるくる剥き、半分に切って絞る。
グラスに氷をたっぷり入れ、ジンを測って注ぎ、
果汁を入れて軽く混ぜると、縁にライムの皮を掛けた。

振り向くと美奈が綿貫の手もとを見つめている。
さっきより反応があるようだ。
グラスを持ってソファへ行き、ひとつを美奈へすべらせた。

「乾杯しよう」

「何に?」

声がまだ少し固い。ここで間違えてはいけない。

「ひさしぶりの再会に」

その言葉でようやく美奈の表情が和らいだ。
すかさずグラスを打ち合わせて、飲む。

「おいしい・・・」

「よかった。俺の腕がいいせいだ。」

「それ、前にも聞いたわ。」

わずかに眉をしかめたが、さらにひと口飲むとうれしそうにしたので、
綿貫の声も柔らかくなる。

「機嫌は治ったか?」

「別に機嫌なんか悪くしてない。」

すぐまた、元の不機嫌に戻ってしまう。

「心配したって、何を心配したんだ?」
「・・・・」

おい、と隣に座る顔をのぞきこむ。
美奈はグラスの中を見つめたままだ。

だって・・・

「全然連絡が取れないし。
 大阪に行っちゃうかもって話を聞いたし、
 副社長のごたごたに巻き込まれて査問中なんて、
 もしかしてクビになったりとかって。」

綿貫はかすかに頬をゆるめた。

「査問を受けたのは本当だ。
 だが、俺は自分は『黒』じゃないのを知ってる。
 証明するのに時間がかかっただけだ。」

「でも、疑われただけでクビになることだってあるかもでしょ?
 大阪に行っちゃうとか。」

「大阪行きはいつだってあり得る。
 仕事だから心配の対象にするには及ばない。」

だって・・・
「そしたら、もっと会えなくなっちゃうかもだし。」

それはそうだな。

長い指がグラスを取り上げると、ジンライムの氷がからん、と鳴った。

「つまり、お前は二つのことをごっちゃにしている。
 クビになるかも、と俺を心配してくれるのと、
 あまり会えなくなるかも、と自分を心配するのと・・」

「あなたは心配じゃないの?」

いや、そうじゃないが・・・

「KAtiEの担当に戻れてうれしいのは、仕事がやりかけだったし、 
 自分のプランを採用してくれた以上、
 ちゃんと仕切ってみたかったからだ。
 美奈がKAtiEにいるからじゃない。」

ふうん・・・。

美奈はうつむいたまま、ずるずるとジンライムをすすった。

「美奈の顔が見られるのはいいが、仕事の場とごっちゃになるのは
 有り難くない時もある。
 見なくていい場面を見てしまう時も、お互いあるだろうし。」

どゆこと?

美奈が顔を上げた。

「いや、いろいろだ。」

少しあわてたように綿貫が答えた。

「お代わりは要るか?」

綿貫が手を差し出し、美奈から空のグラスを受け取った。
どことなく目がうつろなのが気になる。

「査問ってどんなことするの?」

ジンライムを作る背中へ、美奈が訊いて来た。

「そうだな。仕事のやり方を徹底的に洗い出される。
 金の処理を含めて。」

「オール白だと自信があった?」

ライムを切って絞ると、空気中にぱっと香りが立つ。
きりっと清々しい香り。レモンより、確かにライムがいい。

「ひとつだけ、詰まりそうになった。」

「へえ、どんなの?」

「『得意先の異性と不適切な関係を結んだり、強要したりしていないか』
 という質問。」

「何て答えたの?」

「『不適切な関係は結んでいない。』」

ふうん・・・・

美奈が立ち上がって綿貫の側に立った。
グラスの中身をかき回そうとしていた腕を引っ張って、胸に引き込む。

こら、こぼれる。

そのまま綿貫の耳の下を小さく舐め、グラスを持ってこっちを向いた唇に
ちょんとキスをした。

「こういう事はしていないと?」

綿貫がグラスを置き、ふりむいて、ぱっと腕を伸ばしたが、
素早く離れた美奈は、ソファまで逃れた。

「KAtiEでわたしの顔を見ても、気が散って迷惑なだけで、
 うれしくも何ともないと・・?」

「そうは言っていない。」

ソファ前のテーブルに新しいジンライムを置いて、
つかまえようとすると、美奈はソファの後ろに回ってしまった。
二人、ソファ越しに向かい合う。

「どっか遠くに行っちゃって、会えなくなるって心配するのは
 わたしだけで、そっちは全然平気だと・・?」

美奈・・・

「何よ、薄情者!心配してあげて損した。
 二度と心配なんかしない。大阪でもどこへでも行っちゃえ!」

美奈はソファに置いてあったバッグをたぐり寄せ、
ぐっとつかんで玄関に向かった。
ソファを回り込んだ綿貫は、靴を履こうとした美奈をぎりぎりで捕まえた。

「どこへ行く?」

「言ったでしょ?家に帰るのよ。
 赤ちゃんとお姉ちゃんとお母さんが待ってるんだもん。
 ジンライム、ごちそうさまでした!」

腕をつかまれたまま、がばっと頭を下げ、
靴に向き直ろうとする体をつかんで、壁に押し付けた。

「待てよ。俺の言い方が悪かった。」

「別に悪くないわ。ホントにそう思ってるんだから仕方ない。」

あごをつかんで顔をのぞき込もうとする綿貫から視線を外し、
そっぽを向き続けた。

「美奈・・・」

「知らない!帰る!」

力ずくで腕の中に押し込み、強く抱きしめて髪に顔を寄せた。

「帰るな。」
帰らないでくれ。

腕の中の体はまだ固い。
棒のようにこわばった体から懐かしい匂いがする。
綿貫は息を吸い込んで髪にほおずりをし、美奈の体を抱き直した。

査問中も、お前に会いたかった。

抱いている体がぶるっと震え、もぞもぞと腕が上がって背中にまわり、
綿貫の体にゆるく巻き付いた。
ぎゅっと抱きしめてゆすり、さらに力をいれて締めつけた。
かすかに声があがる。

「・・・るしい」
かえら・・ないか?

「・・・・」
帰らないと言え。

抱きしめている体から、かすかなつぶやきが漏れる。

聞こえないぞ。
「・・・らない。」

ほっと息を吐くとさらにきつく抱きしめて、もう一度ゆすった。
片腕を解いて美奈の背中を壁に押しあて、
指先で胸元からさわさわとあごへ、上って行く。

美奈の唇が濡れて、少し開いているのが見えた。
閉じたまぶたから、ほんのひと筋、涙がこぼれる。
人差し指でやわらかな唇をそっとなでる。
もう一度。
頬にてのひらを這わせて包み、口づけた。

長く、むさぼるように。
深く、のどの近くまで。

美奈が苦しそうに肩をふるわせた。
一度離して、また唇を合わせ、美奈の中を奥まで犯す。
助けを求めるようにあがって来た手をつかんで、壁に張りつけ、
さらに何度も口づけた。

美奈の背中が弓なりにしなり、息が切れている、と思ったら、
綿貫の息も上がっていた。
張り切った胸元のボタンを外し、シャツの前を開くと、
なだらかに盛り上がった、白い丘があらわれた。
迷わず顔を伏せて、丘のあたたかな肌に押し当てる。
片手をスカートに忍び込ませて、中をまさぐり、
力をこめて引き下ろす。

「んっ?」

美奈の目が開いて、焦っているのが見えた。
さらに体ごと壁に押し付けて、もう一度唇をふさぐ。
片脚を持ちあげ、温かい肉の入り口をめざす。
はさみ込んだ体に痙攣が走り、喉の奥からあえぎ声が漏れたが、
かまわずに押し込んで、そのまま壁に縫い留めた。

1度、2度、3度・・・

美奈が震えるのを感じると、たまらなくなる。

4度、5度、6度・・・

恐ろしく圧力が加わり、体中で締め付けてくる。
すんでで抜き出すと美奈の頭を抱きしめ、はあはあ息をついた。

「・・・これって」
「ああ、悪い」

美奈の手をひっぱって、ようやく壁からはがすと
ソファまでひきずり、押し倒した。
半分のしかかったまま、はだけたシャツをはがし、下着を剥き、
スカートを引き下ろす。
ようやく、なめらかな美奈だけになると、
綿貫も準備を済ませ、改めて獲物を見下ろした。
口元に笑みがうかぶ。

「悪いが、帰せない」

白くしなやかで、とてつもなく熱い体が自分を見上げている。
赤い唇とうすく上気した肌と、真っ白な太ももと
熱く湿った割れ目と・・・。

体の奥へ入り込んで、どろどろにかき回してやりたい。
体中に走るふるえのすべてまで、感じたい。
二つの体が熱で溶けて、混ざり合うまで。

二人の体がぐったりと重なり合う頃、
テーブル上のジンライムの氷は、すっかり溶けていた。

半身を起こして、グラスを取り上げた綿貫は、
薄くなったジンライムをごくりとあおる。
ソファに沈んでいた美奈が、のろのろと顔を上に向け、
綿貫の方を見上げると、もう一口ふくみ、
横たわったままの美奈の口へ注ぎ込んだ。

美奈ののどが、くん、と鳴る。
もう一口、含もうとすると「起こして」と声がした。
仕方なく美奈の手を引っ張って、ソファに並ぶ。

髪が乱れて、ばらばらと顔にかかっているのを
ゆっくり梳いてどけてやる。
やっと顔が見えるようになった。

美奈が手を伸ばし、残ったグラスを取って飲んだ。
頬のあたりが赤く、唇が濡れてふっくらと光っている。
左手を伸ばして、裸の肩を抱き寄せた。

「寒いか?」

声を出さずに首を振っている。

「肩が少しつめたい。」

ソファ下に落ちていたブランケットを広げ、肩に掛けてやる。
寒くないと伝えたくせに、美奈は端をひっぱり、体ぜんぶを覆うと、
綿貫にもたれかかって来た。

「なんじ?」

めずらしい質問をしてきた。
綿貫が居間にかかっている時計を示すと、頭を振って立ち上がり、
荷物の方へ歩いて行く。

「今から帰るのか?」

時計はもうすでに11時を回っている。

美奈はもう一度、軽く頭を振り、携帯電話を取り出すと
ブランケットを掛けたまま、バスルームに向かった。

バスルームから美奈の声が漏れて来る。

『・・・電車、なくなりそうだから・・・もらう』
『ごめん。先輩のところだからだいじょう・・・うんうん。』
『わかってる。ごめんね・・・じゃあ気をつけて。』

しばらくすると、シャワーの水音が聞こえて来たので、
綿貫も立ち上がって服を着直した。
溶けたジンライムのグラスをキッチンへ運ぶ。

やがて置きっぱなしの「お泊まりセット」を着た美奈が
髪を拭きながら、ソファに戻って来た。
キッチンから綿貫が声を掛けた。

「家に電話するなんて、めずらしいな。」

「だから、ホントに母が戻って来てるのよ。
 赤ちゃんとお姉ちゃんも一緒に。」

「生まれたのはどっちだったんだ?」

「男の子。写真見る?」

美奈が携帯を操作して、赤ん坊の写真を呼び出した。
まだ生まれたばかりで、どんな顔とも言いがたい。

「美奈もおばさんになったのか。」

「まあね。あの子のおばさんならいいかな。
 綿貫さんはとっくにオジさんなんでしょ?」

「ああ。最近、会ってないがな。」

ジンライムのグラスはすでに洗われて、逆さになっている。

「もう一杯、飲む?」

「ううん、お酒はもういい。お水を頂きます。」

ふたたびソファに並んだ二人は、さっきと雰囲気が変わって、
ようやく打ち解けた感じになれた。
だが、まだ美奈の口があまりほぐれない。
美奈が黙っていると、この部屋がしんと静かだ。

「音楽でもかける?」

「ん・・・ぜひ。静かでゆったりするのを。」

恋人のリクエストに答えようと、綿貫が棚をにらんでいると、

「綿貫さんは、あの二人が付き合っているのを知ってたの?」

あの二人、という言葉から、すぐには対象が浮かばなかったが、
交際宣言の二人だと思いついた。

「美奈だって知ってたろう?」

「知らなかった。そういう関係だったってことを知ってただけ。
 続いているとは全然思わなかった。」

ビル・エバンスのピアノを選ぶ。
これを聞くと少々酒が飲みたくなる。

「そうか。」

美奈が何にこだわっているのかがわからない。
だが言葉に詰まって黙っている。あまりないことだ。

「あの二人、うまく行きっこないと思ってたの。
 あの時だけのことだと。」

ぽつん、と美奈が言う。

「どうして?」

「だって二人とも本気とは思えなかったし、単なる・・・
 浮気って言うか、遊びに思えたから。
 続くとは思わなかった。」

あの交際宣言がこんなにも美奈の中でわだかまっているとは、
考えもしなかった。

「あの二人が許せない?」
「・・・・」

また黙ってしまった。ミネラルウォーターのグラスが持ち上がる。
綿貫は自分用にスコッチを注いだ。

「許せないっていうのじゃないけど。
 何だか釈然としなくて。」

「素直に祝う気分になれない?」

「そう。そういう感じ。
 でもそれも自分的に情けなくって、よけい落ち込むの。」

「いいじゃないか。美奈はかなり苦しい思いをしたんだ。
 簡単に許せなくて当たり前かもしれない。」

綿貫は少し固まっている美奈の肩をなでた。

「でも、あの二人が付き合ってくれたから、美奈と付き合えた。
 俺にとっては、ラッキーな組み合わせだ。」

美奈の耳元で低くつぶやく。

「でなければ、今も美奈から、芳賀さんののろけを
 聞かされていたかもしれない。」

「のろけなんて言ってないわ。」

「言ったさ。たっぷり1時間近く。
 初めて飲みに行った時、カウンターで美奈が話したのは
 昔の俺の悪口と優しい彼氏のことばかりだった。」

美奈がこちらを向いたのがわかった。じっと見つめているのも。
大きな目が訊ねている。

「覚えてないのか?
 せっかく勇気を出して、ちょっと女っぽくなった後輩を
 誘った方の身にもなって欲しい。」

「え?」

綿貫は前を向き、スコッチを飲んだ。
いい香りだがぴりっと刺激がある。

「どういうこと?」

「別に。それだけだ。」

「・・・ぜんぜん知らなかった。」

「お前は彼氏のことしか、考えてなかったろうからな。」

「そういうわけで、誘ってくれたの?」

「そうでなきゃ、誘うわけがないだろう。
 覚えとけよ。」

照れ隠しにスコッチをあおる腕にしがみついて、
顔をくっつけた。

「おい、こぼれるじゃないか。」

いい香り。

「スコッチの香りがわかるのか?」

「うん。スコッチの香りとスコッチが好きな人の香り。」

美奈がくんくんと綿貫の腕に鼻をすりつけ、
腕を抱き込んで胸に抱えた。

また、おとなしくなったのが気になって、
くっついている顔をのぞき込むと
満足そうに目を閉じ、口元に笑みを浮かべている。

「わたしも・・・あの二人が付き合ってくれてよかった。」

「・・・・」

「でないと、あなたと付き合えないところだったんだ。」

ああ。

「よかった。ホントによかった。」

美奈がとつぜん、綿貫の胸にかじりついてきた。
あわててグラスを置いて、抱きとめる。
恋人の髪からシャンプーの香りがただよい、
髪をなでるとすべすべで、幸せそうな顔が見えた。

綿貫にも笑みが浮かぶ。

「ねえ。もう一度、ぎゅうって抱きしめて。」

美奈の体を足の間に挟み直すと、両腕で思い切り抱きしめた。
愛しい体から今度こそ、固いしこりが溶けて行くのを
全身で感じられた。








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