AnnaMaria

 

琥珀色のアルバム番外  白い夜の記憶2

 

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店の外に出ると、ぐんと気温が下がっているのがわかった。

口から漏れる息が白く変わり、さっきよりもみぞれに混じる雪の量が多くなったようで、
道路や傘にあたる音もさくっさくっと言う音に変わって来ている。


「地下鉄の入り口まで行って、地下道を行こう・・・」


それほど長い距離ではない。


だったらいいかしら?


そう思って、綿貫が先に開いた傘の中に横から滑り込んだ。


「濡れるぞ・・・」


すぐそばの唇から、そういう声が聞こえる。


「いいの。だってすぐだもの。

 本当はこのまま、JRの駅まで歩いていきたいぐらい。
 折角イルミネーションがきれいなのに・・・」

「じゃあ、そうしよう。」


あっさり同意してくれて、左手で傘を持ったまま歩き出す。
その手にそっとつかまると、直人の方を見ないようにして一緒に歩みを進める。


狭くて迷惑だと思っているだろうか?


直人の視線がどことなく自分に向けられているのを感じて、
かおりはこの上なく幸せだった。





自分たちの頭上を覆う傘に、さくっさくっさくっとみぞれ混じりの雪があたり、
その音がどんどん軽くなっていく。


さっさっさっさっ・・・。


気がつくと、傘の周りを斜めに降っているのは白い雪に変わっていた。

ほとんど人気の無い歩道の上にも、シャーベットのような灰色の固まりができかけている。


滑らないようにしないと・・・。


そう思った時、傘を持っていた直人の左手が右手に持ち替わり、
かおりの肩に直人の手がかけられた。


かおりは震えてしまいそうだった。

肩を抱いてもらって一緒に歩いたことなど一度もない。

そっと傘の中で、ごく近くにある横顔を見ると、
無表情のまま、前を向いている。



この雪は神様からの、少し早いクリスマスの贈り物だわ。

こんな風にふたりで肩先を濡らしたまま、
夜の街を寄り添って歩いていけるなんて・・・。


降りしきる雪が視界をさえぎって、周囲のものが隔たって見える。
二人っきりで傘の中に入っているだけでこんなに幸せ。

どんどん雪が降ればいいと思う。
どこにも着かなければいい。




有楽町駅に着く頃にはすっかり雪に変わっていて、
道路にもビルの側面にも白いものがまとい付き始めていた。

ホームは滑りやすく、12月の夜にしては人が少ない。

入ってくる電車も雪の幕をかき分けて、滑り込んでくるようで
何もかもいつもと違ってみえる。


電車に乗り込むと、二人とも肩先や髪から細かい雫が落ち始めていた。

かおりはハンカチを出して、直人の髪についた雫を拭き、
肩口の雪を手で払った。


「大丈夫だ。すぐ落ちる・・・」


直人はそう言ったが、体を避けたりはしなかった。

それから、自分のコートの肩先を払っていると、
直人がかおりの顔に手を伸ばし、前髪に付いていたらしい雫を払ってくれた。


ふと思いついて、直人の左手に触れてみる。

案の定、氷のように冷えきっていた。


「ごめんなさい。わたしが外を歩いていきたいなんて言ったから・・・。」

「いいんだ。俺も外を歩きたかった。
 だが、かおりの手がまた冷たくなると思ったんだ。」


その言葉が嬉しくて、涙がこぼれそうになり、
彼の左手をしっかり握りしめたまま、寄り添って、
ドアの窓から見える雪を眺めていた。


暗い景色の中、電柱や電車の照明でぽっかりと明るい空間ができる度、
その中を白い雪が斜めに舞っているのが見える。

人前でこんなに寄り添って立っていたことがあったろうか。

わたしの手を振りほどきもしなければ、側から離れようともしないで、
じっと後ろに重なったまま、一緒に窓の外を見ていてくれる。


「帰りたくない・・・」


心の中でつぶやいたつもりだったのに、気がついたら唇から言葉がこぼれ落ちていた。

返事はなかった。

なかったが、彼の右手がわたしの髪をそうっと滑るのを感じた。

思いが伝わっていくって何て嬉しいことだろう。
嬉しくて、微笑まずにはいられない。

もう何も要らない。

彼の左手がわたしの手の中でぬくもりを取り戻し、
わたしの血の中にまたざわざわとした音が戻ってくるのを感じていた。




新宿で私鉄に乗り換え、少しがらんとした各駅停車に乗り、
二人で黙って並んで座っている。

窓外の雪はますます激しくなってくるようだ。
12月にこんな風に雪が舞ったのは何年ぶりだろう。


「直人、これじゃ、帰れなくなるわ。
 わたし、一つ先の急行の止まる駅まで行けば、タクシーを拾えるから。」

「本当にそうしたい?」


直人は隣からじっとかおりの顔を見つめた。


もちろん、そんなことしたくない・・・


心の中のつぶやきが、結局顔に表れてしまったのだろう。

彼はそれ以上、聞いてこなかった。


「この雪でタクシーなんか、まともに走っていないさ・・・」


前に向き直りながら、直人が言った。





最寄りの駅で降りると、人通りの少ない駅前広場には、
すでに薄く白い雪のカーペットが広がり始めている。

風は止んで、雪は空から真っ直ぐに降ってきていた。

かおりの家はここから歩いて15分程の距離にある。
もちろん、普段でさえ少ないタクシーの影などどこにもなかった。


二つの傘のうち、やや大きい直人の傘を開いてもらって、
一緒に雪の中に踏み出す。

かおりはブーツの底が滑りそうで、少し怖かった。

傘を持っている直人の左腕にしっかりつかまる。

肩を抱き寄せてもらうのはうれしいけれど、
この雪では彼の手が凍えてしまうだろう。

駅前通りの商店は早じまいにしたのか、
ほとんどシャッターが下りて、しんとしている。

同じ電車で下りて来た筈の乗客も、急ぎ足でどこかに行ってしまったようだ。





さ、さ、さ、さ・・・


傘に当たる雪の音がさっきよりもっと軽くなり、微かになり、
辺りの音も全て雪に吸い取られて、しんとしている。

遠くの方で車の音が時折、聞こえるくらいだ。


アスファルトに積もり始めた雪は、普通の靴ではかなり歩きにくい。
滑って尻餅などつかぬように、直人につかまりながら一生懸命歩いていく。


それでも、時折、ずるっと靴の底がすべり、一瞬ひやりとする度に、
直人の手にぐっと力が入り、かおりを支えてくれる。


幸せだわ・・・


こんなに近くで二人っきりでいられるなんて、何て幸せだろう。

家なんか、どこか遠くに飛んで行ってしまえばいいのに。



「直人・・・」


思わず名前を呼んでしまった。

傘の内側で彼が顔をこちらに向けた気配がする。


「今日、会えてすごく嬉しかった・・・・。」


声が震えそうになる。

また、返事はなかった。

なおも少し歩き続けると、


「かおり・・・」


直人が傘を持ったまま、立ち止まった。

かおりももちろん、立ち止まり、彼の顔を見上げる。


「俺もかおりに渡すものがあった・・・」


コートのポケットを探ると、小さな白い紙袋を取り出し、かおりに差し出す。

震える手で、かおりはそれを受け取った。


「今、開けてもいい?」


直人は首を振った。


「ダメだ。うちへ帰ってから開けて欲しい・・・。
 気に入ってもらえるかどうか、自信がない。

 手袋にすれば良かったな・・・。」


ふっと笑って、かおりの冷たい指先を握ってくれた。


「わたし、直人といるときは手袋なんかしないわ。」


そう言って笑ったけど、なんだか嬉しくて顔が歪んでしまったかもしれない。


「ありがとう、直人・・・ありが・・・・」


白い紙袋を手の中に包んだまま、
うつむいて涙がこぼれそうになるのを見せないようにした。

それから小さな紙袋をそっとバッグの中にしまうと、
もう一度、彼の顔を見る。


もう涙はないはず・・・。


笑ってみせようとすると、直人の右手がかおりの顎にかかり、
温かい息が近づいてきて、柔らかい、すこし冷たい唇がかおりの唇に重なった。


うっとりと目を閉じて、この幸せを味わう・・・


2度、3度、唇が重なるうちに、いつか傘にあたる雪の音が消えて、
頬に髪に雪が音もなく落ちてくるのを感じた。

手を伸ばして、直人の感触をつかもうとすると、
背中に強い腕を感じて、彼のコートの胸あたりにすっぽり包まれていた。


雪なんかもう感じない・・・。

わたしの頬がぴったりくっついているコートの中に、
確かに固い直人の胸があって、その奥にきっと熱い心臓がある。

わたしにはその心臓の音が聞こえる・・・。


かおりも腕を伸ばして、直人の背中を抱きしめた。
背中にのばした手の甲に、やわらかく羽のような雪があたり、
すぐに溶けて落ちて行くのがわかる。


離れたくない・・・
ずっとこうしていたい・・・。


直人のキスをもらったことがない訳じゃない。
いつも甘くて、優しくて、体の中がずうんと熱くなるようなキス。

でも会えなければ、キスもできないもの。


「うれしい・・・」


目を閉じたまま、直人の胸に向かってつぶやいてみる。
また、髪の上に温かい手の感触がすべっていく。

あまりのてのひらの優しさに気が遠くなっていきそう。

ゆっくり彼の胸の中から顔を上げて、見つめる。

頬に額にまた雪が舞い降りてくるのを、直人が上になって遮ってくれる。
彼の髪の先が少し白くなり始めている。

髪を撫でてくれていた掌が頬に触れ、そうっと包まれていく。


「かおり・・・・
 
 きれいだ・・・。」


そう呟いて、もう一度唇が降りてくる。


わたしをきれい、と言ってもらえるなんて。
わたしの愛している人に、こんなに焦がれている人に言ってもらえるなんて・・・。


もう冷たくはない唇を何度も重ね合うと、またひとつのシルエットになって
長い間、真っ白い雪の中に佇んでいた。




ふっと背中が寒くなると、直人の腕が離れ、
傘を拾って雪をはたいている。

上から傘をさしかけて、髪や襟元の雪を払ってくれた。


「もう、傘、要らないかもしれないけどな・・・」


口の角をきゅっと上げて、とても優しく笑った。


「行こう・・・」


帰りたくなかったけれど、
これ以上、ここに佇んでいる訳にも行かないのかもしれない。

さっきよりもっと白くなった道を、
恐る恐る、だが、もっとしっかり直人につかまりながら、家までたどった。



かおりが門の中に入ると、直人がだまって手を挙げ、
後ろを向いてまた駅までの道を戻っていく。

ずっと見ていると、一度だけ振り向いたようにも見えたが、暗くてよくわからない。

彼の残した黒い足跡を、早くも白い雪が消し始めている。






家に帰って、冷えた体をお風呂で温め、家族におやすみを言って
自分の部屋に引っ込んでから、そっとさっきの小さな紙袋を取り出してみる。

これまでに直人から貰った物は、画集とか、CDとか
そう言ったものが多かった。


紙袋の中から銀色の箱がでてきて、さらにその箱を開けると、
白い綿につつまれた何かが見えた。

そっと綿をどけて、箱から取り出してみると、
それはアンティークの小箱だった。


蓋の部分にカメオの飾りがついていて、
青地に浮き出したレリーフは聖母マリアと幼子イエスだと思われる。

聖母マリアの白い肌がやわらかく浮き上がっていて、
若い母親の頬の柔らかさまでが伝わってきそうだった。


きれい・・・・。なんてきれいなのかしら。


幼子イエスは、マリアの胸に抱かれて母を見上げている。


蓋を開けると、内側に青いビロードの生地が張ってあり、
小さなビロードの蓋を開くと、もうひとつ小さな箱が仕込んであった。

全体で掌に載るくらいの小さなもの。



つくづくと細かいところまで眺めながら、
どうしてこれをくれたのかしら・・・と思った。
いつか彼に聞いてみたい。

小箱を掌に抱きしめたままベッドで眠りたいくらいだったが、
万が一、壊したりしては・・と思い、そうっと手から放すと机の上に置いた。



この箱に入れる一番目のものは、今夜の記憶。
彼の腕の中で口づけを受けた、白い夜の記憶を入れよう・・・・。


目を閉じると、彼の唇の感触が蘇ってくる。
わたしをきれいだ、と言ってくれたあの声も。

雪の音を聞きながら、彼の記憶に抱かれて、今夜は眠りたい・・・。

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