AnnaMaria

 

琥珀色のアルバム番外  ふたりの海岸物語1

 

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美奈はちょっぴり、緊張していた。

自分の隣でステアリングを握る綿貫を、
初めて見るせいかもしれない。

腕を軽く前に伸ばし、
まるで自分などいないかのように、
涼しい顔で運転している恋人の横顔を、
時折、ちらちらと盗み見る。

綿貫はその様子に気づいているのか、いないのか・・・。


ラジオのFMにチューニングが合わせてあり、
車内に、柔らかいバイオリンの音色が流れている。

外の白っぽく褪せたような都会の夏の空気と、クラシック音楽が
ひどくアンバランスだと美奈は思った。

窓から外を見ると、
休日の早朝とて、都内の道路はガラ空き。

街を形作る、建物や街路樹の影が少しずつ濃くなっていく。
今日も飛び切り暑くなりそうだ。

その空気の中を抜け出して、二人で海を目指している。





「何か聞きたい音楽がある?」


不意に綿貫に尋ねられる。


「ううん。綿貫さん、クラシックも聞くの?」

「音楽はほとんど何でも聞く。
 元々クラシックもジャズもポップスもR&Bも
 全部それぞれ好きだ。

 美奈は何がいい?」

「うん、これがいい。
 わたし、ずっとバレエをやっていて、
 バーレッスンの時、こんな風な音楽が流れていたの。

 アン、ドゥ、トロワ、プリエ、グランプリエ・・・」


美奈の腕が開いて、大きく弧を描く。

だからね、何となく落ち着くし、クラシック好きだな。

懐かしいわ・・・と、つぶやきながら、
美奈の手がとんとんとリズムを取る。
もしかしてつま先も動いているのかもしれない。





高速道路は順調に流れていた。
首都高から横横道路へと流れ、さらに西の海へと向かう。

崖を這う緑はとてつもなく濃く、密で、絡まり合い、
道路脇のコンクリートから、はみ出さんばかりの勢いだ。
陽射しは一層強く、眩しく、照りつけてくる。

不意にからりと片側が開けて、海が見えた。


「わあ!きれい・・。
 ホントに久しぶりだわ!」


青い空の色を受けて、海の面は鉄色に近い群青に光っている。

大きな船と小さな白い釣り船と、帆を上げたヨットまで通る。

海の人気ストリートらしく、
開けた青いパレットの上はとんでもなくカラフルだった。





美奈は水着を下に着て来たのだが、彼の前では初めてとあって、
脱ぐのが少し、ためらわれた。

綿貫はさっさとシャツを脱いで、車のトランクに投げ込んでいる。
美奈がためらっているのを見て、


「どうした、ここは海だぞ。
 服着て入るわけに行かないだろう・・・」

「うん、わかってるんだけど・・・。
 ちょっと、あっち向いてて」


綿貫は面白そうな顔をしたが、黙って運転席の方に行ったのを確かめて、
回りを見回し、水着と裸にあふれた場所にいるのだから、と、
えい!と決意して脱ぐ。

美奈の水着は、首の後ろで留めるホルター型ブラと、
小さなスカート付きのビキニタイプ。

気になる箇所を、あちこちひっぱりながら、
車の後ろから綿貫へ顔を出した。

美奈の視線を感じて、
綿貫が、小さめのクーラーバッグを持って後ろに戻ると、
こっちを見ている美奈の大きな目に出会う。

それから、急に目の前に現れた、
ほとんど日焼けしていない白い肩やお腹、
すんなり伸びた脚を見つめる。


「あんまり見ないで下さい・・」


そう言って、荷物をガサガサやりだしてからも
綿貫の視線は美奈から離れない。

耐えきれなくて、もう一度美奈が綿貫の顔を見直すと、
綿貫がわずかに微笑んだ。


「何よ・・」

「いや。中々似合ってる・・・・」


その言葉を聞くと、急に恥ずかしくなり、
両腕を胸の前で交差すると、


「うわ〜、ダメダメ!恥ずかしくて帰りたくなってきたわ」

「今来たばかりなんだから、帰るなよ」


綿貫はおかしそうに、声をたてて笑った。

横を向き、しばし唇をかんでいた美奈だが、ふとこちらに向き直ると、


「そう言えば、綿貫さん、結構日焼けしてますね。
 何で?
 どっかの日焼けサロンでも行ったの。」


小麦色に色づきかけている綿貫の上半身を見て、不思議そうに言った。


「ラジオ局主催のイベントだ。
 夏場は海からFMを発信、という奴で、
 マリンハウス主催イベントの準備に借り出されて、
 終わってから店のデッキで、スタッフや加澤とビールを飲んだ」


スタッフの中に、ブラトップ姿のモデルや女性DJ等も居たのだが、
もちろん、そんな事は口にしない。


「裸で?」

「エアコンないし、メチャクチャ暑かったからな・・・」


ふうん、と言う顔の美奈と並んで、車を離れた。





浜は混んでいた。

家族連れ、カップル、グループと、
雑多な裸が混じり合い、どの体も濡れて光っている。

パラソルの下に落ち着くと、海に見とれているらしい綿貫の隣で
美奈が一生懸命、日焼け止めクリームを塗り始めた。

一通り塗り終わり、何とか背中にもつけようと、
体をひねったり、よじったりしながら、ひとり悪戦苦闘していると、
綿貫が、傍らでくつくつと体を震わせているのが目についた。


「オホン!
 普通、手伝おうか、と声をかけてくれるものじゃないでしょうか?」


美奈が少々皮肉っぽく言うと、


「悪かった。つい・・・」


何とか笑いを納めながら、
綿貫が大きな手を差し出して、クリームを受け取り、
美奈の背中に塗り始めた。

なじみのあるような、見知らぬ人の物のような手の感触が
背中をゆっくりと滑り降りるのを感じる。

ていねいに塗ってもらっていると、
背中のマッサージを受けているようだ。


ちょ、ちょっと気持ち良過ぎるかも・・・


美奈が、ありがとうと言って、後ろを向き、
赤い顔で容器を受け取ると、


「綿貫さんにもつけてあげる・・・」

「ああ・・・」


向き直った大きな背中に、たっぷりとクリームを伸ばした。

大きな肩甲骨のくぼみの真ん中に、
さざ波のような影を見せて、背骨が真っ直ぐに、
首筋から細めの腰にむかって降りている。


わあ、何だかすごいな。
こうして見ると、やっぱりおっきい人よね・・・。


美奈が整った肉体に感心しながら、
肩から広い背中をほぼ塗り終わったあたりで、


「お、すげえ・・・」


間近から聞こえた呟きに目を上げた。

かなり背の高い美女が二人、近くにいた。

ウェストからヒップにかけての豊かさが際立っていて、
脚がすうっと細く、ヒールのあるサンダルがさらに長さを強調している。

くりの深いTシャツの胸もとから、メロンのようなふくらみが覗き、
今、まさにシャツの裾に手がかかって、
上半身が露わになろうとしている瞬間だった。

気が付くと、周囲の男性の視線がさり気なく、
二人の肢体を追っている。

美奈の塗っている背中の主も、しっかりと・・・。


ゴンッ!


美奈の肘が綿貫の脇腹にぶつかった。

うっと息を呑む声が聞こえ、
機嫌の悪そうな顔が振り向いたが、
もっと機嫌の悪そうな顔を見つけ、またすぐ前を向いてしまった。




くだんの美女二人は、アニマル柄のホルタートップのワンピースと、
ブロンズ色のビキニから、たわわな胸がこぼれ出して、
どこかのグラビア雑誌から飛び出したようなスタイルだ。

周囲の視線を一心に集めながらも、二人で楽しそうに海へ歩いて行き、
波打ち際できゃっきゃっと戯れていたが、
そのうち長身の髭の男が一人現れると、
二人を連れて海の中へと入っていってしまった。

周囲から何となくため息が漏れる。


「水に濡れたら、あのブラ、落っこちないかしら・・・」


美奈の呟きに、綿貫はちらりとこっちを見ただけで
何もコメントしなかった。


「泳ぎに行く?」

「まだ行かない。綿貫さん、行ってくれば・・・」


つんとした感じで応えると、予想に反して、
じゃ、と立ち上がり、急いで美女の歩いていった方向に(と美奈には思えた)
向かい、海へと歩いていった。


「何よ、あの態度!!」


美奈はぷんぷんしながら、ビーチベッドに転がり、
しばらく恋人の消えた方角の海を見ていたが、そのうち他の人の背中に紛れて
どれだかわからなくなってしまった。





綿貫は海が好きだ。

子供の頃から泳ぐのが好きで、もっぱらプールで泳いでいたが、
外房の海近くに居る叔父のところで海の楽しさを覚えてからは、
中学くらいまでは毎夏、海水浴を楽しんでいた。

肩に注ぐ真夏の陽射しを感じながら、
空の下に、一段濃い線を引いたような水平線に向かって、
しばらく泳ぐ。

プールと違って、体がふわりと浮き、
自分の回り一面にきらきらした海面が広がるのが懐かしい。

沖の方から浜辺を見ると、カラフルなビーチパラソルで、
一面に雑多な花が咲いたようだ。

もっと静かな海も知ってはいたが、
砂が細かくて、水のきれいなこの場所が気に入っていたので
美奈を連れてきた。


一人でむくれているかな・・・


美奈の居る筈のパラソルの柄を探しては見たが、
ここからでは、きちんと区別はできない。

空中に飛び散る水の滴が、陽射しにきらきら輝いて見える。

子供の頃と寸分変わらない波の音を聞きながら、
白く輝く雲を眺めていると、
気持ちがどんどん開放されていくのを感じた。





しばらく泳ぐと、放っておいた美奈がそろそろ気になり、
海越しに浜の方角を眺めていると、


「すみません。これお願いします!」


突然の声と共に、ばしゃっと濡れた物を手渡された。

あまりに急で取り落としそうになったが、
何とか抱え直してよく見ると、ぐにゃぐにゃと動く。

黒くて丸い目が濡れた毛の下から見えたので、
綿貫は驚いて、もう一度抱え直した。

びしょびしょに濡れ、毛並みの具合もわからないが、
ミニチュア・ダックスフントだろうか?

見も知らない人の腕にいきなり放り込まれたせいか、
水が怖いのか、体が小刻みにぶるぶる震えている。


「お前、泳げないのか?
 犬はみんな泳げるもんだぞ」


綿貫が犬を海面に近づけると、怖がって短い足としっぽを丸め、
きゅう〜ん、きゅう〜んと哀れっぽく鳴く。

こんなものを押し付けて行ったのは、どこの誰だろうと、
沖の方を振り返るが、どの姿だかわからない。


ピンクの水着と子供の声だったような・・・
困ったな。


綿貫は途方にくれながら、波をやり過ごして、その辺りに佇み、
腕の中の犬を不安がらせないようにしていた。


「どうもありがとう!!」


後ろからかん高い声が弾けて、ポニーテールの
ピンクの水着の少女が笑いかけていた。

焼きたてパンのような焦げ茶色の丸顔から、
真っ白な歯がのぞいている。


「チャム!」と叫んで、綿貫へ腕を伸ばす。


「チャム」はまだブルブル震えていたが、馴染みの主人だと認識すると
やっと綿貫の腕から、少女の腕へと移っていった。


「びっくりしたよ。あやうく、落っことすところだった」


やや非難をこめて、綿貫が少女に言うと、


「急にこれが流れて行っちゃって、焦ってたの。
 この子、波が怖いもんだから沖に連れてけないし、
 お兄さん、一人みたいだったし・・・。」


手に持った様々な飾りのついたカチューシャを振り振り、
少女が悪びれずに答える。

お兄さんと言う呼び名に、少し寛大な気分が湧いてきたが、


「俺が落としてたら、この犬、泳げたのかな?」


少女がいたずらそうに微笑んだが、


「う〜ん、少しはね。
 バタバタ泳ぐんだけど、浜までは無理だったと思う。
 すぐ疲れちゃうのよ、この子。
 
 お兄さん、ひとりで来たの?」

「いや」

「じゃ、彼女と?」

「まあね。」


ふ〜ん、と意味ありげな目線を送ってくる。
おませな子なのかもしれない。


「君は?」

「パパとママは、あの辺で最初っから、ずう〜〜〜っと寝てる」


少女が浜の辺りを指差した。


「ね、一緒に泳ごうよ」

「いや、もう戻らないと。」

「まだいいじゃん。ちょっとだけ・・・ね?」


綿貫の腕をつかむと、また「チャム」を押しつけ、
自分は沖に向かって、たちまち、ぱちゃぱちゃと泳いで行ってしまう。


「おい、待て!」


綿貫が声をかけると、笑って沖の方から手を振っている。

とにかく犬だけは返そうと、沖に進んだが、
少女は笑いながら、さらに向こうへと泳いで行く。

泳ぎにくいので、犬を海に放すと、
大慌てで、忙しない犬かきを始め、浜の方に向かおうとし始める。

犬を抱き上げて、何度か沖の方角に向けてみたが、
必死に自力で方向転換をし、浜を目指す。


「うふふ、チャムねえ、恐がりなの。
 水につかってるのは好きなんだけど、波が怖いの。

 ね、お兄さん、ジャニーズの○○に似てるね。」


いつの間にか、またピンク水着の少女が戻って来て、傍で笑っている。


「それはないだろう・・・」


うふふ、そんなんじゃダメかあ。
喜ぶと思ったのに・・・うふふふ・・・


綿貫はその様子を見ていたが、急に近くに寄り、
少女の手をぐっと捕まえて


「じゃ、一緒に浜まで泳いで行こう・・・」


すぐ近くに犬を泳がせて、少女の手を握ったまま、
浜の方へゆっくり戻り始める。

少女は急に黙ってしまったが、


「お兄さん、もてる方?」

「いや。どっちかというともてない方。」


ふ〜〜ん。

大人の女の人って見る目がないのねえ・・・・。


大人びたことをつぶやきながら、
神妙に綿貫に手を引かれたまま、浜に向かって泳いで行く。

「チャム」も置いて行かれまいと、
頑張って足をばたつかせていた。

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