AnnaMaria

 

琥珀色のアルバム番外  揺れない瞳1

 

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夏の盛りは過ぎたはずなのに、
アスファルトの路面は相変わらず熱を保っている。

真夜中近くなっても、渋谷の街は一向に人波が途切れないが、
通る人の足取りや、その間を流れる空気はよどんで生ぬるい。


「お客さん、これからなら、1500円ぽっきりでいいからさ」


値段の交渉をもちかける男は、三人連れのサラリーマンに、
必死で追いすがる。

センター街を神南方面に向かって進むと、
ネオンのけばけばしさの中を、熱帯魚のように歩く若い女たち。
金魚のようにつながって群れる若者。
酔って、大声を張り上げている男のグループ。

あらゆる人間がスクランブルのようにすれ違い、
よろめき合い、呼び込みの声だけが大きくなる。

宇田川町の交番を過ぎると、センター街の喧噪はかなり静まり、
代わりに、歩道に出ているゴミをひとつずつチェックする浮浪者が目につく。

24時間営業のセンター街と違って、
この辺りの店は、11時半には仕舞い、
地下のマンガ喫茶とネットカフェだけが営業を続けている。


「いいじゃないか。ここまで来たんだから、
 こっちの登録を済ませちゃいなよ。」

「でも、わたし、浜田先生とのお仕事だと聞いてきたんです。」

「だからさあ、先生は今夜、
 別のアシスタントと一緒に行かなきゃならないの。
 商品運ぶのに車が要るしね。
 だから、ついでにこっちの・・・」


声だけが聞こえたが、若い女と数人の男たちのようだ。
ビルの玄関前で何やらもめている。
ちらと視線を向けると、舗道を見張っているらしい若いのに、
じろりとにらまれた。

用があるのは、隣のビルだったので、
狭苦しいエレベーターに乗りこみ、
すぐに目的の製作アトリエに着く。

仕上がっていた、セットと機材を受け取ると、
また息苦しいエレベーターに乗って、玄関に降りた。


「だから、先生は今日ダメだって言ったでしょう?
 別口のバイトの話をしようよ。
 モデルもやったことあるんだって?」

「それは・・・。
 でも今日はその仕事じゃなくて、先生のアシストで・・」

「わっかんない子だねえ。
 今日は向こうがダメだってんだから、こっちの話、聞きなよ。」


話はまだ続いているらしい。
彼女を説得しているようだが、周りの連中がプロなことは明白だ。
さりげなく道路から一団を隠し、見張っている奴がいるのでわかる。

こんな時間に、ここにいる女に用はない。

ガラガラ、ガラガラ、という耳障りな音が響く。
男のひとりが、自動販売機のゴミ箱からこぼれたガラス瓶を、
アスファルトの上で、足で転がしているのだ。

ふと、足でさばいて空中に浮かせ、2度ほど器用にリフティングすると、
いきなりぽーんと蹴り上げ、
高く空中に浮かばせると、瓶が道路に着地し、

ガシャーーーーーーンン!

ガラスの割れる派手な音が鳴り響いた。

一瞬、はっと息を呑む声が、男たち越しに聞こえた気がする。
女の声の調子が急に変わった。


「やめて!
 そこを通して下さい。
 通してったら・・・」


今まで冷静を保っていた女の声が、見る間に自制を失い、
男たちの輪を強硬突破しようとしているようだ。


「いってえな!何すんだよ。あんた。」

若い男の凄む声にもめげず、

「帰るんだから、通してよっ!」

近くの男を突き飛ばしたところで、道路に居たチンピラが、

「まあ、そう熱くなんなよ。」

ビルの下に戻り、女の腕をぐっとつかむと、
彼女がいきなりチンピラの頬をはたいた。

「こいつ!舐めやがって!」

逆上したチンピラが、彼女の胸ぐらをつかんだところで、
つい足が前に出た。


「何をしているんだ?」


声をかけると、男たちが一斉にこっちを向いた。
一人が返事をする。

「何だ、お前、余計な首つっこむんじゃねえよ
 あっち行ってろ!」

一番、背の低い奴が肩をいからせてやってきた。

「あの!」

女が腕をつかまれたまま、体をひねってこっちに反対の手を伸べる。
見れば、まだかなり若い。
少女と言っても通るくらいだ。

もう一歩、差し出された手に向かって足を踏み出すと、


「ざけんなよぉ。こいつ!」


チンピラの腕の一振りで、あっけなく道路に叩き付けられた。

きゃあっ!やめて、やめてよっ!

彼女の悲鳴が響き渡った。
真夜中で人通りが少ないとはいえ、渋谷のど真ん中である。
通行人がいない筈はない。
なんとなく、こちらを遠巻きに見る視線がいくつも集まって来た。
彼女の悲鳴はまだ続いている。


「うるせえっ!騒ぐんじゃない。
 なんだよ。お前をやったワケじゃねえだろ。
 こいつが・・・」

声高にさけぶ、若造を

「おい」

隣に居る、中年の男がたしなめた。


「うるせえのはおめえもだ。だまらねえか!」


その声をしおに、起き上がろうとすると、
さっきの若いのが走って来て、もう一度蹴りつけられ、
今度はうつぶせに道路に手を突いてしまった。

ざくっとイヤな感触がある。

手のひらをめくり上げると、さっき粉々になったガラス瓶のかけらが、
ざっくり手のひらを割っていた。
血がぼたぼたと道路にしたたる。


「きゃあっ!」


今度は通行人の女の口からも、悲鳴が漏れた。

男たちは、さっと目配せをしあうと、
早足であっと言う間に舗道を遠ざかって行く。

目の前に、白いひざこぞうが現れ、
ついで心配そうな顔が、長い髪の間から見え、
白い指がこちらに差し出された。


「あの・・・」


返事をする間もなく、警官が二人やって来た。


「大丈夫?何かあったの?」

彼女が何か言おうとする前に、

「いえ、転んで手のひらを切っただけです。
 大丈夫ですから・・・」

警官はそれでもなお、うさん臭そうに、こちらを見ていたが、

「ご心配ありがとうございます。」

と言い切ると、「気をつけてよねえ・・・」と言いながら、
何度も振り返りつつ、踵を返した。
小さな人の群れも散り始める。





目の前のひざこぞうの持ち主は、
白い手をバッグに突っ込んでかき回し、
ピンクのバンダナを取り出すと、
こちらの手のひらに押し付けた。

見る間に、布地が血で染まって行く。
ぽたぽたと道路に滴る音もした。

「どうしよう!
 この時間、お医者さんが開いてるはずないし・・・
 そうだ!救急車、呼びます。」

震える手が携帯を取り出したところで、
彼女の手を押さえた。

「大丈夫。それほど深くないと思う。
 まず、ここを離れよう。奴らが戻ってくるかもしれない。」


彼女が出してくれたバンダナで傷口を押さえながら、
公園通りに通じる小さな坂道へと、切れ込んだ。

坂道にコマコマと並ぶ飲食店の大部分は仕舞っていたが、
ビルによっては、階下の照明がまだ明るい。

一番、明るそうなビルの下で傷口を見た。
小指から手首に向かって、手のひらが斜めにざっくり切れている。

ほんの少し、傷口をおさえる布を放しただけで、
もう白いタイルにぽたりと血が垂れる。


「あたし、あの、そこのコンビニで包帯とか買ってきます。
 ここで待っていて下さい。」

「大丈夫だ。これで少し強く締め上げてくれれば・・」

「そんな・・少し待っててくれれば、すぐ戻ってくるから。
 お願い。」


押し問答をしていたのが聞こえたのか、
上の階段から、

「どうしたの?」

声がかかり、白いコック服の青年が手すりごしに、顔を出した。

「ああ、すみません。ころんで道路に手をついたら、
 ガラスの破片で切ってしまったんです。」

「血が止まらなくって・・・」

彼女の震えた声が、自分の声にかぶった。

「ああ、そうなんだ。」

青年は階段を下りて来て、傷口を調べると、

「これじゃな。あ、ちょっと待ってて。」

と再び、階上に姿を消した。
すぐに救急箱を持って降りて来ると、
「ここに座って」と階段を指し、目の前にひざまづくと、
こちらの手を取って、器用に手当を始めた。

消毒し、テープのようなものを貼り、その上から、
包帯をくるくると巻き付け、手首はやや強く締め付ける。

「応急だけど、しばらくなら保つでしょ。
 朝になったら、医者に行った方がいい。
 ここらの夜間診療の医者、すんっげえヤブだから・・」

「お医者さん、あるんですか?」

彼女が真っ青な顔で、青年に問い返した。

「あるけど、この前、となりの店の子がひどい火傷しちゃって、
 救急医療に駆け込んだら、1時間待った挙げ句、ただ冷やしとけって。
 なんか、聞いたら、若い眼科専門の医者だったらしい。

 ほとんど学生のバイトって話だし、
 命が惜しけりゃ、やめた方がいいよ。」

包帯を巻き終わると手を放し、かすかに笑顔を見せた。

鼻下とあごにうすく髭を生やし、
首に赤いタオルを巻いている。

「ありがとうございます。助かりました。」

立ち上がって礼を言い、財布から適当につかんで、
青年の手にねじこもうとしたが、笑って手を引っ込められた。

「要らないよ。俺も助けてもらったことあるからさ。
 治ったら一緒に店に来てよ。
 2階の『イタリア風居酒屋』だ。
 あ、これ一応、痛み止め。
 しばらくすると、かなりズキズキする。渡しとく。」

薬を彼女に手渡し、救急箱を持って

「お大事にな。」

と言うと、また階段を上って行ってしまった。

手当が済むと、白っぽいビルの照明の下で、
初めて彼女とまともに向き合った。
かなり若い。
20才そこそこだろう。

背は高く、自分と向き合ってこの位なら、
168cmくらいあるかと思われた。

栗色の長い髪に、アーモンドのようにくっきりした茶色の目をしている。
猫科の動物のような目だが、今は怯え、ややうるんでいた。


「どうも・・助けて下さってありがとうございました。
 あたしのために、けがをさせてしまって、
 ホントにすみません。」

「いや・・・。」


妙にまぶしいビル下の照明から抜け出て、
薄暗い坂道に降り立つ。


「あそこは宇田川町の交番からすぐなんだ。
 騒いでいれば、すぐに警官が来る筈だと思っていたんだが、
 その前にやられてしまっただけだ。」

「いえ、そんなことないです。
 警官が来る前に、あたしが殴られてたか、
 連れて行かれてたか、
 あなたが助けてくれなければ間に合わなかった。」


もう一度、坂道を下りる自分の後に続いて、
彼女も急ぎ足でついて来る。


「俺は、さっきの場所に仕事の荷物を置きっぱなしにしてきた。
 だから戻るが、そっちは戻らなくてもいいだろう。
 ここから帰ればいい。もう用はないはずだ。」

「・・・・」

電車がとっくにないのは分かり切っている。

「このまま、センター街に戻れば、
 ファーストフードの店でもネットカフェでも何でもあるだろ。
 好きなところで時間をつぶせ。」


彼女の瞳に傷ついたような色が浮かんだが、知ったことではない。
まともな娘なら、この時間にあんな処にいる筈がない。
家出娘を背負い込む気持ちはなかった。





ガードレールの傍に置きっぱなしになっていた、
うすべったい段ボールの包みと、
中くらいのボードケースがまだあるのを見て、
少々ほっとした。

右手でボードケースを持ち、左手で段ボールを持ち上げようとすると
ずきっと手が痛み、

つうっ

思わず声が出て、段ボールを取り落とした。
後ろから白い手が伸びると、段ボールを持ち上げた。

「手伝います。あたしのせいでケガしたんだから・・・。
 どこまで運ぶんですか?」

彼女の顔を見ながら、どうしようか迷ったが、

「じゃ、その先のコインパーキングまで。
 車に積み込むのを手伝ってもらおうか。」

「はい。」

彼女は、右手のボードケースにも手を伸ばしたが、
こっちは大丈夫だから、と、それは遠慮した。

社用のバンに、適当に荷物を詰め込むと、
ハッチを閉めて向き直った。


「ありがとう。助かった。
 これでチャラだ。気がすんだろう?」


彼女の瞳が街の薄暗がりで、丸く光っている。
森の中で見たら、獣に間違えるような目だ。


「あの・・・」

何だ、まだ用があるのか?

「お腹空いてないですか?」

「え?」


意外な質問だったので、返事をするのに間があった。


「あたしに、ごはん、ごちそうさせて下さい。」

「いや・・・」

「ていうか、あたしがお腹空いてるんです。
 その間だけ付き合ってくれませんか。」


彼女の申し出の意味を少し考えていたが、


「お願い。その間だけでいいから・・・」


心細いのかもしれない。
あんな目に遭ったあとだから無理もないが、付き合う義理はない。
だが、彼女の必死な目を見ているうちに気が変わった。


「わかった。このままセンター街に戻るか。」

「どこでも。あたしの知ってるお店ってそんなにないから・・・」

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