AnnaMaria

 

琥珀色のアルバム番外  揺れない瞳3

 

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TV局の駐車場に車を停め、
受付を済ませると、エレベーターで上にあがる。
深夜の2時過ぎというのに、廊下で沢山の人間とすれ違う。

夏希は平べったい段ボールを抱えたまま、
目を皿のようにしながら、きょろきょろと珍しそうに
局内を見渡している。

TVで見知った顔とすれ違うとハッとなり、
片手で口を押さえるので、興奮しているのがすぐわかる。

持って来たセットと機材を、スタジオ横の調整ルームに置いた。

「坂本さん・・・」

スタジオ内にいた、顔見知りのディレクターを見つけ、声を掛けた。

「あれ、わざわざ、君が持ってきてくれたの?
 悪かったなあ・・・・、いや、ありがとう。」

「いえ、何とか間に合いました。」

「まだ、ぜんぜん大丈夫だけど・・・あれ?」

すぐ後ろでスタジオ内を見回している、夏希に気付いたらしい。

「めずらしい連れだね。 
 新人のタレントさん?」

「違います・・・」

坂本ディレクターは夏希の前に進んで、さっと全身を眺め下ろした。

「ふうん。いいじゃない。
 君、事務所に入ってる?」

「いえ、入ってないです。」

夏希は目を留めてもらったことが、うれしそうだった。

「だったら、ちょっと手伝ってくれると助かるなあ。
 スタジオに若い女の子が少ない時があるんだよ。
 カメラが撫でるから、けっこう画面に映るよ。」

「ホントですか?」

うれしそうに目を輝かせる。

「ああ、これ、僕の名刺。
 興味あったら連絡して、待ってるから。
 君の名前は?」

「二宮夏希です。」

坂本ディレクターは、自分の名刺の端に、
夏希の名前と今日の日付を書き込むと「待」と字を入れ、
ひらっと夏希に見せた。

「ね?連絡してね。夕方以降がいいな。じゃ!」





坂本ディレクターに会った後、夏希は少しぽうっとしていたが、
忙しく行き交う人の様子を見て、また観察に戻ったようだ。
白い顔には、興奮して血の色がのぼっている。

インディゴのショートパンツから伸びた長い脚が落ち着いていられず、
ブロンズ色のバレーシューズが、たかたかと踊っている。
車に戻ると、一気に言葉がほとばしった。


「ね!ね!あれ、○イ○イの○べっちだよね?
 ニュースキャスターの人もいたなあ。
 ホントにスーツ着てるんだ。
 いいなあ、すごいなあ、あ〜〜、最高!」

運転席にのけぞって、こぶしを握りしめている。

「タレントになると、毎日TV局とかに出入りできるのかなあ。
 さっきの人に連絡すると、どうなるの?
 あなたはタレント事務所の人なの?
 それともプロモーションとかする人?」

奔流のようなセリフに、やっと切れ目を見つける。

「さっきの人は番組ディレクターだ。
 連絡すると、彼の番組で客席が地味な時の、
 にぎやかしにでも出てくれ、と乞われるだろう。
 
 それから、俺はタレントのプロモーションなんか全くやってないから、
 このままタレントになれるかも、と考えるのはやめろ。
 それに・・・」

意地悪く、浮かれている夏希の方を見た。

「スタイリストになりたいんじゃなかったのか?
 モデルもやってみたいとか言ってたな。
 今度はタレント志望に変更か。」

言葉が進むにつれて、夏希の興奮がしぼんで行くようだった。
しょぼんと、運転席にもたれると、
栗色の髪がさらさらとステアリングにかかった。

「そういうわけじゃないんだけど・・・」

ミーハー娘の将来の希望など、こっちにはどうでもいい。

「さ、これで仕事は終わりだ。
 あとはこの車を戻して、部屋に着替えに戻って、今日の仕事に行く。」

「はい・・・」

素直に返事をすると、夏季がエンジンをスタートさせ、
駐車場をすべり出た。





局にいる間に降り始めた雨が、
いまや、ざあざあと音を立てて暗い空から降り注いでいて、
イルミネーションの消えた、お台場の虚空に光が走る。

びびびび・・・ビリビリビリビリ・・・

文字通り空に亀裂が入って、まっぷたつに裂けていくような音。

夏希は緊張して車を運転していたが、
雨はさらに激しくなり、ついにはワイパーを最速にしても
あたりがぼうっと暗くかすんで、
視界が確保できない状態になった。


「どうしよう・・・見えない.
 このままじゃ、心中しそう・・・」

悪い冗談だ。

だが、みるみるうちに路面があふれ、冠水して、
暗い水たまりをタイヤが跳ね飛ばして行く。

「これは危ないな。車を停めよう・・・」

雨が激し過ぎて、レインボーブリッジをまだ渡れない。
ガード下に車を寄せさせて、様子を見ることにした。





夏希はステアリングの上に両手を組み、
その上に顎を乗せて、フロントガラス越しに嵐の海を見ている。
何か鼻歌を歌っているようにも聞こえる。

背中のタンクトップがまくれて、腰のあたりの白い肌がのぞく。
こっちは痛み止めが効いてきたのか、
ぼうっとしてきた。

「ねえ・・・」

呼びかける声に、運転席に目を向けたが、
夏希は前を向いたままだ。

「ちょっと休憩して行こう、って、あなた、言わないね。」

「言わないと礼儀に反するのか?」

前を見たまま、夏希が強く首を振り、
長い髪がさわさわと音を立てた。

「ううん。だって、こんな時、ほとんどの男が言うんだもん。
 言わなかったのって、あなただけだ。
 どうして、あたしを助けてくれたの?」

「よけいなことをしない方がよかったか。」

ちがうわ。

「あたしだって、そんなにしょっちゅう、
 ああいう処をうろついてるワケじゃないけど、
 あんな時、助けてくれる人がすごく少ないのはわかってる。
 誰だって関わり合いになりたくないんだよね。

 でも、あなたはこっちに顔を向けて、声をかけてくれた。
 それほど、腕に自信がありそうでもないし、
 あたしをどうにかしようってわけでもない。
 
 どうして?」


夏希の声には、まじめに疑問に思っている様子があった。


「さっきも言ったように、俺が声をかけて、
 ちょっともみ合いにでもなれば、すぐ警官が来ると思ってた。
 それに・・・」


いまや、夏希はこちらを向いて、茶色い目をぴたりと向けている。
なんだか吸い込まれそうだ。


「ガラスの割れる音だ。
 あの音が聞こえるまで、君の声はしっかりしてたし、
 ひとりでも何とかできそうだった。

 ガラスの音で、何か、君の中の糸がぷっつり切れてしまい、
 急に焦りだしたように聞こえて、思わず声をかけた。
 そうだ、腕に自信もないのに。」


最後はちょっと自嘲気味に付け加えた。
若い女の子に「弱いね」と言われるなんて、
あまり気分のいいもんじゃない。


「そっか。
 そうだったんだ。」


夏希はまたフロントグラスに視線を戻す。
相変わらず、強い雨が滝のように降りしきり、
ごうごうと風の鳴る音までする。

夏希はこちらの包帯の手をそっと取った。

少し、感覚がにぶっているような気がする。
夏希の手の感触があまり伝わってこない。


「そのせいで、あなたにこんな怪我をさせてしまった。
 痛いでしょうに。
 あたしのために・・・ごめんなさい。

 でもね、こっちにむかって来てくれた時は、
 すごくカッコ良かった。
 何かのヒーローみたいだったよ。」

ちらりとこちらを見て、照れたように微笑むと、
いきなりぱっとドアを開き、

「あたし、頭冷やしてくる!」

「あぶない、やめとけ!」

一瞬、彼女の腕をつかみかけたが、
さっと身を翻し、大きな笑顔を見せると、
たちまち、外へ駈けて行ってしまった。

ドアを開けると、外のすさまじい雨の音が入り込んで来る。
ガード下のコンクリートの上を、夏希がゆっくり歩いていくのが見える。
雷なんぞ、まるで怖くないらしい。

つまさきだって、柱まわりの小高いコンクリートの上を歩き、
何かのダンスをひとくさり踊って、くるりくるりと回転する。

窓とドアを閉めていると、外の音が半ば遮断されて、
音のない動画を見ているようだ。

観客のいないステージ。

暗い画面を背景に、道路の照明灯を浴びている彼女の体は、
くっきりとした輪郭を浮かび上がらせ、
不思議な明るさと浮遊感に満ちていた。

これは・・・何だろう?

息をのんで、しばらくの間、彼女を見つめていた。

やがて、ゴウッと言う音と共に夏希が車に舞い戻って来て、
長い髪の先から、子犬のように濡れた雫を跳ね飛ばす。


「きゃあ、ちょっと濡れちゃった!
 最初は気持ちよかったけど疲れた。
 けっこう蒸し暑いんだもん。汗かいちゃった。」

君は・・・・

「え?」

「何かダンスでもやっているのか。」


夏希はこっちの顔を不思議そうに見ると、


「小ちゃい頃からずっとクラシックバレエをやってた。
 今はヒップホップでもハウスでも、何でも踊るけど、
 一番好きなのは・・・」

「モデルもやってみたいと言ったな。」


夏希の言葉をさえぎって続けた。


「やってみれば、いいかもしれない。

 誤解するなよ。
 俺は女性モデルの目利きじゃないが、
 君は何か面白いものがある気がする。
 チャンスがあるなら、やってみるといい。

 モデルの旬は短い。
 一時の露出が大きければ大きい程、
 翌年は仕事が回ってこなくなる可能性もある。
 君の年齢では、やや遅いのも事実だ。

 モデルがダメだからスタイリスト、
 という図式はゆるされないだろうし・・。

 それにモデルは、撮影現場の真ん中で、
 中心素材として扱ってもらえるが、
 スタイリストのアシスタント見習いは、現場ではパシリと同じだ。

 同じ撮影スタッフのところに、
 今度は一番下っ端のパシリとして参加しなくちゃならない。
 それができるか?

 モデルの自分と、
 スタイリストのアシ見習いの自分を分けられるか?」


一気にしゃべってしまってから、ふと気づくと
夏希が微笑んでいるのが見えた。


「ふ・・・ほらね。
 やっぱりそうなんだ。わかってたよ。」

「何が?」

「結局、いろんなこと教えてくれてるじゃない。
 冷たそうな顔して、ホントはあなた・・・すごく優しいんだって。」


何と答えていいのか、またわからなくなった。

夏希は一向に構わず、運転席から乗り出すと、
こっちの右腕をひっぱりこみ、自分の体をもたせかけた。


「ちょっ・・・」

「いいじゃん!・・・」


引き抜こうとすると、彼女の両手でしっかり捕まえられ、
肩先に頬がのる。
右腕に、温かくて柔らかい感触が伝わって来る。


「ねえ、眠たい・・・ものすごく。
 あなたは眠くないの?」

「少し眠い。」

「このまま、ちょっとだけ眠らせて。
 あなたの右腕だけ貸して。」

「なんで・・・」

「雷が怖いの・・・。すごい音だもん、心細い。
 だからその間だけ・・・」


さっきは雷のとどろく中、うれしそうに踊ってたじゃないか。

そう言いたかったが、夏希はこっちの右腕に、
何度か鼻先をこすりつけるようにすると
そのまま目を閉じて頬から首すじ、それから体全体をもたせてくる。

どうすればいいのか、かなり悩んだ。
仕方なく、じっとしていると、

「ね、あたしとやりたい?」

「・・・・?」

腕から少しだけ頬を放し、肩先にあごをこすりつけたまま、
こちらを見上げる。
ネコ科の猛獣のアーモンド・アイが、暗い車内で光っている。


「大人の男の人って、いつでもやりたいんじゃないの?」

「人による。
 それに、誰とでもいいからやりたい、という男が全部とは思えない。」

「でも男の人って誰とでもできるんでしょ?」

「誰とでもできるのと、誰とでもやりたいのとは、違う。」

「あなたは、やりたくないの?」

「ああ、君とはやりたくない。全然、全くタイプじゃない。」


こちらの答えを聞くと、ふうんと言って、
また肩先に顔を伏せてしまった。

さっきより、腕に絡まっている力は弱まったようだ。
だが、そうっと抜こうとすると、ぎゅっとつかまれる。

髪が顔にかかってよく見えないが、目を閉じているようだ。
ほわんとした表情が、どこか幼く見える。

一体、この状況でどうしたものか、全くわからない。
わからないまま、動かずにいると、
そのうち、すうすうと寝息が聞こえてくる。

夏希の唇からもれる温かい息が、首にかかってくすぐったい。
体の右半分が若い女の子の体温で、熱くなってくる。
左手の痛みはさらに薄らいだが、
その分、意識がますますぼうっとしてきた。

窓外のざあざあ言う音を聞きながら、
右手はずっしりとした温もりに絡まれ、
このまま少し、目を閉じていようと思った。

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