AnnaMaria

 

おそるべきマリア 1話

 

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「君に会うには、どうしたらいい?」

「わたしに、会いたいと思わせればいいのよ。」

「どうしたら、そう思ってくれる?」

「うっとりするようなことをしてくれたら・・・。
 わたしが気持ち良くて、とろけそうになったら、あなたに会いたくなるわ・・・」


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君に初めて出逢ったのは、パリのカフェ。
紹介してくれたのは、ちょっと複雑な関係の男。
君の夫ではなく、君のかっての(わかるものか)恋人。
他にもまだ複雑な関係があるらしいが、僕にとってはどうでもいい。

君はカフェの奥の床の上で、舞踏服を着た若い男に抱かれて踊っていた。

男は君に夢中のようで、君の顔から一瞬でも目が離せない様子だったが、
君は時々、彼の方を黒い瞳で見つめてはいても、
彼の背中に細い腕を回しながら、こっそり小さなあくびをしたのが見えた。

君の背中は真っ白で、ゆたかに実った肩から胸はクリーム色。
小さな顔から、夜のように真っ黒な瞳が輝いている。
艶のある豊かな髪は、後れ毛のあるうなじを見せてたっぷりと結い上げられていた。


ダンスが終わってテーブルに戻る際に、
「マリア!」と僕の連れが呼んだ。


君はつれなく男の腕を振り払うと、こっちにやって来て
連れと抱き合い、両頬にキスを受けた。


「マリア、友人を紹介しよう。
 エリックだ。」


ドレスの裾を上品にさばいて、それでも限りなく自由な身のこなしで
君はこちらにやって来た。
僕からぎごちない挨拶のキスを受けると、僕の腕に手をおいたまま尋ねた。


「あなたは何者?」


僕はとっさに返事ができない。

僕の連れの男が笑って、代わりに答えた。


「彼はピアニストだよ。あすこに新しくできたカフェで弾いているのさ。
 面白いピアノを弾くんだよ。」

「そうなの?今度聞かせてね。」


君はそう笑って、もう一度僕の頬にキスをした。
その日から、僕は君を忘れることができなくなった。

黒い瞳をした僕のミューズ(音楽の女神)・・・






次に会ったのは、友人の画家のアトリエに行った時。

人を呼び出しておいて、いっこうに出て来ない彼に業を煮やして、
アトリエのドアを開けたら、
不機嫌に黙り込んだ彼と、波打つ黒髪を背に流し、
白い肩に薄い布をまきつけて、ニンフのような扮装をした君が、
カウチの背に手をついてこちらを振り向いた。


「エリック!邪魔しないでくれ!」


彼がどなるので、ドアを閉めて出ようとしたら、


「わたしも帰るわ・・・」と君が立ち上がった。

「待てよ!まだ終わっていない!」


彼は怒り狂って立ち上がり、君の腕をつかんで止めようとしたが、


「5時間以上もこのままでいるのよ。寒くて、お腹が空いて目が回りそう。
 それに、少しだけでいいって言うから引き受けたのに、約束が違いすぎるわ。」


そう言って、さっさとニンフの服装を解いて、僕がいようと構わずに、ドレスに着替え始めた。


「待てよ、待ってくれ、マリア!
 君でないと、この絵が描けないんだ。」

「じゃ、そのままにするのね。お気の毒さま。
 さ、行きましょ!」


当然のように僕の腕を取ると、さっさとドアの外へ出る。


「あなた、ピアニストだっけ?」

「そうだよ。覚えててくれたの?」


表に出て、豊かな髪を無造作に束ね直すとき、白くてなめらかな腕がむき出しに見えて、
僕はどこを見ていいのか、目のやり場に困ってしまった。

君は、楽しそうに笑って、すっぽりとマントを被り直すと、


「可愛い人ね。可愛い人は好きよ。
 ワインをごちそうしてくれるかしら?・・・」


僕はあまり金はなかったが、それでもこの弾むような体を持った女神にすっかり魂を奪われていたから、
凍てつくようなパリの街を、腕を絡ませながらしばらく歩いて、
地下にある安そうなビストロに降りて行き、二人でワインを飲んだ。


「モデルをしているの?」

「ん~、モデルもしているの。わたしだって絵を描くのよ。」


彼女はちょっと唇を尖らせて言った。


「そうか。君を見ていると、絵を描かずにはいられなくなるよ。」

「色んな人が皆そう言うわ。でも、モデルをするのは好きよ。
 だって、画家の目がわたしをゆっくり撫でていくの。
 その視線でわたしは王女にも、ニンフにもなれるのよ。
 画家とわたしと、二人でお芝居をしているような気分の時もあるわ。」


僕は、君に圧倒されていたが、それでも口にせずにはいられなかった。


「僕も君に初めて会った時から、ずっと君の絵を描いていたよ。」

「ほんと?だってピアニストだって言ったじゃない。」

「楽譜の上に絵を描いたんだよ。題は『夜の瞳をしたミューズ』」

「悪くないわ。どこで見られるの?」

「今、ここで・・・」


僕はそう言って立ち上がると、ビストロの奥に置いてあったピアノに座り、
君のイメージから浮かんできた曲をいくつか弾いてみせた。

回りの客は、ちょっと驚いて聞くもの、興味ない振りをするもの、
中には僕を知っていて


「おい、エリック!弾く場所がちがうんじゃないのか?」


と、からかいの声をかけてくる者もいた。


   ・・・かまうもんか・・・
   君だけに聞かせているんだ。
   僕の心に棲みついた君のイメージ。


   眠たそうなまぶたから、深い夜の色の瞳が輝き出す。
   男の腕の中で無垢な笑いを見せながら、
   見ている男たちを、背中で誘惑している君。
   しどけなく長椅子にもたれかかり、陸にあがった水の精のようにあどけない君。

   次々と弾いてみせたが、僕の思いは伝わったろうか?・・・



「どうだった?」

「すごく素敵だったわ。あれが、わたしのイメージ?」

「そうだよ。気に入らない?」

「ううん、とっても気に言ったわ。でも、あなたの音楽でもっと色んな絵を描いて。
 わたしはもっと色々よ。」

「う~ん、それには、君をもっと良く知らなくちゃ。」

「わたしを知りたいの?」

「知りたい。全部知りたい・・・。
 君のいろんな絵が描きたい。
 高貴に佇んでいる君も、僕の腕の中で笑いながら踊っているところも、
 アトリエで一心に絵を描いているところも。
 君のえくぼができるところも、ほくろのあるところも・・・。」

「それは、ずいぶん欲張りね。注文が多いわ。」


君は笑ったが、まんざらでもなさそうだった。


「君に会うには、どうしたらいい?」

「わたしに、会いたいと思わせればいいのよ。」

「どうしたら、そう思ってくれる?」

「うっとりするようなことをしてくれたら・・・。
 わたしが気持ち良くて、とろけそうになったら、あなたに会いたくなるわ・・・」

「それじゃ、チャンスをくれないか?」

「いいわ。そのチャンス、必ずものにして・・・」





そこは君の友人の誰かの部屋だった。
寝室の隣に絵の具の匂いのするアトリエがあったから、やっぱり画家の部屋なんだろう。


君の紅くて貪欲そうな唇は、吸ってみると熟れたさくらんぼのような味がした。

マントの下の君は、小柄で張り切っていて、
クリームのようにとろりとした冷たい肌をしているくせに、
体の奥に燃えるような熾き火を抱えていて、僕をさんざんに焦がした。

小さな美しい顔の真ん中に、黒い瞳が石炭のように燃えていて、
僕の顔も心をも焼きつくしたが、
ドレスの下はさらに素晴らしくて、
冷たい肌が僕の胸の下でだんだんに温まると、
しどけない、天上のヴィーナスのような肢体を見せた。

僕はそれまで女をあまり知らなかった。
こんな燃えるような思いで女を抱いたことなど、もちろんない。

そんな僕は、君の格好の獲物になり、
結局、君は好きなだけ僕をしゃぶりつくした。


「僕は合格した?」

「合格?さあ、そんな風に考えたことはないわ。
 わたしが欲しいか、欲しくないか、それだけよ。」


僕はため息をついて、汗まみれのままベッドに倒れ伏した。
それからふと右腕を伸ばして、君のくっきりした美しい横顔を、額からそっとたどっていく。


「君をもっと描きたいな・・・」

「そうね。もっと描いて欲しくなったわ。
 あなたは、まだ無垢で可愛いわね。」


君はそう言うと、僕の裸の胸に白い指を這わせて、喉元にキスをした。
君の唇の触れている処から、だんだん熱が広がって、僕はまた君を胸に抱き締めてしまう。

それが、1月14日、土曜日のことだった。

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