AnnaMaria

 

セピアの宝石  1

 

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今年もまた、この季節がめぐってきた。
佳代子にとっては、心躍る季節である。



あらゆる店の正面にセピア色の宝石が展示され、
デパ地下の半分が、ダークカラーのお菓子と
華やかなラッピングで占められる時期。

通信販売が増え、どこの商品も比較的、容易に手に入るようになったが、
この時期のみ販売されるブランドも多い。


各店の最新チョコを幾つか買い、
期間限定のチョコも片っぱしから味わってみる。

今年日本初出店、なんぞというブランドがあれば、
やはり一度は買ってみずにはいられない。



だが、こんなにもあちこちのチョコを調べ、買い、味わうのは、
大切な彼に贈るためではない。

佳代子自身、チョコレートに恋してると認めるほどのチョコ好きで、
1年に一度、この時期しか食べられないレアな味と、
新しい出会いを求め、
チョコレート専門店巡りを繰り返すのである。


「ああ・・・やっぱり最高・・・。」


自宅に帰るとポットに濃いコーヒーを煎れ、
お気に入りのカップ(今日はヘレンドに)を選び、
金の縁取りのある、真っ白なチョコレート用の皿を出して、
うやうやしく買ってきたチョコを並べ、琥珀色の液体を友に、
少しずつ、少しずつ、かじって行く。


今日、並べられている宝石は、
ピエール・マルコリーニのもの。



紅いコーティングを施した、ハート型のクールフランボアーズ、
カタツムリのフォルムを模したエスカルゴ、
絶品のチョコレートエクレア。

こんな至上の宝石を、箱からつまんで一口でぱくり、
などという暴挙はできそうもない。

ひとくち食べると、芳しい香りが鼻孔に抜け、
ついでコーティングチョコ(これをシェルと言う)の
やや硬いチョコの味が広がり、
シェルが口の中で、ほろり、とほどけると、
センターに仕込まれた、
とろけるようなフランボアーズチョコが現れる。


「つくづく、芸術品だと思うわ・・・」


結局、三つとも平らげてしまうと、目を閉じて、
口と鼻に残る余韻を味わいながら、佳代子はうっとりと夢を見る。

そして、口の中の余韻がまだ完全に消えてしまわないうちに、
佳代子はPCを開き、自分のブログを呼び出して最新情報を追加した。



佳代子は、趣味でチョコレート情報、および、
多少の海外旅行情報をのせたブログをやっているのである。

この時期、佳代子のブログのアクセスはうなぎ上りで、
更新される情報に、立ち寄る人は増えるばかり。

カキコされる質問は、具体的になる一方である。


佳代子は今日味わったチョコの全体画像と、切った断面図の画像をアップし、
自分なりのコメントを付け加える。

質問にも、なるべくていねいに返事をカキコする。

それが終わると、まだ今年は試していない、
チョコレートブランドのHPへの閲覧を始める。

中々忙しいのだ。







佳代子の会社でのポストは、広報室付き主任。
室長の親父を除けば、実質的NO.2である。


「もしもし、あ、○○工業新聞さまでしたか。
 いつもありがとうございます。
 ご質問の件の担当者が、まもなく出張から帰ってまいりますので、
 週開けでは如何でしょうか?・・・」


佳代子が広報室に配属されてから、7年経つので、
大抵のパブリシティは把握していた。


「佳代子せんぱ~い!」


広報室ドアのガラス越しに、後輩女子社員の顔が二つ見える。

そちらに向かって、電話をかざしながら、

「昼休みに出直して!」と声を掛けると、

「は~~い!」と引っ込む。

この時期の用件など、決まり切っている。
今年のチョコのお薦めブランドを聞きにきたに違いない。


引っ込んだ後輩たちと入れ替わりに、
背の高いシルエットが、ドアの影に映った。


「よう、久しぶりだな。元気だったか?」


スーツのパンツのポケットに片手をつっこんだまま、
でかい男がゆらりと入ってくる。

着ているスーツに隙はないが、着方はぞんざいで、
フロントボタンも留めていない。

ワイシャツからその下の筋肉が盛り上がって、
ネクタイなしの衿もとから見えるようだ。

が、靴は気にする質らしく、見るからに上質な光沢を放っていた。



佳代子は電話を持ったまま振り向いて、
入室者が誰かを確認すると、無言で近くのテーブルを指差した。

電話の相手との用件をすませると、
悠々と腰をおろした男のそばに歩いて行った。


「ほんと、久しぶりじゃない。
 いつ帰ってきたの?」


「先週。
 昨日、一昨日はあちこちに顔出しして、
 あいさつするだけで終わってしまった。
 お佳代のところが遅くなると怒られると思って、やっと立ち寄った。」


「それは気を使って下さってどうも。
 どっかから、帰ってきたって噂を聞いていたから、
 ついでに取材のアポを固めておいたわ。どう?」


佳代子は、今しがた話をしていた新聞社からの質問シートと資料、
スケジュール表を、テーブルの上に投げ出した。


「うえ!もう働かせるのか?
 帰ってきて一週間も経ってないんだぜ」


「仕事しに帰ってきたんでしょ。
 ちゃんと用意しておいて上げたのよ。
 これ、記入したら、あとで持って来てね。」


しぶい顔で、シート類を持ち上げた男は、
佳代子の顔を横目でにらんだ。

2年前より、陽に焼けて浅黒くなったようだ。


「もっと別の歓迎の仕方があるだろう・・・」



「ないわよ。
 これが最高の歓迎の仕方!」



「相変わらず、きっついなあ・・」



「仁が甘すぎるのよ。」


甘過ぎると言われた大男はさして傷ついた様子もなく、
足を組み替えた。


「盟友のまどかはどうしたんだ?」



「ああ、片付いたわ。すっごいイケメンの彼に、もうメロメロよ。
 すっかり別人に生まれ変わったみたい」



「嘘だろ!」


仁が組んでいた足をほどいて、佳代子の方に向き直った。


「ホントよ。会ったらびっくりするわよ。
 仁の方はどうなのよ。」



「え、聞いてないのか。」


前髪をかきあげながら、まぶしそうに目を細める。


「なんにも。」



「別れた・・。」


あっさりと言い放った言葉に、佳代子はしばし絶句したが、


「だって、去年結婚したばかりじゃ・・・」



「ああ、去年のうちに別れた。
 結婚式になんぞ来てくれなくて、良かったよ。」


あっけらかんと言う仁に向かってでも、
理由を問うのはためらわれた。

それに、どんな理由であれ、壊れてしまった結婚に未来はない。
聞いても仕方がない。


「じゃ、また独身に戻ったってわけね。」



「そ、お佳代と一緒だ。
 ここまで来ると、それほど急ぐこともないだろ。
 また来るよ。」


来た時と同じように、ゆらりと立ち上がった男の背中に向かって、


「来週、月曜の午後よ。空けておいてね。」


声を投げると、一瞬だけこちらを向き、にやりと笑ってみせた。




閉じたドアを見ながら、仁の別れたと言う妻のことを思い返した。



1年半ほど、広報室に配属されていた関係で、
佳代子もよく知っている娘だった。



どこかの取引先の重役の娘とか言う話で、
入社時から、おっとりとした雰囲気と、きれいに整った美貌で、
男性社員や、おじさま族に人気があった。

仕事の方はまあまあ、と言うところだったが、
特に派手好きでも、遊び好きでもなく、
時々、お高いかな、という気がする程度で
佳代子とは何のトラブルもなかった。



彼女の別の面を見たのは、さっきの男、大場仁が
実業団の現役ラグビー選手ながら、
開発部のホープとして、頭角を現し始めた頃だった。

入社する以前、仁が大学ラグビーで活躍していた頃からの
ファンだったらしい。



実業団ラグビーの試合は全部観戦し、
仁に対して、熱烈なアタックをしていたらしい。
お弁当を作って渡す、試合後の打ち上げにも混じる、
練習にも日参して、仁だけにはっきりと好意を示す。



仁には、当時、つきあっていたGFがいたらしかったが、
彼女の猛烈アタックぶりに、仁とはケンカが絶えず、
プライドの高いGFが自ら、仁の元を去ってしまったのだと、
面白そうに語る、同期から話を聞いたことがある。




その後、どうやって彼女が仁と結婚するまでに至ったのか、
これまた、佳代子はよく知らない。



最後は、彼女の親やら、うちの取締役までが一枚噛んで、
彼女の恋を応援したらしく、めでたく結婚式が行われた時、
あんなきれいな花嫁の涙は見た事がなかった、と
盛大に行われた式に参加した誰かが、感激して話していた。



その後、仁は故障が原因で社会人ラグビーの選手を引退し、
同時に、マレーシアにある工場に、
技術支援部隊として海外赴任することになり、
新婚の妻を連れて海を越えた。



あんなに思って結婚した人と、何故、
半年も経たずに別れてしまったのか。



結婚したことのない、佳代子には到底わかるものではなかった。






「では、大場仁の帰国を祝って、かんぱ~~~い!!」


何はともあれ、同期のメンバーで迎えてやろう、と
早速開かれた、帰国祝いだった。

30を過ぎると、ぽつぽつ、海外赴任や、
別会社への出向、配属転換などが目立つ一方、
トップ出世で課長になった者もいて、
結構、浮き沈みが見えてくる。

それでも、新入社員から知合っている顔ぶれで、
1次会が過ぎる頃には、すっかりくつろいだ場になっていた。

結婚しているのは、出席しているメンバーの
半分ちょっと、というところである。


「お佳代は、まだ行きそうにないんだな。」


2次会のカラオケの席で、佳代子は仁の隣になった。


「お佳代はね、熱愛中の恋人がいるのよ。」



うふふ、と言う感じで、営業の詩織が言いつけた。


「へえ、そうなのか。どんな奴だ?」


仁が意外そうに聞いてきた。


「それがね、あま~くて、褐色のお肌で・・・」


え、外人?


「やめてよ、詩織。」


今年はもう面倒見てあげないから・・・と
佳代子がささやくと、詩織はぴたりと黙った。

こんな詩織でも、毎年、佳代子のお薦めを聞いて、
一体誰にあげるのか、チョコレートを購入しているのだ。

続きを聞きたそうな仁に、詩織が微笑んで、


「仁くん、ゴメン!ひみつなんだって!」


すっぱりと会話を打ち切って、
カラオケの曲目集に興味を移してしまう。

仁は不審そうに、佳代子と詩織を交互に見ていたが、


「へえ。ま、何にせよ、めでたいことだな。」



仁の言葉に、佳代子は黙っていたが、
曲目集を繰っていた詩織は思わず、ぷっと噴き出した。



うくく・・・


「なんだよ。感じ悪い奴らだなあ。」



仁は少し機嫌を悪くしたようだった。





3次会は、ラグビー部出身のデカイ男たち同士でバーに行く、というので、
酒容量の違う、佳代子は失礼することにした。


「じゃ、仁、月曜午後、忘れないでよ。」


佳代子が言うと、仁は黙って手をあげ、仲間と夜の街に消えていった。

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