AnnaMaria

 

セピアの宝石  3

 

sepia_title.jpg




週が変って、佳代子は、仁の2回目の「帰国祝い」に出ていた。



先週出たから、もういい、と断ったのに、
開発部は男ばっかりで殺風景だから、にぎやかしに来い、と
部長から指名されてしまったのだ。



にぎやかしの花なら、もっと若いのを連れて行きなさいよ。


佳代子は内心思ったが、無理に断る理由もない。
結局、夕食代わりにビールを飲んで帰るだけなのだ。

一応、主役の仁は、出張先の福島工場から、
直行で会場にやってきたらしい。

ここに来た時は、ぐるぐるとマフラーまで巻いていて、



へえ、寒がりなのかしら?

と思ったものだ。


あ~あ、それにしても・・・


佳代子はため息をついた。



今日もチョコレートショップに行けないわ。

もうじき、すんごく混んでくるから、
今のうちに、チェックしたいお店が幾つかあったんだけどなあ。



切なそうに、ため息をついていると、
仁から声をかけられた。


「なんだ、俺に付き合わされて彼に会えないから、
 ふててんのか?」


「ん、まあね。そんなとこ・・・。
 でも、仁も古いよしみだから、帰ってきてくれて嬉しいのも本当よ。」


佳代子が笑って、仁のグラスに乾杯をした。


「お佳代にため息つかせるなんて、どんな奴なんだ。」


仁がカマをかけているのはわかっていたので、
適当に笑ってごまかした。

チョコに入れあげてる、なんてわかったら、
相当バカにされるに違いない・・・。






開発部のメンバーは色々な部署から、
引っ張られてきた者が多い。

引っ張られた理由は色々でも、
選ばれたと言う意識だけは全員が持っているから、
各々、胸に秘めたプライドがあるに違いない。

長期間、同じようなメンバーで、
ひとつの仕事をしたきたところではないので、
和気あいあい、とは、少し違う雰囲気もあった。



部長が自分を呼んだのは、こんな理由もあったのかな・・・。



自認エリートたちの声高の会話を横目に見ながら、
佳代子は、少し脇道に放っておかれたような、
疎外感を感じていた。




金曜日とあって、店の中は混んでいた。



佳代子たちのいる場所は、個室ではなく、
ついたてで、半ば仕切ったような場所で、
他のグループの笑い声も、そのまま聞こえるところだ。

若いアルバイトの男の子が忙しそうに
何度も佳代子の脇を通って、ビールやら料理を運んで来る。



通路に近い、はしっこの場所にいた佳代子は、
その都度、体を傾けて、その男の子を通してやっていた。

ビールの追加を何度目かに運んで来た時、
何かにつまずいて、トレイの上のジョッキを倒し、
中身のビールを、ざあっと佳代子の上から浴びせてしまった。


きゃあああっ!

すみませんっ!!!


佳代子は驚いて、立ち上がった。
冷たいより何より、恥ずかしい!

立ち上がると、肩口にたまったビールが
つつっとスカートを伝って、床に落ちる。

濡れたとはわかっても
どこにかかったのだか、動転していてよくわからない。


隣にいた仁や、同僚の女性が手に持ったおしぼりで
あわてて、佳代子の服を拭いてくれる。

店の奥からも、若い女の子がタオルを手に飛んで来て、
佳代子に渡し、別のバイトの子はビールのこぼれた床をぬぐっている。

佳代子は、ジャケットを脱いで、
ストライプのシャツとスカート姿で飲んでいたのだが、
すぐに拭いたお陰で、スカートにはそれほど沁み込まずに済んだものの、
肩口から浴びせられたビールで、
シャツはぐっしょりと濡れてしまった。



髪にもいくらかかかった筈だが、
アップにしていたお陰で、首筋から肩の被害の方が大きかった。



「すみません、すみません!」



小柄なバイトの男の子は、頭を下げたまま、しきりに謝っている。

奥から、店長とおぼしき男性もやってきて、佳代子に頭を下げ、
店の制服の法被(はっぴ)があるのだが、それでよければ着替えをなさいますか、
と、遠慮がちに申し出た。


佳代子は困った。



このビールだらけの服を脱いで、法被を着たとしても、
下に着るTシャツか何かがないと、素肌にじかに着ることになる。
見たところ、前をきちんと交叉させて着る形でもない。

どうしよう・・・。


「お佳代、俺のシャツ、着るか?」


隣で、椅子やら机のしずくを拭いてくれていた仁が、
佳代子に言った。


「シャツってどのシャツ?」



「俺の出張鞄に入ってるシャツ。
 ちょうど、お前の着ているのと同じストライプだ。
 間に合わせにはなるだろう。」


「それって、仁が着た奴?」



「まあ、固いこと言うなよ。
 向こうで、半日作業服にも着替えたから、
 それほどよれよれになってない。
 
 ビールでずぶ濡れになったのを着ては帰れないだろう。」


でも、サイズってものが・・・。


なおも渋る佳代子の腕をつかんで、仁が廊下の奥に連れ出した。


さっきの店長に、



「着替えられるような小部屋って空いてます?」


店長はしばらく考えていたが、
まだ片付けの済んでいない、
6人用程度の個室座敷へ二人を案内し、



「ここをお使い下さい。終わったら教えて下さい。」



と障子を閉めていった。




障子を閉めると、しーんとした小部屋の中、壁越しに遠くから、
宴席の笑い声が聞こえてくる。

こんな場所でビールまみれになっている自分が
何だか、とても滑稽に思えてきた。

仁は、鞄の中からビニールのクリーニング袋を取り出すと、
中から、くるくると巻かれた自分のシャツを差し出して微笑んだ。


「ほら、偶然、紺白ストライプだろ?」



「ったって、大きさが・・・」



「いいじゃないか。緊急なんだから。
 男の部屋に泊まった時、女の子が、朝、彼のシャツ借りたりするだろ?
 ああいう感じだと思えば・・・」



「ちょっと仁!
 わたし、そんなの、したことないわよ。」



「着替えるの、着替えないの?」


仁が佳代子の手にシャツを押し付けた。


「・・・借りるわ。ありがとう。」


佳代子はシャツを受け取ったまま、それでも動けずにいた。

そんな佳代子を目にしながらも、


「じゃ、俺は先に席に戻ってるから・・・」


シャツを置いた仁は、さっさと座敷を出て行った。





佳代子は、びしょびしょのシャツを脱ぎ、
借りたタオルで、ちょっと濡れていた胸のあたりも拭くと、
仁の貸してくれた大きなシャツを広げた。


衿のところから、きれいに丸められていたらしく、
それほどシワにもなっていない。

背中からシャツを羽織って、袖を通し、ボタンを掛ける。

男性用ワイシャツのサイズには疎いが、
仁はもとラガーマンの大男だ。

ポジションがなんたら、とかで、
ディフェンスの巨漢たちとは違う体型ながら、
これは、男性用としてもかなり大きいだろう。



どう着ようか、迷ったが、
袖を3回ほど折り返し、裾はスカートの上に出して、
下の方を前で結んでぐっと絞り、少し体に添わせた。

ふわっと仁の香りがする。



当たり前だ。
仁が一日着ていたものなんだもの。

こんなシャツを、恋人でもないわたしが着ていいのだろうか?


「緊急事態」と仁の言った言葉を思い出した。



そうだ、緊急事態だわ。

ビールに濡れたシャツを我慢して着ているより、ずっといい。
仁が出張先からここへ来てくれて助かった。



キリキリに丸めた自分のシャツを手に、
佳代子は座敷を出ると、
途中、店の人間から小さなビニール袋をもらい、
シャツをしまって、席に戻った。


佳代子が席に戻ると、みんな一様にほっとした顔を見せた。


「お佳代、よかったなあ。
 さっき着てたんと、何や、あんまり変らんみたいや。
 おんなじ縞やしなあ・・・」


酔うと大阪弁の出る、上司が言った。


「佳代子せんぱ~い、男もんのワイシャツ着てるなんて、
 何だか倖田来未みた~い!」


いっちばん若い後輩がきゃらきゃらと笑いながら言う。


バッカね!あれは、この下になんにも着てなかったのよ。

佳代子は心の中で言い返したが、実際は黙っていた。


シャツの提供者である仁は、何も言わなかった。
ただ黙って、自分のシャツを着た佳代子を眺めただけだった。

その視線を見ると、佳代子は落ち着かない気持ちになった。



誰か、他の女と比べられてるのかしら・・・。



いかん!緊急事態、緊急事態で借りたのよ。




一見滞りなく、宴会は続いて行ったが、
さっきのできごとが微妙に影響して、
お開きが宣言された時、誰もがちょっとほっとした。



店長は申し訳ないからと、佳代子の分の代金を取らなかった。


「お佳代、お前の分、浮いたぞ。
 その分、クリーニング代に回せってさ。」


幹事がその分の金額を佳代子に返そうとしたが、
その手をそっと押し返し、


「2次会の資金の足しにして・・」

と告げた。

 ←読んだらクリックしてください。
このページのトップへ