AnnaMaria

 

セピアの宝石  5

 

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翌週明け、佳代子は朝のミーティングをこなすと、
さっそく仁に連絡を取ろうとしたが、
まだ会議中とのことだった。

11時過ぎにやっと、仁から折り返し連絡が入る。


「おはよう。この間はありがとう。
 本当に助かりました。」

「いえいえ、お役に立てて光栄です。」


電話の向こうから、仁の笑い声が聞こえてきた。


「それで、お借りしたものをお返ししたいんだけど、
 ご都合はどう?」

「う~~ん・・・。今日は無理だ。昼は先約が入ってる。
 明日は今のところ空いてる。」

「じゃ、明日のお昼なら都合いい?」

「昼でも夜でも・・・」


また笑い声だ。
開発部って、こんな調子で話してて大丈夫なのかしら?



週明けのことで、電話に忙殺されながら午前中を乗り切ると、
昼は久しぶりに詩織とランチをした。

気心知れた旧友と、どこで食べてもいいようなものだが、
栄養バランスを考えて、ちょっとおいしい和食屋にする。

玄米ごはんと春菊のおひたし、金目鯛の煮魚などを突つきながら、
注意深く固有名詞を避けて、会社の話をする。


「開発部の帰国祝い、どうだった?」



「う~ん。
 あそこって色んな所からの寄せ集めでしょ?
 そのくせ、自分がリーダー取ろうって人が多いから、
 まとまりは悪いわよね。」


「やっぱりそうなんだ。

 開発部に配属されたメンバー、お互いに居心地悪い、悪いって言って、 
 他のところで愚痴をこぼしているのよ。
 仁もそうなるかしらね。」



「さあ・・・」


佳代子が珍しく、歯切れが悪い返事なので、


「何よ、何よ、何かあったの?」


詩織に追求され、結局、ビール浴び事件の後、
仁のシャツを借りて帰ったことをしゃべらされた。


「ふうん、災難だったわね。
 でも、助かったじゃない。」


すぱすぱと詩織が言うと、佳代子もうなずいた。


「うん。早くシャツ返さなくちゃ・・・」



丁度その時、店の中に、噂をしていた仁と若い女子社員が
連れ立って入って来た。

カウンター席に、こちらに背中を向けて座ったので、
向こうから佳代子たちは見えないだろう。


「あの子って確か、部品統括の女の子じゃなかったっけ?
 うちの○○君が『すっげ可愛い子がいるんですよ』って
 騒いでいたわ。」


言われて佳代子も思い出した。
そう言えば、ラグビー部の応援団とかだったかも。




カウンターにすわった二人の後ろ姿。

栗色の髪を長く下ろした女性が、
肩巾の広い仁の方を何度もうれしそうに見るのを、
つい目で追ってしまう。


「へえ、仁って意外と手が早いじゃない。 
 この間帰国したばっかりなのに、あんな可愛い子とランチに行くなんて、
 速攻としか、言いようがないわ。」


詩織もカウンターの二人を盗み見ながら、
意見を下した。


「そうね。」


先週末、意識的か、無意識的に、一瞬、身体的接近があったのは、
やはり酔った上でのはずみ、というか、
単に人恋しかっただけなのかも知れない。

仁はもう覚えてもいないだろうな。


向かいでしゃべっている詩織の話を、
佳代子は上の空で流しながら、

わたしも忘れなくちゃ!

と、自分に言い聞かせる。




昼食後、営業先に直行してしまった詩織と別れて、
佳代子は少し悩んだ。

窮地を救ってくれたお礼として、
クリーニングしたシャツに、佳代子が絶品と太鼓判を押す、
P・マルコリーニのチョコを添えて紙袋に入れてあるのだが、
何しろ時期が微妙である。


こんな時期に、チョコレートを贈って誤解されるかなあ。

でも、わたしがよく知ってることって
チョコくらいなんだよね。



ここ数年、いわゆる本命の彼に渡すチョコなんて
買ったことがなくて、一番おいしいのは、
ぜ~んぶ、自分が食べてしまった。

また、それが悲しいとも思わなかった。

だって、チョコの味のわからない、どっかの男にあげるより、
わたしが愛をこめて味わってあげた方が、
チョコも喜ぶと思ったのだ。


でも、毎年、毎年、ヴァレンタインに自分用ばかり、となると、
どこか、歪んでいるような気もしてくる。


ああ!
どうしたらいいんだろう・・・。

イケナイ!
これは緊急事態を救ってくれた人へのお礼なのよ。

お礼なんだから、わたしが一番おいしいと思うものを
贈るのが当然じゃない。

たとえ、時期がバレンタインだろうが、何だろうが、
わたしは絶対、チョコを贈るんだから・・。




色んなことをグルグルと考えながら、受付の側を通り過ぎると、


「佳代子さん、お久しぶりです。」


柔らかい声に呼び止められた。


振り向くと、長身で、嫌味なほど、
すっきりとスーツを着こなした男性が立っていた。

黙って立っていると、冷たくて隙がなく、
やや尊大な感じを抱かせるのだが、
微笑んだ途端、がらりと雰囲気が変わる、というのが佳代子の印象だ。


「あら、神待里さん。今日は、まどかに?」


佳代子は、ハンサムな男にまともに向かい合ったせいで、
自然とまばたきをしながらも、挨拶に応えた。


「いえ、僕が来ると気が散る、と言われたので、
 今日はまどかに会わずに、
 まっすぐ専務のところに伺います。」


「そうですか。
 まあ、ここでわざわざ会わなくてもいいですもんね。」


佳代子が言うと、神待里は、あの独特の柔らかい微笑を見せた。


「また、遊びに来て下さい。待っていますよ・・・」


言い残すと、エレベーターホールへ歩いて行った。


つい、ぼううっとその後ろ姿を見送ってしまう。



「おい!ヨダレが出てるぞ。」


ポンと背中を叩かれて振り向くと、仁が笑いながら立っていた。


「誰だよ。あの決め過ぎのハンサムは?」


佳代子はほうっと息を吐いた。
とんだ所を見られてしまった。


「あれ?アレは、まどかのコレよ。」

「え?」


仁はまた驚いた。



こいつ、実はまどかに気があったんだろうか。
この間も、えらく驚いていた。


「へえ~~、また、すごいのを捕まえたもんだな。」

「ううん、まどかの方が捕まったのよ。」


へえ。

仁はまた呟くと、


「あ、明日、また難しくなってきたんだよ。
 打ち合わせ続きで、いつ終わるか見当もつかない」



「そうなの?じゃ、これから席に持って行くわ。」



「もう打ち合わせが始まるんだ。
 こっちから連絡する。お佳代の携帯番号を教えてくれ。」


佳代子は、名刺入れを引っ張り出し、
個人アドレスも載っている方の名刺を渡した。

仁はさっと目で確認すると、名刺を佳代子にかざし、


「じゃあな。」



と小走りに去って行った。




夕方近くに、佳代子が来客を案内して開発部に行くと、
奥のパーテーションで仕切られたコーナーに、
仁と部品統括の女子社員が座っているのが見えた。

二人の前に、資料やらチャートやらが広げてあるところを見ると、
仕事上でコンビでも組んだものか。

仁は広い背中しか見えなかったが、
彼女が一度、嬉しそうに見せた、
輝くような笑顔が、どうしてだか胸に突き刺さった。


ああ、この子、仁が好きなんだ・・・。


仁だってこの子のこと、気に入るだろうなあ。

可愛いし、ラグビー応援団だし、好意は見え見えだし・・・

やだ!
わたし、何でこんなこと考えてるのよ。

お局さま、と陰口を叩かれる身分になってからは、
こんな風な考えから、きっぱり縁を切ったはずなのに。

とにかく、仁にはしばらく近づかないでおこう。





「お佳代!お佳代ったら!」



気がつくと詩織が目の前に座っている。


「ああ、ゴメン、何?」



「何じゃないわよ。これからチョコの仕入れに行くんだから、
 チョコ情報をもらおうと思って来たんじゃない。
 ぼうっとしないでよ。」


「あ、ああ・・・。
 そうね、P・マルコリーニの紹介はこの間したわよね。

 その他の本格派って言えば、
 ジャン=ポー○・エヴァン。
 すんごくカカオの香りが濃くって、色んな味のバラエティがあるの。
 
 まさに特別な時のチョコに相応しいわよ。
 お店は、表参道ヒルズと、新宿のデパートに2軒だけ。

 あと、今、旬のパティシエがチョコ専門店を開いたわ。
 ル・ショコラ・ドゥ・○。

 けやき坂にあるんだけど、ここもチョコショップというより、
 ジュエリー店みたいな作りで、ゆったり選べるの。
 味もすごくすっきりしていて、甘過ぎないし、
 材料は吟味してあるし、ラッピングのセンスもいいし良いわよ。

 ただし、一時間は並ぶ覚悟が要るわね。」


「ね、試食とかないの?」

「どこに?」

「お佳代のコレクションを試食させてくれるとか・・・?」


詩織がにやっと笑うので、佳代子は横目でにらみながら、
引き出しの奥から、美しい箱を取り出して、
4つ程入ったチョコを差し出した。


「しょうがないわね。一つずつよ。」


「ありがと~~!
 でも、ここじゃもったいないから、持って帰ってゆっくり味わってみる。
 箱ごと貸してよ・・」


佳代子はやや投げやりな態度で、詩織にあっさり箱を手渡した。

詩織はいぶかった。



いつもならくどいほどの説明付きで、
これはああ食べろ、これはこういう味だから少しずつかじれ、だの、
うるさく注文を付けて来るのに、今日は無言だ。



どうしたんだろう?


ここへ来て初めて、佳世子にあまり元気がないことに気がついた。


「お佳代、具合でも悪いの?」

「ううん、別に。ちょっと疲れたかな。」


何だろう?



詩織は持ち前の営業精神で、目の前の対象を分析していた。


「仁にもうシャツ返した?」

「え?あ、まだ。まだ返してない。
 早く返しちゃわないと・・・今、返してきちゃおうかな・・・。」


一人でぶつぶつと呟き出した佳代子の顔を見て、
詩織は、は~~ん、と思い当たった。

これは、どうなるかな。

お佳代って見かけより、かなりウブだからねえ。







詩織が行ってしまってから、佳代子は思い切って立ち上がり、
仁に借りたシャツとお礼のチョコの入った袋を持って、
開発部に行った。

仁は、もう出かけてしまったようで、
デスクの上はきれいに何もない。

佳代子は近くにあったメモを取って、
「大場仁さま」とだけ書くと、紙袋に貼り付け、
椅子の上に置いて、開発部を後にした。




久しぶりに、銀座のチョコレートショップに来た。

7時近くになろうとしていたが、店の中は人でいっぱい。
外に行列が出来ていた。

佳代子はどうしようか迷ったが、
こんな時はココと心に決めていたので、
行列の後ろに並んでおとなしく待つ。

他に特に用事もないのだ。

ガラス越しに、熱心にチョコを選んでいる女性客の後ろ姿が見え、
見ているだけで、その熱が伝わって来る。

ここには、とろけるように素敵なデザートを出すカフェもあるのだが、
バレンタインの期間はお休み。

総出で、チョコの販売に当たっているのだろう。




列に並びながら考えた。

この人たちは、みんな、
誰かにプレゼントするために並んでいるのだろうか。

チョコに対する情熱じゃなくて、
相手に対する情熱がここまで熱くするのよね。

自分に対することだけだったら、こんな熱は必要ない。



そう考えると、わたしがこの場に一番ふさわしくないのかも。

チョコレートは愛してるけど、大好きだけど、
でも、あくまでも自分のため。

この間は仁のために買ったけど、あれはお礼。

自分みたいに、ここのチョコが食べたいだけで並んでいる人など、
今日はいないんだろうな、と考えると、少し憂鬱になった。






家に帰ってから、軽く夕食を済ませ、
至福の時間の演出にかかる。



お気に入りのポットとコーヒーカップ。
お気に入りの磁器の皿(今日はジノリにする)と香り高いコーヒー。

そして、わたしに限りない陶酔を与えてくれる、
セピア色の宝石たちを並べ、
ゆっくりと口に含む。


外側を被ったシェルのチョコから、カカオの香りが鼻に抜け、
ほろりと口の中でくずおれると、
センターに仕込まれた、別のカカオの香りが柔らかく立ち上がる。

このガナッシュは最高・・・。
何ておいしいの。



体中に広がったアロマを感じ、
次に来るほわあっとした満足感が心にも広がるのを待つ。


・・・・


しかし、今日はそのマジカルな瞬間が訪れない。

変だな。
チョコの選択がビター過ぎたかしら。


別のサンドリヨン(シンデレラの意)と名のついたチョコを
口にする。



豊かなミルクの香りの中に、オレンジの芳香が混じり、
すりつぶされたナッツの味わいと相まって、
わたしを天国に連れて行ってくれる筈・・・。



ああ、素敵だわ・・・。



佳代子はさらに1分ほど待ったが、
いつもの陶酔感はやって来ず、代わりに
胸がぎゅっとなるような切ない気持ちが湧いてきた。


あれ、どうして?
どうして、いつものように私を酔わせてくれないの?

チョコの味が落ちたとか?

全く違う。

じゃ、何だろう・・・どうしてこんなに苦いんだろう・・。




佳代子はつくづくと目の前のチョコを見つめた。

こうなると、何とか見ないようにしてきた自分の心に、
嫌々ながらも、対面しないではいられなくなった。


仁とあの女の子が並んで座っている所を見かけた。

あの女の子がとろけるような顔で仁を見て、
仁も満更でもない笑顔を返していた。


あれだけで胸につかえて、こんな味がするのかな・・・



チョコに悪いわ。

わたしのせいなのに。

おいしくないなんて。



ずっとわたしを幸せにしてくれたチョコなのに・・・。

チョコ以上に好きなものなんて、もうできないと思ってたのに・・・。



好きになっちゃったのかな。



涙がぽつっとお皿の上に落ちた。

何で泣いてるんだろう。バカみたい、わたし。



好きになったって、どうしようもないものは
好きにならないようにしていたのに・・・。


佳代子は涙が止まらなくなって、
あたりがにじんでぼやけ、どこからか漏れる泣き声を
他人のもののように聞いていた。

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