AnnaMaria

 

セピアの宝石  8

 

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「やっと名前を呼んでくれたな。

 キスで気を失うなんて、可愛過ぎるとは思ったが、
 ちょっと心配だった・・・」


言うなり、また佳代子の耳の下に唇を押し付け、
今度は長く息を吐いて、熱さで佳代子をしびれさせた。




「聞こえたか?
 好きだって言ったんだぞ。
 
 佳代子が俺のシャツを着たのを見た時から、決めていた。」


佳代子はびっくりして、仁を見上げた。


「そうだ。

 なのに、詩織の奴が余計なことを吹き込んでおいてくれたから、
 どうしようかと、ずいぶん悩んだ。」


仁の視線がじっと注がれている。

本当だろうか?


「褐色の肌をした、熱愛の彼だったかな。
 よくも悩ませてくれたな。」


ごつごつとした手がまた、佳代子のあごをつかむ。


「だって・・・あれは・・・」

「佳代子も違うって言わなかったじゃないか。
 さっきのは、悩まされた分のお返しだ。」


もう唇がふさがれていた。



こんな大男のどこがこんなに甘いんだろう・・・。


「俺とチョコとどっちがいい?」


ほんのわずか、唇が離れたすきに仁が訊く。

自信満々なせりふ、憎らしい奴。


「チョコ・・レート」


そう答えた途端、
体がぐっと浮き上がる。

抱きしめられたまま、足が床から浮いた。


「よくも言ったな・・・」


そのままの姿勢で、ぎゅうっと締め付けられた。


「仁、痛いわ!」

「返事が気に入らない・・・」


すぐ前に仁の黒い瞳があった。

真っ直ぐに佳代子をにらんでいる。


「もう一度訊く。
 俺とどっちが好き?」


佳代子はまだ空中に吊るされたままだ。

この大男は、絶対に下ろさないつもりだろうか。
返事を待つ瞳が、わたしを貫いている。



そんな目で見ないでよ・・・。



「仁が好き・・・」


佳代子の言葉がこぼれた瞬間に、
仁の顔がほころんだ。

ついに佳代子の方からも、仁の首に抱きつく。



佳代子の体は空中を通り、青いソファに運ばれる・・・。





ソファに座ったものの、仁の大きな体に巻き取られたまま。

こんなに男と接近して座ったのは初めてだ。


仁はグラスに残っていたシャンパンを一口ふくむと、
また、唇を重ねてくる。


頭がしびれてしまって、何も考えられない。

ときどき、仁を見つめてはいたけれど、
何秒かに一度、キスしてくれる唇の感触だけがリアルだった。

何十回キスしたのか、もうわからない・・・。



「・・・か?」

「え?」


何を聞かれたのか、わからなかった。



仁がふっと微笑むと、佳代子の体を離して立ち上がる。

何かを持って、またソファに戻ってきたが、
見ると、佳代子の渡したチョコレートだった。


「こいつが俺のライバルか・・・」


無造作に箱を開け、中に並んでいるチョコを見ている。

佳代子はどことなく、後ろめたかった。


「誰に聞いたの?」

「何を?」

「チョコレートのこと・・・」


仁はチョコを一つ取って、そのまま、ぽんと口へ放り込む。



はあ・・・もったいない。



急に日頃のチョコおたくの気持ちが戻って来て、
つい、仁の口元を見てしまった。


「詩織だ。」


やっぱり・・・。


「いつ聞いたの?」

「今日の昼」



今日の昼・・・そうだったのか。


仁はまたチョコをひとつつまんだ。

仁の指でつまむと、チョコが小ぶりに見える。


「で、佳代子がくれたコレは、どういう意味?」


どういう意味って・・・その・・



「お礼のつもりだったの・・・」


仁が渋い顔をして、つまんだチョコを戻した。


「なんだ・・・。
 愛の告白ってわけじゃなかったんだな。」


「だって、仁はあの部品統括の子が好きだと思っていたんだもの。」



「みんな、そう言う・・・」

「彼女もそう思っているわよ。」


いや・・・。



「あの子は事務職で入社したけど、
 総合職の試験を受けたいんだそうだ。

 それには管理職であるS級以上の人間の推薦状が要る。

 一緒の仕事が終わったら、
 俺が彼女の推薦状を出そうと思っているよ。」



「あの子の上司は?」



「直属の上司というのは、部下が他へ行くのを好まないもんだ。
 つまりそういうこと。
 終わり・・・」


仁がまた佳代子を抱きしめた。


でも、あの子は仁が好きなのに・・・。



彼女の瞳を思い出して、佳代子は少し切なくなった。






ふと頭をめぐらすと、ガラスウォールの向こうに、
藍色の闇が広がり、一面にちらちらと光が瞬いている。


「一人でこんな景色を眺めながら、何を考えているの?」

「ん、佳代子のこと・・・」


さらっと言った表情が憎らしくて、
近くにあった耳を引っ張ってやる。


「嘘つき・・・」


仁が笑いながら、佳代子の髪を梳いて、
さらさらと手から落とす。


わたしの髪の匂いと仁の匂いが、
混じり合っているみたいだ・・・。

こんなに近くにいると、コロンじゃなく、
男っぽい肌の匂いを感じる。



「仁の匂いがする・・・。」


仁がまた笑った。



バカなこと言ったかも・・・。



抱きしめてくれている腕も、顔を押しあてている胸も、
強くて固くて、その揺るぎなさが頼もしい。



佳代子は目を閉じて、うっとりと体を預けていた。


「帰したくないな。」


その言葉で、ぴくり、と体を起こした。
仁がじっと見つめている。


「佳代子、ここに泊まらないか?」


え?


「とんでもない!明日も仕事でしょう?
 帰るわ・・・・」


今、何時だろう・・・?



見回したが、この部屋のどこに時計があるのか、わからない。


「仁、今何時?」


キッチンの壁についていた時計を、仁が指差した。


「0時8分」



「え~~~ッッ!
 そんな時間なの?
 ゆりかもめの最終って何時?」


「たぶん、もう無いだろうな・・・」


絶句。

そんなに時間が経っていたとは・・・・。



乱れていた髪をあたふたと整え、ソファの上で座り直すと、


「帰ります・・・
 あの・・・色々とごちそうさまでした。」


急に改まった佳代子を見て、仁が噴き出した。


「くくく・・・。
 いえ、大したお構いもできませんで・・・」


それでは、と立ち上がった佳代子の手を引っ張って、
仁が引き留めた。


「どうせ電車ないんだからあわてるなよ」

「仁・・・」


佳代子の声が哀願調になるのも構わず、
仁が、帰ろうとする肩を引っ張り寄せて、ささやいた。


「ね。
 12時過ぎたってことは、今日がバレンタインだろ?」



あ、そうか。



佳代子は一日前の自分と比べて、
何と言う違いだろうと思った。

他の子たちには、何十人とチョコのアドバイスをしてきたのに、
自分はお礼として、仁に渡しただけ・・・。


なのに、結局、仁の側にいられるなんて・・・。



「何だか、ここにいるのが信じられないの・・・」


じいっと自分をのぞき込んでいる、仁の目に言った。


「うん、わかった。
 他に言うことは・・・?」


他にって・・・だって・・・。


「日本では、バレンタインは女性から告白する日なんだろ・・」



「さっき、もうしました。」


佳代子が下を向くと、仁の指が無理矢理あごをねじ上げる。


「バレンタインに言わなくちゃ・・・」


そんな・・・。



太い指ががっちりあごをつかんでいて、目が逸らせない。

目の前の唇が笑いをふくんでいるようで、
しゃくに障るが、
真っ直ぐにこちらを射る視線に縛られている。


佳代子も意を決して仁の目を見た。


「仁が・・・好」


言葉も終わらないうちに口づけられた。



そのまま、ソファの上に押し倒されると、
仁の体が乗って来る。

ずっしりとした重さで身動きできない。

深いキスで、息が止まりそうだ。

さっきまでのキスより、ずっと激しくて、
どんどんわたしの中に入り込んでくる。

最初、頬をつかんでいた手が
だんだん喉の方に下りて来て、
わたしの体の上を滑って行って・・・。

どうしよう!!







仁は佳代子の手首をつかんで、
そのまま体を開こうとしたが、止めた。


自分の下で、佳代子がぎゅっと目をつぶり、
身を固くして、縮こまろうとしている。



「佳代子?」

「・・・・・」


仁はソファから起き上がると、
佳代子の手首をつかんで、ゆっくりと引っ張り上げた。

佳代子はまだ、がちがちに固まっている・・・。


「ごめん・・・。
 一度に無理させちゃいけないな・・・」


その声に、やっと佳代子が顔をあげた。

仁が微笑む。

佳代子はぽかんと子供のような表情で、
仁を見上げている。


その顔に噴き出しそうになったが、
何とか引っ込めて、代わりに佳代子の髪をなでた。


「車をつかまえられるところまで、送るよ・・」


佳代子の肩をぽんと叩くと、
ソファに載っていたバッグとコートを取り上げると、
突っ立っている佳代子のところまで持って来てくれた。


「大丈夫か・・・?」


ちょっと面白がっているような顔つきだ。



その言葉で、やっと佳代子の緊張がとけて、
はあ、と無意識に大きなため息をついた。


仁が、たまらずに噴き出した。



ははは・・・
佳代子は可愛いよ。



仁の笑い声で、佳代子はすっかり自分を取戻した。



「仁って意地悪ね。
 もう遊びに来ない!」



急に仁の表情が変って、佳代子の手をつかんだ。



「それはだめだ。
 今度は昼間の景色を見に来いよ。
 晴れた日はきれいだぞ。」



「わからないわ・・・」



「約束しろ。でないと、コートを返さないぞ・・・」



「そんな、仁!」


焦った佳代子が仁からコートを引っ張り戻すと、
仁がまた笑いながら、着るのを手伝ってくれた。

自分もシャツの上から、コートだけ羽織り、
佳代子の背中を押して、玄関へと促す。


靴を履いたところで、仁がもう一度、
佳代子を抱きしめて、キスをした。




「約束を忘れるなよ・・・」



ふっと微笑むとドアを押した。






マンションから下の暗い道路に出ると、
海から冷たい風が吹きつけてくる。

まっすぐな道路沿いに、人影はまるでなかった。

こんな中で車が拾えるのかと、不安になったが、
予想に反して、すぐに車はつかまった。


「テレビ局に行く車だ。運がいいぞ。
 寒いから、気をつけて・・・・」


「ええ、仁もね。
 送ってくれてありがとう・・・」


佳代子が車に乗り込むと、暗い窓越しに、
片手を上げた仁が見えた。

軽く手をふると、たちまち仁の姿が小さくなって行く。

お台場にきらめくイルミネーションは、
さっきよりも、少し落ち着いた輝きを見せている。





仁のキスを思うと体中が熱くなってくる。
思い出すと、今晩はとうてい眠れそうにもない・・・。


 折角のバレンタインに、
 ちょっぴり惜しいことをしたかな・・・


そんなことを思いながら、
佳代子は車の窓ガラスに顔をつけて、目を閉じた。

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