AnnaMaria

 

セピアの宝石  11-1

 

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ぎりぎりと押されていく、嫌な試合展開だった。



スタンドを埋める観客の半分が、
フィールドで戦う選手たちの苦しさを感じていた。

元々は力技より、スタンドオフからのキックで地域を稼ぎ、
相手に強く圧力をかけていくのが、うちのラグビースタイルだったが、
ここ2年間、相手チームが外国人選手の補強などで、
パワーと体格を増すにつれ、劣勢は決定的となっていた。

風上である前半にリードを奪えなければ、
後半の展開は火を見るより明らかだ。


仁の引退後、スタンドオフを務める後輩の蹴ったボールは
相手陣内深くに届いたが、サインプレーを読まれ、
どうしてもゴールラインに届かない。

逆にラインアウトを確保できずに、守備網を突破され、
トライを決められた時は、スタンド中が悔しさに足踏みをした。



ラグビーもプロの時代。



最後のアマチュアスポーツと言われたのは、過去のことで、
最近は社会人リーグと言えども、
有名プレーヤーを高年俸の契約社員として迎え、
専用のクラブハウス、練習場などを完備し、
トップリーグでは、徐々にチーム間の実力差が開きつつある。


仁は試合を見ているうちに、2年間日本に居なかったことを痛感した。

うちも相手チームも共に、プレースタイルが大きく変っている。

仁の現役時代、仁のように大柄なスタンドオフはまだ珍しかったのに、
相手チームのスタンドオフは元オールブラックスの巨漢だ。

体格で上回る相手チームを崩すには、
戦略とスピードしかない筈だが、それすらままならない。

しかし、試合を見ているうちに、自分の体の多くの部分が
ラグビーによって培われたものだという実感がよみがえってきた。



「うぉ~~、何と言うことだ!」


仁の隣で、ベンチを揺るがすように体を震わせて
大声を張り上げている大輔は、元チームメイト。

故障で2年以上前に引退した仁とは違い、
つい先シーズンまでプレーしていただけあって、
悔しがりかたが違う。

相手にわずかにリードを許し、前半を終えた時は、
誰もが大きなため息をついて、ベンチにへたり込んだ。


「もどかしいな。フィールドに踊りこんで、
 あいつらを跳ね返したいくらいだ!」


重量フォワードの大輔は、でかいこぶしを握りしめる。

仁の周囲は元チームメイトの巨体でひしめいていて、
妻や子供連れで観戦に来ている者も多かった。

大輔にはもったいない位、きゃしゃで美人の奥さんが居たが、
子供がまだ一歳では、この寒風のスタンドに、
長時間さらすわけにも行くまい。



「この2年で、ずいぶんレギュラーが入れ替わったな。」


仁が言うと、


「そうだな。
 うちの会社でも外国人選手を一人補強したし、
 ラグビー契約社員も以前に比べると増えた。

 竹本と古賀は退社して、それぞれ、高校と大学で
 ラグビーの指導をしているよ。」



「そうなのか・・・」


社会人チームでプレーする選手には、大きく2種類に分けられる。

一つは正社員のまま、クラブ活動としてラグビーをやる者。
もう一つは契約社員として、ラグビーのプレーで
会社に貢献することを求められる者。

ラグビー専属契約をしていた社員は、試合に出なくなった時点で
ほとんどが会社との契約を解消し、
母校や色々なラグビーチームの指導者になったり、家業を継いだり、
もちろん、スポーツ評論家になった者もいる。

仁も大輔も前者の正社員で、高校、大学とラグビーを続け、
社会人となってからは、仕事の傍ら厳しい練習をこなし、
レギュラーとして、ゲームを戦ってきた。

大輔は現チームのコーチもやっていて、
今も深く社内のラグビーチームに関わっているが、
仁は海外赴任のせいで、
一旦はチームから完全に手を引いた形になっていた。



このスタンドではもちろん、社内でも、
大場仁の名前を知らない者はほとんどいない。



豪快なキックと、試合の流れの中で、
的確に判断する能力は群を抜いていて、
チームの強みを生かし、優勝には届かなくても
3年前には、相当いい所までチームを押し上げた。

今日、仁が久しぶりにスタンドに顔を見せると、
辺りの者が次々と声を掛けてくる。


「仁さん、お帰りなさい!」

「仁さん、またご指導お願いします。」

「仁さん、戻ってくるのが遅過ぎですよ。」


そんな声を聞いて、5列ほど前にいた社長までもが振り向いた。


「おう!仁!
 やっと戻ってきたか。

 お前、挨拶に来たっきりじゃないか。
 近いうちに、かならず俺の所に顔を出せ。
 待ってるぞ。」


直接、大声をかけられた。

現社長の熱烈なラグビーファンは有名で、
仁は入社面接の時から、顔を見ればラグビーの話をされていた。

当時は、まだ事業本部長で多忙を極めていた筈なのに、
ラグビーの試合観戦だけは欠かさず、
その為に海外出張を早く切り上げて帰ってきたと、
陰口を叩かれた程だ。


現役選手でなくなった自分に声をかけてくれるのは有り難いが、
社員でいっぱいのスタンドでは目立つ行為である。

仁に、憧れと敬意の眼差しを向ける者が多い反面、
すでに過去の遺物と、冷ややかな眼差しで見ている者もいるだろう。


「これからは、ただの会社員なんだな。」


帰国して挨拶に回った時、
冗談ぽく、そう言った人もいたが、おそらく本音だろう。

ラグビーの試合のように、仕事までも
全部自分で采配を振れると思うなよ、との忠告か。



良くも悪くも、仁には
「あの伝説のスタンドオフの・・・」という冠詞がついてまわる。

加えて、取引先の令嬢との結婚、電撃離婚、
海外赴任からの帰任で、今後、仁がどんな仕事ぶりを見せるのか、
好意的な視線も皮肉っぽい視線も共々ある。

仁の戦いは、すでに始まっているのだ。





「きゃ~~っ!行け!突っ込めえ~!」




にぎやかな喚声の上がっている方を見ると、
社長や役員の固まっている席の近くに、
佳代子が他の同僚たちと一塊で観戦している姿が見えた。

フィールドに向かって叫び、隣としゃべるのに夢中で、
ハーフタイムの間ですら、一度も後ろを見ない。

もこもこした赤のフード付きダウンコートを着込んだ姿を見て、
季節外れのサンタクロースみたいだなと、
思わず笑いがこみ上げて来た。

その笑いが見える筈もないが、その時、
ひょっと佳代子がこちらを振り向く。

仁の姿を認めると、すぐに屈託ない笑顔を見せる。

仁は、腕組みをしたまま、かすかに微笑みを返しただけだ。





後半が始まった。
前半より更に厳しい展開となった。



味方が風下に回った後半、相手は得意の力勝負に出た。

スクラムから近場の突破、
ラインアウトから重量FWで押し込んでくる。

何度か続いた挙げ句、ボールを奪われてタッチに逃げられた直後、
サインプレーで味方のハーフバックが動いた。

相手の守備の裏をかいた、見事なトライ!

スタンドは沸き返り、佳代子の赤いダウンが隣の男と抱き合って、
ぴょんぴょん跳ねているのが見えた。


誰だ、あいつ・・・。


仁が抜群の視力で、男の横顔を見分けると、
詩織の課にいる、営業の若い奴だと思い出した。

そいつの手が、両隣の佳代子と詩織の背中にまわされたまま、
スクラムを組んで応援している姿が見える。

仁の胸に苦い雲が噴き出し、
試合中、こんなことで苛ついている自分にも腹を立てた。



味方の胸がすくようなトライに、
スタンドは再び活気を取戻したが、そこまでだった。

相手は、疲れの見えたこちらのフォワードの動きを読み切っては独走し、
ゴールに飛び込んで、トライを決めていく。

終わってみれば、42 - 16の大差がついていた。
何とか、ぎりぎりでトップリーグに残れる程の戦績である。





「仁、お前、この後、何か予定あるのか。」



握りこぶしを固めて、がっくり座り込んでいた大輔が、
ようやく我に返ると、話しかけて来た。



「いや、別に。」



ちらりと、まだスタンドにいる佳代子の姿を見ながら答えた。

選手は不利な条件にも関わらず、よくやったが、
フィールドの無念が伝染するように、
仁の胸にも、もやもやが溜まっている。


「じゃ、付き合えよ。
 負けても勝っても、OB連中で一杯やろうと決めてたんだ。」



「ああ・・・」


ラグビーはポジションによって、役割と体格、性格まで違う。

相手の巨体を受け止めるフォワードはフォワード同士、
バックスはバックス同士でつるむのが多かったが、
仁は大輔の割り切った単純さが好きだった。

ラグビーをややこしく語るのは、
自分やスクラムハーフの悪い癖だ。



大輔は親しみやすい笑顔と、
巨体に似合わぬ繊細な口説き文句で
社の受付にいた女性をかっさらって妻にした。

30過ぎの独身男など、いまや社内でも珍しくない中で、
ラグビー部員は妻帯率が7割を超えている。

いち早く年貢を納める者が多いのだ。



現役時代の仁には、控えめに言っても、
降るように誘いがあった。

仕事と練習に大量に時間を取られるから、
デートにうつつを抜かす暇は、あまりなかったが、
それでも付き合う相手には、全く事欠かなかった。

他人の彼女を取るような事だけは、絶対にしなかったつもりだが、
この娘はどうかな、という、ちょっと高めに見える女性でも
きちんと誘いをかけて、断られたことは一度もない。


きれいで可愛い女の子と過ごすのは楽しかった。



普段は無骨な巨漢とぶつかり合って過ごしているのだ。

自分に憧れの眼差しや、愛らしい笑顔を向けてくれる、
柔らかい体を持った女性たち。

紳士を求められるラガーマンとして、
無節操な付き合い方や、二股をかけるような真似はしないものの、
大人の恋愛の範囲の付き合いはしてきた。



佳代子は、仁が今まで付き合った女性たちとは、全く違って見える。

自分を見る眼差しに、
人が言うところの「伝説のスタンドオフ」へ向けた
酔ったような憧れがまるでなく、
等身大の自分を、真っすぐに見てくれている安心感がある。


同期で、同僚で、海外赴任から帰国したばかりの
バツ一の「元」ラガーマン。

それが佳代子の目に映る、今の自分だろう。



そうは言っても、自分からラグビーを取ったら、
何か取り柄となるものが、残っているのか不安にもなる。

一体、佳代子は自分のどこが気に入ったのか。
この先、どこを気に入ってくれるのだろう。

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