AnnaMaria

 

セピアの宝石  12-1

 

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日曜の試合後、仁は、結局大輔たちにもう一軒付き合わされて、
大輔たちがいるチームの話を詳しく聞くことになり、
佳代子を送っていくことはできなかった。

店を出る時に詩織がウィンクして、妙に明るい顔で、



「じゃあね仁!
 今度、一杯おごるから。」


少々渋い顔の仁に、大きく手を振ってみせた。

あの後、どうなったのかは知らない。
佳代子に電話もメールもしていない。
する気になれなかった。




試合から二日ほど経った日、秘書室からまた呼び出しがかかった。


「大場さん、秘書室です。
 午前中のうちにこちらに来られますか。」

「はい。今、伺いますが、どなたのご用事でしょう?」


この前の苦い経験で、今度は呼び出した相手を確かめてから、
ネクタイを締め直すと、役員室に上がった。


「大場です。」


仁が一礼して、社長室に入ると、
壁一面に広がった大きな窓に背中を向けて、
現社長がデスクの書類に屈み込んでいた。

仁を見ると、書見用の眼鏡を外し、
椅子にもたれて、眉間のあたりを軽くもんだ。

デスクの前のソファに座るよう手で示すと、
秘書の女性がお茶を持って入ってくる。


「午後はどうなっていたかね?」

「3時から、経済産業省主催の会合が入っています。」


秘書の答えを聞くと、仁に向き直った。


「じゃ、2時半までに戻ってくればいいな。
 仁、昼飯を付き合ってくれ。
 天ぷらと寿司とどっちがいい?」

「では、天ぷらをお願いします。」


微笑みながら答える。
仁は、社長が無類の天ぷら好きだったのを覚えていた。


社長はにやりと笑うと、


「最近は少し控えているんだが、
 そう言われたら、しょうがないな。
 海外から帰ったばかりの奴には、付き合うか。」


社長の返事を聞いた秘書は、
予約のために、すぐさま部屋を下がって行った。







赤坂のホテル内にある、高級天ぷら「天壱」は
社長の行きつけの店である。

数寄屋風の落ち着いた作りの店内には、
ホテル内とは思えないほど、落ち着いた雰囲気が漂っている。



入り口をくぐると、
「ようこそ、いらっしゃいませ」の声と共に、
すぐさま、カウンターの一番奥の席に案内され、
なじみの職人がだまって前に立つ。


「ビールが飲みたいところなんだが・・・」

「お役所の会合でしょう。まずいですよ。」

「いいや、帰国祝いだ。
 一杯だけ付き合え!
 悪いが、一番小さいグラスくれるか?」


顔見知りの仲居さんが笑顔と共に、すっとビールグラスを差し出す。

マレーシア赴任前に、2度ほど連れてきてもらった店だ。


「まずは本社復帰おめでとう。」

「ありがとうございます。」


注いでもらった小さなビールグラスの中身を、
一息で飲み干しそうになるのを、半分で止めた。


「もう、色々落ち着いたか?」

「はい。帰国に伴う雑務はほとんど終わりました。」


自分が本社に戻れたのは、社長の意向か、という思いがあったが、
間違っていなかったようだ。


「うちのラグビーも強くはなったんだよ。
 でも、相手はもっと強くなっちまった。
 
 仁よ、折角帰って来たんだから、
 色々とまた力を貸してくれ。」


「はい。喜んでやらせて頂きます・・・」


話をしている間に、カウンター越しに、
揚げ立ての天ぷらがさっと皿にのせられる。

揚がったらすぐに食う、それがここでの礼儀だ。


「それから・・・俺からひとつ、仁に頼みがある。」

「はい。どうぞおっしゃって下さい。」


社長は、しばらく天ぷらに集中し、ひょっと横を向くと
知り合いを見つけたらしく、軽く頭を下げた。

振り向くと、某大手食品会社の社長が外国人と連れ立って、
カウンターに腰を下ろしたところだった。

新聞等で顔を見たことがある。


「経済産業省の委員会で、俺と一緒に委員をやらされているんだよ。
 あちらも忙しかろうになあ・・・」


社長が仁の視線の先を見て、説明をしてくれた。



「それで、その、頼みなんだが・・・」

「はい・・・」


即断即決の社長が珍しくためらっているのを、
仁はいぶかしく思いながら見ていた。


「俺のところの『麻里』を覚えているか?」


仕事かラグビーの話だと思っていたので、
やや虚をつかれた。



『麻里』さん?


「以前、社長がお連れになった、大学生のお嬢さんですか?」



ああ、覚えていてくれたか。



社長はうれしそうに、車海老の天ぷらを頬張った。


「あいつも、去年大学を卒業して仕事をしている。
 女の子のくせに俺に似て、ラグビーが大好きでな。

 俺が家でラグビーの試合を見ていると、いつの間にか、
 一番上の麻里と、末っ子の恵利が隣で一緒に見ている。」



 真ん中の娘は、絵ばかり描いていて、スポーツには全然関心がない。
 あれも変わり者で困ったもんだ・・・。

 ああ、つい脱線した、と社長がおしぼりで顔を拭いた。


「それで何度もスタンドに連れて行っているんだが、
 麻里がことに君のファンでね。
 高校生の頃からずっとなんだよ。」


仁はこの話の行方がどこへ行くのだろうと考えていた。



麻里と言う名の社長令嬢。

一度見かけたことがあるだけだが、
正直なところ、目元が社長に似て切れ長の一重だな、と
思ったくらいで、特に印象はなかった。


「・・・一度、会ってやってもらえないだろうか?」



「大事なお嬢さんにですか。
 しかし、現役を引いている僕にお会いになっても・・・」



「帰国したんなら、是非、会わせて欲しいというわがままなんだよ。
 聞いてやってくれるか?」



「はい・・・」


白身魚の天ぷらが揚がった。
二人の間にしばらく、沈黙が流れる。

仁も少しためらったが、思い切って口を切った。


「社長。先週、○○精機の専務にお会いしました。
 うちの常務のご友人とかで・・・僕の・・義父だった方です。」

「ああ、知っている。」


声にかすかに苦い調子が混じった。
社長と常務は、それほど意見の合う方ではない。


「僕は一度、結婚に失敗しています。
 そんな僕が・・・」



「仁。
 詳しい事情は知らんが、
 あの娘の方が一方的に帰ってきてしまったと聞いている。
 そんな状況にも拘らず、お前はマレーシアで
 立派に仕事をやり遂げて帰国したんだ。

 もちろん、離婚は、本人たちにしかわからん事情があるだろうが、
 俺はお前をよく知っているからな。」


社長の信頼が有り難かった。
しかし、それなら余計に言わなければならない。


「もうひとつ。
 今、惹かれている女性がいるんです。」


今度は社長が黙った。



穴子の天ぷらが揚がっている。

社長は穴子が苦手だったな、と隣を見ると、
社長の皿には、黙って、穴子の代わりに茄子の天ぷらがのせられている。

常連のしるしだろう。


「好きな女がいるのか」

「はい。」

「離婚して帰国して、まだ一ヶ月ちょいだと言うのにか?」

「はい・・・」

「まったく気の早い奴だな。
 相手の女性も承知なのか。」

「ええ。
 ですが、実のところ、
 もう少ししっかり捕まえておかないととは、
 思っているんですが・・・。」


社長は面白そうな顔をした。


「ほう。仁でも一気に捕まえられない女が居るのか。」

「ボールじゃあるまいし、
 そんなに一気に捕まえたことなんかありませんよ。」


カウンター越しの天ぷら鍋に、かき揚げが落とされるのを見ながら、
仁が言った。


「そうか・・・正直、ちと残念だな。」

「・・・・」

「実はな。俺の夢だったんだ。」


その言葉に、仁は、社長の顔を見た。


「お前をうちの息子に欲しかった。

 うちはあの通り、娘が3人だろ?
 家の中では女ばかりに囲まれている。

 仁がうちに来てくれて、ラグビーを一緒に見たあと
 俺と一杯やってくれたらいいなあ、と思ってね。

 ついでに孫が生まれたら、絶対男の子には
 ラグビーをやらせるつもりだった。」



「社長・・・。
 僕でなくても、その夢は適いますよ。」


ははは、そうかなあ・・・と力ない笑い声が返ってきた。


「いい女なのか?」

「ええ。」

「俺よりも魅力があるのか?」


少々皮肉っぽい社長の問いに、仁が破顔した。


「それは・・・社長。
 全く比べ物になりません。」

「言ってくれるじゃないか!」


赤出しの椀を取り上げながら、社長が笑う。

しばらくは、締めのご飯とかき揚げをつつく音が響いた。


「麻里には、そのまま伝える。
 いや、あいつ自身は、君のファンだから会いたい、と
 単純な理由なんだ。
 人気歌手に会いたいのと同じだよ。」


「そんないい者じゃありません。」



「それ以上の望みは、娘の、というより、俺の夢だったからな。」


この人の手腕も人柄も尊敬している。
自分に対する理解も有り難かった。

しかし、だからと言って、簡単に父と息子になどなれないことを
仁は既に学んでしまっていた。



親にとっては、どんな娘でも可愛い子供だ。
この人とまで、元義父と交わしたような会話をしたくはない。
同じ間違いを繰り返すまい。



「社長には、仕事で、僕の全力を尽くして
 少しでもお力になれたら・・・と思っています。」


仕事か・・・。



食後に出て来た果物までも、律儀につまみながら、
社長がカウンターの向こうを見た。


「仕事で俺の力になろうと言うには、10年早い。
 キャリアも実績もなさ過ぎる。」



「すみません」



「うすうすわかっているかもしれないが、
 お前を開発部に入れたのは俺だ。

 あそこはMBAホルダーも、他からの転職組もいる。
 一発当てて、上にのし上がってやろうと言う連中ばかりだ。

 お前をラグビーしかできない奴と、見下している者もいるだろう。

 あの中で、ひとつトライを決めて上がって来い。」



「はい。」


そうだ。
ここから自分で一歩ずつ積み上げて行くしかないのだ。



仁は返事をしながらも、ふと不安がよぎった。



社長は元義父とは違う。

だが、大事な娘と会うのを断った者に、
これまでと同じ気持ちを持ち続けてくれるだろうか。

そんな仁の不安に気付いたか、気付かないか、
社長はまた上機嫌でしゃべりだした。


「仁、名スタンドオフのお前に言うのはおこがましいが、
 周りをよく見ろよ。

 社内だけじゃなく、全部の周りを勉強しておくんだ。
 知らないでは済まされない。

 見て、聞いて、知っておくことがピンチの時、
 瞬時の判断の役に立つ。」



「はい。」



「俺は、待っているからな。」


社長が仁のたくましい肩に手をのせて、笑顔を見せた。
その笑顔が、仁には心底、有り難かった。

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