AnnaMaria

 

セピアの宝石  12-2

 

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仁が、新聞社に頼まれた新しい原稿を手に
午後一番に広報室を訪れると、佳代子は不在だった。

さて原稿を置いて行こうか、どうしようか、
ためらっている間に、佳代子が戻って来た。

一緒にいたのは、なんとあの日、
パブで絡んでいた営業の若い男だったが、
あの時とは別人のように、神妙な態度である。

佳代子の後ろから、資料らしい雑誌を何冊も抱えて現れると
言われるままに、棚の前の机に置いた。




「どうもありがとう。
 すごく助かったわ。
 それにごちそうさまでした。」


「いえ、とんでもない。
 先日はご迷惑をかけました。では、失礼します・・」




そばに立っていた仁にも軽く会釈すると、
営業の若者は、広報室のドアを出ていった。


仁は軽く舌打ちしながら、佳代子を見た。




「この間のあいつか・・・。」




今度見かけたら、ちょっと締め上げてやろうと思っていたのに、
もう詫びを入れてしまったのか。

詩織の差し金だな。




「そうよ。
 この前、失礼をしたからって、ご飯をごちそうしてもらっちゃったのよ。
 あ、あっちで待っててね。」



すっかり馴じみになった、
後ろのミーティングルームに引っ込んでいると
佳代子がファイルを片手に入って来て、
仁の原稿を手に取った。



「これが、二つ目のコラム?
 仁の書いた通りでいいのに。」


毎回、わざわざ見せてくれなくても・・・と、
言おうとして、佳代子は言葉を引っ込めた。

また、じっとテーブルを見ている仁の表情が読めない。



「どうしたの? 
 また昔のお化けにあったの?」



原稿に目を戻しながら、佳代子が聞くと、



「いや・・今度はお化けじゃないんだが・・・」



言葉を切ってしまった仁を感じて、
佳代子は原稿から目を上げた。



今日の仁は白地に織り柄の浮き出したシャツに
水色がかったグレーのネクタイを締めたスーツ姿だ。

ジャケットまで着ていると、
下のすごい筋肉が隠れて、かなり引き締まって見える。

だが、本人はあごの下に大きな手をあてて、
どこか屈託しているようだ。


原稿を仁に返しながら、



「うん、仁、やっぱり文書くのが上手よ。
 工場での失敗の話とか、特に面白い。
 これを書いても会社の信用が落ちるわけでもないから、
 すごくいいんじゃない?」



「ああ・・・」




仁が大きな手で原稿を受け取った。




「あの若いのと二人で飯を食ってきたのか?」



「うん、詩織が一緒に行くはずだったんだけど、
 急にお得意さんから呼び出しがかかっちゃったのよ。」



あの子、詩織にすごく絞られたみたい・・・
佳代子がふふっと笑った。




「だいぶ、酒癖が悪かったからな・・・」




じゃ、戻る。

仁がむっつりと立ち上がると、
佳代子が座ったまま、大きなシルエットを見上げた。




「そうだ!これを買ったの。」




恥ずかしそうにファイルの下から取り出して、机にのせた本は
『すぐわかるラグビールール』だった。


立ち上がったままの仁が手に取って、ぱらぱらめくると



「へえ・・・今頃これを読んでるのか?」



「そう不機嫌にならないでよ。
 ラグビーって色々難しいじゃない。

 この間、試合見ててもわからないところが沢山あって、
 ちょっと勉強してみようかな、と思ったのよ。
 だから・・・。」



ふ~~ん。



「ラグビーがわからないんなら、俺が教えてやるのに」



仁が本を返した。



「仁に教えてもらうのも、恐縮するわ。」



「なんで?」


だって・・・仁みたいな花形選手に、
一から基本のルールを説明させるなんて・・・


佳代子がつぶやくのを、仁が口を結んだまま見ていた。



「でも、ありがとう。うれしいわ。
ぜひ教えて下さい。」



最後に佳代子がそう言うと、仁がぱっとまぶしい笑顔を浮かべた。



まあ、その顔に弱いのに・・・。



佳代子がほんの少し赤くなると、
仁が面白そうに見る。


この前は・・・



「え、何?」



「この前は、ちゃんと帰れたの?」


え~っと・・・。



「うん、まあ、ちゃんと帰れました。
 途中でちょっと気分悪くなったから、一度車を降りたけど、
 しばらく休んだら大丈夫になったし・・・。

 詩織が送ってきてくれたのよ。」


ふ~~ん。

じゃあな。

丸めた原稿を手に、ぶらぶらと仁が部屋を出て行くのを見送ったが、
どことなく、今日は素っ気ない感じがした。







彼岸を過ぎて日が長くなり、会社からの帰り道でも
物の形がおぼろに浮かぶ、うす闇の中となる。


佳代子は、花びらの下を歩いていた。

梅、木蓮、こぶし、ハナミズキなどの木々の花々は
桜の登場を待っており、
生け垣には雪柳、レンギョウの花が咲きこぼれている。



先日の試合観戦後、営業の子に絡まれていたところへ
「威勢がいいな」と、いきなり、
仁が大きな体を滑り込ませてきた。



どうして仁が、馴染みの少ない自分のテーブルに来てくれたのか、
わかった途端、嬉しかったけれど、少しおかしかった。



わたしだって、立派な30女なのよ。
本気で嫌だったら、あんな若造を跳ね返すくらい何でもないのに。


あの時の仁の様子を思い出すと、佳代子の口元がほころんだ。






佳代子が入社して、営業で研修を受けた際、
ペアを組んでくれた先輩は、優しくて仕事のできる人だった。


「君はすごく飲み込みがいいね。
 同じことを言わせない人って、あまりいないんだよ。」


佳代子の仕事が上手く行った時は、必ずほめてくれた。

仕事上での言葉なのだから、
そういう気持ちを持たないように気をつけていたのに、
いつの間にか、憧れが好意に変ってしまっていた。


「先輩。お誕生日おめでとうございます。」


ある時、飛び降りるような勇気を出して、
先輩の誕生日にプレゼントを差し出した。

向こうは一瞬、驚いたようだが、



「ありがとう。嬉しいよ。」



笑顔で受け取ってくれたので、踊り出したくなる程嬉しかった。


以後、クリスマス、ヴァレンタインと
ささやかな気持ちをこめたプレゼントを贈り続けたが、
いずれも気持ち良く受け取ってくれ、
お礼に何度か、食事に連れて行ってくれたりもした。

ある日、別の先輩から、佳代子の先輩は社内に婚約者が居て、
その秋に結婚するのだと、そっと聞かされたとき、
力が抜けてしまう程悲しかったが、何も言えなかった。

別に、好きだと告白したわけではないし、
向こうだって、思わせぶりなことを言ったわけでもない。


佳代子の必死の気持ちのこもった贈り物を、
明るい笑顔で受け取り続けた先輩は、
「この秋に結婚するんだ」の言葉も笑顔で告げ、
あっさりと出発して行った。


こんなもの、こんなものかもしれない。



彼は佳代子の気持ちを、
ボールでも受け取るように簡単に受け取り、
挙げ句にさらっと捨てていっただけ。



ただ、自分というものが、すごく軽く扱われたような気がして、
ひたすら悲しく惨めだった。






学生時代には、付き合った人が一人いた。



本と映画の好きな人だったが、
一年ほど付き合った後、当然のことを告げるような口調で

「僕は卒業したら、地元に帰って就職するんだ」

と、告げられた。



ときたま映画を共に見て、一緒に公園を散歩し、
2度ほどキスを交わした位の淡い交際で、
家まで送ってきてもらったことも、一度もない。

もちろん「ついて来て欲しい」とも、
佳代子との別れを惜しむ言葉すらなかった。

ただ「さよなら、元気で」とだけ。





いわゆる「お見合い」もしてみた。



電気工学が専門の研究職の男性だったが、
何度か一緒に食事をして、
その人の食べ方にどうしても嫌悪感を抑えきれず、
こちらからお断りした。






職場の同僚、上司、先輩、後輩の男性たちとは普通に交流があり、
男性恐怖症でも嫌悪症でもない。



同僚や後輩の女性達は、みんな、恋人のことで頭がいっぱいのようだ。

男と付き合った、振られた、傷つけられた、
二股をかけられた、怪しいところへ誘われた。

そんな事に振り回される同僚達を見て、
すっかり臆病になっていたのかもしれない。



女だって、男以外で遊べる道があっていい筈・・・。

そう思い直し、
長い休みには、自分で興味を感じ、色々調べた所へ旅行に行き、
そこで得た現地情報などを、ブログに綴り始めた。



そのうちに、フランスで食べたチョコレートの奥深い魅力に捕われ、
さまざまなチョコの神髄に触れるうち、
いつしか、立派なチョコオタクへの道を邁進していた、というわけだ。


ただ、去年、まどかの結婚式のあれこれを手伝ううち、
久しぶりに実に印象的な男性に出会った。

フラワーアレンジの会社を経営しているとかで、
花のアレンジだけでなく、料理やパーティのプロデュースまで
てきぱきとこなし、ソフトな分野で男らしいセンスを発揮して、
見事な仕事ぶりを見せてくれた男性。

こんな人もいるのか・・・と
目からウロコが落ちる思いで見つめていたある日、
一緒にやってきていた、男性のパートナーと
バックヤードで抱き合って、キスを交わしているところを見てしまった。


え~~~っっ!嘘!


同性愛者のラブシーンを見たことより、
自分が好意を抱いた男性が、ゲイだったことの方がショックだった。


わたしが好きになった男性は、
どうしてこうもわたしとは縁がないのだろう。

佳代子はまた、自分の楽しみに没頭するようになっていた。




仁の帰国祝いで、ビールを浴び、
彼のシャツを借りて帰ってから、
仁は急速に佳代子の中に入り込んで来た。

自分なんかが仁に惹かれたって、どうにもなりはしない、と、
極力、仁を避けた時期もあったのに、
強引な仁に自分の場所からひっぱり出されて、
気がついたら、告白までさせられていた。


もう遅い。



少し離れてなら、今まで通りの同僚で居られるが、
仁の香りが漂ってくる半径2メートル以内にくると、
途端にホットフラッシュを起こす。

仁が助けてくれた、試合後のテーブルだってそうだ。

仁があの若造と話すのを聞いているだけで、
顔がぼうっと赤くなり、ドキドキしてくるのを
一生懸命、お酒のせいにしていただけ。

自分を気にして来てくれた気持ちがうれしくて、
幸せで舞い上がりそうだった。

あの後、詩織が何かかやと言い訳をしながら、
家の近くまで送ってくれたが、
別にひとりでふらふらと帰ったって、幸せだったに違いない。





春爛漫に咲き誇る花々はきれいだ。

だけど、仁がそばに居たら、全然目に入りもしないだろう。

彼の頭越しに白い花びらが揺れるのを、
鳥のような木蓮が飛び立つのを見ながら、
沈黙にただよう香りだけが一層強く感じられるだろう。

仁がいきなりキスをくれた、この路地の入り口では、
思い出すだけで、今でも体が熱くなってくる。

こんなになってしまった自分をどうしたらいいんだろう。

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