AnnaMaria

 

セピアの宝石  13-1  「お台場デート」

 

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うらうらと、ついに温かい春がやってきたような日だった。


ゆりかもめから見る景色は、動き始めるとすぐに海が混じる。

汐留までは、巨大なガラス張りのビル群が続き、
合間に人口庭園やペデストリアンデッキを挟んで
コンラッドホテルを過ぎると、
空が広くなり、視界が上下に開けてくる。

どんなに切り取られた形でも、ビルが間近にそびえ立っていても、
やはり海は海だ。

その海の景色を、そびえ立つ臨海のホテルやカフェが、
時折、大きくさえぎる。


芝浦埠頭を抜けたところで、ゆりかもめがぐるっと一回転すると、
佳代子はめまいがするような気がして、
目の前の腕に、あわててつかまった。

仁は窓の外に向けていた視線を、佳代子に戻して、
面白そうに見ている。


「この程度の高いところがダメってわけじゃないよな。」

「ダメじゃないわ。まぶしいからかな・・・。
 あ、もうだいじょぶ。」


そう言って仁の腕を放した。

ゆりかもめが網の中をごとごとと、レインボーブリッジを渡って行く。
すぐ側を車道が並走し、快調に流れる車は
どんどんこちらを追い越して行く。

どちらの窓から見ても海が広がり、その向こうに高層ビルがとがっている。

空は水色に霞み、水の面は灰色がかった光を放つ。
海の景色を縁どるのは、鉄とコンクリートばかりだ。

やがて「台場」駅に着くと、仁と佳代子も降り立った。


駅のそばの広場に立つと、目が痛くなる程の陽射しが降り注いでいる。

休日とは言え、まだお昼前なので、それほど混雑した印象はないが、
レインボーブリッジを臨むプロムナードには、
すでに沢山の人が、春風に吹かれていた。






今日の仁は黒いサングラスを掛けている。

佳代子がお台場まで行くと言ったら、
ついでがあるから新橋まで出て来ると言い、
広告代理店ビル前の石の広場で待っていた。


グレーカーキのカットソーの袖をまくり、
ウォッシュした黒いカーゴパンツにスニーカー、
脇にジャケットらしいものを挟んでいる。

ポケットに手を突っ込んだまま、晴れた空を見ていたが、
歩いてくる佳代子に気付いて、振り向いた。



陽射しに浮き上がったシルエットが見事な逆三角形で、
カジュアルな服装だと、肩の筋肉が際立って見える。
濃い色のサングラスのせいもあって、男性モデルのようだった。

こんな姿の仁に会うのは初めてだ。

3歩ほど近づいて、足を止めてしまった佳代子を見て、


「何だよ。俺がわからないわけじゃないだろうな」


サングラスをむしり取ると、
いつも通りの声で、こちらに歩いて来る。


「ちょっと・・・わからなかった。
 スーツとラグジャーしか見たことないもん。」


立ちすくんだまま、どぎまぎした気持ちを抑えて、答えた。

佳代子の返事を聞くと、仁の口元から真っ白い歯がこぼれる。


「こっち側にはあんまり来ない。
 駅に着くと、すぐゆりかもめに乗っちゃうからな。
 
 いや、全然違う景色だよなあ・・・」


大通路越しに大手本社ビルが建ち並ぶ、
再開発地域を見渡して、仁が感心した。

ここは「新橋」ではなくて「汐留」なのだ。

よくTVの街頭アンケートなどが立っている
「サラリーマンの街」新橋は、機関車広場の周りを指し、
大小の飲食店やパチンコ屋、ビルなどがぎっしり並び、
雑然とした印象がある。

だが「サラリーマンの街」側にも、
ひたひたと変化は押し寄せて来ている。


「俺が赴任前によく行っていた飲み屋が
 3軒くらい無くなって工事中になっていた。
 駅前の池もいつのまにか、埋められてたし・・・。

 そういうのって結構ショックだよ。
 浦島太郎になった気分だ。」


佳代子と並んで、新橋からひとつ先の汐留まで、
両側に巨大なビルの建ち並んだ空中に浮かぶ、
ガラス張りのペデストリアンデッキを歩きながら、
仁がぼやいたのを思い出した。








お台場駅の広場で、仁がまぶしい陽を浴びながら、
こっちを見た。


「佳代子、腹は減ってる?」

「う~ん、それほどでも。仁は?」

「俺はさっき、今朝の分を走ってきたんだ。
 何だかもう腹が減って来た。
 混む前に、昼飯を付き合ってくれよ。」

「いいわよ。仁が案内してくれるなら・・・」


佳代子が、海からの風で舞い上がるスカートの裾を押さえた。

仁が立ち止まったまま、
少しいたずらっぽい笑みを浮かべて、


「そうだな・・・。
 佳代子なら喜びそうなところがひとつあるけど、
 どうだろう?」





仁が連れてきてくれたのは、
すぐそばの商業施設の上階にあるレストランだった。

テラスに面したテーブルが最後にひとつだけ空いていて、案内される。

店内の客はまだ4割くらいだ。
家族連れと、さまざまな年齢のカップルが半々と言ったところ。

テラスから白く輝くレインボーブリッジが、
景色を大きく水平に横切っている。


サラダバイキングのコーナーに行き、
山盛りのサラダを取ってくると


「どうしてここが、わたしの喜びそうなところなの?」


仁がフォークを取り上げながら、黙って後ろを指差した。


茶色に輝く巨大な柱が段々と立ち、
何人かが周りを囲んで、フォークに刺したものを
チョコの滝に浸そうと手を伸ばしていた。


チョコレートファウンテン!


佳代子が目を丸くしたのを見て、仁がかたっぽの口角を上げた。


「アレが好きなんじゃないかと思ってさ。」


そう言えば、空気中に甘い匂いが漂っているのは、
あのチョコの噴水から来るものだったのか。


「う~~~ん・・・」



佳代子がうなると、仁が心外そうな顔をして、


「何だよ。素直に好きなところへ行けば・・・。
 俺なんかチョコレート以下だって言っただろ」

「そんなこと言ってないでしょ。」

「言った。
 俺よりチョコレートの方がいいって。
 あんなこと言われたのは初めてだ。

 ショックだった。
 プライドを深く傷つけられたよ・・・。」


サラダを突つきながら、大げさに胸を押さえてみせたので、
佳代子は笑わずに居れなかった。


サラダはおいしかった。
色んな野菜があって、幾らでも食べられそう。

仁はさっさと自分のお代わりをよそってくると、


「ほら、とっとと俺より好きな奴のところへ行けよ。」

「仁・・・わたし、まだ、こっちを食べてるのよ。」

「いいじゃないか、またアレの後で食べれば・・・」


チョコレートファウンテンの周りが段々混み合ってきたので、
仁の急かすような目つきに追われて、
佳代子もチョコ噴水のところに行ってみた。



周りに置いてあるのは、バナナ、いちご、マシュマロ、ドーナツ・・。

フォークに刺して、輝けるチョコの泉に浸す・・・

見る間にフルーツ類がつやつやのチョコレートにコーティングされ、
とろりとしたチョコが固まっていく。



お皿を持って戻ってくると、仁が今度はカレーを食べている。

佳代子の手元を覗き込んで



「へえ・・・・」



と言ったきり、興味津々で見ているので、


「食べてみる・・?」

「いや、大事な佳代子の愛人を奪うなんてできない。」

「もうぅ、やめてよ。」

「早く食ってみろよ。」


言われて佳代子は食べてみた。

チョコレートは果物の冷たさで表面は固まりかかっていたが、
まだほんのり温かい。

いつも佳代子の選ぶ、宝石のようなチョコとは違うけど、
温かくてまぎれも無い芳醇なチョコの香りが
新鮮なフルーツのさわやかさと相まって、至福の味だった。

甘さもそれほどしつこくない。


「・・・おいしい・・」


佳代子の顔に嬉しそうな笑みが広がるのを見ると、
仁は、呆れたような表情をした。


「やっぱり・・・そんな顔をするんだからな。」



うふふ・・・。

仁には悪いけど、
チョコレートに対する気持ちが鈍ったわけではないもの。

ついニコニコと顔がほころんでくるのを隠そうと、
窓の外に目を向けた。


「いいお天気。
 気持ちいいわ・・・」


チカッチカッと光るレインボーブリッジの足元の海が
きらきら笑ったように輝くのが見える。


「ああ。
 大好きなチョコレート食べながら、こんな景色見られるっていいよな。」

「仁てしつこいのね。」

「いや、佳代子の代わりに言っただけだよ」


佳代子は憮然としたふりをしながら、
最後のチョコ掛けバナナを口に入れてしまった。


仁が思いきり良く自分の皿をたいらげているそばから、
外からの風が柔らかく頬をなぶる。

大きな船が通り、白い波が上がる。

ビルの建ち並ぶ汐留から15分と離れていないところで、
こんな景色が広がるのが、どこか不思議だった。



「仁は毎朝走っているの?」

「いや、毎朝じゃない。
 週に3~4回走ればいいと思ってる。
 
 6時半に起きて、30分位走ってシャワー浴びて、
 飯食って着替えても、かなり余裕で9時前に着く。
 ここから、会社の自分の席まで30分位だ。」


「そうなんだ。確かに便利よね。」


コーヒーを飲み終わると、二人で店を出た。
店の前のソファには順番待ちの人の列がずらっとできている。


ビルのプロムナードから、海浜公園の方へ、
ぶらぶらと歩いていく。

天気がよくて、沢山の人たちがそぞろ歩いている。

ベビーカーを押している家族連れや、
外国人観光客も目についた。

アクアシティの前の桜が咲き切って、
ピンクの花をびっしりとつけ、やや枯れかかっている木も多い。

普通の桜とは違う種類のようだ。



ウッドデッキの上をゆっくり進んで行くと、
左手に白い砂浜が広がっている。

この砂浜はどこかから、わざわざ砂を運んでいるそうだ。


「最近、砂を入れ替えたばっかりできれいだって、
 誰かが話しているのを聞いた」


仁が言った。

白砂のすぐ先に海が来ていて、
3才くらいの女の子を連れた若いお父さんが、
小さなバケツと熊手を持ってしゃがみ込んでいる。

その様子を黙って見ていると



「あっちまで行ってみる?」



仁が聞いた。



「ん・・・」

「その靴で大丈夫かな。」


佳代子の履いていた、革色のパンプスを指して言った。

「うん、全然大丈夫よ・・・」


仁の気づかいがうれしいのに、少し照れくさく感じて、
自分が先に立って、砂浜に降りて行こうとすると、
大きな手が、佳代子の手をつかんだ。

佳代子はびっくりして、隣を見上げたが、
大男は知らん顔で、足元の砂浜を見ながら進んでいく。

仁の黒いスニーカーの紐は真っ白で、
つないだ手は相変わらず、特別大きくて温かい。

しっかり捕まりながら、水際までのわずかな距離を降りて行く。



水のそばまで来ると、かすかに潮の香りがして、
やはりここも海だとわかる。
女の子のバケツには小さな貝が沈んでいる。

生きている貝だろうか?

確かめるには、あまりに熱心に砂浜を掘っているので、
声をかけられなかった。


まぶしい陽射しに、仁が食事中外していたサングラスをまた掛けた。
少し、よそよそしい感じになる。





手をつないだまま歩いていると、時々、仁の腕に肩先が触れる。

佳代子の肩先を跳ね返すほど、見事な筋肉の張りがあって、
つい、その度に腕を見てしまう。


「何だよ。」



「あ、ううん、何でもないの。
 立派な腕だなあ、と思って・・・」


佳代子の返事に、仁が笑う。


「腕力には、少々自信ある。
 まだ鍛えているからな。
 佳代子くらい片手でひとひねりだ。」


本当は見とれていたのは、腕だけではなかった。

前にぐっと張り出しているような胸の筋肉も、
顔に比べて太い、首から肩にかけてのラインも、
力がみなぎって男性の標本のよう。

間近に見る鍛えた肉体の見事さに、今更ながら感嘆していて、
その男らしさがまぶしかった。


「いつもここを走っているの?」



「まあね。でも、まだまだコースを開発中だ。
 本当は、会社まで自転車で行けるといいんだがな。」


仁のランニングコースだという、海浜公園から、
海沿いにぐるっと回って、ぶらぶらと歩いて行く。

モダンな建物と観覧車、どこからかのぞく海の景色。

陽射しは温かくて気持ちよかったし、
仁と手をつないで、このまま歩いて行けるなら、
行き先なんて、どこだって良かった。

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