AnnaMaria

 

セピアの宝石  15

 

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「大場さん、秘書課です。
 社長がお呼びですが、ご都合はいかがでしょう。」

「すぐに伺います」


ジャケットの袖を通し、やや迷ってネクタイも締めると、
急いで、秘書課に上がって行った。

榎本ルナが仁を見ると、社長室のドアを示し、

「社長お一人ですから・・・」

と、微笑んだ。



なんだ、だったらネクタイまでは要らなかったかな、と
気分的に舌打ちしながら、仁が入って行くと、
珍しく、社長がPC画面に屈み込んでいる。


「おお、仁か。これを見ろよ・・・」


社長って自分でPC使えたのか、と内心意外に思いつつ、
後ろから画面をのぞくと、毎朝新聞のサイトだった。

社長のごつい手が不器用そうに、ぱたり、ぱたりとクリックして、
パッと画面が切り替わり、

『前進あるのみ。ビジネスフィールドを突っ走れ』

と言うタイトルが出て、社長の顔写真とコラムが続いている。




「これは、社長がお書きになったんですか?」



「まあな。正確に言うと、俺が書いた素案に広報室長が色を付けて、
 まともなコラムにしてくれたんだ。

 お前も新聞にコラム書いてるんだって?
 先日、経済産業省の委員会で○○社の社長から、
 『おたくの大場くんのコラムは面白いですな』と言われてあせった。
 ちゃんと俺にも知らせてくれよ。」


「すみません。お忙しいだろうと思いまして・・・。」


広報室長から聞いてないのか、とも思ったが、
ここは謝っておいた。


「お前は全部自分で書いてるのか?
 それとも誰かに手伝ってもらってるのか?」

「自分で書いています。」

「そうか!いやあ、お前、結構、文才あったんだな。」



社長は実に嬉しそうな笑顔を浮かべた。

何だ?

仁の中の警戒信号が鳴ったが、社長が相手ではどうしようもない。


「じゃあ、ひとつ俺からも頼まれてくれ。
 この毎朝新聞のネット版に『ラグビー入門』コラムを書いてくれよ。」

「え・・?」



絶句している仁に、楽しそうに社長が続けた。


「いや、毎朝新聞の社長とは長い付き合いで、
 あっちも熱烈なラグビーファンなんだ。
 ラグビーの裾野が今ひとつ広がらないのを、俺同様に嘆いていてね。

 ラグビーに詳しくて、文章の上手い奴なんて、そうそういるもんじゃない。
 お前くらいだよ。

 ホントは紙の方に連載したいそうだが、文字数に限りがあるし、
 ネット上だと、あまり文字制限がないらしい。
 自由に思いっきり、たくさん書いてくれ、と言うことだった。
 
 頼んだぞ。」


いや、しかし・・・。



社長はまじめな顔に戻って、じっと仁を見つめると、



「おい、クソ忙しい俺でさえ書いたんだ。
 こんな立派なコラム書いているお前が書けない、なんて言わないよな。」

「はあ・・・。」


機先を制されて仁は冷汗をかいたが、聞く事は聞いて置かなくてはならない。


「しかし、ひと口に『ラグビー入門』と言われましても、
 一体何を書いたらよいのか、見当がつかないんですが・・・。」


「俺から、広報室長に話を通してあるから、詳しいことはあちらで聞け。
 広報室のパブリシティ担当は誰だっけな。」


佳代子だとわかっていたが、自分から名前を出すのがためらわれた。


「あの髪の長くて、賢そうな・・・何と言ったかな、あの女性・・・。」



「関根佳代子ですか。」



「ああ、そうだ。
 この間『アジア経済』のインタビューで立ち会ってもらった。
 
 彼女にも頼んでおいてもらおう。しっかりした感じだったから・・・」



「はい」


社長の口から佳代子の名前を聞くと、柄にもなく照れくさかった。


「仁、これは我が愛するラグビー振興のため、我が社の宣伝のため。
 それから、無理矢理ラグビーに付き合わされているが、
 どうもよくわからん、という奥方連中のためでもある。

 頑張って書いてくれな。」

「はい。」



観念した仁が返事をすると、社長は満足そうだった。


「じゃあまた、そのうち『お前の好きな』天ぷらでも食いに行こう。
 俺も自分のコラムを、PCで読めるくらいにはなったから、
 お前のも楽しみにしてるぞ。」


ダメ押しまでされて、仁は苦笑しつつ、
PC画面に屈み込み直した社長に


「失礼します」と頭をさげて退室した。





帰りがてら、まっすぐ広報室に寄ろうか、とも思ったが、
どうも悔しい気がして、いったん自分の席にもどると、
珍しく由加と小田島が連れ立って出かける処らしかった。

由加は仁を見かけると、ほっとしたように、



「仁さん・・・。
 これから小田島さんとご飯食べに行くんですけど、
 一緒に行きませんか?」



と声をかけて来た。

小田島の顔を一瞬見て、返事をしようとすると

「大場さん、電話です。広報室から・・・」

開発部の若手が受話器をかざしている。



ち、もう手配が回ったか。



仁はうんざりした顔で、二人に向き直り、


「悪いな。頼まれごとがあって、今日はちょっと無理だ。
 二人で行ってきてくれ。」

「そうですか・・」



由加が不安そうなのはわかったが、
小田島にもチャンスくらいやらねばなるまい。


「酒井さん、行きましょうか・・」


小田島が再度、声を掛けると、
由加もあきらめたのか、連れ立って出て行った。

その後ろ姿を見ながら電話を取ると、広報室長の声が響いた。








いつも佳代子と二人で使っている、
広報室奥のミーティングルーム。


「・・・とにかく、社長が直接請け合ってきたんだから、
 断る余地はもうない。

 仁も、えらい忙しくて気の毒やけど、覚悟決めてとにかく書いてくれ。
 わしも協力するし・・・」



広報室長は傍らに座っている佳代子をポン、と叩くと、


「お佳代にも全面協力してもらうから・・・ええな?」

「はあ・・・」


二人同時に、煮え切らない返事をした。

仁は開発部との仕事との折り合いで、
佳代子はなるべく仁と一緒の仕事を避けたかったのだ。


「なんや、前向きでない返事やな。
 不満か?
 こんな楽しい仕事はないやろと思ってんのに・・・」


室長は暗に二人の関係をほのめかしている。
仕方がない。
ここで、いつまでも知られないはずはなかった。


「しかし、いきなり『ラグビー入門』って言われても、
 何を書いたらいいのか見当もつかなくて・・・。
 向こうの担当の方とも、一度お話をしたいんですが。」


「その辺は、お佳代が渡りをつける。
 二人でよ~く企画練って、面白いもん作ってくれ。
 丁度、めし時やし、早速取りかかったらええ。頼んだぞ。」

「はい。」



ようやく揃った返事に相好を崩すと、室長は上着を取って立ち上がり、



「ほなら、わしは商工会議所の方に顔出してくるから、
 あとは二人で・・・・好きにせい。」



白々しく言いおいて、室長が部屋を出て行くと、
残された二人は一瞬、お互いの顔を見合わせ、
たまらずに噴き出した。






「やっぱりルールよ、ルール!
 何回、本読んだってもう一つわからないもん。
 あとは、いかにラグビーが面白いかって魅力を伝えるの。」



「そう言われても、俺はどっぷりハマり過ぎてて、
 ドコを最初に書けばいいか、うまく思いつかないな。」


仁の戸惑いは、アイディアを考えるのに忙しい佳代子に無視された。


「あと、ぐっと柔らかい話を加えて、
 女性でも読みやすいような要素を入れるの。
 例えば、占いとか、ポジション別パートナーとのおすすめデートとか・・」



「そんな女性週刊誌みたいなネタを俺が書けるわけないだろ。
 そっちは佳代子がやれよ。」



「え~?ポジション別の性格なんてわからないもん。」


「うちのラグビー部の顔、思い出しながら適当に書いとけ。
 フォワードの巨漢とは、焼き肉デート、とか。」


「でかいラガーマンと焼き肉デートなんかしたら、
 食べっぷりに驚いて、すぐ破局しちゃうわよ。
 もっと意外な線をついて、女心を刺激しなくちゃ。」



「へえ・・・。ひとのことは良くわかるんだな。
 もっと男心を刺激してくれてもいいんだぞ。」


二人きりでパスタランチの後、コーヒーをはさんで、
ああでもない、こうでもないと議論していたのだが、
仁の不穏な発言に、佳代子がつん、と反応した。


「どうせ、男心にうといですよ。」

「むくれるなよ。そこがいいんだからさ・・・」


でかい男が甘い笑顔を見せながら、そんな台詞を吐く。



もう!



佳代子は横目でにらんだ。
そんな風に言われちゃ、反論できないじゃない。


「じゃまあ、ルールの方は俺が何とかするから、
 その柔らかいおまけは、佳代子が考えろよ。
 けど、タイプ別チョコなんか出すと、すぐ佳代子だってバレるぞ。」



最後に小さく釘を刺すと、佳代子がふくれた。



「わかってるわよ。じゃ、担当者に連絡取って、状況を聞いておくわ。」



「頼む。開発部の方だけで目が回りそうなんだ。
 締め切りが迫ってきてる。」





開発部に戻ると、さぞご機嫌だろうと予想していた小田島は、
無表情で仕事に没頭していた。

仁を見ると目をそらす。

理由を聞こうかと口を開きかけたが、思い直して仕事にかかる。

聞かれたくない時だって、あるもんな・・・。






「仁!仁!」



ずっとPCとにらめっこしているのに疲れて、
食堂にあるコーヒーの自販機に小銭を投入していると、
詩織がテーブルの向こうから手を振りながら、近づいてくる。


「なんだよ・・・」



詩織に腕を引っ張られて、人気のないエリアに連れて行かれながら、聞いた。


「今日ね、由加ちゃんと、小田島とか言う秀才君が一緒に食事していたのが
 偶然、近いテーブルだったの。」


詩織は熱そうにコーヒーをひと口すすった。


「それで?」

「最初はけっこう楽しそうに話してたんだけど、
 由加ちゃんが、仁とラグビー部の話ばっかりするから、
 だんだん、メガネの奥がつめたーくなってきちゃってさ。」

「・・・・」

「由加ちゃん、二言目には『仁さんは』とうれしそうに言うのが、
 こっちにまで聞こえてきたわ。
 仁、あんた、ねたまれてるわよ。
 由加ちゃんには、ちゃんとそのうち言った方がいいわね。」



仁は一瞬、視線をさまよわせたが、また直ぐに詩織に向き直った。


「彼女は総合職への希望を持っている。
 俺はアシスタントが欲しかった。
 仕事の区切りが付き次第、俺が推薦状を出せば、
 彼女は社内試験が受けられる。
 
 ただ、それだけの話なんだ。」


詩織はため息をついた。


「そうか。
 でも、あの子、思い込み激しそうだからねえ。
 仁が思わせぶりしてるって言うんじゃないけど、
 わたしにまで『仁が、好きなのか』って聞いてきたのよ。」

「何て答えたんだ?」

「好きよ、大好きって!うふふ、ホントよ、仁・・・」



詩織はにっこり笑うと、向かいにいる仁にウィンクした。



「よせよ、詩織に惚れそうになったぞ。」



仁が笑って応じると、詩織は鼻のあたまにしわを寄せて、ささやいた。


「嘘おっしゃい。
 佳代子で頭がいっぱいのくせに。」

「どうかな。」



しゃらっと言い逃れた顔に浮かんだ笑みを見て、
詩織はため息をついた。


「その顔じゃ、うまく行ってるみたいね。
 わかってくれてればいいのよ。
 それから・・・・」


詩織は急に真顔になった。


「あの小田島ってのは、新田監査役の甥よ。
 母方だから名字が違うの。

 営業にはてんで向かなかったけど、
 優秀だし、努力家だから、監査役も強烈に彼を押してるわ。
 仁、地雷踏まないようにね。」



「覚えておく、ありがとう。」


飲み終えたコーヒーカップを大きな手でくしゃりと握りつぶし、
詩織に手をあげて、食堂を出て行った。

新田監査役は常務と懇意だ。
元義父と同窓の友人である常務は、
今後のビジネス展望において、社長とは異なる見解を持っている。


仕方ない・・・。



開発部は見込まれて、送り込まれて来た者ばかりだ。
常務や監査役をバックに持つ者もいて当然である。

とにかく、自分にできることをするまでだ。

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