AnnaMaria

 

セピアの宝石  17-2

 

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4月の終わりは、株主総会の時期でもあり、
佳代子も広報室主任として、対応に追われていた。

開発部の別メンバーに、想定問答集を作らせ、
経営幹部はそれを元に、別室で練習までしたらしい。

株主の要求が次第に大きくなり、
海外資本から株の大量買い付けが現実に起こっている以上、
どんな事態に備えても、備えすぎると言うことはない。

だが、かなり周到な準備をしたにも関わらず、
実際の株主総会は、30分ちょっとであっさり閉会し、
あれこれと神経を尖らせていた面々には拍子抜けするほどのものだった。

そうなると、今度はいよいよ、来週の経営会議が心配になってくる。



仁は連日、終電近くまで残り、その合間を縫って、
あちこちへ出張をこなしているようだ。


「一泊出張に行ってくる」というメールが来たので、

「行ってらっしゃい。で、どこへ?」

「上海」という返事が返って来て、仁の忙しさが痛感された。


もともと広報室のミーティングルーム以外では、
仁のそば20メートル以内に近寄らないようにしているのだが、
そんな注意をしなくても、社内であまり仁を見かけなくなった。

日曜日はそれでもラグビーの練習に出たらしいが、練習後、すぐ会社にもどり、
開発部のメンバーと共に企画書を作成したらしい。




佳代子は寂しいより、仁が心配だった。

連日の睡眠不足で倒れるのではないか、
食事を満足に摂っていないのではないか、などと案じられたが、
差し入れに押し掛けたりすれば、結局は仁の邪魔になる。

仁の状況は、たまにくれる電話と、
もっぱら、詩織からの報告に頼っていた。



「いやあ、もうキリキリしちゃって嫌よ!
 開発部は、普段から温度のひく~い部屋なのに、
 今はもう零下10度くらい。
 
 由加ちゃんは、最近すごく元気ないみたいだけど
 あの部屋にいたら、無理ないわね。

 仁に余裕がなくなった分、あの小田島って秀才君が気を使って、
 由加ちゃんをカバーしてくれてるわよ。」

「ふうん・・そうなの。」

「うん、仁が出張や何かで席にいないと、
 あの秀才君が食事に連れて行ったり、
 わからないことを教えたりしてるみたい。
 冷めてるように見えて、案外面倒見がいいのね。」


詩織は感心していた。


「ふうん、そうなんだ」

「そうよ。
 もっとも由加ちゃんに気があるのは見え見えだから、
 当然と言えば当然だけど、
 あの忙しさで、細かい気づかいが示せるって大したもんだわ。」

「ふうん、そうね。」


判で押したような佳代子の返事に、
さすがの詩織も気が付いて、佳代子をにらみつけると、


「ちょっと!
 お佳代が心配したって何にもならないんだからね。
 これは仁の仕事なんだから。」

「わかってるわよ・・・」


佳代子がうじうじと上目遣いで詩織を見た。


「ああ、こんな時だけど、仁のコラムは相変わらず好評ねえ。
 この間は『アジア経済』にも載ってたじゃない?
 得意先で、話のネタにすごく助かるのよ。
 仁に感謝しちゃうわ・・・」


詩織のおしゃべりを、佳代子は半分も聞いていなかった。





仁の不在を知っていたが、佳代子は開発部隣の資料室に行くのに
いつもの習慣で、わざわざ一度2階に下り、
経理部、人事部前の廊下を通って、反対側の階段を上り直した。

ふと顔を上げると、踊り場の脇にこじつけるように作られた、
ガラス張りの喫煙室の手前に
見慣れた大男のシルエットがある。

びっくりして佳代子の足が止まると、
大男の影が動いた。


「何でそんなに驚くんだよ。
 同じ会社で働いてるんだから、
 たまに顔くらい会わせたって、不思議じゃないだろ。」


皮肉っぽい表情で、佳代子を眺め回した。


「仁、タバコ吸うの?」


スポーツマンには不似合いの場所に、まずそんな質問が口をつく。


「吸うわけないだろ。
 だけど、ここんところ、ちょっと吸ってみようかな、と
 思う時もあるな。」

「タバコに逃げるなんて、高校生みたい。」


佳代子はわざと強く言った。


「別に逃げてるわけじゃない。
 もっとも、誰かさんは、社内で俺の顔を見ないように、
 コソコソ避けてるみたいだけど・・・」

「そんなこと・・・ないわよ。」

「へえ。
 じゃ、資料室に雑誌を持って行くのに、なんでこっちの階段から現れるんだ?」

「運動不足だから、社内をなるたけ歩くようにしているの。」


こじつけはわかっているが、つい言い返してしまう。


「ふうん・・・。」


仁の目がちかちかっと面白そうに光った。


「佳代子の顔を見たら、腹が空いた。
 ちょっと付き合え。」


久しぶりに仁の顔を見あげると、
いくらか、あごの線が鋭くなったような気がして、
誘いを断る気になれなかった。


「わかった。この雑誌を置いてくるわ・・」


佳代子が手に持っていた雑誌をあごで指すと、


「外で待ってる・・・・」


仁が身軽な動作でひらりと方向転換し、
先に階段を下りていった。



株主総会、経営会議の準備に忙殺されている間に、いつしか連休が終わり、
すっかり日が長くなっている。

街にようやく宵闇が降りて来た中を歩いて、
二人で会社近くのうどんやに入る。


「俺は鍋焼きうどんにする。」

「え、こんなに温かいのに?」


しかし、そう言われてみると、
佳代子もぐつぐつ煮えたうどんが食べてみたくなり、
味噌仕立ての鍋焼きうどんにしてもらった。

仁、少しやせた?

その言葉が言えなくて、佳代子はただ、
黙ってうどんをすすっている仁の横顔を盗み見るばかりだ。


「大変だったわね。いつ、帰ってきたの?」

「さっき。香港から・・・」


聞いただけでため息が出る。


「仁、大丈夫?ちゃんと寝てる?」


心配そうな佳代子の顔を見て、仁が微笑んだ。


「平気だよ。俺は特別丈夫だから・・・」

「そりゃ、体は丈夫かもしれないけど・・・」


つい、そんな言葉が口をついて出た。


「心も丈夫だ。心臓がでかいらしい・・・
 沢山、毛も生えてるし・・・な?」


佳代子は「もう」と小さくつぶやいて、顔を赤らめると、
仁がまた面白そうに笑った。
その笑顔に、つい目元がうるみそうになる。


「うどん食いながら泣くなよ、
 鼻水が出るぞ・・・」

「泣いてないわよ。別に・・・。」


鼻水をすすりあげると、慌ててティッシュを探す。
うどんに付いていたかやくご飯は、
佳代子の分まで、きれいに仁が食べてしまった。

すっかり暗くなった道を、並んで社へ戻ろうとすると、
退社してきた同僚に一人、二人と出会う。

「お疲れさまでした」と声をかけながらも、
ちょっと緊張している佳代子から離れ、仁が


「ちょっと寄ってから帰るから・・・」



すっと道を逸れて行った。



佳代子が席に戻ると広報室は空になっていて、電話の伝言が2件。



1件目は大場仁。
2件目が雑誌社。


あれ、仁のやつ、わたしが資料室に行くのを
誰かに聞いて、待ち伏せてたのかな?

伝言メモを見ながら、
引き出しの奥にしまってある特別のチョコでもつまもうかと、
手をかけたところに、ぬっと仁が現れる。


「あれ、みんな帰っちゃったのか。
 もう8時過ぎだもんな。」

「さっき電話をくれてたのね。何だったの?」

「いや、もういい。
 それより・・・・佳代子にデザートが要るかと思ってね」


にやりとした仁が差し出したのは、テオブロマのチョコ。

へえ、こんなものまでコンビニに売ってるのか。


「ありがとう・・これ好きなの」



マイチョコが引き出しに入ってるのは、黙っておこう。


手を伸ばして受け取ろうとすると、
仁がすっとチョコを遠ざけた。

伸ばした手が空をつかみ、何よ、と佳代子がにらみつけると、
浮いた手をつかまれて、引き寄せられ、唇をふさがれた。

あ・・・と思う間もなく、舌が入り込み、荒々しいキスになる。


気がつくと佳代子も夢中で、仁にむしゃぶりついていた。
久しぶりの仁の感触、匂い、押しつけられた手の力強さ、
そんなものに酔ってしまう。

急に唇が離れると、互いに一瞬、見つめあった。


「・・・味噌の味がした。」


抜け抜けと仁が言ったので、佳代子が思わず唇を押さえ、
それを見た仁がまた笑った。


「おい、俺が送って行けないんだから、早く帰れよ」


寄りかかったまま、顔を赤くしている佳代子の机にチョコを置き、
小さく手を上げると、ぶらぶらと部屋を出て行った。

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