AnnaMaria

 

セピアの宝石  19-1

 

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開発部の部屋がどことなく男臭い、とまで言われた。


毎日、誰かが奥の応接室で徹夜明けの仮眠を取っている。


医務室から借りた毛布ではなく、
開発部専用の毛布がいつのまにか常備された。

まさか風呂に入っていない者はいないだろうが、
部屋全体に疲れた感じが漂っているのも事実である。

顔色がいいのは、担当仕事のない部長だけで、
その部長は部員に、まともに口を利いてもらえないせいか、
相変わらず、あまり席にいない。

誰が事前に常務サイドに資料を渡したのか、
全員にわかってしまったからだ。





「くそっ!」


真夜中の上海のホテルで、仁は書類を放り投げた。

常務に対抗できるパワーラインを
片っ端から探し回り、さすがに焦っていた。

マレーシア時代、一緒に仕事をした工場長が、
去年から上海に転勤になっており、
海外市場に明るく、販売実績もあげつつあることから、
ぜひ経営会議で、開発部プロジェクトの応援をと頼みこんでいたのだが、
どうしても日程の調整が難しいと告げられた。



海外市場に明るく、実績と信頼のある人物。

流れをひっくり返すには、資料に並んだ数字だけでなく、
成功した人間の生の声が必要だと、痛感している。

だが、これ以上、誰を説得すればいいのか?

仁は、一瞬、元義父を思い浮かべた。

取引先の重役で、海外畑が長く、常務とは学生時代からの友人である。


「希望があるなら、及ばずながら、わたしも少々協力したい・・」


娘の新たな縁談を円滑に進める為の口止め料のように、
きどった口から出た言葉を、あの時は即座に切って捨てた。



もし今・・・。


気弱な思いつきを、即座に否定する。

ここで頼むなら、あの2年間は一体、何だったのだ。

一方的な宣言をのまざるを得なかった見返りを求めて、
こんな形で卑屈にすり寄るのか。

断じて、そんなことはできない。

あの元義父に頼むくらいなら、おとなしく人事部に移って、
別の仕事を一から勉強した方がいいだろう。



仁はまた、別の戦略を練り始めた。





久しぶりの本社に座って、2分と経たないうちに、
大輔から電話がかかってきた。


「仁、お前が忙しいのは、重々承知している。
 今週、本社にいたのが、たった二日だと言うこともわかっている。

 だがな。
 俺としては、どうしても話をせずにおれんのだ。
 5分だけ、俺に時間をくれ。」


あまりのタイミングの良さに、誰か通報したのか・・・?
と、電話を切ってから部屋の中を見回すと、
部長付き事務の女性が、戸惑ったような顔で、



「ごめんなさい。
 大場さんがいない間に、何度も頼まれたのよ。
 帰って来たら、絶対に10秒で連絡してくれって・・・。
 いけなかったかしら?」

「いえ、そんなことないですよ。」


仁は、ため息を引っ込めて、笑顔を見せた。

由加は、ひとまわり、きゃしゃになった背中を見せたまま、
身じろぎもせず、仕事に没頭している。

仁の帰社を待っていたメンバーに、10分だけの猶予をもらうと、
大股で部屋を出て行った。



午後4時半の食堂は、がらんとして、
隅っこで二人ほどが、缶コーヒーを飲んでいる。


「大輔。何度も電話くれてるのに悪い。
 だが、本当に今、10分しかないんだ。」

「わかってる。こっちこそ、忙しいのに申し訳ない。
 単刀直入に聞こう。
 お前、付き合ってる女性がいるんだな?」

「ああ。」

「この間の朝、部屋にいた人なんだな。」

「ああ。」


次に名前を問われたら、佳代子だと答えるつもりだったが、
大輔は、うれしそうに、にっと笑っただけだった。


「わかった。
 じゃあ、いつ、その彼女を俺に紹介してくれるんだ?」

「今度の経営会議が終わったら、すぐ練習に連れて行くよ。」


佳代子は嫌がるかもしれないが、そろそろ観念してもらおう。


仁の言葉に、大輔は満足したようだ。


「そうか。楽しみにしている。
 由加ちゃんのことは、俺が悪かった。
 あの朝、サプライズでお前の部屋を襲ってやろう、
 と提案したのは、俺なんだ。

 彼女には、俺から伝えておく。」



「ああ。頼むよ」


これで話が終わったと判断して、仁が立ち上がりかけると、


「待った!最後にひとつだけ・・」

「なんだ?」

「それって、まさか営業課長の山中詩織、じゃないよな?」


仁は微笑を浮かべて、黙って首を振ると、
大輔の肩から力が抜けたようだ。


「そうか。安心した。
 お前が紹介してくれるのを楽しみにしているよ。」


大輔が分厚い手で、仁の背中をバンとたたいて、出て行った。



仁は大輔が名前を問わなかったので、肩すかしを食った気分だった。

聞かれたら、答えるつもりだったのに、
聞かれなかったので、こちらから伝える機会を逸してしまった。

だが、佳代子と付き合っているのを、社内で知る者がまだ少なくてよかった、と思う。

自分や開発部に向け、強い逆風が吹いている。
佳代子までひそひそ声の的になって欲しくない。

仁は、自分の失敗が社内に稲妻のように広がったのを、よく認識していた。


さて、死にものぐるいで仕事をせねば。

他の面々は、仁が戻って来るのを待ちかねていた筈だから・・・。







佳代子は、この週末は仁に会えないと、もちろんあきらめていた。

最近は終電にすら、間に合わないらしい。
ついに自転車を買い、自転車通勤をはじめたと言う。



「『毎晩、徹夜に近いのに、その上自転車こぐなんて、
 頭おかしいんじゃないの?』

 って言ってやったら、

『いや。適度に体を使って、ちょうど頭が空っぽになったところで、
 すぐに眠れる。効率いいよ。』
 だって。

 やっぱりスポーツマンって鍛え方がちがうのかしらね・・・」



例によって、詩織の情報だ。

詩織は開発部のペースに巻き込まれるのを嫌って、
距離を置こうとしたのだが、必死の面々から逃れられるはずもなく、
どっぷり付き合わされて、実質、専属アドバイザーのような存在らしい。


そうなると詩織の方も、本気で肩入れと仕切りを見せ始め、
最近は、詩織が部屋に現れると、いっせいに開発部の面々から
「おはようございますっ」と声があがるようになった。

詩織はすこぶる満足そうだ。
これでこそ、会社のあるべき姿だと思っている。

ひそかに「影の部長」と呼ばれているのも、
まるで気にならないようだった。




経営会議は木曜と決まっているので、
それまでに週末が二回挟まる。

まさか今週は行かないだろうと思いつつ、
『ラグビーの練習はどうするの?』とメールすると
あっさり『行く』との返事だった。

こんな状態で練習するなんて、危険じゃないのか、と思っていると

『練習場に来いよ。その後、飯を食おう。
 またコラムを打ち合わせなくちゃ』



う~ん。



練習場に乗り込む勇気はまだ出ないが、
仁に会いたい気持ちは募っている。



「練習場の近くまで、車で迎えに行くわ。」

「わかった。駅の反対側にある、ファミレスの駐車場で待っててくれ。」




 
日曜日、佳代子が、自分専用のコンパクトな赤い車で待っていると、
仁が窓をコンコンとたたいて、陽に焼けた顔をのぞかせた。


「待たせた?」

「ううん。」



大柄な仁が助手席に収まると、なんだか車が狭くなったみたいに感じた。

ラグビーの激しい練習で、体中からまだ、
エネルギーが噴き出ているようだ。

仲間がシャワーを浴びている間に出てきたらしい。

仁は珍しそうに、車内を見回している。


「可愛い車だな。」

「わたしには、これくらいが丁度いいのよ。
 皆さんのいるグラウンドまで行けなくて、ごめんね。」



仁はシートベルトを留めながら、



「皆、俺が自転車で来たと思ってる。
 ここは部屋から遠くないからな。

 でも経営会議が終わったら、ちゃんと紹介するって、大輔に約束した。
 いいだろ?」



佳代子の方を向いてたずねる。


「ええ・・・」


佳代子は、顔が赤くなってきた。
仁の交際相手が、わたしなんかだとわかったら、
みんな、どういう顔をするかしら。

由加ちゃんみたいな可愛い子じゃなくて、がっかりされるかも・・・。



ふと隣の仁を見やると、目を閉じている。

昼間の光の下で見ると、はっきりと頬がそげているのがわかり、
佳代子はそれ以上、言葉をかけるのを止めた。





練習場のある辰巳地区から仁の住むお台場まで、
車ならあっと言う間の距離だ。
会社まで自転車通勤をしている仁なら、確かに何でもない距離だろう。



「どこかで飯を食って行こう・・・」



目をつぶっていたはずの仁の言葉に、佳代子は



「あ、あのね。実はお弁当を持って来たの。
 大したものじゃないんだけど・・。
 でも、外で食べるには空模様が怪しいわね。」



仁が車窓の外に低くたれこめている灰色の雲をみやった。

このエリアは、大小の倉庫群が続き、
灰色のコンクリートと、にび色の空と、
人工的に植えられた木々の緑が直線で錯綜する。
映画に出てくる未来都市のような場所だ。


「そうだな。
 雨が降りそうだから、自転車組は早く帰れって言われたんだ。
 練習中に降らなくて助かった。」

「ラガーマンの言葉と思えないわね・・・」

「ラガーマンだって荒天が好きなわけじゃない。」





仁のマンションの駐車場が見えたころ、
フロントガラスに雨粒が落ちて来たが、ぎりぎり滑り込んだ。

自分の荷物をかかえて、車から降りた仁は、



「仁、これも持って。」



佳代子から、大きなバッグを手渡され、
その重さに、たじろいだ。



「何だ、すごい荷物だな。
 俺の部屋で合宿することにしたのか?」

「まさか。ちゃんと家に帰るわよ。
 さ、行きましょ!」


佳代子がいたずらっぽく笑って促した。




部屋に戻って、仁がシャワーを浴びている間、
佳代子は持って来たものをバッグから出して、
テーブルに並べ始めた。

仁がバスルームから戻ってくると、驚いてテーブルを眺める。


「へえ・・・こんなに料理が得意なんて知らなかった。
 すごいな。」


「食べてみるまで、ほめない方がいいかもよ。
 正直言って、そんなに得意というわけじゃないのよ。
 でも・・・いい練習になったわ。」

「何の練習?」

「料理の練習よ、もちろん。」


すぐに佳代子が答えると、仁は唇をすっと横に引いて、


「なんだ、もっと違う練習のためかと思った・・・」


他に何の練習があるって言うの?


佳代子はいぶかったが、仁の目が食べ物から離れないので、
ひとまず、その話題は止めておいた。


竹かごに、おにぎりが何種類も詰められている。

たらこや鮭の他に、スモークサーモンを混ぜて笹でくるんだもの、
細かく切った沢庵と白ごまをまぶしたものがあり、
竹の皮に包んだ中華おこわが6個。
中には、豚肉と栗が入っている。

黒塗りの箱には、黄色い卵焼き、鶏のつくね、
いんげんの胡麻和えに、精進揚げその他が
ぎっしりと詰め込まれていた。


仁が黙ったまま、料理をひとつひとつ、舐めるように見ていたので、
佳代子は何かまずいことがあるのかと、不安になるほどだった。


「佳代子・・・」

「はい。」


仁はお茶を炒れようとしていた、佳代子の手を取った。


「こんなに色々作るのは、大変だったろう。
 ぜんぶ、佳代子が作ったのか?」

「そうよ・・・」


仁があまりに真剣に見つめるので、何だか顔が赤くなって来た。

仁は、佳代子の手を握ったまま、なおもじっと料理を見ていたが、


「ありがとう。俺のために・・・」


佳代子の肩を引き寄せて、耳の下に口づけた。

くすぐったさに、佳代子が身をよじると、
体を正面に向け直して背中を包み、唇を重ねて来る。

2度、3度、4度・・・。

いつの間にか、佳代子の両手が仁の背中にからみついていた。
自分がどこにいるのか、段々わからなくなってきた頃、
やっと唇が離れる。


「せっかくの心づくしを頂かないとな・・・」



真っ赤になった佳代子を見ながら、仁がにやりと笑った。

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