AnnaMaria

 

セピアの宝石  20-1

 

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「では、開発部から動議が出ています。」



各役員から一通りの報告が終わると、経営会議の進行役である、
経理部長の発声で、仁が進み出た。


「前回、提案したプロジェクトの修正案を、ここで再提出いたします。」


口を切った仁に常務がいらいらと首を振り、
さっさとやれ、という風にあごをしゃくった。


「では、資料をご覧ください。」


小田島が手早く配って回った資料には、
小型PC部門における、競合3社の生産台数、
1機あたりの発注金額、発注先がしるされ、
原価と販売価格から類推した、直近1年半の総売上と利益率が記載されていた。

社名は伏せられているものの、ちょっと考え合わせれば
どれがどのメーカーの数字か、容易に推察できる。

経営幹部の口から、押し殺したうなり声やため息が聞こえ、

「こんなもの、どうやって入手したんだ・・」というつぶやきも聞かれた。


「こういう表が存在するわけではなく、
 あちこちで手に入れた数字を当てはめて作成したものです。
 数字については、ご信頼ください。

 ここにご注目いただきたいのですが・・・」


売り上げ、利益率、生産台数など、項目により、
メーカー間で、かなりのばらつきがあるのを指摘した。

A社は、安定した生産台数をこなしていたが、
利益率が極端に低く、
B社は、利益率をそこそこ保っているものの、製造台数がバラバラで、
製造先も3箇所にわたっている。


「これはどこかのアナリストが想像した架空の市場ではなく、
 現在待ったなしに進んでいる開発市場です。

 この不景気に売り上げを伸ばしているのは、小型PCだけです。
 我が社はこの部門、シェアが極端に低い。」



仁の説明にすぐに反論が出た。


「小型PCは高性能とは言えない。5年後も市場を牽引する商品かはわからない。」

「だからこそ、即、シェアを拡大すべきです。」

「簡単に言うな。」


他の役員からも次々と発言が続き、新田監査役が口を開いた。


「今から我が社の製造ラインを広げろ、と言うのか?
 間に合わんだろう。

 国内工場ではこの価格で提供できない。
 海外生産先を確保し、販売を増やした時には、
 このブームは終わっているかもしれない。」


仁が答えた。


「海外生産地で、むろん中国になりますが、
 現地との合弁事業を立ち上げ、設備投資を増やしてから
 生産していたら、確かにそうでしょう。

 そんな時間はないし、合弁で工場をたちあげると、
 そのための膨大なコストをかぶる事になり、それは結局、価格に反映します。
 その上、現地工場は我が社からの安定した注文をあてにし、
 生産努力がおろそかになり、競争力が下がることもあるのです。
 
 これがA社の現況でしょう。」

「じゃあ、どうするんだ?」

「良いラインを安く、素早く、頂くのです。」


仁がはっきり言い切ると、幹部の間から疑問のうなり声があがった。


「契約先を裏切り、当社の製造に回ってもらうと言う意味か?
 それなら、より良い条件を提示せねばならないだろう。
 結果、利益を圧迫するのではないか?」


「それも違います。
 実は、C社がこの市場から撤退するという情報があります。」


C社は市場2番手で、最近、この分野では売り上げを大きく伸ばしてきていた。




「何で、わざわざ、一番うまく行っている市場から手を引くんだ?」

「C社は、3年ほど前から海外ファンドと組んで、
 有利な投資を展開していました。
 ここへ来て、それが大きく焦げ付き、
 急速に事業を縮小せねばならないのです。」


また一同からため息が漏れたが、常務がかん高い声で発言した。


「そんな情報、でたらめかも知れんだろう。
 うまくだまされたんじゃないか?」


幹部の視線が一斉に仁に注がれた時、部屋の隅から声がした。


「でたらめではありません。」



発言したのは、先の株主総会で『執行役員』に着任したばかりの、
44才の海外事業本部長、田並だった。

中途入社組ながら、国内販売で目覚ましい実績をあげ、
先ごろ、執行役員の肩書きをもらって、
海外事業本部長に抜擢されたばかりである。

本来なら開発部の部長として、新規プロジェクトを推進しても良さそうなのに、
そうならなかったのは、田並を引っ張ってきたのが常務だったせいである。

常務は開発部を一切、信用していないので、
自分のラインで頭角を現した若きエースを開発部に入れたくなかったのだ。

その子飼のエースが突然、自分の反対している案件に関して、
発言したので、常務は目をむいていた。


「大場の言っている情報は真実です。

 C社は来週の月曜日に株主総会を控えているので、
 それまで何としても、情報を伏せておきたいのです。
 翌、火曜日には、大々的に発表されるでしょう。

 情報漏れを防ぐため、中国工場はまだ稼働しています。
 ですが、不安に駆られた、中国工場側の友人が
 ひそかに、私に接触してきたのです。」


田並の発言に、別の役員から質問が飛んだ。


「じゃあ、その工場を我が社が買い取る、ということか?」

「それも違います。」



仁が答えた。


「このような状況で、工場をまるごと買うべきではありません。
 それでは、A社と同じになってしまいます。
 我々は、ただ、その工場と契約を結び、
 製品の生産を注文するだけです。」


「買い取り先を血眼で探している工場主に、
 工場は買わないが作れという注文だけするわけか。」



「そうです。それも今までよりも安い価格で・・・。
 現在、工場側が喉から手が出るほど欲しいものは、注文です。
 我々はそれを提供する。」



「よそが金と時間をかけて、せっかく作り上げた場所をかすめ取ってか?
 相手の弱みにつけこんだ、ハイエナ商売だな。」


常務が吐き捨てるように言った。


「中国とのビジネスに『忠誠』という文字はありません。
 長年取引してきた相手だから、自分の工場を造ってくれた相手だから忠誠を誓う、
 という感覚はないのです。

 時には従業員ごとそっくり入れ替わる場合さえあります。
 彼らの欲しい『現金』すなわち注文を保証する。
 これで立派にビジネスが成り立ちます。」


田並が座ったまま発言し、常務は不機嫌そうに、そっぽを向いたままだ。


技術畑の役員が



「その工場の設備状況や、そこで生産された製品の品質はどうなのかね?

 注文して仕上がって来たものが売り物にならない代物だと、
 結局、ゴミを生産することになる。」


仁が手を挙げると、小田島がサンプルPCを3機ほど持って来た。
幹部達の手に回して行く。


「これがC社の現地工場で生産された製品です。
 開発部の塩田は、ご存知の通り、長年、PC開発と精査をしており、
 この機種の性能は確認済みです。
 
 では、本人からの説明をお聞きください。」


目配せをされた塩田が、グラフィック入りで
PCの性能を説明した資料をすばやく配布した後、
PWでスクリーンに映し出し、この機種の機能を説明した。


「この機種を現在より、1万円低い価格で販売します。
 この性能では市場で最安値になるから売れるでしょう。
 今後3〜5年で売りまくって、利益を手にします。
 ほとんど初期投資を必要としないからこそ、できる価格です。」


塩田が締めくくった。


「しかし、それでは、当社の従来の小型PCも売れなくなるではないか。」



販売担当の役員がテーブルに手をついて怒鳴った。



「当然そうなるでしょう。
 代わりにこっちを作って売るのです。」



塩田が製品を軽くたたいた。


「君たちは、中国側が我々の交渉に応じると決めてかかっているが、
 本当にそうなるのか?
 他社が情報を得て、工場を買い取る、ということはあり得ないのか?」



「他社?どこのメーカーでしょう。

 A社は自前の合弁工場の維持に苦慮しています。
 B社は、C社同様、資金を投入できる財政状態にありません。

 もし買い取れるとすれば、携帯端末を開発している、
 端末機器メーカーですが、彼らはもっと小さく、携帯しやすいが、
 CPUの速度では、いまだPCに遠く及ばない携帯端末の改良に夢中です。
 この市場に興味を示すとは思えません。」


今まで黙っていた、社長が発言を求めた。


「その工場側に1ウォンでも安い条件で、注文を飲み込ませる交渉が必要になる。
 一体誰が、そのタフな交渉をまとめるつもりなのか?
 大場だけで、相手を納得させられるのか?」


一瞬、沈黙が支配した。
幹部席の一番末席から声が響いた。


「わたしが交渉に赴きます。
 もちろん・・・・」


田並が途中で言葉を切る、


「この経営会議で了承されれば・・ということですが。」


仁が言葉を継いだ。


「この1年あまり、この工場を観察し、状況を把握していた、
 元マレーシア工場長、現上海支店長にも力を貸してもらいます。」

「そんな長い間、スパイしとったのか。」



販売担当の役員があきれ顔で言った。



「他社の中国生産状況を把握することは絶対に必要な仕事です。
 いつ、そのラインを使うことになるか、わかりませんから・・。」



仁が落ち着いた声で返答した。


「よし、では決を採ろう」



社長が断ち切った。






「開発部の動議に賛成の方は、挙手を願います」


経理部長の声が響き渡る。

そろそろといくつもの手が挙がって行く。
苦虫をかみつぶしたような表情の常務の手も、嫌々ながら挙げられる。


「それでは、全員一致で承認と致します。」



仁と開発部の面々が、一同に向かって深々と礼をした。



「ありがとうございました。

 では、退席される前に、今、お配りした資料をすべて回収いたします。」



仁の発言に、幹部達がざわめいた。



「社内秘、ということだろう?
 そのくらい、よく理解している。」


幹部のひとりが不快そうに仁をにらみ、資料をぱらぱらとめくった。



「中国側との交渉がまとまるまで、厳正な秘密厳守をお願いします。
 交渉がまとまったら、来週の経営会議でご希望の方に、
 今日の資料をお渡しします。

 では、ご返却を・・・」


社長が真っ先に立ち上がって、小田島の手に資料を渡したので、
しぶしぶ他の幹部たちもそれにならった。


「いつ発つ?」



社長の質問は、仁と若き執行役員の田並に向けられていた。


「今夜の便で上海に行き、明日、交渉の場につきます。
 月曜までに、なんとしてもまとめて帰ってまいります。」


田並が答えた。

常務がテーブル越しに裏切り者を睨みつけている。


「わかった。
 大変だろうが、ぜひ頑張ってくれ。」



社長が田並と仁の肩を順番にたたくと、会議室を出て行った。

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