AnnaMaria

 

セピアの宝石  21-1

 

sepia_title.jpg




木々の花は終わりを迎え、公園は緑したたる季節を迎えている。
日差しは夏めいて、サングラスなしでは、まぶしいくらいだ。

かつて海だったところを埋め立てた臨海地区には、
広大なスポーツ施設が点在し、このラグビー練習場もそのひとつだ。

眼下のグラウンドからは、
ドスッ、ドスッという肉のぶつかり合う音が響いてくる。

グラウンドの半分で、フォワードがスクラム練習をしており、
残りの半分では、バックスが、
パスやキックのコンビネーションを練習している。

佳代子は練習を見るのは初めてなので、
ポジションによってメニューが違うことも、まるで知らなかった。

こんな無知なのに、おまけとは言え、
ラグビー・コラムなんかでっちあげていいのだろうか。
ふと弱気になるが、超初心者の目線が必要なんだと、
自分で自分に言い聞かせる。




「練習、見に来いよ」と仁から言われたのは、ほんの2、3日前。

「ええ」と答えたものの、
「練習後、大輔たちに紹介するから・・・」
と言われ、一気に緊張が高まった。


なんと言って名乗ればいいものか。

恋人です、というのも変だし、会社の同僚です、もないだろう。
かと言って、婚約者でもない。

交際相手の知り合いに紹介される、という経験が今まで全くないので、
どんな顔をしていればいいのか、とうろたえる。



いざ、練習場に来てみると、結構な人数が見物しているのに驚いた。

ここは会社のチームとは違うプライベートクラブなので、
直接、佳代子の顔を知る者はそう多くない。

誰かの妻だか、恋人らしい20〜30代の女性たちは、
顔見知りを見つけると、挨拶をし合って並んで座り、
練習をながめながら、さかんにおしゃべりをしている。

子供連れの若い母親、公園を通りがかったという風情のカップル、
ラグビーファンらしい年配の男性や、散歩途中のお年寄りまで、
雑多な年代の観客がいた。


「おはようございます・・・」


背中から声をかけられて、佳代子は飛び上がった。

会社の元受付嬢で、大輔の妻となった可愛らしい女性が
小さな子供を抱いて、笑いかけている。
何年か後輩にあたるはずで、佳代子とは顔見知り程度だ。


「練習を見にいらしたんですか?」

「はい・・・」


大輔夫人が、さらに何か言おうとしたとたん、
抱いていた子供がぐずり始め、「しゅ〜っ、しゅ〜っに行く!」と
手を振り回している。


「ああ、おすべりに行きたいのね。
 じゃあ、失礼します。またのちほど・・」



笑顔で去って行ったので、佳代子はほっとした。

なぜここに来たのかと問われたら、
何と答えればいいのかわからなかったのだ。



グラウンドの選手達は、固まりになってはほぐれ、
散らばってはまた固まるを繰り返し、
野太い声を掛け合い、頑丈な体をぶつけている。


仁はパスを受け取ったり、出したり、常に声を上げており、
フォワードの密集外にいるので、どこにいても一目でわかる。


仁を見ていると、この何ヶ月かで、
自分の中のどれほどを仁に明け渡してしまったのか、
と恐くなる。

仁の存在は佳代子の中に深くくいこんで、
かたときも離れないものになってしまった。

ついこの間までは、少々寂しくとも気楽なシングルウーマンで、
仕事以外の時間はすべて自分のために使い、
好きなチョコレート、好きなショッピング、
時々の海外旅行、それらで得た情報を開示するブログの編集を
きままに楽しんでいた。


そんな自分が、今や仁のために慣れない料理を作ったり、
ほんの一部にしろコラムを手伝ったり、
連日の残業や、中国での過酷な交渉に臨む時は、
何かできることはないか、とイライラ頭をしぼる。

気がつくと、仁のことばかり考えて過ごすようになってしまった。



グラウンドで走っている仁を見ていると、しなやかで、タフで、強靭で、
スーツを着ている時に感じる、
体の大きさをやや持て余したような感じは全くなく、
のびのびとした動きと男らしさにほれぼれする。

グラウンドで何度も指示を繰り返し、
叫びながら走リ回る姿を追わずにはいられない。


なんてカッコいいんだろう・・・。



こんな男が自分の恋人だとは、にわかに信じられないくらいだ。

グラウンドの仁は、佳代子のことなど、
これっぽっちも気にかけていないのだから、
プレーヤーの仁に対しては、常に片思いだ。





新たに観客席にやってきた女性は、かなり若かった。
はたちそこそこか、せいぜい20代前半だろう。

振り向いた佳代子と偶然目が合い、はずみで会釈を交わしたが、
知り合いでないのは、向こうの態度ではっきりしていた。

肩のところで切りそろえられたまっすぐな髪と
きりりとした口元が意志の強さを感じさせる。

が、その顔にどこか見覚えがある。

どこで会ったんだろう、お得意先か、雑誌社の担当だったろうか・・・。

佳代子はしばし、頭の中で検索をしたが、
該当する答えは得られなかった。





グラウンドでは、紅白戦が行われている。

相手側のスタンドオフは、外国人のようだ。
ひょっとすると有名な選手なのかもしれないが、
佳代子には誰だかわからない。

他の観客席から、声援やため息が聞こえ、
見る側にも力が入っているのがわかる。

さっきの若い女性は、誰とも言葉を交わさず、
たった一人、背筋をのばしたままグラウンドに見入っている。

誰かの恋人なのだろう。

このチームは若い選手も多いから、と考えながら、
熱心な横顔を好もしくながめた。





練習が終わると、観客席から帰る人と残る人に分かれる。

残るのは、選手達の家族、友人、恋人であり、
グラウンドから上がってくる選手を待っているのだ。


大輔が大きなタオルで顔を拭きながら、最初に観客席にやってきて、
大喜びで手を振っている子供を抱き上げた。

続いて、すぐに仁が上がってくる。

そこにいた女性陣になんとなく挨拶をしながら、
佳代子の方へまっすぐ歩いて来た。

困ったことにたちまち顔が赤くなってくる。
他の女性陣は興味津々と言った顔で、
仁と佳代子を見つめていた。


「おつかれさま・・・」

「ああ、やっと見に来てくれたな。」


仁の大きな手が、佳代子の肩に置かれると、
皆の視線が恥ずかしく、手をはらいたくなったがそうもできない。

自分の困惑を、仁が面白がっているのがわかった。
目元が笑っている。

ふと足下に目を落とすと、仁が真新しいワークブーツを履いていた。
編み上げが上の方まであって、アウトドア向けのようだが・・・。


「何だよ。」


佳代子の気がそれたのを感じた仁が訊いた。


「これ、どっかで見たような気がする・・・」

「これって靴のこと?」

「ん〜、靴っていうか・・・。」


佳代子の頭のなかでぱちんと映像が弾けた。


「わかった!プロレスのリングシューズよ!
 こんな風におっきくて、でっかい足の人が履いてて、
 この足でキックとか・・・・・きゃっ!」


佳代子の首に仁の腕が巻きついたからだ。


「俺がプロレスラーみたいだと?
 じゃあ、ヘッドロックをかけてやるから、覚悟しろ!」


佳代子の首をつかまえて締め上げ、
体ごと持ち上げそうにする。


「じ、じんん・・・!
 死んじゃうから」

「じゃあ、降参と言え。
 今の発言を取り消せ。」

「こ、降参、取り消す!」


佳代子のくぐもった声で、やっと仁の腕が離れる。

反対側で見ていた、小さな子供たちが目を丸くし、
続々と上がって来たラガーマンたちも、何となくそちらを向いた。






なんと、関根佳代子が仁の彼女だったのか・・・

大輔は予想外の女性の出現に驚いたが、
気を取り直すと、


「おいおい、仁。
 大事な彼女を壊すなよ。
 お前の手でひねられたら、俺だって死にそうになるのに・・」


真っ赤になって、襟元をゆるめている佳代子を見ながら、
「だいじょうぶ?」と大輔が、笑いながら声をかけた。

首を縦に振って、なんとか佳代子が応えるが、
まだ息がはあはあしている。

少し心配になったのか、仁も佳代子の顔を横からのぞき込む。

咳き込みながら息を切らせている佳代子に、


「苦しかった?そんなに力、入れてないけど・・」


佳代子の頭をくしゃくしゃとなでて笑みを浮かべ、
機嫌を取ろうとする。

いたずらっ子のような、
反省している少年みたいな笑顔を見せられ、
佳代子はまぶしくて恥ずかしくて、息がつまりそうだった。


「だいじょうぶだろ?な?」


なおものぞき込んで来る目がまぶしくて、

「もう平気だから」と手を前にかざしながら、一歩、後ろに下がると、
 仁が面白がってわざと追いつめる、
 また下がる、追いつめる・・・。


二人がぐるぐるとじゃれている様子を、大輔たちは、
見ないフリをしようとしたが、あまりの様子に半ば呆れていた。


「仁さんって、ああいう人だったんですねえ。」



ロッカールームから上がって来た後輩の一人が、
二人から目を離せずに、ぽつりと言う。



「う〜ん。ああいう奴だったかな・・・」


大輔は自信がなくなってきた。
あんな子供みたいな仁は、あまり見たことがない。

どっちかというと、女性に対してはいつも冷静で、
落ち着いた大人の男として、きちんとリードするタイプだったのに、
佳代子とじゃれている姿は、でかい小学生みたいだ。


「仁さんみたいな大人が、ああして、じゃれているのを見ると、
 ・・何と言うか、汗が出て来ます」

「いやあ、ベタベタですね。」


佳代子にまたもヘッドロックをかけようとしている仁に、
大輔は、開いた口がふさがらなかった。


「甘えてんだな。彼女に。
 ったく、でかいナリして、しょうがない奴だ。
 まあ、えらくプレッシャーのかかった仕事がやっと一区切りしたから、
 仁もはしゃぎたいんだろう。
 今日だけは許してやってくれ・・・・」


後輩達に言いわけすると、仁に向かって、


「お〜〜い、仁!ちゃんと紹介しろよ。
 みんな、待ってんだぞ。」


大声で呼びかけた。

顔を真っ赤にした佳代子が、仁ともつれながら、
ようやくこっちに戻って来て口を開こうとすると、一瞬早く、


「紹介する。関根佳代子さんだ。」


仁が佳代子の肩に手を置いたまま、宣言した。



よろしく!よろしくお願いします!
という声に、ひゅ〜ひゅ〜っというヤジや、拍手も加わる。

大輔の小さな子供も手をたたいて拍手のマネをし、
佳代子は耳たぶまで赤くなった。


「あの・・関根です。こちらこそよろしくお願いします。」


一同に向かって頭を下げた。

顔から火が出そうで、誰の顔もちゃんと見られない・・・。


「あの・・大輔さん。
 いろいろと・・その、お世話になりました。」

「いえ別に俺は何も。」


むしろ、余計な手出しをしたと怒られるべきだろう。
大輔は由加のことを思い出して、冷や汗が出た。

あれから由加は練習に顔を出さない。
このチームのマネージャーでもあるのに。


仁がふと、黙って後ろに立っている女性に気づいた。
佳代子が軽く会釈を交わした、あの若い女性だ。


「あの・・・間違っていたらすみませんが・・・。
 もしかして・・・?」


仁が思い出すような表情を浮かべて、女性に一歩近づいた。
彼女の顔でぱっと微笑がはじけた。



「あ〜〜っ!もしかして麻里さん?」



大輔も思いついて、女性に向き直った。



「はい。父が大変お世話になっております。」



わけがわからずに、仁の顔を見ていた佳代子の耳に、



「社長のお嬢さんだ。」



え〜〜っ!



あわてて会釈をしながら、彼女を見直すと、
確かに現社長に面差しがそっくりだ。

さっきどこかで見た、と思ったのは、社長に似ていたせいなのだ。


「まあ、よく似ていらっしゃいますね。」



つい正直な言葉がこぼれてしまい、あわてて「すみません」と頭を下げた。

麻里は慣れっこのようで、コロコロと笑っただけだった。


「いえ、小さい時は母似だと言われていたのに、
 大人になったら、なぜか父そっくりになってしまって、
 あちこちで見つかってしまうんです。
 悪いことできなくて・・・。」

「いやあ、この前お見かけした時は、確か高校生だったような・・」

「覚えててくださったんですか?」


仁の言葉に、麻里がうれしそうに笑った。



「麻里さん、良かったら一緒にメシ食いに行きませんか?」



大輔が誘うと、麻里は声をかけられたことに驚いたようだが、



「わたしが行ってもいいんですか?」

「もちろんです。女性は常に歓迎しますよ。」



では、お言葉に甘えてご一緒します・・・。
麻里は頬を上気させて、うれしそうに答えた。


「仁も一緒に行くだろ?」

「いや、今日は帰る。」


仁が佳代子の顔を見ながら、答えたので、


「好きにしろ。」



大輔が苦笑して、佳代子に向き直ると、



「じゃあ、佳代子さん、また練習、つき合ってくださいね。」

「はい、また見に来ます。それでは今日は失礼します・・」


仁はさっさと背中を向け、
もう佳代子の車の方へ歩いて行ってしまっていた。






「っったく、仁!
 どうしちゃったのよ。
 わたしだって、もう少しちゃんと皆さんとお話したかったのに。」

「話なんて、またできる。
 ちゃんと紹介したんだから、アレで十分だ。
 

助手席のシートベルトを締めながら、仁が狭そうに体を伸ばした。


「さ、どっかで飯食って、早く部屋に帰ろう。
 佳代子と二人でたくさん遊びたい。」

「遊ぶって・・何して遊ぶの?」


シートベルトを締めながら、用心深く、佳代子が聞いた。


「何でも。佳代子の好きなことして・・・。
 チョコレート買って、DVD見るのもいいぞ。
 半分ずつ、端からかじるってどうだ?
 そしたら、俺の好きなことにも付き合ってもらおう。」

「・・・・」


佳代子が唇を結んで、難しい顔で仁を眺めると
仁はうれしそうに笑った。


「お、今、やらしいこと考えただろ?
 違うぞ。またラグビー講座でもしてやろうと思ったのに。」

「そんなこと考えてないわ!」

「でも期待してるんなら、それでもいい。」


運転している佳代子の耳元に、唇をかすめながら、
仁がささやいた。

きゃ!



「仁!運転中はふざけないでちょうだい!」

「佳代子が運転している間、ヒマなんだ・・・・手持ちぶさたで。」



そう言いながら、佳代子の太もものあたりをちょっとくすぐる。



「今度やったら、次はわたしが運転している後ろから、
 自転車で追いかけさせるわよ」

「佳代子の車の排ガスを吸いながら走るのか?
 それはあんまり楽しそうじゃないな。」

「だったら、おとなしくしてて。」


はははは、わかった!もう止める。
無事に部屋に着かないと困るからね。

 ←読んだらクリックしてください。
このページのトップへ