AnnaMaria

 

セピアの宝石  22

 

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あれ・・・?


仁は、小田島ら開発部メンバーと昼飯に出かけ、
店を出たところで、少し先の寿司屋に人影を見た。

カウンターとテーブル席が3つばかりの小体な店だが、
ネタをしぼった握りや、宝石箱のようにイクラがちりばめられた
ちらし寿司が人気で、役員がちょっとした接待にも使うこともある。

店の外で佳代子と若い男が、あいさつを交わしている。


「今度は、もっとゆっくりお話したいですね。
 お誘いしてもいいですか?」


こんな台詞が聞こえて、仁はつい、そちらへ顔をめぐらせた。
男の顔は見えないが、佳代子がそいつに向けた笑顔は見える。


「はい、また楽しいお話を聞かせて下さい。」


佳代子の愛想のいい返事を聞くと、
つい、足までそっちに向かいそうになったが、
小田島がさりげなく仁の視線をふさぎ、会社へ戻る道を採らせる。


「午後一から、田並さんと打ち合わせです・・・」

「わかってるよ。」


どんなことも見逃さない男だと、仁は一瞬、小田島が煩わしくなる。

小田島は、仁の仏頂面を横目に見ながらもさっさと足を進めたが、
残った2人は、今の会話がどんな意味を持つのかわからず、
ぽかんとしていた。


中国での交渉で3キロほど落とし、精悍さをました田並は、
開発部のプロジェクトを自分の直轄とし、
有名無実の部長をさっさと遠ざけた。

まもなく、単独の事業部として立ち上げる予定で、
打ち合わせもすでに詰めの段階に入り、
切迫感を増していた。


きりきりと神経を使う時間のあと、
夕方近くなって、仁が上階の試作品ルームに行くと、
佳代子と、いつぞや、佳代子に食ってかかっていた、
新聞社のオタクが仲良く並んで、新製品を試している。

以前は、オタク君が熱心にキーを打つそばで、
佳代子があくびをかみ殺していたのに、
今日は佳代子がキーボードを操作し、
オタク君のガイドに従って、何やら新しいページを開いているようだ。


「そうです!これが話題なんですよ。
 僕ももちろん、登録しています。
 御社の業務内容から言って、ぜひご覧になることをおすすめします。」

「はい、ぜひそうします。教えて下さってありがとうございます。
 今後もぜひ、色々とお願いします。」


もちろんです!

柔らかく微笑んだ佳代子に、
オタク君は少し顔を赤くしている。


「あ、あの関根さん、もしお時間がありましたら・・」

「はい?何でしょう。」


佳代子の笑顔にオタク君が口ごもっている。


「一緒に、夕食でもいかがでしょうか?」


ここまで聞いて、仁は引っ込んでいられなくなった。
大きな体を見せつけるようにしながら、2人の方へ歩いて行く。


「あ、大場さん!」


いきなり現れた仁に、少々あわてたようだが、オタク君の声は無邪気だ。


「どうも。先だってのコラムではお世話になりました。」


仁が一点の曇りもない笑顔で話しかけたが
オタク君はいかにも邪魔そうに、仁をちらっと見ると、
佳代子に向き直って、返事を待っている。


「あの・・?」

「ありがとうございます。
 ですが、今日はまだ予定がありまして・・・」

「そうですか。では、またの機会に。」


オタク君が勢い込んで言うと、佳代子がにっこりと笑顔を見せ、


「ええ、またの機会に。」


佳代子が立ち上がり、仁と2人で、オタクを見送る形になった。

エレベーターに乗り込んだ彼に会釈をし、完全に見えなくなると、
仁が佳代子の肩を小突いた。


「おい!」



え、何・・・?


仁の視線にも動じず、佳代子は製品に元通りカバーをかけ、
そばに置いてあったファイルを取り上げた。


「またの機会なんて言うと、相手はもろに期待するだろう。」

「そう?単なる社交辞令よ。」


小さく笑って、佳代子はあっさりと片付けた。


「昼間も誰かに誘われてたじゃないか。」


ひるま・・・?


佳代子はけげんそうに、仁の顔を見ていたが、


「ああ、工作社の人ね。
 あの人はいつもああ言うのよ。
 そのまま、もう1年以上経つんじゃないかしら。」


仁はさらに言い募ろうとしたが、
佳代子が全く気に留めていない様子なので、
これ以上、余計なことを言うのを止めた。

何だか焼きもちを焼いてるみたいで、カッコ悪い。


「仁はまだここにいる?」


佳代子はすっかり片付けを終えて、仁の方を見ている。


「あ、いや、もういい。戻る。」


そう・・・。


黙って2人並び、一緒に階段を下りる。
佳代子の髪の香りが、ふっと仁の鼻に届いて、隣を歩く姿を見直した。

佳代子はまっすぐ前を向いたまま、
背筋を伸ばし、迷いなく階段を下りて行く。

この間までは、社内で自分と並ぶのをきまり悪がっていたのに。


なんか雰囲気が変わったかな。


あれこれ考えながら歩いていると、たちまち開発部のフロアに着いてしまった。


「じゃね。頑張って!」


佳代子は笑顔を見せ、仁を置いてさっさと行ってしまう。

仁はぽかんとしたまま、今度は、佳代子の後ろ姿を見送ることになった。








詩織は、ふんふんと匂いを嗅いでいる。


「お佳代、コロンとか変えた?」

「ううん。シャンプーだけ。
 コロンだめなの。何か急に鼻についてきちゃって・・・」


詩織は隣に座った親友をつくづく眺めた。

もともと、佳代子はかなり整った顔立ちだ。
それが却ってお高い印象を与え、佳代子自身の性格もあって、
どちらかと言うと、閉じた美しさだった。

それが、このところ肌はふっくらと艶めき、
ほおからあごにかけての曲線が柔らかくなり、
いつもどこか微笑んでいるような表情に変わった。

内側から放射されるエネルギーが佳代子を彩り、
時にどきっとするほど、あでやかな印象を与える。


以前は、仁を見かけただけで、
佳代子の顔がぱっと赤くなったりこわばったり・・。

本人もそれを自覚して、わざと仁を避けて歩いていたが、
このところはそんな風もない。

むしろ、社内で行き会った仁が、
通りすがりにちらりと気になる視線をよこしても、
佳代子はゆったりと落ち着いたまま受け流している。

この変化はなんだろう。



「ねえねえ、何か約束でもしたの?」


詩織は、一心に鯛のカブト煮をせせっている横顔に問いかけた。


「う~ん、特にはっきり約束したわけじゃないんだけど・・・」


そう言葉を切った佳代子のほおのあたりがゆるみ、
ほんのり顔を赤らめ、何とも言えず柔らかい表情になった。


しあわせなのねえ・・・・。


詩織は、呆れるほど正直な佳代子の顔を見て、ため息をついた。

恋は女を変えるというけれど、こんなに変わる女も今どき、そうはいない。

過去に男とつきあっていた時の佳代子をもう思い出せないが、
ここまで愛に輝いている様子を見ると、
正直、妬けてくるくらいだ。


「でも、ちょっと気になることがあって・・・」



「何よ、何が気になるの?」


詩織が突っ込むと、佳代子は少し顔を赤くして、


「ううん、別にいいんだけど・・。」


再び、鯛のカブト煮に取り組んでいった。








6月の人事異動を待たず、
仁は海外事業本部に移動になり、田並事業本部長直轄の元、
海外生産部3課課長となった。

とは言え、自分と田並の間には誰もいないので、
実質的なリーダーとして、大きな決定権をまかされる。

どうしても有用な人材だから、と田並に頼んで、小田島を引き抜いてもらった。


「お前、中国語ができたんだって?」


仁が小田島に問いかけると、


「以前、家に中国人留学生がいたことがあるんです。
 彼に教えてもらって、少々かじりました・・。」

「なんで、もっと早く言わないんだよ。
 数字だけかと思ってたら、他にも能があったんだな。」

「仁さんもラグビー以外に能があるのが、わかりましたからね・・・。」


遠慮のない言葉の応酬に、
アシスタントになった若い女性がびっくりしている。


「じゃあ、いざとなったら、足りない部品をかついで、
 工場まで運んでってもらおうか。」

「お安い御用です。
 体力では仁さんにかないませんが、
 運転技術は僕の方が上かもしれませんよ。」


他の課員と言っても、営業部の若い人間が兼務で、
日本での販売経路を広げる役にあたってくれる。

もちろん、詩織も正式なスーパーヴァイザーとして一枚噛んでいる。


「由香ちゃんが来なくて残念だろ?」


仁が意地悪そうにささやくと、


「誰かさんのおかげで今月中に、総合職への転換試験が受けられるそうです。
 もうアシスタントではなくなりますから。」

「本人から聞いたのか?」


小田島は、あいまいにうなずいて横を向いてしまった。

端正な横顔を見ていると、日に焼けているのに気づく。
よく見ると、首のあたりは白い。


「スキーに行ったのか?」

「ええ、ほんの日帰りで。」


小田島がさりげない調子で答えた。


「ふうん、誰と行ったんだ?」


また、口を閉ざして答えない。
が、小麦色に焼けた頬の当たりに、うっすらと血の色が浮いてくる。


「お前って、そういうところ、妙に正直な奴だな。」


仁が面白そうにつつくと、


「個人的なことですから、答える義務はありません。」


へええ、わかったよ。


「だけど、今後、上海奥の工場に足止めされて、
 ずうっと帰れない、ということだってあるかも知れないぞ。」

「仁さんもでしょう?」




仁は上海常駐になる話を、どうにかして止めてもらった。
行きっきりより、国内の業務と両方進める役割を任せて欲しい、
と説き伏せたせいである。


新たにアシスタントになった女性は、大喜びだった。


「わたし、大場さんのファンなんです!」



目を輝かせていきなり告白され、



「ありがとう・・・」



仁が微笑んだ。




「大場さんは『理想の上司』だって評判なんですよ。」

「誰が言ったの?」

「みんな言ってます。
 仕事ができて、かっこ良くて、周囲を気遣ってくれる。
 総合職をめざしている人にも道を開いてくれるって・・・」

「う~ん、そこまで言われると無理が言いにくいな」


仁が苦笑している後ろで、小田島の表情は動かなかったが、


「小田島さんも、仁さんと一緒に仕事がしたかった、とか?」


無邪気に問いかけられると


「いや、俺が経営企画部から無理やり横取りしたんだ。
 こいつを抜かれては、とあっちは大分しぶってたんだけどね。」


仁が代わりに答えた。



へえ、そうなんですか・・。



「僕としても、仁さんに、理想の上司を目指して欲しいですね」


小田島がちらりと微笑のかけらを浮かべた。

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