AnnaMaria

 

セピアの宝石 その後 「春を待ちながら」 中編

 

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うぉお〜〜っ、進めっ!
止まるな、進むんだよ。パス出せっ、パス!


野太い声がフィールドを行き交う。
仁はもちろん、週末にはラグビーを続けている。

秋口には、毎週のように練習を見に来ていた佳代子も、
冬が来て、屋外の観客席が冷え込むようになってからは、
来るな、と仁に厳命されていた。


だが暫く続いた厳しい寒さがゆるんで、4月並みの陽気、
と言う天気予報を盾に、めずらしく佳代子が強く主張して、
今日だけは練習を見るのを許してもらった。

来週は仁が出張で来られないのがわかっているし、
このお腹では、当分、来られなくなるだろう。

子どもを産む前に、もう一度フィールドを駈ける仁を間近に見て置きたかった。

仁はやや不満顔で、今にも許可を取り消してしまいそうだから、
毛布を2枚も持参の上、ぷくぷくと着膨れた雪だるまのような姿で、
やっと観客席に落ち着いた。



ボールを手にした仁は、普段とは別の生き物だ。
全身の感覚をとぎすまし、瞬時に動く動物のよう。
モールから出たボールを一瞬のうちに蹴りだして、もう別の位置にいる。

PCを前に座っている時や、スーツで接客している姿とは全く違い、
野生的、という言葉が似合う。

そのくせ、頭の中は常に回転していて、冷静に狡猾に、
相手の隙を突き、ボールを回すクールな戦略家でもある。

仁のプレイを見ていると、走れない自分まで気分が昂揚してくる。
一緒にフィールドを縦横に駈けている気持ちになれる。



この日は、ゲストチームを迎えての紅白戦も行われて、
観客席の応援にも熱が入り、気がつくと佳代子も
いつの間にか立ち上がったまま、ずっと応援していた。

かすかにお腹に違和感を覚えた。

ゆっくりとお腹をさすりながら、中の子をあやすようにそっと座る。
日差しは暖かく、座席の上には温熱シートが敷いてあるので寒くはない。

歓声のうちにそのまま試合が終わり、選手たちが上がってくるまで
そこにじっとしていた。

他の選手と共に、シャワーを浴びた仁が観客席に迎えに来ても
佳代子はおとなしく座ったまま、陽に焼けた夫に笑顔を向けた。

が、仁は何となく異変を感じ取ったらしい。


「どうかしたのか?」


さりげなく佳代子の隣に座りながら、小声で聞いてくる。


「何でもない。ちょっとお腹が張るだけ。
 じっとしていれば、たぶん元に戻る。」


仁は無言で佳代子の顔を鋭く見つめたが、すぐ背中に腕を回し、
ゆっくり支えながら、佳代子を立ち上がらせた。

お腹が重い。

ひどく不格好に立ち上がっている自分が、あか抜けた女性たちや、
筋骨たくましいチームメイトの視線の中で気になったが、
妊婦なのだから仕方がない。


「仁、メシどうする?」

「今日は帰る。また今度な。」


声をかけて来た大輔に、仁はいつもの笑顔で答えた。
佳代子もなるべく普通の表情で、笑って挨拶をする。

納得して手をふった大輔に背を向けて、仁と佳代子はそろそろと
車の方に歩いていった。



車内に落ち着くと、ふうっと息を吐いた佳代子を見て、


「おい。また、無理したんだろ?」


コンパクトシートに大きな体を詰めこみ、シートベルトをしながら言う。


「無理はしてない。けど、つい夢中になって立って応援しちゃったの。
 それだけ・・・」


一瞬、何か言いたそうに仁がこちらを見たが、結局何も言わなかった。


「病院に直行しなくていいか?」

「大丈夫、家でゆっくり休むわ。」


そのまま、お台場の部屋に戻った佳代子だったが、
その後、微量の出血があり、結局その晩から緊急入院する羽目になってしまった。







「俺はこの方が安心だ。
 生まれるまで此処に居ろよ。」


仁は病院のベッドサイドで軽く言ったが、佳代子は同意できなかった。


「いや。絶対うちに帰りたいから。
 必ず帰るわよ。」


だってもうすぐバレンタインではないか。
愛する男に、ようやく気持ちを込めた贈り物ができると言うのに。

仁の命令で病室にはPCもなし。
とにかくゆっくり休むよう厳命されたが、
薬を使えない妊婦には何の治療もほどこされず、
ただ安静にしているだけ。

突然のことで、他の妊婦の沢山いる大部屋はいっぱいで、
中庭に面した個室を当てがわれた。

見えるのは、向かいの病棟の廊下と青い空のみ。




夕方、心配して顔を見せてくれた詩織に、さっそく頼み事をした。


「お願いよ、詩織。
 仁が頑固でパソコンまで取り上げられちゃったの。
 ネットで買おうにもどうにもならないから。」


この緊急時に亭主のチョコの心配なんぞ、とぶつぶつ言う詩織を説き伏せ、
佳代子がコレと見込んだ品物の入手を頼む。


「わかった、わかった。毎年、お佳世には世話になってきたからね。
 それにお佳世がそんなに言うんなら、わたしもソコにしようかなあ。」


空中で幾つも指を折りながら、詩織は何やら数えている。


「ね、今年はいくつ配るの?」


ぱっと佳代子に見せた笑顔は、どこにも悪びれたところはない。


「去年は10個だったけど、今年は8個に抑えようかな。
 高ければ喜ばれるってわけでもないだろうし・・・。
 うふふ、どういう組み合わせで行こう。
 ああ、お佳世と一緒に選びに行きたかったのに。」

「独身は楽しそうね。相変わらず、年下ちゃんをよりどりみどりってわけ?」

「あら、結婚して顔がゆるみっぱなしの人に言われたくないわ。
 人妻をうらやんだりしないように、わたしだって楽しくしなくちゃ、
 と努力しているのよ。」


詩織が生き生きと仕事をしている様子は、後輩達の憧れでもあるのに。
もっとも詩織も、口ほどにうらやましがっている様子はなく、何やら楽しそうだ。


「何よ。詩織。何かいいことあるの?」

「ん〜〜、ちょっとね。明日、高遠くんとデートなの。」

高遠くん?

「お佳世の結婚式で知り合ったのよ。向こうから声をかけてきたわ。
 一見クールなイケメンなんだけど、すんごく可愛いところがあってねえ。」


詩織の連れて行った店に、ほう、と感激した顔が可愛かったとか、
タコ焼きをハグハグ食べる姿が、素直でとてもいいとか・・・。
詩織の自慢はつきることがない。


「年下っていいわよ。何でも感激してくれて、喜んでくれる。
 すれてなくて反応が新鮮。
 あの顔を見るためにもっと頑張っちゃおう、という気になるの。」

はいはい、わかったわ。詩織が幸せならわたしもうれしい。

ところで・・・。

「詩織、友チョコって言葉、知ってる?」

何よ!亭主のプレゼント分だけじゃなくて、佳代子の味見分も買って来いっての?
佳代子のお眼鏡の店って一カ所に集まってないから、
あちこち走り回らなくちゃならないじゃない。
この忙しい時期に、混んだデパート回るだけでも大変なのに・・・。

流れるように口を継いで出て来た文句をおろおろと止めながら、


「でもさ。プレゼントするなら、自分も味見しておきたいでしょ?」

「これまでに何度も味見してるくせに」

「もう一度確かめたいのよ。」

う〜〜ん、もう!


詩織は長い髪をぱさっと流して、佳代子をにらみつけた。


「チョコ中毒!お医者に見つかって怒られても知りませんからね。」


人差し指を佳代子の鼻先に突きつけると、佳代子はすかさず、
用意しておいたリストをさっと取り出して、詩織の指先にはさんだ。


「お願い。恩に着るわ。」


返す手でリストをひったくると、ちらりと目を走らせ。


「まあ、仕方ないわね。
 佳代子って仁につかまったくせにチョコへの思いを断ってじゃない。
 なんだか浮気を手伝ってるみたい。」

「あら、夫へのプレゼント獲得をお願いしているのに。」

「じゃあ、他のチョコの味見はいらないでしょ?」

「いや!それも要るの。」


二人できゃあきゃあと騒いでいるところに、がちゃりとドアノブが回って、
大きな体が入って来た。


「賑やかだな。外にまで聞こえてるぞ。」


仁がスーツ姿で大きな花束を片手にしている。
病室が急に狭くなったみたいだ。

たちまち顔を赤くして口をつぐんだ佳代子を横目に、詩織は密かにほくそ笑んだ。

ったく、お佳世ってば、仁にメロメロじゃない。

その後、仁がまっすぐ佳代子に歩み寄って、大きな手でこめかみの髪を撫でやり、
お腹の上に真っ赤なバラを置いたところを見て、詩織は眉を上げた。


「じゃ、お邪魔みたいだから出て行くわね。」


ふりむいた仁は佳代子への笑顔を張り付かせたままだ。


「悪いな、詩織。どうもありがとう。」


その後ろから、佳代子が上気した顔で小さく手を振る。


わざとらしく、どうもありがとう、なんて。
素直に「帰れ」って言ったらどうよ。

病室のドアを閉めながら、詩織がもう一度振り返ると、
手を取り合って見つめ合う二人が見え、慌てて廊下に滑り出た。


あ〜〜あ、新婚になんて構うもんじゃないわ。

詩織は病院の廊下でバッグをくるくる回しながら、去って行った。





スーツ姿の夫にやわらかく抱きしめられ、温かな唇を重ね終えると、
腕の中から愛しい顔を見上げる。


「仁は日曜日に帰ってくるんだっけ?」

「ああ、それが一日早まって、土曜日に戻れそうだ。」

ほんと?


佳代子の瞳が輝いた。


「ねえ、先生にお願いして、週末は家に帰らせてもらおうと思うの。」

「なんで?もう大丈夫なのか。」

「大丈夫も何も、ここで寝ている以外、何の治療も手当もしてないのよ。
 どこにいようと安静にしているなら同じだわ。」

「だが、何か起こった時にすぐ対処してもらえる。」


仁がずばりと指摘した。


「だから、仁のいる週末だけ帰してもらうわ。
 おとなしくする。何にもしない。動かない。だからいいでしょ?」


仁は厳しい顔をくずさなかったが、


「わかった。俺から直接、先生に訊いてみよう。」

やった!


実はもうすでに、佳代子から主治医に頼み込んであるのだ。
自分が言ってもダメだが、医者の許可なら、
心配症の夫も納得してくれるだろう。

思わず浮かびそうになる微笑みを、傍らのバラに向けてごまかした。


「ああ、きれいなバラ。いい匂い・・・」


仁も妻の笑顔には弱い。

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