AnnaMaria

 

セピアの宝石 その後 「春を待ちながら」 後編

 

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バレンタイン前日、仁は中国出張から戻って来て、その足で病院に寄り、
佳代子を部屋に連れて帰ってきてくれた。

一週間ぶりの我が家。
もうここはまぎれもなく、自分の場所だと感じられる。

帰って来れたうれしさに、持ち帰った着替えや
仁の出張衣類の洗濯をさっそく始めようとすると、
仁に見つかってソファに連れ戻された。


「安静にしていないと、このまま病院に送り返すぞ。
 俺は本気でやるからな。」

はい、わかりました。

「でも・・・」

「でも、何だ?」

「洗濯は洗濯機がやるから、入れるだけなら。」


仁の顔がぐっと迫って来て、佳代子はソファの背に押し付けられた。


「入れるだけなら俺だってできる。今度、洗濯機に触ったら病室に逆戻りだ。
 いいか?」

はい。すみません・・。

「声が小さい。」

「はいっ、わかりましたっ!鬼キャプテン。
 んもう、仁。わたしはラグビー部じゃなくて、文科系女子なんだからね。」

「ラグビーやれなんて、一言も言ってないぞ。」


ソファにはり付いた佳代子の額をちょん、とつつくと、
仁が洗濯機のところへ行って、すぐに戻って来た。


「俺はこれから買い物に行って、何か食べられそうなものをみつくろってくる。
 佳代子はこのまま、ここに座っているか、ベッドで横になるか、
 どっちがいい?」

「このまま、ここに居ます。」

「本か何か読む?」

「では、そこの『初めての妊娠』という本でも読みます。」


仁は無言で腕を伸ばし、佳代子に本を渡すと、


「行って来る」


部屋を出る前に振りかえって、もうひとにらみしてから玄関を出て行った。
佳代子はほっとため息をついた。


「おお、コワい・・・」







夕食は仁の初めての手料理を頂くことになった。
湯豆腐の鍋に、刺身と肉野菜いため。


「おいしい・・・」


佳代子が声をあげて、仁に微笑んだ。


「そんなに感激するほどのメニューでもないだろ。」


仁が自嘲気味に野菜炒めをほおばりながら、返事した。


「ううん、本当においしい。
 病院じゃなくて、この部屋で仁と向かい合って、
 仁が作ってくれたおいしいご飯を食べられて、すごく幸せ。」


佳代子の素直な感想に、仁はちょっと詰まったようだが、


「喜んでもらえて、こっちこそうれしい。ありがとう。」


佳代子の返事は満面の笑顔だった。





食事の後、佳代子は久しぶりにゆっくりお風呂に浸かった。
途中から仁が入って来て、佳代子の長い髪をていねいに洗ってくれ、
気持ちよさに目を閉じてうっとりしてしまう。

ふと気づくと、仁が佳代子を見ている。


「やだ、仁。こんな姿を見ないでよ。」

「どうして?すごく神秘的というか、不思議というか・・。
 去年の佳代子とぜんぜん違ってみえる。」


佳代子の体は温かいお湯でピンク色に染まり、
大きく豊かになった胸に青々と静脈が浮いている。

胸の下からゆったりと大きな曲線を描いて、
実った果物のようなシルエットを形作っていた。


「去年はまだバージンでしたから。」

「そういえばそうだったな。」


くくっと仁がいたずらそうに笑って、
湯船につかっている佳代子の体をさっと撫でた。


「きゃ!もう出るっ」

「もっとあったまれよ。」

「いい、のぼせそうだもの。」


深めの湯船から出るのに、あちこちつかまりながらそうっと出るのを、
仁は心配そうに見ていたが、手は出さず、シャワーを浴び始める。

仁の堅く盛り上がった背中にシャワーの飛沫がはねかえるのを見ると、
佳代子は思わず足を止めそうになった。

現役バリバリの仁の裸を見たことはないが、去年と比べても、
どこもゆるんだところがなく、前より一層引き締まり、
腰や尻は男らしい線を描いて張り切っている。


「なんだ、俺に見とれてるのか?」


ふと気づいた仁がシャワーから顔を出した。


や、あの・・その久しぶりに見たから・・・。


へどもどと口ごもる佳代子を面白そうに見ると、


「後でいくらでも見せてやるからな。」


シャワー越しにウィンクを寄越した。


佳代子があたふたと退散して、バスルームのドアを閉めると
仁の楽しそうな笑い声が聞こえた。







「佳代子、そろそろ寝ようか。」

「いや、まだ寝ない。」

「睡眠不足はいけないって先生が・・」

「もう少しだけ。レインボーブリッジの明かりが消えたら12時でしょ?
 それまでここにいたいの。」


窓の外に見える車のライトはすっかりまばらになり、夜は深い。

窓を伝って冷たい空気が這ってくるけれど、久しぶりのお台場の夜景を見たくて、
分厚いカーテンを閉めずにいる。


柔らかなネグリジェに着替えて上からガウンを羽織り、
ソファによじのぼって、懐かしい夫の胸に抱かれていた。

うれしくて仁の首すじに何度も頬をすりつけて甘えるたび、
ウィスキーのグラスを置いて、仁が佳代子の髪を撫でて唇を落とす。


「もうこのまま、会社に行けないのかしら?」

「そっちは心配しなくてもいい。
 佳代子が妊娠しているのはわかっていたんだから、
 少し体制を早めることになるだろうが、仕事は回って行くだろう。」

「わたしがいなくたって、全然大丈夫なのよね。」


小さくついたため息に仁は気づかないふりをした。


「仕事の代わりは誰だっている。
 俺の代わりも、社長の代わりも必ずいるんだ。
 だが、佳代子の代わりはいない。
 佳代子だけがこの子の母親で、俺のかみさんだ。」

「ん、わかってるわ。仁・・・」


佳代子はまた仁の肩に顔をすりよせた。
病室でひとり寝ていると、仁が恋しくて恋しくてたまらなかった。

やっと寄り添えるようになったのだから、
仁のぬくもりや肌触りを思い切り味わいたくて、さっきから甘えてばかりいる。


「この子は元気か?」


仁が柔らかくお腹をなでると、佳代子が仁に丸いお腹を寄せた。


「そろそろ起きて運動する頃よ。
 夜更かしみたいなの。」

「そりゃ、よくない。子どもは夜寝るべきだ。」


笑いながら言ったその声に抗議するように、
佳代子の腹から元気な刺激が送られてくる。


「反抗的だな。」

「仁ったら・・。」


仁の腕が佳代子の背中にも回されると、ゆっくり唇が重なった。
そのまま、2度、3度と重ねられ、少しずつ口づけが深くなる。


「あ、待って、仁!」


なんだ・・?


腕の中で急に身を乗り出した佳代子を、
不満そうに支えながら仁が訊いた。


「レインボーブリッジの明かりが消えたわ。」


仁が窓外に目をやると、確かにきらめくイルミネーションが消えて、
ぽっかりと空いた夜の闇に、点々とした地味な照明に変わっている。

観覧車やその他の照明もひっそりとしたものになり、
変わらないのは、ビルの赤い航空灯だけだ。


「12時になったってことよね?」

「ああ、そうだな。」


佳代子はよっこらしょ、と仁の腕の中から抜け出ると、床に足をおろした。

仁は不思議そうに佳代子を見ている。

佳代子は実家から持ち込んだ懐かしいティーテーブルに歩み寄ると、
引き出しの鍵を開け、ラズベリー色に金のリボンが巻かれた包みを取り出した。


「仁。ハッピー・バレンタイン!
 わたしから2度目の贈り物よ。」


ありがとう・・・。


仁は素直に受け取って、包みをほどきだしたが、


「これはアレか。佳代子が時々盗み食いしていたヤツか?」


横目で佳代子の反応を見ながら、唇の端を上げる。


「知ってたの?」

「当然・・・」

「ばれてないと思ってたのに。」


はらり、とリボンを落とすと、ラズベリー色の包み紙を開き始めた。
中から白い箱が出てきて、そのフタを開ければ、
セピア色の宝石が並んでいるはずだ。


「俺は毎日、佳代子を抱きしめて、キスしてるんだぞ。
 チョコの香りくらいすぐわかるさ。」

「なんだ、そうだったの・・・」


広報室宛てに回してまで持ち込んだ努力は無駄だったかと一瞬思ったが、
自分がどれほど沢山の種類のチョコを買っていたかまでは知るまい。
また言う必要のないことだ。


「仁にとびきりのヤツを贈りたかったから。」

「そう言われちゃうと、何も言えないじゃないか。」


白いフタに太くて長い指がかかり、ぱかりと開けられると、
室内にカカオの香りが流れ出す。

佳代子がとっておきにと選んで、詩織に入手を頼んだチョコレートだ。

仁はきれいに並べられたチョコレートを見つめながら、呟いた。


「佳代子、これはどういう意味だ?」

「どういうって、バレンタインだからよ。」

「どうして、バレンタインにチョコをくれたんだ?」

「どうしてってそれは・・・」


続きを言おうとして口ごもると、仁の目がきらりと光ったように見えた。


「なんだ、続きを言えよ、佳代子。」

「意地悪ね、仁。去年も確か言わされたわ。」

「チョコよりも、その意味が大事だったからな。」


仁はチョコの箱を置いて、佳代子をふたたび胸に抱き寄せた。


「続きを言ってくれ。」

「もおう、仁。わかっているくせに。」


仁は黙ったまま、佳代子を見つめて待っている。
この黒い瞳に見つめられると、相変わらず体の奥がきゅんと震える。


「え、だから・・・。」


仁の瞳はゆらがない。
ほんの少し、佳代子を抱く腕に力が加わって、視線がやや強くなっただけ。


「その・・仁が好き。」


仁がほっと息を吐いた。


「良かった。医者に確かめておいて・・・」

「何を確かめておいたの?きゃっ!」


仁にいきなり空中に抱え上げられたので、急いで首に両手をまわしながら、
佳代子が訊いた。


「これからわかる。」


柔らかく、ブルーのカーテンの向こうに広がるベッドへ下ろされて、
仁は小さな明かりを残し、後は全部落としてしまう。

そっと横たえられ、あたたかい唇に迎えられると、
2年目のバレンタインは仁の腕の中で始まった。





                  〜 End 〜 

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